私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

友人

2014-08-27 09:42:39 | 日記
August 26, 2014

私の知の先導者である友人のブログがしばらく更新されないので少し心配していたら、盲腸炎で入院されていたということが更新されたブログで分った。この友人とは若い頃からの知り合いだが、直接お会いしなくなってから数十年になる。数年前からブログをはじめられ、近況が具体的に分り、楽しませていただいている。友人は、お腹が痛いのをだいぶ我慢さえたのち、限界を感じて救急車で病院に送られ、手術をされたとか。盲腸炎だと侮るなかれ、腹膜炎で命を落とすこともある。私は姉妹が盲腸炎にかかっているので、何となくこの病気はいつか自分にも来るのではないかという思いが強い。友人のブログで、改めて学ばせてもらった。大人になると、まして私のように何でも医者にかからずに自己流で治してしまいたがるものには、救急車という言葉が、新たにインプットされた。どんな病気がいつ襲ってくるか分らない。「そうだったらそれでもいいわ」などとうそぶいている自分を反省した次第でもある。

友人に短いお見舞いのメールを書き、午後から雨だという予報があったので、朝一番(9:30)で、まず図書館に出かけ、いつものように読み終わった本を返却し、届いている本を受け取る。本は、奥泉光『東京自叙伝』(集英社)と、クッツェ―『少年時代』(みすず書房)。前書は、だいぶ前に予約した本で、まったく記憶がない。たぶん新聞の書評を読んで頼んだのだと思う。かなり厚いハードカバーだが、返却日までに読み終えたい。今日は少したくさん買い物をしたいと、リュックを背負っていった。それでも両手に大きな荷物を下げることになってしまった。10年ほど前、「骨そしょう症」と診断されたときに、「重いものは絶対に持たないように」と医者から言われたことが頭をよぎった。しかしあの日以来医者にかかっていないし、もちろんなんの薬も飲んでいない。西洋医学は数値がものをいう世界だ。たぶん骨量を測れば恐ろしい値が出てくるのだろうが、私の中では、この病は、寛解、いや全治したと思っている。数行前に書いた反省の言葉と矛盾しますね。

夜、中部地方に住む、高校生のころからの友人から電話があった。私の図書館での出来事を記したブログに反応してくださった。私と比べると遥かに恵まれた大学生活、その後の結婚生活を送られて、何不自由のない老後を送ってられる方だが、老人を弱者としてひとくくりにする今の日本の風潮について、静かに怒ってられた。そう、誰もが迎える老年を、余計者のように疎んじる社会に対して、電話を通して大いに怒りをぶちまけあった。私が加わると、すべてが少し上品ではなくなるが、まあいいか。12月に用事で上京されるという。10年以上の単位でしか会えない友人だ。先のことではあるが、私には明日のことのようにうれしい。少し下がり気味だったエネルギーが復活してきた。今日も明日もがんばろう。

画像は、クッツェ―『少年時代』。装幀が素敵だった。

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