2014/05/12
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十四事日記5月(7)おでん母の日
5月11日の母の日。姑のところに行って、祝い袋のプレゼント。「好きなもの買って下さい」と言ってわたすのですが、以前は「前からUVカットの日傘ほしかったけど、ちょっと高いからどうしようと思っていたの。この間もらったお金で思い切って買ったのよ」などと買ったものを披露していましたが、最近は買い物もおっくうになったらしく、〇〇を買った、という報告はありません。でも、日々のこまかいことに使うのでも、役にたったなら、それでいいかな。
11日、留学生を招いて、また「課外活動、日本の家を見る」をやりました。留学生がホームステイに招かれる家などは、どちらかというと日本人のなかでも余裕のある生活をしている家庭が多く、ごく普通のというかお金持ちでない家を見る機会は少ないのです。それで、「年金でぎりぎり暮らしている老人の家」として、姑の家をみてもらっています。私の方針として、現在教えているクラスの学生ではなく、前年度の学生を招きます。今回は、2013年10月から2014年2月まで教えた学生たちです。
今回は、6人の来訪。おでんを煮ておき、留学生にはおにぎりを各自おにぎりを握って自分のランチをつくる体験、畳のへやでの所作、おじぎや歩き方、ゆかた着付け体験などをプログラムにしました。
姑は、はじめてアフリカからの留学生に出会って「はじめはびっくりしたけれど、話してみるといい青年だね」と話して、彼におじいちゃんの残したゆかたを着せてくれました。コンピュータ技術を学ぶためにやってきた彼にとって「日本のおばあちゃん」の話す山形なまりの日本語は、教室で学ぶ「教科書の日本語」とちがって聞き取りにくかったとおもいますが、よい体験になったことと思います。
母の日のプレゼントとして、留学生たちがネックレスをプレゼントしてくれました。
学生からのメッセージとネックレス
留学生が帰ったあと、姑のおしゃべり相手を2時間ほど。女学校の同級生のうち、あの人も死んじゃったし、この人もホームに入っちゃったし、という。同級生の名前を忘れちゃった話。そういえば、私だって47年前の女子高のクラスメートの旧姓をまったく思い出せなかったのだから、89歳のしゅうとめが70年以上前のクラスメートの名前を思い出せなくても、まあこの先不自由はないんじゃないかしら。
今回も「要支援」を一段階あげてもらって、ヘルパーさんの訪問を週2回に増やしてもらったどうでしょうと提案したのに、ガンとして「週1回お掃除してもらうので十分」と、言います。
5時半に姑の家を出ました。夫は夜になってから来るそう。交代で見守りを続け、なんとか姑の一人暮らしも続いています。
9日に娘がおばあちゃんの病院通いに付き添いました。娘が夕食に肉じゃがを作ったとき、「おばあちゃんはじゃがいものほか、冷蔵庫に残ったやさい全部、これも入れる、これも食べちゃおう」っていって、どんどん増やすから、肉じゃがじゃなくて、肉ねぎだか肉にんじんだかになっちゃった」と言っていました。「しかも、父はニンジン食べないで、おばあちゃんに、ニンジンも食べなさいって、叱られてた。還暦過ぎた息子なのに、ニンジン食べろって叱るから、おかしかった」と、娘は笑っていました。
ニンジン残して母親に心配かけている息子、親に心配かけないようにしなくちゃね。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十四事日記5月(7)おでん母の日
5月11日の母の日。姑のところに行って、祝い袋のプレゼント。「好きなもの買って下さい」と言ってわたすのですが、以前は「前からUVカットの日傘ほしかったけど、ちょっと高いからどうしようと思っていたの。この間もらったお金で思い切って買ったのよ」などと買ったものを披露していましたが、最近は買い物もおっくうになったらしく、〇〇を買った、という報告はありません。でも、日々のこまかいことに使うのでも、役にたったなら、それでいいかな。
11日、留学生を招いて、また「課外活動、日本の家を見る」をやりました。留学生がホームステイに招かれる家などは、どちらかというと日本人のなかでも余裕のある生活をしている家庭が多く、ごく普通のというかお金持ちでない家を見る機会は少ないのです。それで、「年金でぎりぎり暮らしている老人の家」として、姑の家をみてもらっています。私の方針として、現在教えているクラスの学生ではなく、前年度の学生を招きます。今回は、2013年10月から2014年2月まで教えた学生たちです。
今回は、6人の来訪。おでんを煮ておき、留学生にはおにぎりを各自おにぎりを握って自分のランチをつくる体験、畳のへやでの所作、おじぎや歩き方、ゆかた着付け体験などをプログラムにしました。
姑は、はじめてアフリカからの留学生に出会って「はじめはびっくりしたけれど、話してみるといい青年だね」と話して、彼におじいちゃんの残したゆかたを着せてくれました。コンピュータ技術を学ぶためにやってきた彼にとって「日本のおばあちゃん」の話す山形なまりの日本語は、教室で学ぶ「教科書の日本語」とちがって聞き取りにくかったとおもいますが、よい体験になったことと思います。
母の日のプレゼントとして、留学生たちがネックレスをプレゼントしてくれました。
学生からのメッセージとネックレス
留学生が帰ったあと、姑のおしゃべり相手を2時間ほど。女学校の同級生のうち、あの人も死んじゃったし、この人もホームに入っちゃったし、という。同級生の名前を忘れちゃった話。そういえば、私だって47年前の女子高のクラスメートの旧姓をまったく思い出せなかったのだから、89歳のしゅうとめが70年以上前のクラスメートの名前を思い出せなくても、まあこの先不自由はないんじゃないかしら。
今回も「要支援」を一段階あげてもらって、ヘルパーさんの訪問を週2回に増やしてもらったどうでしょうと提案したのに、ガンとして「週1回お掃除してもらうので十分」と、言います。
5時半に姑の家を出ました。夫は夜になってから来るそう。交代で見守りを続け、なんとか姑の一人暮らしも続いています。
9日に娘がおばあちゃんの病院通いに付き添いました。娘が夕食に肉じゃがを作ったとき、「おばあちゃんはじゃがいものほか、冷蔵庫に残ったやさい全部、これも入れる、これも食べちゃおう」っていって、どんどん増やすから、肉じゃがじゃなくて、肉ねぎだか肉にんじんだかになっちゃった」と言っていました。「しかも、父はニンジン食べないで、おばあちゃんに、ニンジンも食べなさいって、叱られてた。還暦過ぎた息子なのに、ニンジン食べろって叱るから、おかしかった」と、娘は笑っていました。
ニンジン残して母親に心配かけている息子、親に心配かけないようにしなくちゃね。
<おわり>