世界の名画ミステリー

2022-06-30 20:29:00 | 日々思うこと

世界の名画ミステリーをTVで今観ている。

 
8つの作品が取り上げられている。
 
すべて現物を観た。
 
所有している現地の美術館で、また日本での展覧会で。
 
フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」
のキューピッドを再現したものがまもなく大阪で見られる。
 
とても楽しみ。
暑い夏が過ぎ去ったころ出かける予定。
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電力ひっ迫、水不足

2022-06-29 15:53:05 | 日々思うこと

今日も灼熱の太陽が照っている。

熱中症危険情報がスマホに入る。

不要不急の外出は控えてください。

数年前、いつもお米を届けてもらって

いる農家の方が田の中で倒れているのを

奥さんが見つけたけれど亡くなった。

お米農家にとっては不要不急ではなかった

のかもしれないけれど命のほうが大切である。

 

雨が降らない。梅雨も異例に短かった。

水不足が心配だ。

四国の水がめには水がないというのに

北海道や東北では水害が起きている。

全くやり切れないが人の力では何とも

できない。

年々春と秋がなくなった感じがしていたが

ついに梅雨までなくなったのか。

電力供給も危険な状態のようで節電を

呼びかけているけれどこの暑さはクーラー

なしでは過ごせない。

今の世の中電気と水がないと暮らせないのだ。

トイレもお風呂も使えなくなる。

便利さを求めすぎた付けがいまきているのだ

と思うけれどもう引き返せない。

お花の水やりも昨日はしたけれど今日は

お休みする。

夕立が来てくれないかと神頼み。

どんなに時代が進んでも自然には勝てないと

いうことか。

 

「今日の思い出」は

2015年6月27日から30日までやっと

「ろくもん」の1人席がとれて長野、

上田、別所温泉に旅をしていた。

信州だからだろうかそんなに暑いとは

思わなかった記憶だけれど、今年は

異常なのだろう。

  

 

10年前の「この日の思い出」は

北京、天津。

浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んで、

もう一度紫禁城をしっかり見たくなって

出かけて行った。

前に行ったとき「珍妃の井戸」を

見過ごしていた。

 

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テーマなしの雑文ブログ  その2

2022-06-28 15:23:15 | 日々思うこと

まだ6月なのに梅雨も明け、外はギラギラ。

居間のソファーの上でごろごろして過ごし

いるせいかこのところ腰が痛い。

昨日お昼過ぎ義妹から今夜とんかつ弁当を

テイクアウトするのでヒレカツ弁当でよい

かと電話があった。

夕ご飯に立たなくて済む。

時々回転寿司屋の握り弁当も届けて

くれる。

よかった。持つべきものは弟だ。

*********

退職して書道教室、フイットネスクラブ、

英会話のレッスンに通い始めた。

夫が退職して畑をしたいと言い出して

今住んでいる家を建てることになった。

住んでいた家は近くに中電、裁判所、

市民会館などの公的な建物が多く、

なかでも大学病院、中央警察署、消防署

の車が我が家の前をピーピー、ウーウー、

ピコピコと鳴らしながら通る。

長年住んでいるので慣れてはいたが、

静かなところに住むのもいいなあと

母の土地に建てることになった。

20キロほど離れた建設中の家をお大工さん

職人さんにお茶やお菓子の差し入れを

持ち通っているうちにジム、水泳に通わ

なくなった。

 

書道は東京に本部のある流派で毎月先生が

自宅で書いてきたもの、教室で書いた作品

の中から本部に送り階級が決められる。

月に1度会誌が届き、上手な作品は写真も

載せられ、少しづつ昇級する。

凖師範の免状がとどいたとき、先生が

人に教えないかと言われた。

とんでもない。

自由な時間が欲しくて30年務めた仕事を

辞めたのだ。

引っ越しの準備もあり辞めた。

こちらへ来てからも同じ流派の塾があり

勧誘されけれどお断わりして、書道も

中途半端のままで終わった。

条幅の紙に筆の穂にたっぷり墨をつけて

いっ気に書き上げるのは好きで,墨を

すっているときの香りも落ち着くのだが

のちに夫の知り合いのつてで北京の高級な

文房四宝店で購入した端渓の硯とともに

書斎の机の引き出しに収まったままである。

 

英会話のレッスンは比較的長く続けた。

転居してからも隣の県から通ってくる友人と

2人、最初はアメリカ人。彼が帰国するとき

オーストラリア人を紹介してくれ、彼が会社

就職して、高専に何コマか授業をもって

いたカナダの人を紹介してくれそこへ

通った。

週1回、2時間のレッスンで力がつくわけ

もないけれどレッスンのあと2人でランチ

をし、おしゃべりするのが楽しくて夫が

旅先のホテルで倒れるまで続いた、

彼女に病院から行かれなくなったと連絡

すると1人で2時間は辛いから私もやめる

という。

ピーターと彼女には申し訳ないと今も思って

いる。

 

こうして何もかもが中途半端で自慢できる

ものがない。

               つづく

 

 

 

 

 

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妻が認知症になった友人の孤独

2022-06-26 15:29:48 | 日々思うこと

一昨日留守にしている間に留守電が入って

いて「ああ、留守かあ」とつぶやく声が

録音されていたのでこちらから電話をいれた。

中学校の同級生である。

待っていた」というので急用かと思ったら

そうでもないらしい。

この家を建てているとき、たまたま見に来た

わたくしの姿を見て声をかけてくれた。

申し訳ないけれどわたくしは顔を覚えて

いなかったが同級生だという。

同じ町内の住民であった。

のちにほかの仲間も誘って月一の食事会を

持つことになるとはその時は思っても

いなかった。

 

彼の妻も同級生で一緒に食事をしていたの

だがコロナ禍で中止している間のこの

3年で認知症になってしまった。

昨年末大晦日の日に精神科の経営する施設

入ったと聞いていた。

面会はできないしやはり寂しいのだ。

同じ敷地に息子夫婦が住んでいるけれど

それまでしたことがなかった洗濯や

食器洗いなどの家事をしなければならず

辛いらしい。

何よりもののありかが分からず困ると

嘆いていた。

それにそういう施設はずっとい続けられる

のかと思っていたら何か月か過ぎると

出ていかねばならないらしい。

それが大変で新しい施設を探すのだそうだ。

施設といっても病院の病床と同じ仕組み

なのかと初めて知った。

家族は本当に大変だ。

我が家の夫も後に残されたらもののありか

分からなくて困るだろうと思う。

下着や衣服が季節によって入れ替わって

いるのは自然現象くらいの認識だったろうから。

しなきゃならないとなれば何とかするで

あろうけれど。

友人には愚痴を聞くことくらいしか何も

できない。

もう少し落ち着いたらちょっと贅沢な

食事会でも計画するか。

 

 

 

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テーマなしの雑文ブログ  その1

2022-06-25 13:36:24 | 日々思うこと

毎日、多くの方のブログを読ませて

いただいて楽しんでいる。

それぞれにテーマがあってわたくしの

知らないこと、できないことを新く学ぶ

ことができる。

読書、散歩、お花、野菜作り、写真、

食べ歩き、旅行等々。

それに引き換え「テーマなしの雑文」で

そのうえぶっつけ書きの推敲なし。

谷崎から始まって三島、井上ひさし、

丸谷才一などお歴々の「文章読本」を

読んできたのに何も身についていない、

変換間違い、脱字などよくするミスで

後で気づいて自分で「えっ、なんで?」

と驚く始末。恥じ入るばかり。

こうして今日で6,229日になった。

その前に確かOCN時代があった。

 

退職した友人、元同僚はいろんなことに

挑戦している。

小説を書き、出版、書店に並べたのは

2人。2作目の話は聞いていない。

多いのが絵画(油絵、水彩画、細密画)

篆刻、コーラス参加、短歌などいろいろ。

碁会所に熱心に通い始めた仲間も多い。

写真撮影もかなり多い。それも富士山中心

で富士山の周りをあちらこちら行く友人。

わたくしも3度田貫湖へ付き合ったけれど

満足する作品は撮れなかったようだった。

ところで わたくしーーーーー

自由にゆっくりと海外旅行がしたくて

30年勤務した仕事を辞めた。52歳。

上司に告げたとき、

「いったい何が理由ですか?何か

不満がありますか?今が一番働けるとき

ではありませんか?失礼ですけれど

ご主人はご承知ですか?」と言われた。

当時夫は単身赴任中、息子は仕事について

3年目でようやく仕送りしないでも暮らして

行けるようになっていた。

まさか「海外旅行に行きたくて」とは言えず

「もちろん夫には話しています。

赴任先にもたまには行きたいし、ようやく

息子も1人立ちしましたので」と退職した。

初めて夫の扶養家族になった。

 

退職して間もなく留守中に書留郵便の配達

があり、身分証明できるものと印鑑を持参で

郵便局まで取りに来るようにとの知らせが

ポストに入っていた。

「ええっ、身分証明?」それまで自分用の

健康保険証があったけれど退職して夫の

扶養家族になっていたので専用のものがない。

パスポートはあったが考えて車の免許を

取りに行こうと思った。

県庁所在地の中心あたりに住んでいて県一

繁華街も歩いて15分とかからない場所

で車に乗る気持ちは毛頭なかったけれど。

自動車学校に電話した。

「50歳過ぎていて、運動神経もよくないもの

ですが昔聞いたことがありますが下手だと

踏んだり、蹴ったりってことはありませんよね」

受付の女性「そんなことをしたら学生さんは

来ませんので、大切に、ていねいに指導します」

「それでは入学させてください」

当時年齢の数だけの学費がかかると聞いていた

のでとりあえず50万円準備した。

ペーパーテストは何しろ暇人なので問題集

2冊買ってきて片っ端から解いていったら

一発で合格。同時に入学した女性に問題集を

よかったらと差し上げていよいよ一般道路

での運転テスト。

観察しているといくつかのコースを順に

テストコースにしているらしい。

堤防道路と街中を通るのは怖かった。練習の

時に街中は敬遠したいというと「自分の家が

街中にあるのに慣れないとだめですよ」

と言われたので

「車に乗るつもりはない。身分証明書の

ために免許を取りに来ている」と言ったら

「そういう人は初めて」と呆れられたが

事実なのだから。

観察の結果、この日は田舎道を走るコース

だろうとあたりをつけて申し込んだら

ばっちり。無事終了。

ただ高速を走るのは手も足も震えたのを

覚えている。

費用も少なくすんで、長い間ペーパー

ドライバーで過ごした。

               続く

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