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ぽかぽか春庭「夏の日常」

2021-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20210807
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2021二十一世紀日記夏(4)夏の日常

 7月18日日曜日。
 朝、7時から玄関わきに生えていたドクダミを引っこ抜く。庭師のスズキさんにとっては、ドクダミは雑草=ゴミになってしまうから、スズキさんが庭の手入れをする前に取り入れました。置くところないから、とりあえず玄関前にあった大型ごみバケツに突っ込んでおきました。あとで葉っぱをちぎって、乾燥させお茶にするつもり。

 朝ごはんメニューは、バナナとシリアルにヨーグルトをのせ、牛乳をかけて食す。食べ終わると同時くらいに玄関チャイムが鳴り、この日に庭仕事をたのんでいたスズキさんが到着。

 本格的な庭じゃないから本職の庭師を頼むことはしないけれど、スズキさんは、30年くらい前から、姑の家の猫のひたいほどの庭の手入れを、年に2度してくれていました。
 スズキさんが30年前にシルバーセンターに登録したころから、姑は毎年頼んでいました。今はもうシルバーセンターも退職となったので、夫が個人的に依頼しています。

 毎回、挨拶がわりに「お元気ですねぇ、今年おいくつになられたんでしたか。え~と、きゅうじゅう、、、、」「92になりますっ。昭和2年生まれですから」と、元気な声。背はだいぶ丸くなっているけれど、剪定鋏を持つ手はしっかり。

 玄関前のアジサイ剪定から。
 椿には毛虫がついていたとのこと。全く知らずに、門を出入りしていました。刺されると毒がある毛虫だったというので、虫嫌いの娘が刺されずに済みました。

 玄関前を済ませて庭に出てもらう前に、休憩していただく。水ようかんと冷茶。
 夫タカ氏が、スズキさんがお好きな茶菓子を買ってくる。水ようかんをお出しした後だったので、持ち帰り用に。

 タカ氏は、人工透析を週3回受けています。透析を始める前はときどきめまいがしたり体調がわるかったけれど、今は透析のおかげで、前より体調はよくなったと。
 週に3回ベッドでじっと透析をうけている間、他の人はテレビを見ていることが多いけれど、タカ氏は、ラジオで野球や相撲中継を聞いていたり、タイ語のCDを聞いたり。「一病息災」の身であることなど語る。「透析は一生受け続けなければならないけれど、事務所の隣の病院で受けられるんだから、事務所で休憩する代わりと思えば、少しもたいへんじゃない」と言う。

 タカ氏は、飯田橋ギンレイという映画館の「会社用シネマパスポート」を利用し、先日タイ映画を3回見たという。最初の一回は字幕を見てストーリー理解、次は字幕と対照しながらタイ語セリフを聞く。3回目は字幕を見ずにどれくらい聞き取れるかのチェック。タイ語熱は相変わらずです。

 以前タカ氏は、年金を受けられる年齢になったら、タイで暮らせば年金だけで十分に暮らしていけるので、一人で永住的に移住すると計画していました。どうぞどうぞ一人でも、現地のきれいな人といっしょでもお好きに、と言っていたのですが、透析暮らしになったので、移住は取りやめ。
 私はここぞと、ニュースで見た、タイで年金暮らしを謳歌していた日本人男性の話をしました。

 物価の安いタイで悠々暮らしていた男性がコロナ陽性に。病院を探したのだけれど、どこも受け入れてもらえず、ようやく病院が見つかったあと急激に重症化してしまいました。重症患者を受け入れる病院はタイには少なくて、あっという間に亡くなってしまった、というニュースを見たのです。
 夫は「タイで年金暮らしをする場合、病院や強盗だけでなく、どんなリスクが山積みなのかは十分に検討済み。リスクがどれほど大きいか知ったうえで、それでもいいと思う人が移住すればいいのであって、単に物価が安いから年金で暮らしていけると思うような人は、移住先で強盗にあったりコロナになっても自己責任」と言う。
 「ハワイだと日本と同じように透析が受けられる日本人向けの病院が完備しているそうだけれど、別段ハワイに行きたくはないし」と。
 はい、はい、タイ語の勉強がんばってね。

 スズキさんがカエデの剪定などしている間、死ぬ前にもう一度食べたいメニューの話をする。タカ氏は、バングラデシュの首都ダッカにある「レストランチッタゴン」で食べたカレー。今まで食べたカレーの中で一番おいしかったから、もう一度食べたいと言う。
 私は、「バングラデシュで貧乏旅行していて、ろくなもの食べていなかったから、ダッカのレストランでまともなカレー食べておいしかったんじゃないの?今食べてもおいしいと思うかどうか」と、ちゃかす。夫が若いころ続けていた旅は、全部貧乏旅行でした。

 ケニアのトゥルカナで食べた魚の話も出ました。40年前の思い出です。
 青年協力隊員高校教師の従妹ミチコといっしょにトゥルカナに旅行した私は、従妹の知り合いのスエーデン人技師の家にホームステイし、毎晩おいしいディナーを食べていました。別ルートの貧乏旅行者タカ氏は、現地の食堂兼旅籠に宿泊。食事の内容は天地の差。ゆで卵を食べたら食あたりして3日間腹痛でのたうち回ったと。私とミチコの優雅なディナー話を聞くと「そういう楽する旅はタビじゃない」と、のたまう。楽でも楽じゃなくても、トゥルカナ旅行、40年前の思い出です。

 12時。スズキさんが、庭の手入れを途中にして「食事しに家へ戻ります」といったん帰宅。
 そうめんをゆでて、青じそとミョウガを刻んで薬味にし、タカ氏と食べる。タカ氏は水分や塩分に食事制限を受けているのですが、久しぶりにそうめんを食べたと。
 ミョウガは庭に生えていたのを、スズキさんが取ってくれたものです。とりたて産地直送ミョウガ!

 13時半。スズキさんが庭仕事再開。紫陽花やつつじの剪定など。
 ぎっしり花をつけていた紫陽花も丸坊主に剪定されました。


 言っておかなかった私が悪いが、全部終了後バケツをみたら中は空で、入れておいたドクダミはゴミ袋にほかの枝や雑草といっしょくたに詰め込まれていました。ま、ドクダミは来年もぼうぼうと生えてくる。
 狭い庭ですが、8時半から15時まで一日仕事でした。シルバー料金でやってくれてありがたい。92歳スズキさん、100歳まで長生きしてほしい。

 14時、娘が3階の部屋から降りてくる。「スズキさんが全部終わって帰ったら昼ごはんに降りてこようと思ったんだけど、もうおなかすいて待っていられない」
 
 娘はテレビをつけ、昼ご飯を食べながら相撲中継を見始めました。娘は宇良がごひいき力士です。
 宇良が関西学院大学教育学部に進学し、1年の時に全国学生相撲・個人体重別選手権65kg未満級で優勝した ころから、娘は「宇良押し」を始め、2015年に木瀬部屋入門以来、ファンを続けています。特に2016年の3か月に及ぶ入院生活中、5月に十両になった宇良を応援することが入院生活の支えになっていました。「押し」が力になるという好例を感じます。

 ケガのため三段目まで陥落していた宇良は、この7月名古屋場所からようやく幕内に復帰。娘の応援も一段と力が入りました。髷に手がかかった反則負けがあったために10勝。「11勝していれば三賞もらえたかも」と娘は悔しがりますが、勝ち越しだだけでも私は満足。けがのないように、無理をしないように、多くの「押し」たちのために頑張ってほしいです。

 夫は、いつもは病院のベッドで透析を受けながら聞く相撲中継を、家族とテレビ観戦するなど久しぶりのことなのですが、優勝した白鳳のインタビューまで楽しんでいました。
 白鵬の15日間。進退をかけた相撲とはいえ、14日目の俵まで下がった立ち合いとか、照ノ富士へのなりふり構わず勝ちにいった相撲内容について、相撲識者たちは批判的でした。私は、さじき観覧席の夫人と一男三女が一家して泣いている姿を見たら、「家族のためにようがんばった」としか言えない。家族の応援は最強の「押し」です。

 家族を顧みず、好き勝手に生きてきたタカ氏に言ってやった。毎年誕生日にも父の日にも娘がクッキーやケーキを焼いて、手作り品と一緒にプレゼントしています。そんな優しい娘を育てた母親が偉い!と。

 娘と晩御飯食べながら『青天を衝け』を見る。主人公渋沢栄一がパリでごちゃごちゃしている間に、草薙慶喜は大政奉還jしてしまうし、いろいろ大変な幕末になっていました。草薙の慶喜も、板垣李光人の徳川昭武もなかなかよかったです。

 土曜日は娘と美術館などへ出かけることが多いですが、日曜日はだいたい家ですごします。2021年の7月。夏の日曜日、何もしない平凡な一日でしたが、このように平凡ななんでもない一日が貴重なのだと、多くの方々が「コロナ禍で気づいたこと」にあげていました。それで私も「平凡な一日」を書き留めておきました。夫と話して、相撲をテレビ観戦して、娘とドラマ見ながら晩御飯を食べる、こんな一日もきっとよい一日。

<つづく>
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