2013/08/21
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(4)エゲリア&シンベリン&マクベス
テレビ放映された劇場中継を見るのは、劇場で生の迫力とともに見るのとはまた違った楽しみ方ができます。劇場での感激は一期一会。役者のその日の体調や声によっても印象は変わるし、演出家によっては毎日ダメ出しをして、翌日の演出を変える人もいます。初日からどんどん演技を変えて千秋楽には別人のようにうまくなる役者もいます。
テレビは、そのような一回限りの出会いはありませんが、あるセリフを何度も再生して確認したり、ちょっと見逃した部分を巻き戻して「ああ、やっぱりこのとき後ろにもう一人隠れていたのね」なんてなぞ解きをしたり生とは違う楽しみ方ができます。なによりも。演劇チケットは高いので、私の懐具合では見たい劇を全部見に行くことができません。しかし、見たいと思っていなかった舞台でも、テレビ中継録画が放映されれば、たまたま見て、存外面白かった、というときもあります。
文学座の『エゲリア』とパルコ劇場『こどもの一生』。埼玉芸術劇場の『シンベリン』、世田谷パブリックシアター『マクベス』テレビ録画で楽しみました。
文学座の瀬戸口郁脚本『エゲリア』は、岡本かの子(1889ー1939)をとりまく人々をえがいた作品です。私は瀬戸内晴美『かの子繚乱』、岡本太郎「疾走する自画像」岡本敏子「岡本太郎自伝」などを読んで、かの子の魅力も、おかしな構成の岡本一家のこともわかっているつもりでしたが、エゲリアのかの子もとても強烈な個性で輝いていました。
強烈な個性のかの子を、いやみに落とさず、魅力ある女性として現出するのは、脚本の力、そして演出家や女優の腕だとおもいます。かの子を演じたのは吉野実紗。かの子は、天真爛漫天衣無縫我儘一杯傍若無人。しかし、なんともかわいらしく、助けたくなる女性です。
エゲリア(Egeria)は、ローマ神話に出てくる水の精。第2代ローマ王の妻であり助言者だったので、エゲリアは「女性助言者」の意味も含みます。瀬戸口郁が、どのような観点からかの子を「エゲリア」とみなしたのかはわかりませんが、エゲリアが「神の領域の存在」でありながら、人の王の妻として暮らしたということを考えると、かの子もまたそのような「人の心にとって女神であり、妻であり愛人であり姉であり母であり」という複雑な魅力を持つ女性という意味であろうと感じます。
太郎は母について「母の邪魔にならないよう、ひもで縛られ、柱にくくりつけられいた」という子供時代を過ごしたこともあったことを書いていますが、母を「天女のようだった。尊敬できる芸術家であった」と評しています。
岡本一平、かの子、太郎の家族に、夫公認のかの子の愛人柴田亀造(かの子の主治医であった新田亀三がモデル)。
成松恭夫(のちに慶応大学教授、島根県知事となる恒松安夫がモデル)は、家事ができないかの子に代わって、一家をきりもりします。かの子とは「やすおちゃん、お姉さん」と呼び合う仲で、姉弟のように同居する下宿人です。恒松の晩年の談話によると、「いちばん自分が人間らしく暮らせたのは、岡本家で家事をして暮らしたとき。それに比べると知事の仕事など余生にすぎない」と述べたそうです。いかにかの子との生活が生き生きとした活力に満ちたものだったか、しのばれます。
かの子は、あらゆることにエネルギーを注ぎ込み、歌を詠み小説を書き仏教研究者としても熱中します。50歳で亡くなったとき、一人息子の太郎はパリ滞在中でした。
かの子を演じた吉野実紗は、1981年東京都生まれ。青学仏文卒後、2005年文学座入りし2010年には座員に昇格。文学座の中では若手ですが、実力のある魅力的な女優さんです。杉村春子太地喜和子のあとにあまり好みの女優さんがいなかった文学座ですが、吉野のかの子はとてもよかったです。
『こどもの一生』は、ケータイも通じない島に設置されている「MMM」という「臨床心理治療所」が舞台です。都会のストレスを癒すため島にあつまった「治療を必要とする患者たち」と、医者看護師。笑っているうちにホラーになる物語。
会社社長・三友(吉田鋼太郎)と秘書の柿沼(谷原章介)。東北のテーマパークで働いているユミ(中越典子)は、ほんとうは東京ディズニーランドで働くのが夢なのに、かなわぬ夢を追ってストレスがたまっています。家電量販店に勤めている淳子(笹本玲奈)、頭の中から量販店のCMテーマ曲を追い出したいと思って治療に参加。ワイドショーの再現ドラマなどの脚本を書いている藤堂(玉置玲央)らを治療するのは、医師(戸次重幸)と看護師(鈴木砂羽)。
治療は、子供時代に戻ってこどもの心を取り戻すことでストレスをなくす、という方法。子供心になってもやっぱりいじめっ子の社長を仲間はずれにする目的で、他の「クライアント」たちが考え出したのが「山田のおじさんごっこ」。架空の人物だったはずの山田のおじさんが島に現れたときから恐怖がひろがります。
他の舞台では重厚な役柄が多い吉田鋼太郎がやんちゃに飛び跳ね、「軽いハンサム」イメージの谷原章介が、現代社会の人間関係に追い詰められていく複雑な心理を「無意識のこわさ」として体現していてよかったです。
1990年の初演から23年。現代にあわせてリメイクしたそうですが、23年たっても、中島らもが「現代の人間関係が生み出すホラー」をめざした内容は、古くなっていません。ますます怖い人間カンケー。
蜷川幸雄の演出でシェークスピア劇の全上演を続けている埼玉芸術劇場、シリーズ第25弾として、シンベリンが上演されました。(2012年4月2日~21日)
ロンドンオリンピック開幕前の6月にはロンドンのバービカンシアター公演も行われました。
録画時間3時間10分という劇。上演では途中15分の休憩が入りますが、私は場面転換ごとにトイレにたったりお茶を入れたりしながら観ました。
出演者
・ブリテン王シンベリン(吉田鋼太郎)昔、大切な跡取りの息子たち(長男と次男)を何者かに誘拐され、今はひとり娘イノジェンに後妻王妃の息子を目合わせて跡継ぎにしようとしています。王妃の尻に敷かれています。イタリアとの交渉が決裂し、国を戦乱に巻き込みます。
・王妃(鳳蘭)王には愛情のかけらもないけれど、一人息子をブリテン王にするため、継子のイノジェンと結婚させようと図っています。
・クロートン(勝村正信)王妃の息子であることを鼻にかけ、傍若無人。イノジェンと結婚できる気でいます。
・王女イノジェン(大竹しのぶ)父王に許しを得られずとも、最愛の人ポステュマスと結婚し、追放された夫の帰りを待っています。夫からプレゼントされた腕輪を大切にしています。
・ポステュマス(阿部寛)許可なく王女と結婚した罪により国から追放処分を受け、ローマへ渡ります。ローマの貴族ヤーキモーに妻を自慢したため、妻の貞節を賭ける仕儀となります。
・ヤーキモー(窪塚洋介)ローマの外交団としてシンベリン王の居城に入り、策略によって王女イノジェンの大切な腕輪を盗み出します。ポステュマスは、腕輪を見て妻が裏切ったと思いこんでしまい、下僕ビザーニオに「イノジェン殺害」を命じます。
・ベラリアス(嵯川哲郎)シンベリン王に反抗したため、追放された貴族。モーガンと名を変え、息子ふたりと猟師生活を送っています。
・モーガンの息子ふたり(浦井健治&川口覚)実はシンベリン王の息子
ローマとの交渉が決裂し、ブリテンとローマは戦闘状態に入ります。夫を案じる王女イノジェンは、男装して山に入りモーガンたちに助けられますが、ローマ軍に捕らえられ将軍の小姓となります。
ポステュマスはローマからブリテンに戻り、シンベリン王の軍に入って大活躍。
最後は、ヤーキモーの悪だくみもあきらかにされて、めでたしめでたしの大団円となります。
役者たちの演技合戦のような面もあり、見どころは多いのですが、劇場で全部見たら疲れたかもしれません。休みやすみ自分のペースで見ることができて、生で見るのとはちがう楽しみ方ができました。
野村萬斎演出主演の『マクベス』。シェークスピアはどのように演出してもぴたっと収まる演出自由自在の面がありますが、狂言をシンに持つ萬斎の演出、5人のみの出演者と和風の衣装、和柄の装置、簡素なのに華麗な舞台でした。
萬斎の演出力をほめている感想が多いのに、私には、今までいろいろなマクベスを見た中で一番「王殺しの悪行をそんなに悔いることないじゃないのさ」と感じさせるマクベスでした。「権力者なんて、しょせんみーんな人殺し。下克上の世の中で、先代の王を殺してしまうのは年中行事みたいなもんなのに、なんであなただけがそんなに錯乱しちゃうの?しっかりしなさいよ!」と、背中をけっとばしたくなるマクベスでした。マクベスの受容として、これ、いいんだろうか。
演劇にはいろいろな楽しみ方があると思いますが、出演している役者が好きか、演じられている主役に興味があるか、演出方法に興味があるか。日ごろ高いチケット買う金のない私には、テレビ観劇、もっといろいろ見てみたいです。舞台中継の放映、増えてほしい。
<おわり>
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(4)エゲリア&シンベリン&マクベス
テレビ放映された劇場中継を見るのは、劇場で生の迫力とともに見るのとはまた違った楽しみ方ができます。劇場での感激は一期一会。役者のその日の体調や声によっても印象は変わるし、演出家によっては毎日ダメ出しをして、翌日の演出を変える人もいます。初日からどんどん演技を変えて千秋楽には別人のようにうまくなる役者もいます。
テレビは、そのような一回限りの出会いはありませんが、あるセリフを何度も再生して確認したり、ちょっと見逃した部分を巻き戻して「ああ、やっぱりこのとき後ろにもう一人隠れていたのね」なんてなぞ解きをしたり生とは違う楽しみ方ができます。なによりも。演劇チケットは高いので、私の懐具合では見たい劇を全部見に行くことができません。しかし、見たいと思っていなかった舞台でも、テレビ中継録画が放映されれば、たまたま見て、存外面白かった、というときもあります。
文学座の『エゲリア』とパルコ劇場『こどもの一生』。埼玉芸術劇場の『シンベリン』、世田谷パブリックシアター『マクベス』テレビ録画で楽しみました。
文学座の瀬戸口郁脚本『エゲリア』は、岡本かの子(1889ー1939)をとりまく人々をえがいた作品です。私は瀬戸内晴美『かの子繚乱』、岡本太郎「疾走する自画像」岡本敏子「岡本太郎自伝」などを読んで、かの子の魅力も、おかしな構成の岡本一家のこともわかっているつもりでしたが、エゲリアのかの子もとても強烈な個性で輝いていました。
強烈な個性のかの子を、いやみに落とさず、魅力ある女性として現出するのは、脚本の力、そして演出家や女優の腕だとおもいます。かの子を演じたのは吉野実紗。かの子は、天真爛漫天衣無縫我儘一杯傍若無人。しかし、なんともかわいらしく、助けたくなる女性です。
エゲリア(Egeria)は、ローマ神話に出てくる水の精。第2代ローマ王の妻であり助言者だったので、エゲリアは「女性助言者」の意味も含みます。瀬戸口郁が、どのような観点からかの子を「エゲリア」とみなしたのかはわかりませんが、エゲリアが「神の領域の存在」でありながら、人の王の妻として暮らしたということを考えると、かの子もまたそのような「人の心にとって女神であり、妻であり愛人であり姉であり母であり」という複雑な魅力を持つ女性という意味であろうと感じます。
太郎は母について「母の邪魔にならないよう、ひもで縛られ、柱にくくりつけられいた」という子供時代を過ごしたこともあったことを書いていますが、母を「天女のようだった。尊敬できる芸術家であった」と評しています。
岡本一平、かの子、太郎の家族に、夫公認のかの子の愛人柴田亀造(かの子の主治医であった新田亀三がモデル)。
成松恭夫(のちに慶応大学教授、島根県知事となる恒松安夫がモデル)は、家事ができないかの子に代わって、一家をきりもりします。かの子とは「やすおちゃん、お姉さん」と呼び合う仲で、姉弟のように同居する下宿人です。恒松の晩年の談話によると、「いちばん自分が人間らしく暮らせたのは、岡本家で家事をして暮らしたとき。それに比べると知事の仕事など余生にすぎない」と述べたそうです。いかにかの子との生活が生き生きとした活力に満ちたものだったか、しのばれます。
かの子は、あらゆることにエネルギーを注ぎ込み、歌を詠み小説を書き仏教研究者としても熱中します。50歳で亡くなったとき、一人息子の太郎はパリ滞在中でした。
かの子を演じた吉野実紗は、1981年東京都生まれ。青学仏文卒後、2005年文学座入りし2010年には座員に昇格。文学座の中では若手ですが、実力のある魅力的な女優さんです。杉村春子太地喜和子のあとにあまり好みの女優さんがいなかった文学座ですが、吉野のかの子はとてもよかったです。
『こどもの一生』は、ケータイも通じない島に設置されている「MMM」という「臨床心理治療所」が舞台です。都会のストレスを癒すため島にあつまった「治療を必要とする患者たち」と、医者看護師。笑っているうちにホラーになる物語。
会社社長・三友(吉田鋼太郎)と秘書の柿沼(谷原章介)。東北のテーマパークで働いているユミ(中越典子)は、ほんとうは東京ディズニーランドで働くのが夢なのに、かなわぬ夢を追ってストレスがたまっています。家電量販店に勤めている淳子(笹本玲奈)、頭の中から量販店のCMテーマ曲を追い出したいと思って治療に参加。ワイドショーの再現ドラマなどの脚本を書いている藤堂(玉置玲央)らを治療するのは、医師(戸次重幸)と看護師(鈴木砂羽)。
治療は、子供時代に戻ってこどもの心を取り戻すことでストレスをなくす、という方法。子供心になってもやっぱりいじめっ子の社長を仲間はずれにする目的で、他の「クライアント」たちが考え出したのが「山田のおじさんごっこ」。架空の人物だったはずの山田のおじさんが島に現れたときから恐怖がひろがります。
他の舞台では重厚な役柄が多い吉田鋼太郎がやんちゃに飛び跳ね、「軽いハンサム」イメージの谷原章介が、現代社会の人間関係に追い詰められていく複雑な心理を「無意識のこわさ」として体現していてよかったです。
1990年の初演から23年。現代にあわせてリメイクしたそうですが、23年たっても、中島らもが「現代の人間関係が生み出すホラー」をめざした内容は、古くなっていません。ますます怖い人間カンケー。
蜷川幸雄の演出でシェークスピア劇の全上演を続けている埼玉芸術劇場、シリーズ第25弾として、シンベリンが上演されました。(2012年4月2日~21日)
ロンドンオリンピック開幕前の6月にはロンドンのバービカンシアター公演も行われました。
録画時間3時間10分という劇。上演では途中15分の休憩が入りますが、私は場面転換ごとにトイレにたったりお茶を入れたりしながら観ました。
出演者
・ブリテン王シンベリン(吉田鋼太郎)昔、大切な跡取りの息子たち(長男と次男)を何者かに誘拐され、今はひとり娘イノジェンに後妻王妃の息子を目合わせて跡継ぎにしようとしています。王妃の尻に敷かれています。イタリアとの交渉が決裂し、国を戦乱に巻き込みます。
・王妃(鳳蘭)王には愛情のかけらもないけれど、一人息子をブリテン王にするため、継子のイノジェンと結婚させようと図っています。
・クロートン(勝村正信)王妃の息子であることを鼻にかけ、傍若無人。イノジェンと結婚できる気でいます。
・王女イノジェン(大竹しのぶ)父王に許しを得られずとも、最愛の人ポステュマスと結婚し、追放された夫の帰りを待っています。夫からプレゼントされた腕輪を大切にしています。
・ポステュマス(阿部寛)許可なく王女と結婚した罪により国から追放処分を受け、ローマへ渡ります。ローマの貴族ヤーキモーに妻を自慢したため、妻の貞節を賭ける仕儀となります。
・ヤーキモー(窪塚洋介)ローマの外交団としてシンベリン王の居城に入り、策略によって王女イノジェンの大切な腕輪を盗み出します。ポステュマスは、腕輪を見て妻が裏切ったと思いこんでしまい、下僕ビザーニオに「イノジェン殺害」を命じます。
・ベラリアス(嵯川哲郎)シンベリン王に反抗したため、追放された貴族。モーガンと名を変え、息子ふたりと猟師生活を送っています。
・モーガンの息子ふたり(浦井健治&川口覚)実はシンベリン王の息子
ローマとの交渉が決裂し、ブリテンとローマは戦闘状態に入ります。夫を案じる王女イノジェンは、男装して山に入りモーガンたちに助けられますが、ローマ軍に捕らえられ将軍の小姓となります。
ポステュマスはローマからブリテンに戻り、シンベリン王の軍に入って大活躍。
最後は、ヤーキモーの悪だくみもあきらかにされて、めでたしめでたしの大団円となります。
役者たちの演技合戦のような面もあり、見どころは多いのですが、劇場で全部見たら疲れたかもしれません。休みやすみ自分のペースで見ることができて、生で見るのとはちがう楽しみ方ができました。
野村萬斎演出主演の『マクベス』。シェークスピアはどのように演出してもぴたっと収まる演出自由自在の面がありますが、狂言をシンに持つ萬斎の演出、5人のみの出演者と和風の衣装、和柄の装置、簡素なのに華麗な舞台でした。
萬斎の演出力をほめている感想が多いのに、私には、今までいろいろなマクベスを見た中で一番「王殺しの悪行をそんなに悔いることないじゃないのさ」と感じさせるマクベスでした。「権力者なんて、しょせんみーんな人殺し。下克上の世の中で、先代の王を殺してしまうのは年中行事みたいなもんなのに、なんであなただけがそんなに錯乱しちゃうの?しっかりしなさいよ!」と、背中をけっとばしたくなるマクベスでした。マクベスの受容として、これ、いいんだろうか。
演劇にはいろいろな楽しみ方があると思いますが、出演している役者が好きか、演じられている主役に興味があるか、演出方法に興味があるか。日ごろ高いチケット買う金のない私には、テレビ観劇、もっといろいろ見てみたいです。舞台中継の放映、増えてほしい。
<おわり>