トイレットペーパー

2020-08-28 20:55:36 | 日々思うこと




我が家は以前からトイレットペーパーに三枚重ね
グリーン(お茶の力)を使っている。
コロナ前は週2回ほど行くスーパーで買い物の量
が少ない時、在庫があるなしにかかわらず1パック
づつ購入するようにしてきた。
だからコロナでトイレットペーパーが店頭から
消えたときも大して痛痒を覚えなかった。
その後ぼつぼつトイレットペーパーが店頭に
並び始めたときコーナーに行ってもこの三枚重ね
は何時もなかった。
市内でコロナ感染者が出て以来スーパーへは
一切行くことをやめたので今現在並んでいるか
どうか知らない。
先日我が家のストックを調べてみたらまだ
5パックある。
いつも食料品を購入しているネットスーパー
では見当たらない。
製造をやめたのかと思っていたら
偶々PCで検索していて目についたので
思い切って注文した。
1箱8パックいり。
1パック12ロールなので96ロール。

サガワが玄関にどんとおいて行ったので、さて
物置に運ぶか2階の納戸に入れるか。
なんでもドント買いする癖が出て困っている。
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二重の虹

2020-08-27 18:31:12 | 日々思うこと
夕暮れ久しぶりに虹を見た。
それも二重になった見事な虹を・・・。
この前虹を見たのは何時だったろう?
思い浮かばないほど遠い昔だったような気がする。
腕の良いカメラマンなら素敵に撮れただろうけれど
スマホなのでこの程度。
このおうちがちょっと邪魔(なんて申し訳ない)。
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「モモ」(ミヒャエル・エンデ)

2020-08-25 12:30:43 | 日々思うこと

最近、新聞の岩波書店広告に「モモ」が載っていた。
当初、なかなか自分の「時間」が思うようにならない
コロナの時代なので改めて「モモ」を読む人が出て
きたのかと思った。
ところがNHKで「100分de名著=NHK」という番組が
放送されそこで「モモ」が取り上げられたのだったと
知った。
「モモ」は日本では1976年に岩波から第一刷が発行され
たミヒャエル・エンデ作大島かおり訳の「岩波少年文庫」
の一冊である。小学5,6年以上を読者と想定している。
訳者のあとがきに
 「時間がない」「ひまがない」ーこういうことばを
わたしたちは毎日聞き、自分でも口にします。
・・中略・・
けれど、それほど足りなくなってしまった「時間」
とはいったいなになのでしょうか?
機械的にはかることのできる時間が問題なのでは
ありますまい。そうではなくて人間の心のうちの
時間、人間が人間らしく生きることを可能にする
時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと
失われてきたようなのです。
このとらえどころのない謎のような時間というもの
がこのふしぎなモモの物語の中心テーマなのです。
とある。

今年の1月から2月にかけてNHKドラマで
「心の傷を癒すということ」を観た。
阪神・淡路大震災から25年を機にNHK大阪が
造ったドラマである。
自ら被災しながらも被災者の心のケアに
つとめた精神科医をモデルに妻との「夫婦の
絆」、寄り添い続けた被災者との「心の絆」を
描いた作品であった。
道半ばの夫をがんで失ったあと、妻は1人バスに
乗り、バックから一冊の本を取りだした。
「モモ」であった。
「モモ」についての説明はない。
誰も気づかなかったかもしれない情景であった。
でも演出家の気持ちは忖度できた。
心に残った演出であった。

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ブログ開設から5558日

2020-08-23 10:44:36 | 日々思うこと
ブログ開設から今日で5558日。
今日気が付いた。
どうせなら3日前に気づきたかったなぁ。
5555日というゾロ目の日だったのに。
この先もうゾロ目の日が来ることは考えられない。
残念無念。

昨日の夕方から久しぶりの雨になった。
今日は心持ち涼しい気がする。
しかしもう台風が列島をうかがっている。
昨年は甲州慶雲館と下部温泉に行っていて
台風接近とのニュースを聞いて大急ぎで
朝ごはんを断って身延から帰宅した。
どうにか台風より先に帰宅して新幹線の運休
を免れた。
その時郊外の集落では川があふれて水浸しに
なり1人が亡くなった。
次々襲う天変地異。
どうか災害が起きないようにと願うばかりだ。


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高校の国語教育

2020-08-22 13:12:07 | 日々思うこと
先日の外山滋比古氏に続いて今日は山崎正和氏
の訃報を聞いた。
「文明としての教育」「鴎外 闘う家長」くらい
しか思い出せないが一時よく読まれた劇作家・
評論家であった。

ところで來年度から実施される大学入学共通
テストは英語について問題になったけれど(外部
民間試験の導入)国語もずいぶん変わりそう
なのに驚いた。
詳しいことは省くけれど要するに大学入試のために
高校の国語が様変わりしそうだという。
文学などは実質的に縮小され、教室から排除。
小説・評論から実用文にシフトされるらしい。
学校の勉強は社会に出てから何の役にも立たない
もっと役に立つ内容を教えるべきだと実用性を
重視することになり、
駐車場の契約書、自治体の広報,統計グラフ、
取扱説明書などの実用文が読めることが文科省の
考えている国語力でそういう文書が正しく読める
教育を重視し、文学は無駄ということだという。
(文芸家協会が表明)

さしずめ外山氏や山崎氏の評論は外されること
になるであろう。

*********
私立の進学校では今も文学作品をよく読ませて
いるそうだ。
よく本を読み、読解力を身に着けているため
実用文の勉強など改めてする必要などない。
文学作品や評論などをよく読む教養人と実用文
しか読まない非教養人の二極化が激しくなるだろう
と憂いている文を読んだ。
教養とは何かという問題はあると思うけれど。
わたくしも教科書から刺激を受けて本に
広がっていった作品は沢山ある。  
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