「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」 シュウゴアーツ

シュウゴアーツ江東区清澄1-3-2 5F)
「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」
11/11-12/16(会期終了)

シュウゴアーツで開催中されていた森村泰昌の個展です。彼の「20世紀の歴史は『男たち』によって象徴される」という主張のもとに構成された、半ば退廃的ダンディズムを喚起させる作品がいくつか並んでいます。中でも、1970年11月25日、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて起きたクーデター未遂事件、つまり「三島事件」をモチーフとした映像作品が圧巻でした。



「なにものかへのレクイエム(MISHIMA)」(2006)にて、森村はまさに三島由紀夫になりきっています。(むしろ三島が憑依していると言っても良いのかもしれません。)勇ましき制服を身に包み、突如あのバルコニーへ登場する三島由紀夫ならぬ森村泰昌。すぐさま、比較的落ち着いた様子でありながらも、その内に秘めた情熱を発するかのような絶叫口調にて演説がはじまります。もちろんその内容は史実通りではありません。

森村が述べたのは、現在の「堕落した」美術界に対する愁訴でした。「美術が目指すものとは何か。」や「日本的なものとはなにか。」といったような衒学的でもあり、また大上段に構えた曖昧な問いを発し、その解答を現状に鑑みて「みんな間違っている。」として切り捨てます。そしてその後は決起のためへの叱咤激励です。「オレと立ち上がるヤツはいないのか?」と投げかけますが、全くをもって無反応な聴衆(これについては、一番最後の部分にて半ば「オチ」として明らかにされます。)を一瞥すると、何故か自身の虚しさを隠すように大声で「永遠の芸術万歳!」と叫びます。敗北です。

彼の眼前に広がっていたのは、全くその激励に耳を貸さない人々のいる、とても平穏な日常の光景でした。森村の主張は確かにはっきりとした信念に基づいていますが、この「オチ」の存在が、この光景をどこか滑稽な、それこそ一人での万歳へと繋がるような自暴自棄的な妥協へと陥れています。それはまさに、あまりにもとらえどころのない領域にまで広がった現代アートの深みでもがいている、一人のアーティストの姿のそのものでした。その揶揄もここには表現されているのかもしれません。(12/9鑑賞)
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