
2012/06/27
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(9)あぢさゐの歌集
梅雨時に咲くアジサイ。日本原種の花は、ガクアジサイ。球あじさいも野にあったということですが、今、あちこちで見られる丸く色鮮やかなアジサイは、西欧で改良された園芸種がほとんど、ということらしいです。あじさいの名前についての蘊蓄は、「話しことばの通い路」にUPしてあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0407a.htm
「あじさい」の歌を集めてみました。
『万葉集』には、「味狭藍あぢさ(あ)い」、「安治佐為あぢさゐ」と表記された二首があります。


(原種に近いアジサイなどが集められています)
・木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来『万葉集巻四0773:』
言問はぬ 木すら あぢさゐ 諸弟らが 練りの むらとに 欺かえけり(大伴家持)
こととはぬ きすら あぢさゐ もろとらが ねりのむらへに あざむかえけり
(物言わぬ木ですら、あじさいのような(色の)変化の花もあります。諸弟らの練り上げられた言葉(人のことばを司るという腎臓によって練られた美辞麗句)にだまされてしまった)
・安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟『万葉集巻二十4448』
あぢさいゐの 八重咲くごとく 弥つ代にを 居ませ 我が背子 見つつ 偲ばむ(橘諸兄)
あぢさゐの やえさくごとく やつよにを いませ わがせこ みつつ しのばむ
ふるさと、小野池のほとりに建つアジサイの歌碑のひとつ

『万葉集』以後、あじさゐは、『源氏物語』『枕草子』には登場しません。色変わりの花が「変節」に通じて嫌われたとか、あじさいに毒があり、牛や山羊に食べさせたりすると中毒症状を起こすことから、人の住まいの近くから遠ざけられたとか、いろいろな説がありますが、光源氏があじさゐの花を見ているシーンなんぞがあったら、よかったのになあ。


中央公園2012
平安時代の和歌から。
(定家のあじさゐの出典がわかりません。ご存じの方、ご教授ください)。
・茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな(詠み人知らず)『古今和歌六帖』
・夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり(藤原俊成)『千五百番歌合』
・あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る(藤原定家)
・あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな(源俊頼)『散木奇歌集』
・夏の野はさきすさびたるあぢさゐの花に心を慰めよとや(俊恵法師)『林葉集』
江戸時代に入ると、芭蕉の句以後、、あじさゐは夏の季語となり、歳時記にも数々の句が載るようになります。今回は句ではなく歌の紹介なので、俳句は芭蕉のみを。
・紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷(松尾芭蕉)
江戸のあじさゐ。
・宮人の夏のよそひの二藍にかよふもすずしあぢさゐの花(加藤千蔭)『うけらが花』
・夕月夜ほの見えそめしあぢさゐの花もまどかに咲きみちにけり(加納諸平)『柿園詠草』

近代には、あまたのあじさゐが詠まれました。現代の万智までの紫陽花のうた。
・紫陽花も花櫛したる頭をばうち傾けてなげく夕ぐれ 与謝野晶子
・あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あさねさす昼(佐藤佐太郎)『帰潮』
・紫陽花の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ(前川佐美雄)
・美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり(葛原妙子)『原牛』
・なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな(斎藤史)『魚歌』
・あぢさゐの蒼き花球膨れつつ日ごとの雨はわがうちに降る(尾崎左永子)
・雨やみてあぢさゐの藍みなぎれる藍の珠より満ちてくる刻(雨宮雅子)
・森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし(寺山修司)
・色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる(岸上大作)
・あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前が歌え(福島泰樹)
・みづいろのあぢさゐに淡き紅さして雨ふれり雨のかなたの死者よ(高野公彦)
・「アジサイ」の木札の立ちてあぢさゐのそこに末枯るる遠き日の駅(小池光)
・エミリといふ名にあこがれし少女期あり紫陽花濡るる石段くだる(栗木京子)
・雨に濡れあぢさゐを剪りてゐる女(ひと)の素足にほそく静脈浮けり(小島ゆかり)
・紫陽花(あぢさゐ)はほつかり咲いて青むともひとよたやすくほほゑむなかれ(今野寿美)『若夏記』
・思いきり愛されたくて駆けてゆく6月、サンダル、あじさいの花(俵万智)

もんじゃ(文蛇)の足跡」
「ふるさとの歌碑」は、http://kamituke.web.fc2.com/page177.html からの借り物です。
故郷にいた少女時代、自転車で「浅野記念図書館」の行き帰りに、毎日のように売り場の本棚をのぞいた本屋さん。本を買うためではなく、新しい本のタイトルを覚えて、その本を図書館に「希望図書リクエスト」に出すために寄った本屋さんです。
各地の「町の本屋」が大型書店に押されて閉店してしまうなか、故郷の本屋さんががんばって営業を続けていることを知り、うれしく思っております。
2000年から店長さんをしている方。本名もネットに公にしていらっしゃる「星野上」さん。
歌碑写真のコピーをありがとうございました。
<つづく>
聡明そうな清楚、夢見る文学少女って感じです!
ほぼ、イメージ通りでした。
若さと引き替えにいろんなものを手に入れたと思うことにしています・・・
で、俵万智さんが、やっぱり良いなあ。
いっしょに写っているK子さん、写真掲載の許可を求めるメールに「こんなミニスカート、よくもはいて歩いたわね」というOKの返信でした。「これを見ても、今の私だとわかる人はいないだろうから、OK」ですと。
ほんとに、恥ずかしげもなく、太腿丸出しで写っています。
夢見る乙女は、今では下半身2倍の太さになっています。
実は若い頃の写真掲載には、経緯があります。かずこさんがお父様といっしょに写っている若い頃の写真を見て、この美少女がそのまま時を重ねた姿が、以前カフェ日記で拝見した「美しい奥様」になるのだなあと、感銘をを受けたからであります。ご両親の愛情がにじみでている家族写真でしたね。
私の場合、昔の写真とは似ても似つかぬ太さになりはてているのですが、もしかして、今も昔と同じ細い姿で私をイメージしてくれる人もいるのではないかと。
今の私は、イジワルいやみな婆さんですが、若い頃も生意気な女の子でした。でも写真だけ見ていれば、ただのぴちぴち若さが目に残るんじゃないかと。
かずこさんのおっしゃるとおり、たくさんの経験を重ね、若さとは別のいろいろなものを身にまといました。もちろん、私が身にまとった一番のものは脂肪ですが。
かずこさんが、お子さん方の父親さんに対して生じる感情、「愛情がないわけじゃなかったろうに、なぜ、子どもと離れて平気なのか」という問題。愛情があっても、「いつもいっしょにいなくても過ごせる」という人種がいること。私は、私の夫と姑を見ていて、やっとそういう人たちもいるんだ、ということを知りました。
私は、いとしい人とはいつもいっしょにいたい、いっしょにいて、声を聞き、息づかいのわかるところで暮らしたい。でも、夫や姑は「元気でいることがわかっているなら、いつもそばにいる必要はない。必要なときはかけつけるから」という考え方なのです。
いつもべったりくっついて育った私には理解しがたい暮らし方でしたが、30年を経て、そういう暮らし方の人たちもいるのだ、と、ようやくわかってきました。
今週月曜日、「自宅へ配送された固定資産税の通知を事務所まで届けてくれ」という夫の要求に、事務所まで通知書を持っていきました。
夫は「今、仕事の電話中だから玄関に手紙おいていって」というので、事務所の玄関のめだかの水槽わきにおきました。
夫の顔をみたのは5秒ほど。夫は、私の顔を見もしない。まあ、それでも生きていることはわかったから、いいのでしょう。