20150602
ぽかぽか春庭アート散歩>梅雨どきアート(1)ベルナルダ・アルバの家
ガルシア・ロルカはスペインの詩人、劇作家。(フェデリーコ・デル・サグラード・コラソン・デ・ヘスス・ガルシーア・ロルカ(Federico del Sagrado Corazón de Jesús García Lorca1898-1936)。
スペイン内乱が勃発すると、ファシストのフランコ将軍率いるファランヘ党に捕えられ、銃殺される。享年38歳。以後、フランコが死ぬまでスペイン国内では発禁書でしたが、西側諸国ではその作品は高く評価されました。
70年代のはじめ、初歩ドイツ語の授業で教わったのが「ドイツ語訳のロルカ詩集」でした。スペイン語とは異なる響きだったのでしょうが、そのすばらしい言葉の連なりにひたることができました。それまで「外国語なんか習いたくない」という語学拒絶症だった私も、ロルカには心ひかれました。
ドイツ語劣等生だった私は、イッヒリーベデッヒ以外のドイツ語は忘れてしまったのですが、ドイツ語優等生だったK子さんはヘーゲルを卒論にしたほどでした。
ロルカは1933年に劇団を設立。1933年『血の婚礼』、1934年『イェルマ』、1936年『ベルナルダ・アルバの家』を完成させます。同じスペイン出身ダリと親交の厚い画家でもあり、舞台美術にも腕を振るい、ピアニストとして劇中の音楽にも才能を発揮しました。
ロルカの戯曲は世界各地で上演されてきましたが、映画もロルカの原作による『血の婚礼』など、評価が高い作品に仕上がりました。
と、長々ロルカについて説明しました。5月31日、下北沢のミニ劇場で『ベルナルダ・アルバの家』を見てきたからです。
主演のベルナルダは、いっしょにドイツ語の授業に出て、いっしょにロルカの詩を習ったK子さんです。
K子さんは、卒業以来、キャリア組上級公務員を定年退職まで続けたしっかり者。60歳からは、若い頃はたせなかった演劇活動を再開。前回の『鼬』につづき、今回は2度目の主演です。
ベルナルダとベルナルダの母は、ダブルキャストで、交代に演じ、ジャズダンス仲間のTTさんが見に行った初日で、K子さんは母親役。私は千秋楽の日曜日、ベルナルダ役を見ることができました。
K子さん、すばらしい熱演でタイトルロールのベルナルダを演じていました。低い声を作り、旧家の当主としての誇りと、古いスペインのしきたりに縛られた暮らしのなかで、夫を失った悲しみと、残された5人の娘を世間から守っていくという未亡人に課せられた役割をまっとうしようという気負いとが感じられる役作りでした。
ベルナルダは、スペインの古い習慣に従って「当主アルバの死より8年間は喪に服す。娘達は家の外に一歩も出ることなくに服喪を果たす」ことを娘達に要求します。
5人の娘達のうち、父親の財産を受け継げるのは長女だけ。資産が多くない家庭では、資産の分散を防ぐため、相続はひとりだけに託されるのです。そのため結婚できるのは長女だけ。多額の持参金が必要なため、財産のない娘には結婚の機会が与えられないのです。次女以下は、一生を独り身ですごすか、修道院に入るかのふたつしか人生の選択がありません。
かって四女マルティリオが結婚したがったとき、ベルナルダは、相手が農民で身分違いだという理由で許しませんでした。結婚とは身分が釣り合い資産が十分な場合にうまくいくのだとベルナルダは信じています。
娘達にとって、8年間もの間、家に閉じ込められるのは監禁と同じであり、抑圧された暮らしに不満はつのります。
年老いたベルナルダの母親は、錯乱しており「これからお嫁にいく」とめかし込んでいます。ベルナルダの母もまた、抑圧された女のひとりなのでしょう。
ベルナルダは、アルバ家を相続する長女に、ペペを婚約者として選びます。しかし、女中頭のポンシアは、ペペが持参金めあてであろうことに気づいています。ペペは長女アグスティアスより14歳も年下なのです。
家から出られない娘達ですが、長女にのみ、ベランダの下に立つペペと顔を合わせ、ことばをかわすことが許されます。他の娘達の抑圧は高まります。
ペペと年が釣り合うのは末娘のアデーラです。アデーラは姉のもとに通ってくるペペを愛するようになり、納屋で密会するようになります。アデーラにとって、ペペと愛を交わすことが唯一生きているあかしです。
しかし、ベルナルダに恋人との仲を引き裂かれた経験を持つ四女、マルティリオは、密会に酔いしれるアデーラが許せません。ペペに会いに忍んでいこうするアデーラの前に立ちふさがり、さわぎになります。
アデーラの道ならぬ恋を知ったベルナルダは、ペペに向けて銃を撃ちます。ペペが逃げ出していったのを確認した上で、アデーラに「ペペを撃ち殺した」と告げます。絶望したアデーラは、自室にこもり、首をつります。
ベルナルダは、家の秩序を守ろうとして、逆に末娘を失ってしまったのです。
2時間10分の上演。女性のみ9人の出演者が丁々発止のことばをぶつけ合い、激しい感情を炸裂させる劇でした。
しかし、演出の上で私にはふたつ疑問がありました。
客席26席というミニ劇場なので、舞台構成に制約はあることはわかるのですが、舞台と客席が紗幕によって区切られていたこと、私にはこの紗幕は必要ないように思えたのです。舞台前面を照らせば舞台内は暗くなって暗転し、照明によって紗幕の中を明るくすれば、役者達の演技は見える。紗幕が隔てることにより、この舞台で演じられるスペインは、私たちの地続きのことでなく、遠い別世界の物語なのだ、という演出意図なのかと思いました。私は、ベルナルダの物語を、直接受け取りたかった。女ばかり9人の閉じられた空間。でもそれは紗幕の中の隔てられた空間ではなく、私と直接向かい合う、私の物語でもある、という感じで舞台を見つめたかった。
もうひとつ、演出意図に疑問点。末娘アデーラが首をつったというシーンは、舞台上には出されず、舞台袖の中の物音と声で表されたことです。ドアの中に閉じこもるアデーラ。ドシンと、椅子が倒れる音。ドアをたたき、こじあけた物音のあと「こんな終わり方をしてはいけない」という台詞によって、アデーラが死んだことが暗示されます。
ベルナルダが「死んでしまった」と言うので、観客にはアデーラの死が伝わるのですが、それがわかったのは、私があらすじを知っていたからだろうと思いました。私のとなりのおじさんには、その展開が伝わっていなかったみたいで、アデーラの死によるラストシーンが「あれ?何がどうしたのやら」と思ううちにおわってしまったようなのでした。
舞台を見慣れている人の想像力によって、舞台に明示されていないことを想像させるという演出がよい効果をあげる場合もありますし、今回の「アデーラの首つり=椅子が倒れる音によって表現」は、想像力だけではむずかしいように思えました。
終演後に面会したK子さんの解説では、稽古の最初はシルエットによってアデーラの最後が明示されることになっていたのだけれど、途中でその演出はなくなって、今の形になったとか。見巧者だけがわかれば、よい、という意図だったのかなあと思います。
トップの公演チラシ、出演者がスペインを訪れてロルカ生家を見学したときに撮影したものだそうです。チラシ中央の白い部分は、井戸です。ロルカ生家と、アルバの家のモデルになった家の境界にある井戸。隣家のもめごとをロルカはこの井戸で聞き、創作のモチーフにしたのだそうです。
K子さんが演劇にかける情熱。いっしょにジャズダンスを習った仲間にも感銘を与えています。好きなことを見つけて、一心に追求していくK子さん、すてきな退職後の生き方と思います。
<つづく>