2012/08/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(4)ヒマワリ花言葉、誕生日の花・国の花
1年365日に、それぞれの「誕生日の花」があります。9月の私の誕生日に当てられているのは、ピンクの秋桜。コスモスも色によって日にちが違うみたいです。
8月5日、8月17日の誕生花が「ひまわり」です。日付には諸説あるのですが、8月5日生まれの人や8月17日生まれの人にヒマワリの花を贈るのもすてきなプレゼントですね。
さて、オランダといえばチューリップが思い浮かびます。タイを訪れたときは、タイの国花というナンバンサイカチの花(ゴールデンシャワー)が町中に咲き誇っていました。ゴールデンシャワーの黄色は、王室を象徴する色でもありました。
国花とは、その国を象徴する花であり、慣習的なものも混じり、諸説あります。日本の国花と言われているのも、桜が代表的な花ですが、皇室の紋章から菊が国花という説もあり、別段法律で決められているようなものではありません。
ひまわりを国花にしている国として知られているのは、ロシアです。17世紀以来、ロシアでは食用のヒマワリ栽培が盛ん。ロシアでは、国を代表する花としてヒマワリが人々の脳裏にうかぶのでしょう。ただし、ロシアの国花は、もうひとつカモミールの花もあります。
ヒマワリの花言葉は、いろいろあります。
「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「いつわりの富」「にせ金貨」
「いつわりの富」「にせ金貨」という花言葉がある、というのは、伝説によるそうです。
ヒマワリは、古代インカ帝国でも国を代表する花でした。インカはケチュア語で「太陽」の意。現在のペルーの首都クスコは、ケチュア語で「宇宙のへそ」を意味するのだとか。宇宙の中心地がクスコであったのです。
皇帝は太陽神の子孫とされ、黄金とヒマワリによって太陽を象徴していました。ただし、現在ペルーの国花とされているのは、カンツータと呼ばれる赤い花です。
インカ帝国があったペルーでは、ヒマワリは太陽信仰と結びついて、神聖な花として崇拝されていました。神殿に仕える乙女たちは、黄金で作られたヒマワリをかたどった冠をかぶっていたそうです。しかし、スペイン人の侵略のため、黄金のヒマワリの花が奪われてしまったため、ヒマワリはニセ金貨と呼ばれるようになったのだとか。
これがペルーの伝説なのかスペインの伝説なのか、はたまたどこかでいつのまにやら作り出された伝説もどきなのかはわかりません。スペイン人がヒマワリの形の金冠を奪ったらヒマワリが「ニセ金貨」になってしまうというのがどうも腑に落ちないので、この伝説の出典を調べたのですが、確かな出典はどこにも書いてないのです。
学生には「誰かの説を紹介するときは、必ず出典を明記せよ」と日頃言っています。
ですから、「インカの乙女のヒマワリの冠」について、出典を書きたいと思って探したのですが、みな「インカの乙女がヒマワリを象った純金の冠をかぶっていた」という話をコピーしているばかりで、どの本の何ページに書いてあったかという出典がないのです。
これを書いていて、子どもの頃、「インカ帝国探検記」の類の本を読んで影響を受け、「インカの乙女」というお話を作ったことを思い出しました。
読んだ本は泉靖一(1915-1970)の『インカ帝国』(1959岩波新書)。小学校低学年のころは、アンデルセンやラングのような童話作家になって世界中のお話を集めるのが将来の夢でしたが、高学年になると、スタンレーのようなジャーナリストになってアフリカ探検家になるのが将来の夢になり、『インカ帝国』を読んでからは考古学者になってインカ探検をするのが夢になりました。20歳からは文化人類学者になって奥地研究をするのが夢でした。結局はじめて海外へ行ったのは、30近くになってからのケニアでした。
子どもの頃作ったお話は、小さなノートに書きためて、今も持っています。
私が作り出したインカの奥つかたの国では、染め物が知られていませんでした。人々の着る衣服は、すべて白い色をしていた、というのが私の考えたインカの国の暮らし方。
白い服に、頭には冠を被っていて、冠の形によって出自身分がわかる。インカの神に仕える乙女の冠はヒマワリの花の形。
皇帝のみが色を染めた衣服を着ることができました。皇帝の衣裳は、大陽の子孫であることをあらわす赤です。
2012年4月開催の「インカ・マチュピチュ百年展」ポスターより、副葬品の衣裳とインカ皇帝肖像
染め物は、大陽神殿に仕える乙女の秘密のしごと。乙女はサボテンを栽培し、サボテンにつく虫を育てて、虫から染料を取り出しました。この染料は門外不出で、神殿の外に知られてはなりませんでした。
この虫からとれるのがコチニールという染料で、虫とは貝殻虫、臙脂虫のことだった、とは、後年知ったこと。子どもの頃は、「インカ帝国」などの本で知ったインカの赤い染料のことのみ知識を持ち、染料の詳しいことなど知らずにお話を作っていました。
神殿に仕える乙女のひとりが、王宮警護の若者と出会い、恋をする、そんなお話を作って、姉や友だちに聞かせていたことを思いだしたのです。女の子が考えそうな単純なお話です。
「インカ神殿の乙女が、ヒマワリを象った黄金の冠を被っていた」というのは、インカ王宮遺跡の壁の彫刻に刻まれていた、ということなのですが、どこの遺跡のどの壁の彫刻であるのか、はっきりわかりません。2008年に行われたシンポジウム「日本古代アンデス考古学50周年記念」の報告や東京大学大貫良夫教授のアンデス学術調査の報告を読んでも、「手を交差させた彫刻」発見の報告はあるけれど、黄金冠の乙女の報告はない。もし、発見されていたなら、以下のページなどに掲載されるのではないかとおもうのですが。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011Alpaca-Algodon_description_04.html
出典を探しださなければ、安心して「インカの乙女のひまわりの冠」と書けないのが、私の性分。子どものころの「お話」なら自由な想像でよかったのですが。
スペインの侵略者たちがインカ帝国から奪ったのは、数々の黄金製品だけではありませんでした。上に記した染料、コチニールもスペインが独占しました。スペインは、この秘密の染料を西欧に持ち帰って売りさばき、巨額の冨を得たのです。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ひまわり蘊蓄(4)ヒマワリ花言葉、誕生日の花・国の花
1年365日に、それぞれの「誕生日の花」があります。9月の私の誕生日に当てられているのは、ピンクの秋桜。コスモスも色によって日にちが違うみたいです。
8月5日、8月17日の誕生花が「ひまわり」です。日付には諸説あるのですが、8月5日生まれの人や8月17日生まれの人にヒマワリの花を贈るのもすてきなプレゼントですね。
さて、オランダといえばチューリップが思い浮かびます。タイを訪れたときは、タイの国花というナンバンサイカチの花(ゴールデンシャワー)が町中に咲き誇っていました。ゴールデンシャワーの黄色は、王室を象徴する色でもありました。
国花とは、その国を象徴する花であり、慣習的なものも混じり、諸説あります。日本の国花と言われているのも、桜が代表的な花ですが、皇室の紋章から菊が国花という説もあり、別段法律で決められているようなものではありません。
ひまわりを国花にしている国として知られているのは、ロシアです。17世紀以来、ロシアでは食用のヒマワリ栽培が盛ん。ロシアでは、国を代表する花としてヒマワリが人々の脳裏にうかぶのでしょう。ただし、ロシアの国花は、もうひとつカモミールの花もあります。
ヒマワリの花言葉は、いろいろあります。
「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「いつわりの富」「にせ金貨」
「いつわりの富」「にせ金貨」という花言葉がある、というのは、伝説によるそうです。
ヒマワリは、古代インカ帝国でも国を代表する花でした。インカはケチュア語で「太陽」の意。現在のペルーの首都クスコは、ケチュア語で「宇宙のへそ」を意味するのだとか。宇宙の中心地がクスコであったのです。
皇帝は太陽神の子孫とされ、黄金とヒマワリによって太陽を象徴していました。ただし、現在ペルーの国花とされているのは、カンツータと呼ばれる赤い花です。
インカ帝国があったペルーでは、ヒマワリは太陽信仰と結びついて、神聖な花として崇拝されていました。神殿に仕える乙女たちは、黄金で作られたヒマワリをかたどった冠をかぶっていたそうです。しかし、スペイン人の侵略のため、黄金のヒマワリの花が奪われてしまったため、ヒマワリはニセ金貨と呼ばれるようになったのだとか。
これがペルーの伝説なのかスペインの伝説なのか、はたまたどこかでいつのまにやら作り出された伝説もどきなのかはわかりません。スペイン人がヒマワリの形の金冠を奪ったらヒマワリが「ニセ金貨」になってしまうというのがどうも腑に落ちないので、この伝説の出典を調べたのですが、確かな出典はどこにも書いてないのです。
学生には「誰かの説を紹介するときは、必ず出典を明記せよ」と日頃言っています。
ですから、「インカの乙女のヒマワリの冠」について、出典を書きたいと思って探したのですが、みな「インカの乙女がヒマワリを象った純金の冠をかぶっていた」という話をコピーしているばかりで、どの本の何ページに書いてあったかという出典がないのです。
これを書いていて、子どもの頃、「インカ帝国探検記」の類の本を読んで影響を受け、「インカの乙女」というお話を作ったことを思い出しました。
読んだ本は泉靖一(1915-1970)の『インカ帝国』(1959岩波新書)。小学校低学年のころは、アンデルセンやラングのような童話作家になって世界中のお話を集めるのが将来の夢でしたが、高学年になると、スタンレーのようなジャーナリストになってアフリカ探検家になるのが将来の夢になり、『インカ帝国』を読んでからは考古学者になってインカ探検をするのが夢になりました。20歳からは文化人類学者になって奥地研究をするのが夢でした。結局はじめて海外へ行ったのは、30近くになってからのケニアでした。
子どもの頃作ったお話は、小さなノートに書きためて、今も持っています。
私が作り出したインカの奥つかたの国では、染め物が知られていませんでした。人々の着る衣服は、すべて白い色をしていた、というのが私の考えたインカの国の暮らし方。
白い服に、頭には冠を被っていて、冠の形によって出自身分がわかる。インカの神に仕える乙女の冠はヒマワリの花の形。
皇帝のみが色を染めた衣服を着ることができました。皇帝の衣裳は、大陽の子孫であることをあらわす赤です。
2012年4月開催の「インカ・マチュピチュ百年展」ポスターより、副葬品の衣裳とインカ皇帝肖像
染め物は、大陽神殿に仕える乙女の秘密のしごと。乙女はサボテンを栽培し、サボテンにつく虫を育てて、虫から染料を取り出しました。この染料は門外不出で、神殿の外に知られてはなりませんでした。
この虫からとれるのがコチニールという染料で、虫とは貝殻虫、臙脂虫のことだった、とは、後年知ったこと。子どもの頃は、「インカ帝国」などの本で知ったインカの赤い染料のことのみ知識を持ち、染料の詳しいことなど知らずにお話を作っていました。
神殿に仕える乙女のひとりが、王宮警護の若者と出会い、恋をする、そんなお話を作って、姉や友だちに聞かせていたことを思いだしたのです。女の子が考えそうな単純なお話です。
「インカ神殿の乙女が、ヒマワリを象った黄金の冠を被っていた」というのは、インカ王宮遺跡の壁の彫刻に刻まれていた、ということなのですが、どこの遺跡のどの壁の彫刻であるのか、はっきりわかりません。2008年に行われたシンポジウム「日本古代アンデス考古学50周年記念」の報告や東京大学大貫良夫教授のアンデス学術調査の報告を読んでも、「手を交差させた彫刻」発見の報告はあるけれど、黄金冠の乙女の報告はない。もし、発見されていたなら、以下のページなどに掲載されるのではないかとおもうのですが。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011Alpaca-Algodon_description_04.html
出典を探しださなければ、安心して「インカの乙女のひまわりの冠」と書けないのが、私の性分。子どものころの「お話」なら自由な想像でよかったのですが。
スペインの侵略者たちがインカ帝国から奪ったのは、数々の黄金製品だけではありませんでした。上に記した染料、コチニールもスペインが独占しました。スペインは、この秘密の染料を西欧に持ち帰って売りさばき、巨額の冨を得たのです。
<つづく>
門外不出の筈ですね^^
それと、子どもの頃すでに 物語をお書きになってていらした春庭先生!
私の子供時代とは大違い 宿題の絵日記を泣きながら…一か月分を~~「今日は すいかをたべました」
「今日は トウモロコシを食べました」で、埋めたものでした。 今でも一番の苦手が作文!
それにしても、今日も太陽様 ギラギラで暑いですね!
洗濯を干すだけで日焼けで 真っ黒~~
でも、太陽は古代も今も 有り難きものなのですね~
太陽の申し子のようなヒマワリがそんな時代から 崇められた事も凄い!
ハハハ! またまた何を言っているのか~????です○o。.
“論旨無き 井戸端会議の コメに成り” すみません^^
うれしきはネット井戸端、おしゃべり会
群馬の田舎、7月25日からの夏休みでした。
私は、ドリルだの読書感想文だの、宿題は7月中に全部やってしまって8月はのんびり遊ぶ、という、なかなか感心な方針でした。
苦手な「工作」は、父に半分以上作ってもらったのですが。
それで、夏休み絵日記も一ヶ月分、7月中に仕上げてました。予定稿です。
夏休みが終わって、授業参観に来た親が教室に張り出された絵日記を見て、行ってもいない場所での親子旅行なんぞを発見して叱られたのですが、、、、そんなこんなで、作り話が上手になりました。
今年の大陽で大忙し、というのが、太陽光発電パネルのとりつけ会社。お盆休みもなく、大陽照りつける屋根の上で「節電さま様」と言いながらの作業とか。
お日様は、暑くて憎し照らずとも悪し
私は、22日は午前中ジャズダンス練習。午後は姑のところへ行って、いっしょに夕食。姑は、私のへたっぴな手作りおそうざいを「おいしい」と残さず食べてくれました。けんちん汁、切り干し大根と油揚げの煮付け。若布と春雨のサラダ。
23日は、午後、ジャズダンス発表会のための、サークル連合会議。ものすごくくだらない会議でした。35度の中出かけて行って、会長のくだらないおしゃべりを聞かされただけの、中味はまったくない会議。
頭にきたので、夕方は90分ほど区民プールで泳ぎました。泳いだと行っても、半分はものすごいゆっくりペースの背泳ぎでプールの真ん中まで行って、真ん中の人がいないあたりで、浮きながら「水中ヨガ」というのをやるのです。水中ヨガ、黒柳徹子が得意だそうです。
水に浮きながら、「立木のポーズ」だの「死体のポーズ」だのやっています。死体のポーズってのは、やすらぎのポーズとも言い、全てのわずらいを離れて体を地に投げ出すのです。水の上だから、投げ出すと沈んでしまうので、テキトーに浮きながら、瞑想。
最新医学の疫学調査では、生活に瞑想を取り入れている人は、瞑想しない人よりも健康で長生きできるって新聞に出ていたので、「すぐ試してすぐあきる」派の私、さっそく水中ヨガです。
90分、楽しく水中ですごして200円です。
子ども達を区民プールに連れてきていたころは、芋洗うごとく混んでいたのに、夕方になればプールでゆうゆうヨガポーズで浮いているスペースがあり、ありがたいことです。
今月いっぱい、まだまだ残暑。すみともさんも、ご自愛ください。
夫も行きたいそうで・・・・
染料って、そんなに価値があったのですね。
そしてそんな時代が、もっと人間にふさわしい時代だったように思います。
ま、自分が生まれた時代を生きるしかない以上、今を楽しみたい脳天気なくちこではありますが。
同じドクターでも、Ph D.の春庭は、とてもとてもマチュピチュまでたどりつくお金なし。
ダンス仲間のていこさん、昨年ご主人とふたりでペルー旅行に行ってきました。費用は一人50万くらい。ふたりで百万円くらいかかったそうです。
今日のダンスレッスンには、ナスカ地上絵の鳥が胸に描かれたTシャツを着てきた。「これいいなあ、ほしい」って言ったら、「貸してあげる」と言ってくれたけれど、私の特大おなかを隠すにはLLサイズじゃなきゃダメだから、あきらめました。
同じくダンス仲間のともこさんは春休みに上野科博の「インカ・マチュピチュ百年展」を見て来た。私は、1400円のチケット、高いなあ、どこかから招待券がもらえないかなあといつものタダ券ねらいをしているうちに、会期がおわってしまいました。ああ、残念。みておけばよかった。
でも、千円以上のものは「高い」と感じる生活をしてますので、1400円のチケットは私には贅沢品なんです。
ご主人がマチュピチュに行きたがっていらっしゃるなら、かずこさんもぜひご同行を。
「しろつめくさ」に旅行写真が掲載されたおりは、「いいなあ、うらやましい」と、ひがみねたみそねみ満開にして、見とれることにいたします。