2012/04/21
ぽかぽか春庭感激観劇日記>演じられた母たち(3)「あかつき」の原作『永遠なる序章』
原作を知らずに見た「あかつき」でしたが、結局、椎名麟三の『永遠なる序章』を読んでみました。(「日本文学全集56椎名麟三集」1970)
大森匂子の戯曲のうち、「おかねが安太の子を身ごもった」という部分は原作にはないエピソードでした。原作『永遠なる序章』ではなく、『永遠なる序章より』とあるのだし、小説とそれを翻案した戯曲は別物と考えれば、原作にないエピソードを付け加えるのも許されることなのかもしれないけれど、この差は大きい。
すなわち、椎名麟三は、デモの隊列のわきに安太をころりと死なせたのだけれど、大森匂子は、安太の子がおかねの腹に宿ったということにせずにはいられなかった、ということ。大森匂子にとっては、安太の生涯は安太の血が受け継がれることで昇華するってことなのだと思います。う~ん、このへんは、私の感覚とは異なる。私、血の継承ということにはこだわらないので。命は、私の命として完結する。私の遺伝子が未来永劫続くかどうかなんてことは、私の生涯の完結に関わらないと思うので。
椎名麟三は1973年に61歳で死んだので、まだ著作権は切れていない。著作権がまだ残る作品に対して、このようなエピソードを付け加えることの是非についてはわからないのだけれど、作品の印象が大きく変わったことは確かだと思います。
もうひとつ、外食券食堂は、原作に特に屋号は出ていなくて、この店の名を「あかつき」という屋号にしたのは戯曲のオリジナルだ、ということ。原作の最後のほうに出てくる、デモ隊の歌うインターナショナルの歌、「立て!飢えたるものよ、今ぞ日は近し。さめよ、我がはらからあかつきは来ぬ」から取られています。
春庭のテーマ曲は「食べ放題インターナショナル」であることは、ことあるごとにテーマ曲を持ち出すので、今さら気がひけるのですが、かって、この歌にあるように「あかつきは来ぬ」のフレーズを歌うたびにほんとうに暁が近づいてくるような気がした時代があった、ということを、覚えている世代としては、大森匂子が「あかつき」という名を外食券食堂の屋号にしたのは、どういう意味を持たせたかったのか、わかる気もするし、「あかつきは来ぬ」は「あかつきはきぬ」と歌っていたけれど、実際は「あかつきはこぬ」だったのか、という気もする。(古典文法おさらい。「くる」の已然形に「ぬ」がくれば完了強調で、未然形+「ぬ」なら否定形ですね)
受け取り方は、それぞれになるでしょう。「あかつきは来ると信じたのに、実際はこなかった」と思う人もいるだろう。
このささやかな「あかつき」食堂にも未来を信じる気持ちがあります。実の娘に亭主を寝取られて駆け落ちされ、一人取り残されたというおかみさんにも、あかつきはくる。亭主と実の娘にかけおちされた女の乳をもみながら、「生きている」と安太が語りかけることの意味を「あかつき」という屋号に込めたのだろうと思います。
最後のシーン。おかねが腹の子のために盛大に飯を食っているシーンに、現代人が登場して、人々はぼそぼそとカップラーメンや栄養ゼリーをすする、その「食べること」と「再生産=子を生み命をつなげること」が、なんだかとてもしょぼいことのように劇のシーンからは受け取れたのです。「食べること」が生の讃歌、生の謳歌には見えず、「日々の暮らしのしょぼい中で、生きて行くしかない」という食べ方に見えたので。
大森匂子が「安太の生と死」をそのようにしょぼいものとして描きたかったのなら、この演出は成功しているのだと言える。しかし、「安太の子がおかねに宿る」ことを命の継承として寿ぐものであるなら、あまりにしょぼいインターナショナルでありました。
あとになってK子さんの話をきくと、千秋楽にはみな元気を取り戻して、ほんとうにあかつきが来そうなインターナショナルになっていた、ということなので、お芝居というのは、ほんとうに見る日ごとに印象が変わる生き物だと思います。
また、ラストシーンで登場人物がものを食うシーンは、演出家の意向であって、大森匂子は最後までこの「もの食うシーン」に抵抗していたとか。なるほど。
若い頃書いた戯曲を、60代になって完成させ上演を果たした大森匂子さんにも感嘆するし、若い頃朗読劇の裏方手伝いをしていたK子さんが、定年退職後に演劇塾に通い、女優としてデビューしたことにも目を見張る。みな、がんばっているなあ。
たぶん、私たちの世代にとって、あかつきは今なのです。
<つづく>
ぽかぽか春庭感激観劇日記>演じられた母たち(3)「あかつき」の原作『永遠なる序章』
原作を知らずに見た「あかつき」でしたが、結局、椎名麟三の『永遠なる序章』を読んでみました。(「日本文学全集56椎名麟三集」1970)
大森匂子の戯曲のうち、「おかねが安太の子を身ごもった」という部分は原作にはないエピソードでした。原作『永遠なる序章』ではなく、『永遠なる序章より』とあるのだし、小説とそれを翻案した戯曲は別物と考えれば、原作にないエピソードを付け加えるのも許されることなのかもしれないけれど、この差は大きい。
すなわち、椎名麟三は、デモの隊列のわきに安太をころりと死なせたのだけれど、大森匂子は、安太の子がおかねの腹に宿ったということにせずにはいられなかった、ということ。大森匂子にとっては、安太の生涯は安太の血が受け継がれることで昇華するってことなのだと思います。う~ん、このへんは、私の感覚とは異なる。私、血の継承ということにはこだわらないので。命は、私の命として完結する。私の遺伝子が未来永劫続くかどうかなんてことは、私の生涯の完結に関わらないと思うので。
椎名麟三は1973年に61歳で死んだので、まだ著作権は切れていない。著作権がまだ残る作品に対して、このようなエピソードを付け加えることの是非についてはわからないのだけれど、作品の印象が大きく変わったことは確かだと思います。
もうひとつ、外食券食堂は、原作に特に屋号は出ていなくて、この店の名を「あかつき」という屋号にしたのは戯曲のオリジナルだ、ということ。原作の最後のほうに出てくる、デモ隊の歌うインターナショナルの歌、「立て!飢えたるものよ、今ぞ日は近し。さめよ、我がはらからあかつきは来ぬ」から取られています。
春庭のテーマ曲は「食べ放題インターナショナル」であることは、ことあるごとにテーマ曲を持ち出すので、今さら気がひけるのですが、かって、この歌にあるように「あかつきは来ぬ」のフレーズを歌うたびにほんとうに暁が近づいてくるような気がした時代があった、ということを、覚えている世代としては、大森匂子が「あかつき」という名を外食券食堂の屋号にしたのは、どういう意味を持たせたかったのか、わかる気もするし、「あかつきは来ぬ」は「あかつきはきぬ」と歌っていたけれど、実際は「あかつきはこぬ」だったのか、という気もする。(古典文法おさらい。「くる」の已然形に「ぬ」がくれば完了強調で、未然形+「ぬ」なら否定形ですね)
受け取り方は、それぞれになるでしょう。「あかつきは来ると信じたのに、実際はこなかった」と思う人もいるだろう。
このささやかな「あかつき」食堂にも未来を信じる気持ちがあります。実の娘に亭主を寝取られて駆け落ちされ、一人取り残されたというおかみさんにも、あかつきはくる。亭主と実の娘にかけおちされた女の乳をもみながら、「生きている」と安太が語りかけることの意味を「あかつき」という屋号に込めたのだろうと思います。
最後のシーン。おかねが腹の子のために盛大に飯を食っているシーンに、現代人が登場して、人々はぼそぼそとカップラーメンや栄養ゼリーをすする、その「食べること」と「再生産=子を生み命をつなげること」が、なんだかとてもしょぼいことのように劇のシーンからは受け取れたのです。「食べること」が生の讃歌、生の謳歌には見えず、「日々の暮らしのしょぼい中で、生きて行くしかない」という食べ方に見えたので。
大森匂子が「安太の生と死」をそのようにしょぼいものとして描きたかったのなら、この演出は成功しているのだと言える。しかし、「安太の子がおかねに宿る」ことを命の継承として寿ぐものであるなら、あまりにしょぼいインターナショナルでありました。
あとになってK子さんの話をきくと、千秋楽にはみな元気を取り戻して、ほんとうにあかつきが来そうなインターナショナルになっていた、ということなので、お芝居というのは、ほんとうに見る日ごとに印象が変わる生き物だと思います。
また、ラストシーンで登場人物がものを食うシーンは、演出家の意向であって、大森匂子は最後までこの「もの食うシーン」に抵抗していたとか。なるほど。
若い頃書いた戯曲を、60代になって完成させ上演を果たした大森匂子さんにも感嘆するし、若い頃朗読劇の裏方手伝いをしていたK子さんが、定年退職後に演劇塾に通い、女優としてデビューしたことにも目を見張る。みな、がんばっているなあ。
たぶん、私たちの世代にとって、あかつきは今なのです。
<つづく>