013/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(6)鉄砲&無鉄砲
前回の「弓矢」コラムにコメントをいただいたので、今回の文につなげさせていただきます。
(まっき~)2014-01-07 05:36:45
あんまりこっちへ来るんじゃねぇ!
そういい放ちながら鉄砲を構える仲代に、三船はニヤッと笑いながら刀一本、ずんずん前に進みましたね。
三十郎だから出来るのでしょうし、あるいは三十郎は、鉄砲を知らなかったのかな、そんなことないよね。
<春庭回答コメント>
鉄砲の射撃精度があがるのは、幕末のゲーベル銃 スナイドル銃スペンサー銃などの輸入とそれを模した国産銃のころからだと思います。戦国期の鉄砲戦術では、多量の鉄砲で一斉に撃ちかかる集団戦でこそ威力を示すことができました。
三十郎は、当時の銃では相当の射撃専門の使い手でなければ、そうそうは当たらないことを知っていたのだろうと思います。仲代の半兵衛じゃ、おそらく当たらないだろうと、三十郎は半兵衛の腕前を見抜いていたという設定だったのかも。
「1対1」の戦いになったとき、正確に当たるほど近寄るならば、剣で立ち向かうことも可能になるということを、黒沢は知っていたのかどうかわかりませんが、知らなくたってたぶんあのシーンを撮ったんでしょう。1人で30人斬りという殺陣が可能かどうかのほうはちゃんと考慮したみたいだけれど。
2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』。主人公の八重は、砲術師範の家の娘で、女には触らせてもらえなかった銃を男と同じように使えるようになりたいと熱望し、会津戦争のおりには、女性ながらも最前線で銃撃戦を演じました。最初の夫とは銃の改造などで共に働き、二度目の結婚では夫新島襄を助けて同志社大学を創立する。晩年は看護婦として日清日露の戦いに傷ついた兵士を看護。
私の郷里の群馬県では、郷土かるた(上毛かるた)の「へ」は、「平和の使い新島襄」なので、新島襄の名と同志社大学の名は、子供でも知っていました。しかし、新島夫人の八重のことはほとんど知りませんでしたし、会津戦争についても「白虎隊」「婦女隊(娘子隊)」の名を知るのみでしたから、幕末の東北を知ることができて、よかったです。
八重の最初の夫川崎尚之助が晩年に「会津戦記」を書き残していた、というような脚色は歴史実証主義の人には不評でしたが、まあ、ドラマだからそれくらいは、、、、、
鉄砲に関することで2013年に印象に残ったこと。年末12月にミハイル・カラシニコフ(1919 - 2013)が亡くなったこと。私の父と同じ1919年生まれのカラシニコフ。今まで生きていたことにびっくり。
2003年か2004年だったか、新聞連載の松本仁『カラシニコフ』の連載を興味深く読みました。AK47突撃銃通称カラシニコフ銃のことがくわしくルポされていました。
彼が設計した銃が世界中で1億丁も存在して紛争の渦中にあること。子供でも簡単に扱えて、徴兵された少年がたちまち兵士に仕立てあげられていくこと。
人が生きていくのに当然あるべき平和な暮らしが、ただ一丁の鉄砲の一発からたちまち紛争へ、市民戦争へと突き進んでしまう。紛争の渦中にいつもカラシニコフ銃がありました。銃を回収して代わりに農具を配布する運動もあることなど、安全な町や村で平和な生活が安心しておくれるようにする努力が続けられてきたこともルポされていました。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする」という一文が「イザヤ書」2章4節にあります。
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
世界中の銃が鋤に打ち直される日が近いように。わが子が銃を持つことなく生涯をすごせるように。
「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」は、夏目漱石の『坊ちゃん』の冒頭です。
中学国語に載っていたこの冒頭で、国語教師は「無鉄砲とは、鉄砲も持っていないのに戦場に飛び出していくような、分別のない蛮勇」と解説していました。私は長い間、それを信じて使っていました。
日本語教師になって、何事も原典や語源をさぐる癖がつき、無鉄砲とは「鉄砲が無い」のではなく、無手法=やりようのない状態でことをはじめる、無点法=返り点なども知らないのに、漢文を読むような無分別。ということなのだと、ものの本で知りました。
無手法が言いやすいように促音が加わって、「ほ」がho→poとなって、「むてっぽう」が成立。当て字として「無鉄砲」になった、ということらしいです。
世界中から鉄砲も地雷もなくなって、兵器武器のない世にしたい、と願うのは、武器を世界に売りたいと願う今の政府から見ると「無鉄砲」な無分別なことになるらしい。
理想論と笑わば笑え。私は世界中から武器をなくしてほしいと願い続けます。
<おわり>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(6)鉄砲&無鉄砲
前回の「弓矢」コラムにコメントをいただいたので、今回の文につなげさせていただきます。
(まっき~)2014-01-07 05:36:45
あんまりこっちへ来るんじゃねぇ!
そういい放ちながら鉄砲を構える仲代に、三船はニヤッと笑いながら刀一本、ずんずん前に進みましたね。
三十郎だから出来るのでしょうし、あるいは三十郎は、鉄砲を知らなかったのかな、そんなことないよね。
<春庭回答コメント>
鉄砲の射撃精度があがるのは、幕末のゲーベル銃 スナイドル銃スペンサー銃などの輸入とそれを模した国産銃のころからだと思います。戦国期の鉄砲戦術では、多量の鉄砲で一斉に撃ちかかる集団戦でこそ威力を示すことができました。
三十郎は、当時の銃では相当の射撃専門の使い手でなければ、そうそうは当たらないことを知っていたのだろうと思います。仲代の半兵衛じゃ、おそらく当たらないだろうと、三十郎は半兵衛の腕前を見抜いていたという設定だったのかも。
「1対1」の戦いになったとき、正確に当たるほど近寄るならば、剣で立ち向かうことも可能になるということを、黒沢は知っていたのかどうかわかりませんが、知らなくたってたぶんあのシーンを撮ったんでしょう。1人で30人斬りという殺陣が可能かどうかのほうはちゃんと考慮したみたいだけれど。
2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』。主人公の八重は、砲術師範の家の娘で、女には触らせてもらえなかった銃を男と同じように使えるようになりたいと熱望し、会津戦争のおりには、女性ながらも最前線で銃撃戦を演じました。最初の夫とは銃の改造などで共に働き、二度目の結婚では夫新島襄を助けて同志社大学を創立する。晩年は看護婦として日清日露の戦いに傷ついた兵士を看護。
私の郷里の群馬県では、郷土かるた(上毛かるた)の「へ」は、「平和の使い新島襄」なので、新島襄の名と同志社大学の名は、子供でも知っていました。しかし、新島夫人の八重のことはほとんど知りませんでしたし、会津戦争についても「白虎隊」「婦女隊(娘子隊)」の名を知るのみでしたから、幕末の東北を知ることができて、よかったです。
八重の最初の夫川崎尚之助が晩年に「会津戦記」を書き残していた、というような脚色は歴史実証主義の人には不評でしたが、まあ、ドラマだからそれくらいは、、、、、
鉄砲に関することで2013年に印象に残ったこと。年末12月にミハイル・カラシニコフ(1919 - 2013)が亡くなったこと。私の父と同じ1919年生まれのカラシニコフ。今まで生きていたことにびっくり。
2003年か2004年だったか、新聞連載の松本仁『カラシニコフ』の連載を興味深く読みました。AK47突撃銃通称カラシニコフ銃のことがくわしくルポされていました。
彼が設計した銃が世界中で1億丁も存在して紛争の渦中にあること。子供でも簡単に扱えて、徴兵された少年がたちまち兵士に仕立てあげられていくこと。
人が生きていくのに当然あるべき平和な暮らしが、ただ一丁の鉄砲の一発からたちまち紛争へ、市民戦争へと突き進んでしまう。紛争の渦中にいつもカラシニコフ銃がありました。銃を回収して代わりに農具を配布する運動もあることなど、安全な町や村で平和な生活が安心しておくれるようにする努力が続けられてきたこともルポされていました。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする」という一文が「イザヤ書」2章4節にあります。
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
世界中の銃が鋤に打ち直される日が近いように。わが子が銃を持つことなく生涯をすごせるように。
「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」は、夏目漱石の『坊ちゃん』の冒頭です。
中学国語に載っていたこの冒頭で、国語教師は「無鉄砲とは、鉄砲も持っていないのに戦場に飛び出していくような、分別のない蛮勇」と解説していました。私は長い間、それを信じて使っていました。
日本語教師になって、何事も原典や語源をさぐる癖がつき、無鉄砲とは「鉄砲が無い」のではなく、無手法=やりようのない状態でことをはじめる、無点法=返り点なども知らないのに、漢文を読むような無分別。ということなのだと、ものの本で知りました。
無手法が言いやすいように促音が加わって、「ほ」がho→poとなって、「むてっぽう」が成立。当て字として「無鉄砲」になった、ということらしいです。
世界中から鉄砲も地雷もなくなって、兵器武器のない世にしたい、と願うのは、武器を世界に売りたいと願う今の政府から見ると「無鉄砲」な無分別なことになるらしい。
理想論と笑わば笑え。私は世界中から武器をなくしてほしいと願い続けます。
<おわり>