モーツァルト全作品の楽譜が、WEB上にて完全無料公開!

これは素直に凄いことです。モーツァルトの全作品の楽譜が、WEB上にて無料公開されました。提供は国際モーツァルト財団です。英語でアクセスすることが出来ます。

モーツァルト生誕250周年で全作品の楽譜をオンラインで公開(ITmedia NEWS)

NMA Online(国際モーツァルト財団提供)

まだ内容を詳しく見ておりませんが、キーワードやケッヘル番号(K.もしくはK.V.)などで検索出来るのはもちろんのこと、オペラやピアノ曲などのジャンル別、または調性などでも検索することが可能なようです。試しに「K.V.」の所へ「527」と入れてみたところ、当然ながら瞬時に「ドン・ジョバンニ」がヒットしました。(さらにクリックすると、デジタル化された楽譜の一ページ目が表示されます。)

「モーツァルト ドン・ジョヴァンニ/小瀬村幸子訳/音楽之友社」

googleの取り組みにも先立つような、楽譜出版社も真っ青な取り組みです。まずはお試し下さい。
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「荒木経惟 東京人生」 江戸東京博物館

江戸東京博物館墨田区横網1-4-1
「荒木経惟 東京人生」
10/17-12/24



生まれも育ちも東京(三ノ輪生まれ。世田谷区在住。)の荒木経惟が、現在進行形で撮り続ける東京の全てを明らかにしました。街とともに生きるアラーキーの人生が写真によって紡がれていきます。一種のモノローグです。



一口に東京といえども、そこに展開されている写真世界は実に多種多様です。1960年から70年代にかけての東京の街角から、今年の夏に撮影されたという新作の「色夏」シリーズ(何とデジカメです。)の作品まで、どれも被写体に人懐っこく近づき、さらにはバシャバシャと手早くおさめていく荒木の姿が目に浮かぶものばかりでした。それにしても、例えば遊び回る子どもたちや妖艶な女性など、人々がそれぞれに秘めていた魅力をどんどん露にしていく様子は、見ていて恥ずかしくなってしまうほど痛快です。いつも彼の作品を見る時、不思議と逆に写真から心を覗かれているような印象を受けますが、今回はさらにその思いを強くしました。どうやらアラーキーの写真は、まさに見る者すら裸にしてしまうようです。ここに、構えて鑑賞するなどと言うような遠慮は全くをもって意味をなしません。その写真の語り口にいつ間にやら飲まれてしまうのです。

「東京人生SINCE1962/荒木経惟/バジリコ」

今回の展示で非常に心に残ったのは、亡くなられた荒木の妻、陽子夫人を捉えた作品でした。特に、彼女とのあまりにも早かった別れを有り体に写した一連の写真群は、その悲しみが心へと強く突き刺さってきます。ベットの脇にて握りしめ合う二人の手の写真は衝撃的でした。愛する者と永遠に別れることの恐ろしさが、殆どの慈悲を示すことなくただ淡々と無情に示されています。荒木の妻への想いを鑑みた時、その重みは私の言葉では表すことは出来ません。体が震えました。



常設展示室のチケットで入場可能です。今月24日まで開催されています。(12/3鑑賞)
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ロベルト・アラーニャがヤジでスカラ座公演を降板?!

スカラ座の長い歴史でも初めての珍事だそうです。先日始まったばかりのスカラ座の「アイーダ」で、テノールのロベルト・アラーニャが、観客の痛烈なヤジを受けて途中退場しました。

「アイーダ」公演中に主役歌手退場 観客のブーイングで(CNN.co.jp)
「In pictures: Zeffirelli's Aida」(公演写真)(BBC)
「L'<Aida> emoziona la Scala e Milano」(一部映像)(Corriere Della Sera)
該当部分の映像(1分強)(YouTube)

リンク先の記事を拝見する限りでは、ヤジは公演時のアラーニャの歌唱に対するものと言うよりも、初日公演後に行われた彼のインタビューに反発したものと考えた方が良さそうです。そもそも以前からスカラ座の聴衆の厳しさ(?)は有名で、中にはブーイングよって降板させられた歌手もいたと聞きますが、今回は反対に歌手が聴衆へ三行半を突きつけた格好となりました。ただ、第一幕の「清きアイーダ」の後に即退場するとは何やら確信犯的です。既にインタビューでは、今後のスカラ出演は全てキャンセルするとも述べていたそうですから、実は意気揚々と退場したのかもしれません。またアラーニャの妻のゲオルギューも、来年の「トラヴィアータ」への出演を止める可能性があると掲載されていました。アラーニャ&ゲオルギューという売れっ子夫妻の出演停止は、スカラ座自体にとっても、さらには聴衆にとっても打撃の大きいことかと思います。どうなのでしょうか。



ちなみに「アイーダ」の初日公演は、バルトークラジオのオンデマンドで聴くことが出来ます。(128kbpsは、放送一週間後まで繋ぐことが可能です。)私もこれからじっくり楽しんでみます。

バルトークラジオ
オンデマンド(128Kbps):「アイーダ」の録音は、Csutortok(木曜日)の18~21時です。

「ヴェルディ:イル・トロヴァトーレ」

「ドニゼッティ:愛の妙薬」

アラーニャとゲオルギューのヴェルディと言えば、やはりまず「トロヴァトーレ」が挙げられますが、それよりもドニゼッティの「愛の妙薬」の方が息の合った素晴らしいコンビネーションを見せています。
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「肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」 江戸東京博物館

江戸東京博物館墨田区横網1-4-1
「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」
10/21-12/10(会期終了)



これほど充実した肉筆浮世絵を見たのは初めてです。ボストン美術館の日本美術コレクションから、江戸時代の肉筆浮世絵(約70点)が、何と約1世紀ぶりに里帰りしました。師宣や歌麿、それに広重や北斎などのビックネームも勢揃いです。



数ある作品の中でも、一番インパクトがあったのはやはり北斎でした。中でも、大見得を切った鳳凰の構える「鳳凰図屏風」(1835)は圧倒的です。嘴を下げてニヤリと笑っているような顔から、とぐろを巻いているようにうねる首、そして後方へと大きく伸びるきらびやかな羽の様子までが、全く迷いのない確固とした線にて描かれています。この作品は枕屏風ということで、当然ながら寝室の枕元に置かれていたのかと思いますが、こんなド派手なものがあったらとても眩しくて眠られそうもありません。一枚一枚、まるで鱗のように重なり合う羽の描写は、あたかも彫像を象るかのように立体的です。その妖艶な姿には惚れました。



北斎では、龍と蛇がそれぞれ男女を表すという、「提灯絵 龍虎」と「提灯絵 龍蛇」も印象的です。ともに二体の動物が、狭い提灯の空間を陣取り合戦しているかのように対峙しています。黒煙の舞う提灯に赤く伸びた龍と、それに負けじと雄叫びを挙げる虎の対決は、今にも提灯から浮き上がってきそうなほどリアリティーに富んでいました。決して大きな作品ではありませんが、非常に強い緊張感を漂わせています。これは名品です。



その他では、画中に鏡を取り入れて構図の面白さを表現した北斎の「鏡面美人図」(1805)や、華麗で着物に流麗な水紋の描かれた歌麿の「遊女と禿図」(18世紀-18世紀初頭)なども魅力的でした。また、賑わう遊里の様子をダイナミックな屏風にて表現した、師宣の「芝居町・遊里図屏風」は見事という他ありません。人々の笑い声などが伝わるような臨場感に満ちた作品です。

もう少し多くの作品が展示されていればさらに良かったとも思いましたが、まずは期待通りの内容で満足出来ました。混雑にも納得の展覧会です。(12/3鑑賞)
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「art_icle(アーティクル)」誕生!

主に現代アート関連の記事でまとめられたフリーペーパー、「art_icle」が先日創刊されました。オールカラー、計32ページ、A4サイズ大ほどの小冊子です。



「art_icle」 公式サイト

今号は「創刊0号」とのことで、いわゆる「創刊準備号」的な扱いなのかと思います。内容は、現在開催中の展覧会に関するメイン特集(「大竹伸朗展」と「ダリ展」。)と、「ギャラリーガイド」と題された展覧会の開催情報(画廊を含む。)、さらには「全国美術館めぐり」(第一弾として「清里現代美術館」がピックアップされています。)や新進アーティストの紹介記事などでした。全体的にテクストが少なく、じっくり読ませる部分はそれほどありませんが、ペラペラとめくりながら、美術の情報などに接するのにはまず無難なツールとなりそうです。豊富で鮮やかな図版を見るのもまた楽しいのではないでしょうか。

<目次一覧>
・全国美術館めぐり1 「清里現代美術館」
・大竹伸朗 「全景1955-2006(東京都現代美術館)」
・Newcomer Artist 「辻井宏明、カワノ・ナミ、木村倫子、石森忍」
・Gallery Guide
・ダリ 「ダリ回顧展(上野の森美術館)」
・PRESENT

記事の内容とは直接関係がありませんが、今回の創刊に合わせて、「art_icle賞」という賞金付きの賞が新設されています。単にアートの情報を発信するだけでなく、アーティストへ支援する形の活動はとても重要です。この姿勢にはとても好感が持てました。今後のさらなる発展が期待されます。

率直なところ、内容がやや絞り切れていないとも言うのか、一体どのような層をターゲットにしているのかが良く分からなかったのですが、(間口が広過ぎるとも感じます。)次回の「創刊1号」以降では、お馴染みの「芸力」との連携も予告されています。これは非常に楽しみです。

配布場所は、首都圏の美術館やホール、ギャラリーなどです。計6万部とのことで、私も昨日、六本木のとある画廊にていただきましたが、あまり潤沢に供給されていないのか、他の画廊や美術館などでは殆ど見かけることがありませんでした。なるべく早めの方が確実かと思います。

隔月の発行です。創刊0号は既に今月5日に、また1号は来年2月25日に発行が予定されています。(隔月発行ならもう少し先取りする形の情報が欲しいところです。ここに来てダリや大竹の特集というのが今ひとつ良く分かりません。)今後に予定されている芸力との提携と、さらにコアな内容を伴う読み物があれば、また面白くなってくるのではないかとも思いました。また、ダリやエッシャー展などのチケットのあたるプレゼントコーナーもあります。まずは、一度手に取ってみることをおすすめしたいです。
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「プリズム:オーストラリアの現代美術展」 ブリヂストン美術館

ブリヂストン美術館中央区京橋1-10-1
「プリズム:オーストラリアの現代美術展」
10/7-12/3(会期終了)

オーストラリアの現代美術を、新鮮な感覚で楽しむことが出来る展覧会です。会期最終日の駆け込みで拝見してきましたが、期待以上の充実した内容で驚きました。非常に良く練られた企画展です。



この展覧会を拝見してまず嬉しかったのは、以前、原美術館の回顧展で衝撃的だったパトリシア・ピッチニーニの作品に再会出来たことでした。ピッチニーニの作品だけが並ぶという豪華な「ピッチニーニ・ルーム」(第7室)には、あの一見グロテスクにも見える奇妙な生き物たちと、何やら機械生物を思わせるメタリックなオブジェが計7点ほど展示されています。現在の遺伝子工学などに対する「批判」と、ある種の「肯定」が混ざり合った作品です。



まるでエイリアンを見るかのようなその不気味さは、ちょうど人でも既存の動物でもない、それこそ遺伝子操作によって誕生した新種のような生命をイメージさせています。そしてその正視することすら阻むような醜い姿には、現に新たなる生命を生み出し、さらには禁じられた領域へ手を伸ばしつつある人間への批判精神が多分に含まれているのではないでしょうか。こんな生物がもし身近に生まれてしまったらどうするのか。背筋の寒くなるような光景が頭をよぎります。

しかしもう一点、「肯定」の部分についても鑑みることが重要です。不気味なイメージを一旦頭から振り払って、もっと心を真っ白にして見入ると、奇態だった動物たちが何とも愛おしく、またその眼差しからは優し気な慈しみすら発せられていることに気がつきます。必至に赤ん坊を抱いているその姿(「自然の小さな救済者 - 耐鉛害ポッサムの子孫」)を見て下さい。赤ん坊を大切に抱きかかえ、必至に守り、そして育てていこうとする決意が感じられるのではないでしょうか。人間には、この悲しみと憂いをたたえた動物を、汚らわしいものとして無碍にすることを許されていません。たとえそれが奇妙であろうとも、ここには全ての生き物に対する愛情と尊厳が示されているのです。彼らを通すことで、改めて家族愛や母性愛の意味を考えることも必要ではないかと感じました。

 

さて、ピッチニーニの他には、シンプルながらも良い意味で土着的な抽象画が印象に残りました。特にケマーレやナパンガーディらの並ぶ第6室と、赤茶けた色遣いにオーストラリアの大地を思わせるワトソンが個性的です。第6室では、まるでレースのように細かい編目模様のドット(ちなみに、この展覧会ではドットを使った抽象画がたくさん出品されています。)がキャンバスに敷きつめられ、枯れ木で構成されたオブジェが空間を軽やかに彩ります。またワトソンには、アボリジニのアイデンティティーが強く投影されていました。彼らの所有していた土地の記憶がそのままキャンバスへ移されています。メッセージ性の高い抽象絵画です。



ライリーの「無題(ブーメラン)」(2003)などは素直に美しいと感じられる作品でした。また全体として、展示の構成やキャプションなどに押し付けがましい部分がないのも好感を持てます。(現代アートの展覧会は講釈が過ぎるものが目立ちます。)既に会期を終えてしまいましたが、高く評価されるべき展覧会だと思いました。(12/3鑑賞)
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新日本フィルハーモニー交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」他

新日本フィルハーモニー交響楽団 第409回定期演奏会

オール・ショスタコーヴィチ・プログラム 
 ヴァイオリン協奏曲第1番 作品77
 交響曲第10番 作品93

指揮 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
ヴァイオリン 木嶋真優
演奏 新日本フィルハーモニー交響楽団

2006/12/6 19:15 サントリーホールPブロック

ショスタコーヴィチとの親交も厚かったという(公演パンフレットより。)、ロストロポーヴィチの指揮とのことで聴いてきました。新日本フィルのオール・ショスタコーヴィチ・プログラムです。ちなみに、ロストロポーヴィチが新日フィルの定期を振るのは何と8年ぶりとのことでした。

ヴァイオリン協奏曲のソリストには木嶋真優を迎えます。第一楽章こそややソフトタッチな演奏でしたが、曲が進むにつれて、まるで反応の悪いオーケストラへ喝を入れるかのようにヒートアップしていきました。もちろん最大の聴かせどころである、第3楽章の長大なカデンツァも難なく弾きこなします。総じて高音部での激しさと、ピアニッシモでのすすりなくような弱さの同居した、振幅の大きく、また揺れ動くショスタコーヴィチでした。(あえて言えば、もう少し中音域にニュアンスの変化があればさらに良かったかもしれません。)その力演の様子は、クライマックスにて突然起った弦の切れるハプニングにも表れていたかと思います。全力で音楽に対峙している姿が見て取れました。引き込まれます。

さて、先ほど「反応の悪い。」と述べさせていただいたオーケストラですが、この日の新日本フィルの響きはどうもいただけません。年齢を感じさせないロストロポーヴィチの軽快な指揮に喰らいついていけないのか、終始腰が重過ぎて、時には奇怪なまでに表情の入れ替わる、この曲の変幻自在な面白さを伝えるまでに至っていませんでした。またこれは指揮にも問題があったのかもしれませんが、曲想の変化する部分の処理がとても甘く、結果として音楽が所々でぶつぶつと途切れるような、緊張感に欠けた音楽が生まれていたようにも感じました。確かにヴァイオリン主導で進む祈るようなフレーズこそ、新日フィルに特有な明るい響き(むしろこれがショスタコの演奏ではマイナスポイントになってしまうのかもしれませんが。)が素朴で親しみ易い雰囲気を醸し出していましたが、激しくのたうち回るスケルツォではそれこそハメを外すような激しさが全然足りません。全体的にどうも安全運転とも言えるような、奇妙にこぢんまりとした響きにまとまってしまっていたのが気になりました。ただし、オーケストラ自体の調子はそんなに悪いわけではなかったようです。オーボエやファゴット、それにホルンなども伸びやかなでふくよかな音を奏でていました。とすると、音楽全体のダイナミズムの方向性が示され、または各パート間の交通整理が明快になされていれば、さらに見通しの良い、音楽の構築美を味わえるような演奏になっていたと思います。それぞれの各パートから奏でられる美しい響きが、全体となると何故かとても散漫に聴こえてしまいました。もっと純度の高いアンサンブルを求めたいです。

「ロストロポーヴィチ―チェロを抱えた平和の闘士/新読書社」

終演後、楽譜を大事に胸へ抱き、客席へ大きく掲げるようにして敬意を示していたロストロポーヴィチの姿がとても印象に残りました。先日の第8番は優れていたとも聞きますが、ショスタコーヴィチ演奏にとって重要な指揮者の登場だっただけに、もう一歩踏み込んだ表現が欲しいところでした。少し残念です。
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12月の予定と11月の記録

師走に入り、ようやく冬らしい日が続くようになってきました。今月も見逃せない展覧会が目白押しです。毎月恒例の「予定と振り返り」です。

12月の予定

展覧会
「プリズム:オーストラリア現代美術展」 ブリヂストン美術館( - 12/3)
「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 世田谷美術館( - 12/10)
「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」 江戸東京博物館( - 12/10)
「大竹伸朗 全景」 東京都現代美術館( - 12/24)
「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」 東京国立近代美術館( - 12/24)
「開館40周年記念 出光美術館名品展2」 出光美術館( - 12/24)
  
コンサート
新国立劇場2006/2007シーズン」 ロッシーニ「セビリアの理髪師」(12/1-10)
新日本フォル第409回定期」 ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」(6日)
東京都交響楽団第636回定期Aシリーズ」 ヘンデル「メサイア」(15日)


11月の記録(リンクは私の感想です。)

展覧会
浦上玉堂展/美術館ボランティアが選ぶ千葉市美術館コレクション展」 千葉市美術館(5日)
「アルベルト・ジャコメッティ 矢内原伊作とともに」 川村記念美術館(5日)
「クリーブランド美術館展」 森アーツセンターギャラリー(19日)
「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」 森美術館(19日)
「迷宮+美術館」 渋谷区立松濤美術館(26日)
「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」 東京オペラシティアートギャラリー(26日)

ギャラリー
「齋木克裕 『Suspension』」 SCAI×SCAI(11日)
「斉藤邦彦個展 『現像中』」 ヴァイスフェルト(11日)

コンサート
「NHK交響楽団第1581回定期公演Cプロ2日目」 ヴォーン・ウィリアムズ「交響曲第5番」他/ノリントン(11日)
「東京都交響楽団第634回定期Aシリーズ」 R.シュトラウス「アルプス交響曲」他/インバル(24日)

以上です。

展覧会では既に、江戸博の浮世絵展と、会期を終えたプリズム展の鑑賞を終えています。(特にプリズム展が期待以上の内容で満足出来ました。)なるべく早めに感想をアップしたいと思います。その他ルソー、大竹展などは、前々から予定していたものの、結局行かずじまいになっている展覧会です。会期の終らないうちに、忘れずに出向きたいと思います。また出光の名品展では、後期展示期間中に酒井抱一の「糸桜・萩図」が出品されています。どうやらそれが今年の抱一の見納め作品となりそうです。

12月中の新国立劇場による二つのオペラでは、「セビリア」の方が幾分評判が良いようです。まだチケットが手元にないのですが、出来れば当日券などで聴いてきたいと思います。またデプリースト登場の都響定期では、B定期のショスタコプロも気になりますが、まずは私の出向き易い上野開催のメサイアを挙げてみました。ちなみに年の瀬のクラシックと言えばお馴染みの第九ですが、今年もまた聴くことがなさそうです。

先月は殆ど画廊を廻ることが出来ませんでした。今月はもう少し拝見したいです。

それでは今月もどうぞ宜しくお願いします。
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「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」 東京オペラシティアートギャラリー

東京オペラシティアートギャラリー新宿区西新宿3-20-2
「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」
10/7-12/24



斬新な建築を感覚的に掴むことの出来る展覧会です。「エマージング・グリッド」の概念を建築界へ持ち込んだ伊東豊雄(1941-)の業績を、原寸大図面やCG、さらには模型使ったインスタレーション的な展示空間にて紹介します。見て感じて楽しめる建築展でした。



伊東建築の生み出す空間構成は、ともかく非常に個性的で、またどこか近未来的なイメージを持っています。「既存のモダニズム建築の均質なグリッド(格子)を、より複雑で豊かな秩序を内包する『エマージング・グリッド』(生成するグリッド)」で超越しようとした」(公式HPより引用。一部改変。)というその姿勢は、ちょうど壁や天井などに区切られた空間が細胞で、全体が分裂を繰り返し増殖した一つの有機体のような建物を生み出すことに成功していました。外見こそ例えば直方体のような、格子の延長上として出来得る形をとっていますが、内部のスポンジのような空間は極めて特徴的です。一見、カオスを思わせるような複雑な場が形成されています。



最新の作品である「台中(台湾中部の都市。)メトロポリタン・オペラハウス」(2005-)は、洞窟のような内部空間が連続する、まるで一つの生き物のような建物でした。揺らぎと歪みのある曲線で象られたグリッドが空間を生成し、そこにホールやバックヤード、それにホワイエなどが意外にも機能的に配されています。また、国内の代表作でもある「せんだいメディアテーク」も、ガラス張りのファサードとチューブ状に区切られた内部が、殆どミスマッチに思えるほど斬新に組み合わされていました。ちなみにこのメディアテークでは、建築当初、伊東の設計案に対する強い反発もあったのだそうです。展覧会ではその経緯を、当時の新聞記事や伊東自身の抗議文の展示などによって説明していました。



ザハ・ハディドのオブジェを思わせる白い屋根が美しい「各務原市営斎場」(2004-2006)は、伊東建築の中でもとりわけ温もりを感じさせる施設です。まるで白く泡立ったクリームのような屋根が波打ち、水辺の空間を優しく彩っています。ちなみにこの屋根の一部は展示において実寸で再現され、上を歩くことも可能でした。また「TOD'S表参道ビル」(2002-2004)も、同じく実寸の外壁が展示されています。そのスケール感を目で、また肌で感じ取ることの出来る良い工夫です。グリッドの床を歩きながら、建物がまるで一枚の包装紙で包まれたような「ミキモト銀座2ビル」や、星屑のように窓の散る「杉並芸術会館」などの模型を眺めるのは、一般的な建築展ではあまり味わえない興味深い出来事でした。(模型の出来がもう少し良ければ尚、素晴らしかったのではないでしょうか。)

 

展示風景はこちらへ。



伊東豊雄は、2005年のサイトウ・キネン・フェスティバルでの「フィガロ」の舞台装置を設計、担当したこともあるそうです。既に銀座などにて身近に接することの出来る伊東建築を、より体感的に味わえるセンスの良い展覧会でした。12月24日、クリスマスイブまで開催されています。(11/26鑑賞)
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「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」 森美術館

森美術館港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)
「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」
2006/10/14-2007/1/8



ヴィデオ・アートの第一人者として知られるという現代アーティスト、ビル・ヴィオラ(1951-)の大個展です。単なるヴィデオ・アートを見るというよりも、インスタレーションとしてより楽しめるように構成されています。作品の明快なコンセプトと、鮮やかで迫力のある映像美を味わうのには、難解な解説を一切必要としません。素直にその世界観に浸ることが出来る展覧会でした。



巨大な暗室に掲げられたスクリーンに水と火が轟々とせめぎあう「クロッシング」(1996)からして、非常に迫力のある作品です。激しく燃え盛る炎と重々しく流れ落ちる水の中で、一人の人間がまるで清めの儀式を受けるかのように立っています。炎と水に包まれ、そして飲まれ行く彼は、まるで自然を支配しながら、時に人間を打ち砕く神によって選ばれた預言者です。水や火の恵みを全身で受け止め、殆ど畏怖の念すら感じさせるほど神々しく存在しています。我々は、ただその姿に服して、まさに導かれるようにこれから始まるヴィオラの世界へと進む他なさそうです。

何枚ものスクリーンを重ねて一つの場を創造していた「ベール」(1995)は、行き交う男女がまるで彼岸の場で彷徨っているような作品でした。彼らはともに両端のスクリーンでは虚しく、また何かに囚われたように一人で歩いていますが、中央のスクリーンだけはあたかも決められた運命のように出会うことが許されています。彼ら彼女らは、もはや闇を人魂のように浮かび歩く実体を失った幽霊なのかもしれません。道程を指し示すかのように差し込む光の筋だけを頼りに、行き場のない空間を外へと進もうとしていました。また、もしかしたら、二人は重なり合い続けるその呪われた永遠の時から逃れようとしているのかもしれません。ひたすらすれ違い、見えない出口を探し続けています。



これまで隠されていた(もしくは見逃していた。)人間の豊かな表情をスローモーションによってじっくりと見せる、「アニマ」(2000)や「静かな山」(2001)などは、最新のヴィオラの関心の在り処を垣間みることの出来る作品かと思います。総じてこれらの作品はストーリー性の強弱の度合いこそありますが、絶対に動かせないはずの時間を映像の力を借りてまさに神のように動かし、それまでに隠されていた人の意思や感情を時の呪縛から解放させることが描かれているようです。特に、ヒロエニムス・ボスのモチーフを借りた「驚く者の五重奏」(2000)は、その絵画自体が宿していた歴史の重みがズシリと伝わってくるような美しい作品でした。かつてボスの表現した宗教的な悲しみや苦しみの主題が、ヴィオラの手を借りて現代に甦り、もっと普遍的な形となって表現されています。それにしても感情の生成と崩壊の瞬間を、一から目の当たりにする感覚は大変新鮮です。特に「ラフト」(2004)にて、人のありとあらゆる心の内面と、その多様な発露を見ることが出来ました。



最後の展示室にて待ち構えていた「ミレニアムの天使」(2001)も圧倒的です。単に人が水に飛び込む瞬間を、スローモーションの手法(時間を巻き戻しています。)を用いて映し出した作品ではありますが、その投影のアングルや背景、または色の差異などを巧みに用いることにより、神秘的なまでの幻想世界を生み出すことに成功していました。白く飛び散る水しぶきと浮かび上がってくる人魚のような人のシルエットが、静けさの中に響きわたる水音とともに、それこそ地球上の生命が誕生した瞬間かのような偉大な時を伝えてくれます。天使の飛び出す水面が、何故か広大で深淵な海面に思えるのは、命の源は海であったという記憶がどこかに残っているからなのかもしれません。「クロッシング」においてあたかも滝の中を進むように誘われたこの展覧会は、水面から飛び上がる「ミレニアム」にて解き放たれるように完結したようです。

「ビル・ヴィオラはつゆめ/淡交社」

あまりひねりのない、シンプルな表現にこそ強い説得力があったのかと思います。普段、現代アートをご覧ならない方にもおすすめ出来る展覧会です。来年の1月8日まで開催されています。(11/19鑑賞)
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「迷宮+美術館 コレクター砂盃富男が見た20世紀美術」 渋谷区立松濤美術館

渋谷区立松濤美術館渋谷区松濤2-14-14
「迷宮+美術館 - コレクター砂盃富男が見た20世紀美術 - 」
10/31-12/10



日銀マンであり、またコレクターでもあり、さらには美術評論家でもアーティストでもあったという、砂盃(いさはい)富男(1930-2001)のコレクションを紹介する展覧会です。主にシュルレアリスム系の絵画と、戦争主題の作品、それに戦後活躍した(もしくは活躍中の)日本人アーティストの作品が展示されていました。

「ゲルニカの悲劇を越えて - 20世紀・戦争と画家たち/砂盃富男/沖積舎」

砂盃が40年に渡り収集し続けたと言うコレクションは、さすがにどれも氏の関心の拠り所を露にしたような作品ばかりです。ヴォルスのおどろどろしい素描にはじまり、フィニらのシュルレアリスムから、黒の迸るサム・フランシスにステラ、タピエスと、やや泥臭くも詩心を誘うような作品が並んでいます。そしてジャッドやボイスなどの、かつては先鋭だった作品も平然と展示されていたのには驚きました。またそのコレクションは、以前世田谷美術館で紹介されていた瀧口のそれを思わせる部分があります。実際にも砂盃は彼との交友を深めていたそうですが、氏の制作する作品自体も瀧口の絵画と良く似ていました。強い影響下にあったのかもしれません。



パンフレットに掲載されているラインハルト・サビエの「オスロから来た若い女」(1993)は、実際に見るとその面白さが倍増します。印刷では単に一枚のコラージュ風肖像画にしか見えませんが、作品はガラスなどを使った半ばオブジェ風の立体(?)絵画でした。焦りにとらわれたかのような、その深刻な表情を眼差しがとても印象的です。またその他には、日本人アーティストから秀島由己男の「われらにさきかけてきたりしもの」(1997)などにも惹かれました。それに、もはや生け花の範疇を超えた中川幸夫の「花坊主」(1973)も強烈です。花の赤い色素が、まるで鮮血のように迸り、そして滴り落ちていました。

91年には前橋の自宅を改装し、「ベル・イマージュ・ミューゼアム」という私設美術館を設けたことがあったそうです。(現在の活動は不明ですが。)草間、李、それに榎倉や赤瀬川の作品なども展示されています。今月10日までの開催です。

*展覧会の概要については、松濤美術館よりも高崎市美術館(展覧会開催済。)のWebサイトの方がより詳しく掲載されています。(11/26鑑賞)
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