2012/04/19
ぽかぽか春庭感激観劇日記>演じられた母たち(2)あかつき・おかねとあんた
主人公・砂川安太(すながわあんた)は、貧しく悲惨な生い立ちの青年。戦争では足を負傷して義足の身となり、復員後は胸を患い、鉄道会社の工場勤めも思うにまかせない。ついには肺だけでなく、心臓まで病に冒され、余命幾ばくもない、というところから舞台がはじまります。
以下、物語の核心部を含む紹介です。
・砂川安太:戦後社会に何の希望も見いだせずに生きる気力を失っていたが、余命がわずかであることがわかって以後は、生の輝きを感じるようになった。
・おかね:安太の下宿のおばさん。安太より14歳年上の40代。父親の異なる子ども二人を育てている。安太の工場の「便所掃除婦」をして暮らしている。
・竹内銀次郎:安太が従軍していたときの軍医。現在は生きる気力を失っているニヒリスト。
・竹内登美子:銀次郎の妹。兄を懸命に支えるが、兄によってむごい運命に落とされる。
・山本秀夫:画家だが、よくわからない活動もしている。お金は持っている。
・外食券食堂「あかつき」のおかみ
・外食券食堂「あかつき」のおやじ
舞台は、アトリエの真ん中に2畳間くらいのスペースがあり、そこが安太の下宿でもあり、装置の入れ替えで外食券食堂「あかつき」にもなります。舞台の両側に客席が並んでいます。
貧困の中での生い立ちで身よりもない安太は、復員後の殺伐とした社会と、戦争による負傷で義足となった不自由さを抱える暮らし。病院で胸の病の診察を受けて帰り、胸ばかりか心臓も悪くなっており、もはや余命幾ばくもない、という診断を受けています。
しかし、余命少ないことがわかった安太は、これまでの無気力なニヒリズムからにわかに脱して、生の輝きを感じられたという気になる。
そんな安太を、下宿先のおかねは、なにくれと世話をやこうとします。父親の違う子らを育てて、女としては何の華もない人生を送ってきたおかねにとって、安太の世話は、生活の中の唯一の彩りとも言えます。
工場勤めの安太の昼飯は、弁当を持って行くか、外食券食堂「あかつき」ですませる。安くておいしい食事を作っているのは、「とよ」を連れ子にして食堂のおやじに連れ添っているおかみさん。
安太に会いに、若い女性が登場する。安太の戦傷を治療した若い軍医竹内銀次郎の妹、登美子。美しくて清純な登美子はひたすら兄に尽くしているが、銀次郎は敗戦後の心の闇から抜け出せずに安太以上に虚無の心を抱えて彷徨っています。
安太の知り合いは、この銀次郎のほか、画家というふれこみの山本秀夫もいる。安太は山本と議論をしたり自分では買えない本を借りたりしています。
安太は、いつの間にやら親切に面倒を見てくれる下宿のおかねと同衾する仲になっており、おかねは一回り以上年上の醜女である自分を安太の相手にはふさわしくない、だまされているのではないかと感じながらも、生きる喜びを見いだします。安太が女性として心引かれているのは登美子であり、安太が登美子の借金返済のために金策をしたりするのに嫉妬しながらも、安太を失いたくないとこの関係にしがみつこうとします。安太は、おかねとは「性欲を掃き捨てるだけ」だと思っています。
外食券食堂のおかみは、おやじが連れ子である娘とよと駆け落ちしてしまったことで、自暴自棄となります。安太は、おかみにも「女である肉体」をもって生きていることを思い出させて、生きる気力を与えようとします。
一方、登美子は自宅が火事にあい、狂乱のまま病院に入れられます。火をつけたのは兄の銀次郎で、兄は妹を陵辱した上、心中をはかったのです。
安太は、町の人々とデモに出ることを決意します。心臓の病を抱えて歩き続ければ、体への負担が大きいことを知りながら。高らかにインターナショナルを歌いながら町を練り歩いた末、安太は息をひきとります。
おかねは、安太の子を身ごもっていたことに気付き、「40すぎの恥かきっ子だって、かまうもんか」と出産を決意する。
茶碗に盛られた飯をかっこみかっこみ、沢庵を噛みしだくうち、暗転。
照明があたると、そこは現代と思われる衣裳を着て仮面をつけた人々が、めいめい勝手な食べ物を食べている。私の目の前には、カップヌードルをすする若い男(銀次郎)。その前には、栄養ゼリーをすすりながらパソコンを使う若い女性。(登美子役だった女優)仮面をつけているのは、誰でもあり誰でもなしの一般ピープルだってことを示しているのでしょう。
その中、安太役だった俳優だけ仮面をつけていない。これは安太の子孫という暗示をしているのかもしれない、演出意図がよくわからなかったけれど。
もうひとつ演出の趣向のなかで、昭和22年の場面のときは、役者全員靴を履かず素足だったのに、現代の場面では、みな靴を履いている、スニーカーだったりパンプスだったり。これは何を意図しての靴ありと靴なしだったのか、わからなかった。
<つづく>
ぽかぽか春庭感激観劇日記>演じられた母たち(2)あかつき・おかねとあんた
主人公・砂川安太(すながわあんた)は、貧しく悲惨な生い立ちの青年。戦争では足を負傷して義足の身となり、復員後は胸を患い、鉄道会社の工場勤めも思うにまかせない。ついには肺だけでなく、心臓まで病に冒され、余命幾ばくもない、というところから舞台がはじまります。
以下、物語の核心部を含む紹介です。
・砂川安太:戦後社会に何の希望も見いだせずに生きる気力を失っていたが、余命がわずかであることがわかって以後は、生の輝きを感じるようになった。
・おかね:安太の下宿のおばさん。安太より14歳年上の40代。父親の異なる子ども二人を育てている。安太の工場の「便所掃除婦」をして暮らしている。
・竹内銀次郎:安太が従軍していたときの軍医。現在は生きる気力を失っているニヒリスト。
・竹内登美子:銀次郎の妹。兄を懸命に支えるが、兄によってむごい運命に落とされる。
・山本秀夫:画家だが、よくわからない活動もしている。お金は持っている。
・外食券食堂「あかつき」のおかみ
・外食券食堂「あかつき」のおやじ
舞台は、アトリエの真ん中に2畳間くらいのスペースがあり、そこが安太の下宿でもあり、装置の入れ替えで外食券食堂「あかつき」にもなります。舞台の両側に客席が並んでいます。
貧困の中での生い立ちで身よりもない安太は、復員後の殺伐とした社会と、戦争による負傷で義足となった不自由さを抱える暮らし。病院で胸の病の診察を受けて帰り、胸ばかりか心臓も悪くなっており、もはや余命幾ばくもない、という診断を受けています。
しかし、余命少ないことがわかった安太は、これまでの無気力なニヒリズムからにわかに脱して、生の輝きを感じられたという気になる。
そんな安太を、下宿先のおかねは、なにくれと世話をやこうとします。父親の違う子らを育てて、女としては何の華もない人生を送ってきたおかねにとって、安太の世話は、生活の中の唯一の彩りとも言えます。
工場勤めの安太の昼飯は、弁当を持って行くか、外食券食堂「あかつき」ですませる。安くておいしい食事を作っているのは、「とよ」を連れ子にして食堂のおやじに連れ添っているおかみさん。
安太に会いに、若い女性が登場する。安太の戦傷を治療した若い軍医竹内銀次郎の妹、登美子。美しくて清純な登美子はひたすら兄に尽くしているが、銀次郎は敗戦後の心の闇から抜け出せずに安太以上に虚無の心を抱えて彷徨っています。
安太の知り合いは、この銀次郎のほか、画家というふれこみの山本秀夫もいる。安太は山本と議論をしたり自分では買えない本を借りたりしています。
安太は、いつの間にやら親切に面倒を見てくれる下宿のおかねと同衾する仲になっており、おかねは一回り以上年上の醜女である自分を安太の相手にはふさわしくない、だまされているのではないかと感じながらも、生きる喜びを見いだします。安太が女性として心引かれているのは登美子であり、安太が登美子の借金返済のために金策をしたりするのに嫉妬しながらも、安太を失いたくないとこの関係にしがみつこうとします。安太は、おかねとは「性欲を掃き捨てるだけ」だと思っています。
外食券食堂のおかみは、おやじが連れ子である娘とよと駆け落ちしてしまったことで、自暴自棄となります。安太は、おかみにも「女である肉体」をもって生きていることを思い出させて、生きる気力を与えようとします。
一方、登美子は自宅が火事にあい、狂乱のまま病院に入れられます。火をつけたのは兄の銀次郎で、兄は妹を陵辱した上、心中をはかったのです。
安太は、町の人々とデモに出ることを決意します。心臓の病を抱えて歩き続ければ、体への負担が大きいことを知りながら。高らかにインターナショナルを歌いながら町を練り歩いた末、安太は息をひきとります。
おかねは、安太の子を身ごもっていたことに気付き、「40すぎの恥かきっ子だって、かまうもんか」と出産を決意する。
茶碗に盛られた飯をかっこみかっこみ、沢庵を噛みしだくうち、暗転。
照明があたると、そこは現代と思われる衣裳を着て仮面をつけた人々が、めいめい勝手な食べ物を食べている。私の目の前には、カップヌードルをすする若い男(銀次郎)。その前には、栄養ゼリーをすすりながらパソコンを使う若い女性。(登美子役だった女優)仮面をつけているのは、誰でもあり誰でもなしの一般ピープルだってことを示しているのでしょう。
その中、安太役だった俳優だけ仮面をつけていない。これは安太の子孫という暗示をしているのかもしれない、演出意図がよくわからなかったけれど。
もうひとつ演出の趣向のなかで、昭和22年の場面のときは、役者全員靴を履かず素足だったのに、現代の場面では、みな靴を履いている、スニーカーだったりパンプスだったり。これは何を意図しての靴ありと靴なしだったのか、わからなかった。
<つづく>