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茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

裁判傍聴、窃盗編。

2015-12-22 10:48:53 | Weblog
弁護士のチン切りの公判が今日のはずだったが何故か延期?されてたようで、
それは事前にネットでわかってはいたが、せっかく休みとっていたので
他の裁判傍聴に来てみた。

今回は窃盗の初公判。
被告は23才男子。
北の国からの純みたいな風貌と朴々としゃべるところまで瓜ふたつな若者。

現場事務所で日雇いで働いていたが、
新しい現場での初日に休憩室などに置いてあったバックから
現金やタブレット、時計を四人の人から窃盗。

被害者の風貌やたどたどしい話し方、
青森県の八戸出身と聞いただけで、
もうワタシの中は被告に感情移入。
悪い事なんかしそうもないのに、、、

検察から押収物について事細かに陳述があるが、
その中にアルマーニの財布(職人さんてお金あるのね)などに混じり、
「お守り」というものが気になる。。。

被告は自分の郷里のお守り!と主張したらしいが、
箱根神社のお守りであるという被害者の供述通りの物であると確認。

なぜ、お守り?
そこが気になってワタシは思考がソコで止まる。
やっぱり八戸の郷里に似たお守りを見て神様にすがりたくなったのか?
いや、ただ単に財布に付いていただけかもしれない!
でも、アルマーニの財布にお守りをぶら下げるか?
いや、アルマーニの財布についていたとは限らない。。

どうか検察の方、ソコのとこ、追求してくれないかなぁ、
とワタシが気になるところは、無論スルーで進む。

そして盗まれた腕時計はGショックとやらで、
時計の時刻は、何とかという聞いた事もない国の標準時刻に合わせていたという。
それが盗まれた被害者の物かの照合に、
その特徴の何とかという国の標準時刻まで検察の人は調べなきゃいけないんだろうか?
大変だなぁ、、、

そしてワタシの一番知りたかった、
何故、そんな窃盗をしちゃったのか?
今までそんな窃盗も(軽微な犯罪歴は一度あったらしいが)した事ないのに。

お金が無くて困っていた。
でも日雇いとはいえ働いているじゃん?とワタシは思うが。。
貯金もほとんど無かったと言うが。。。

たまたま初めての職場で一人待たされていた
休憩室にいくつも無造作にバックが置いてあり、
つい盗んでしまったらしい。

この被告に対する検察の質問はかなりイジワルな印象だった。
貴方は人の物を見ると欲しくなるのか?
これからは絶対に窃盗しないと何故言えるのか?

ま、最初、明らかに盗んだ物が被告の持ち物から出てきたのに
当初、罪を認めてなかったり心象は悪いのかも。
(被告は混乱してたらしい)

今後はどうするか?
と裁判長に聞かれ身元引受人である従兄弟を頼りながら
自活していくと答えた。

なぜ、そこに親や身内は登場しないのか?
と、すっと気になっていたら
10代の頃、親をなくし祖母も亡くなり、ずっと一人で生きてきたようなのだ。

そして中卒で仕事も安定したとこには就けず、
ずっと苦しい生活をつづけてきた。
でも今回、人を頼ることや、福祉に頼るという選択肢があるのを知った。
なのでこれからは頼るという事をします。
と語ってたのが印象的だった。

又もや身の上話を聞いて、うるっときてしまった。

あまりに無知であり、可哀想な孤児だと思う。
でも人の物を簡単に盗むという発想が生まれることの
危うさを私も感じた。
それは検察の人も同様だったようだ。

この絶対に超えてはならない一線を身を持って理解するには
身元引受人である40才の従兄弟と、今後、出会うであろう人にかかっていると思う。

この裁判は、すぐ判決が言い渡され懲役一年六ヶ月。
執行猶予三年。

閉廷後、傍聴をして他の人から、
絶対、再犯するよね、
との声を聞いた。
確かに被告がもう犯罪をしないという確信が感じられなかったのは
やはり私だけではなかったか。

でもその為の執行猶予なのだ。
三年、どう生きていけるか、
それに今後のこの青年の進む道が決まってくる。

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初めて接する社会

2015-12-22 08:03:03 | Weblog
近所の子供たちが集団登校していくのに今朝、すれ違った。
それを見るとホロ苦い思いが私の中に湧き上がる。

私も何十年も前の小学校時代に集団登校をしたものだ。
近所のとてつもなく大人に見える高学年の生徒や、
幼すぎる低学年の生徒、
皆、顔は知っているが全く話した事もなく、
これからも多分友達になる事もないであろう、
ただの顔見知りの人達と毎朝、一緒に登校するのだ。

今でこそ、顔見知りの人達と、
当たり障りのに話題を見つけて場を取り繕う術も身につけたが、
10才かそこらの子供がそんな術を持ちあわせている筈もなく、
宇宙人と居るかのような違和感を抱きながら、
ひたすら無言で何十分も歩き続けるのだ。

近所の子供達を見てもそれは同じらしく、
楽しく話が弾んでいるグループというのは見た事はなく、
やはり皆、総じて、無言で黙々と歩いている。

この集団登校というのは、子供が最初に味わう、
社会なのかな、と思う。
好き勝手に自分の好きな友達とだけ接する事だけ出来た、それまでから、
否応なしに接しないといけない多くの人達の集団に入れられる、
初めての自由に選べない人間関係。

苦痛まではいかないが、ひたすらつまらない時間。
集団登校の子供達を見てると、
何十年も前の自分の胸にあったものが生々と蘇り、
胸がチクっとなるのだ。

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