在宅勤務・副業…実態映さぬ労基法制、見直し急ぐとき
日経 編集委員 水野 裕司 2023年11月2日
働き方の多様化やデジタル化の進展を踏まえ、労働基準法制の課題を整理するため厚生労働省が設けた有識者研究会が報告書をまとめた。労働時間管理のあり方や「労働者」概念の見直しなどに加え、人権や個人情報の保護といった世界で対策の強化が叫ばれている点にも言及している。制度改革の枠を超え、企業の労使が注力すべき点も浮かび上がる。
工場労働者を想定した労働基準法、実態とズレ
学識者や企業の人事担当役員、民間シンクタンクの研究員らによる「新しい時代の働き方に関する研究会」が10月半ば、報告書を公表した。
1947年制定の労働基準法を軸に、そこから分かれた最低賃金法などを含めた労働基準法制は、労働条件を決める際の基本原則を定める。労働分野のなかでも基盤となる法制度だ。だが、工場労働者の保護を目的とした戦前の工場法の流れをくみ、経済のソフト化・サービス化が進んだ現在は時代に合わなくなった点がみられる。見直しに向けた論点を有識者研究会で議論してきた。
現行の労基法は対象として、製造現場などに集合し、使用者の指揮命令のもとで画一的に働く人の集団を想定している。指揮命令に従い、賃金を支払われる者を「労働者」として保護する。物理的な「事業場」を単位に法制度が組み立てられている。
こうした労基法の考え方が現実にそぐわなくなってきた一つが、労働時間管理のあり方だ。新型コロナウイルス禍で在宅でのリモートワークが急速に普及し、オフィスに集まる働き方が一般的とはいえなくなってきている。
これまでは事業場以外での労働を特殊な働き方ととらえ、労働時間の把握が難しい場合、あらかじめ定められた時間働いたとみなす「事業場外みなし労働時間制度」などの特例を設けてきた。しかし、事業場以外での労働はもはや例外的な働き方とはいえなくなっており、その法制のあり方をどのように考えるべきか、報告書は議論が必要であると提起した。
働く場所が複数になる副業・兼業も、労基法が想定してきた労務管理ではそぐわなくなっており、たとえば労働時間の算定で支障をきたしている。この点でも現行法制の見直しが求められそうだ。
フリーランスは保護対象外 変化に後れ取る現行法制
労基法が適用される「労働者」の概念についても報告書は検討を求めた。フリーランスの人は保護対象になっていないが、実質的に取引先から指揮命令を受けて働いている例も少なくない。家事使用人もいまは適用対象外だ。報告書は「労働者」の基本的概念について、「経済社会の変化に応じて在り方を考えていくことが必要」と明記した。
就業形態の多様化が進んで働く場所の自由度が増し、労働時間管理は健康確保に留意したうえで柔軟さが求められている。人工知能(AI)やロボットを活用した企業の省人化が広がれば、個人事業主が増える可能性がある。経済・社会の構造変化に合わせて労働法制を使いやすいものに改めていくことは不可欠だ。
報告書を受け労働政策審議会で法改正の議論を始めるかどうかなどは、厚労省は未定としている。ただ現行法制の考え方と実態とのズレを修正する必要があるのは確かだ。具体的な議論を急ぐべきだ。
欧州では労働者の同意を条件に適用除外
世界の潮流を視野に入れながら法制度のあり方について問題提起した点も今回の報告書は注目される。
労働時間制度では企業から、労働者の同意を条件に、使いやすい仕組みにすることを認めてほしいとの要望がある。報告書は「労働基準法制については、労使の選択を尊重し、その希望を反映できるような制度の在り方を検討する必要がある」とした。
欧州連合(EU)では労働者の同意を前提に、週あたりの労働時間の上限を超えて働けるようにする「オプトアウト」という適用除外規定がある。海外では労働条件決定のルールを定めたうえで、労使が合意すれば例外を認める仕組みがみられる。日本も取り入れる余地があるのではないかと提言した形だ。
個人情報保護の重要性についても指摘した。デジタル技術で個々人の睡眠時間やメンタルヘルスの状態をつかめるようになり、その際、業務遂行に直接関係する部分を超え、労働者の健康情報をどこまで企業が把握していいか検討が必要だとした。労働法の分野でも個人情報保護を十分考える必要があると警鐘を鳴らした。
「ビジネスと人権」への言及もある。「企業グループ全体やサプライチェーン(供給網)全体で働く人の人権尊重や健康確保を図っていくという視点」を持つことを企業に求めた。自社の従業員に対してだけでなく、原材料の生産や物流など企業活動に欠かせない部分を担っている労働者に対しても、責任意識を持つ必要があるという認識がある。
重要性が増す労使コミュニケーション
使用者と労働者の意思疎通はこれまで以上に必要になる。労働者の同意のもとで制度の適用除外を求める仕組みでは、その狙いについて労働者の理解や納得を得ることが必須だ。個人情報保護や人権重視も、問題を発見して改善策を講じるには、経営者が現場の様子を常時把握しておくことが欠かせない。
報告書は「労使コミュニケーション」の重要性を指摘。労働組合が果たす役割は引き続き大きいものの、多様で複線的な集団的労使コミュニケーションのあり方を検討すべきだとした。企業が個人の健康情報を把握する場合、労働者が必要に応じて使用者と十分な意思疎通を図れる環境の整備が求められるとしている。従業員一人ひとりと対話を深めるなど、社内各組織の管理職の役割も重くなるだろう。
グループ企業や取引先を含めた人権重視の取り組みでは、人権侵害の防止策や問題発生時の対応について、経営者による説明や情報開示も大事になる。
企業や働く人を取り巻く環境の変化は法制度の見直しを迫るにとどまらず、労使の関係にも新たな課題を投げかけている。
山口利昭法律事務所 代表弁護士
コメントメニュー
別の視点働き方の多様化が進む中で、労働基準法制を柔軟なものに変えていくことには賛成です。ただ、報告書資料にもあるように、日本企業の従業員エンゲージメントが欧米諸国と比べて圧倒的に低く、さらに若年労働力の流動性も低い現状を前提としますと、労働時間の上限規制を労使合意によって安易に適用除外とすることには反対です。企業側の都合によって合意が強要されてしまうと低賃金の温床となり、報告書が掲げる労働者の健康確保の増進目的に反する結果を招来します。「適用除外」は、働き方の多様化によって、労働者側がキャリア形成や成果への対価を強く望むような職種のみに限られるべきであり、労働者ファーストで導入されるべきでしょう。