春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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はるまき(16)

2008-11-05 06:24:00 | 日記
今日は1月31日なので
haruniwa
2月4日も近いですね。というわけで、1月31日にHALコラム掲載するつもりでボツにした九年母日記をこちらにUP。


2009/01/26
ぽかぽか春庭やちまた日記>暦はひとめぐり(1)おひとり様の老後

 2009年1月10日は、我が家にとって、「家族写真撮影記念日」になりました。夫と所帯を持って以来、初めて写真館で家族そろって記念写真を撮影したのです。夫と姑と娘と息子と私。5人で写真館にでかけ、息子成人式の記念撮影をしました。

 娘や息子の七五三の時も、娘の成人式の振り袖姿も、いつでも母子家庭で記念撮影してきました。どんな時も夫は「そういう仲良し家族ごっこにつきあう気はない」という「自己主張」を押し通してきたのです。家庭を顧みない父親だからこそ、せめて子どもたちのために、写真だけでもいっしょのものを残したいという妻の願いは、完全無視です。
 今回は、「おばあちゃんといっしょに写真をとる」ということを第一の大義名分にしました。妻には冷たい夫も、実母には頭があがらないので、「おばあちゃんが孫といっしょの写真を撮りたがっている」ということにしたのです。

 1月25日の夫の言では、「」

 夫は、「夫婦仲良く」に値することは何一つしてくれたことがない。
 結婚指輪も新婚旅行もなしだったのは承知の上だったけれど、結婚以後、誕生日に「おめでとう」もなし、夫婦いっしょの旅行もなし。太宰治のことばに「家庭の幸福は諸悪の根元」という警句がありますが、夫はそれをまともに実践したつもりだったのです。家庭の幸福なんぞを追求しているのは、男の一生として諸悪のもとであると。

 家事育児の手伝いはまったくなし。家族をいたわる言葉がけなんて皆無。自営の会社は赤字続きで、毎月家族のための生活費は、「ほんの気持ちだけですが、、、、」という程度。雀の涙というか、ハチドリの涙。
 まあ、こちらも「いえいえ、お気持ちだけで十分です」なんてことも言わず、ハチドリの涙を受け取るのだけれど。

 会社の微々たる収入は、会社事務所の維持にあてて終わり。あと、夫の趣味のタイ語講座授業料とか。
 ヒョータン社長、リタイア後は、「ひとりで」タイの奥地に入り、現地の子のために学校を建てて暮らしたい、と「おひとり様の老後」計画を立てています。

 「子どもの給食費がない」と、私が泣いていた時代でさえ、私の泣き言はいっさい無視して、「フォスターペアレント」という会を通じてタイのこどもに「奨学金」を送っていた人なのです。
 タイの子の奨学金より、うちの子の学費でしょ、と、私が訴えてもムダだった。娘は学費いっさいを育英奨学金と大学奨学金の両方を得てまかない、2006年に卒業しました。2007年入学の息子の学費は、私が2007年に出稼ぎで稼いだ手当で、かろうじて授業料を支払いました。

 息子は育英奨学金を借りるのはいやだと言い張る。娘の育英奨学金、これから20年以上返済していかなければならない大変さを知っているからです。「親が子に奨学金を出すことにするなら、返済は有るとき払いの催促無しだから」ということで、私が貸し付けることになりました。今年と来年の分の授業料を稼ぐために、今年はまた出稼ぎに行かねばならない。いつになったら返してもらえるものやらわからないですけれど。

<つづく>


2009/01/27
ぽかぽか春庭やちまた日記>暦はひとめぐり(2)DV妻

 世間では 夫のことを見て「変わった考え方の人ね」という論評ですむのでしょうが、私にとっては死活問題。子どもの食い扶持を稼ぐために、私は必死に働いてきました。おしゃれもショッピングも無縁ですごし、ただ年をとってしまいました。

 そんなこんな愚痴話をつづけながらも、去年息子が20歳の誕生日を迎え、この1月に成人式を迎えたことで、ひとまず、「未成年の子への親の責任」肩の荷をおろすことにします。肩の荷おろしても、あと2年間は学費分食費分を稼ぐのは私ひとりですが。

 苦労続きの結婚生活のなか、それでもなお、私が夫に感謝しているのは、私に「子供を育てる人生」を与えてくれたから。
 私と結婚して、私が子供を産むことを承知するなんて、夫以外の男ではたぶん、ありえなかった。私は、完璧に「男が結婚したいと思うような女」ではなかったから。1970年代にとっての「女らしい女性」というイメージに反抗して生きたのが、私の青春でした。生意気で知ったかぶりで、自己主張が強く、精神的な自立を望む女。男女は平等であるべきだと思い、家庭は両性が協力して築くものだと主張していた。「かわいい女」のふりができた女子高校同級生は、みなよき伴侶を得て幸福な家庭を築いたのですが、私は「男に媚びていると思われるのはいやだ」と言って、にこりともしないヤナ女でした。

 今では、学生にも愛嬌を振りまいて、「先生はいつもニコニコしていて、授業するのが楽しそうですね」と、言われている。なんの、なんの、営業スマイルに決まってるでしょうが。これでメシ食ってんだから。

 私を知っている人は、みな、私が一生本とにらめっこしてすごすと思っていました。私が理想的な結婚生活と思ったのは、高群逸枝と橋本憲三夫妻でした。妻は研究を続け、夫は妻の研究の意義をみとめ、自分は編集者として生活をささえ、妻の研究生活を応援する。
 理想と現実はまったくかけ離れていました。我が家、夫は赤字続きの校正会社を自営し、「おひとり様」で生きている。妻は研究生活もままならず、孤軍奮闘でふたりの子を育て、生活費をかせいだ。

 子どもに胸の乳を飲ませながらも、片目で本を読み続けた私ではあるけれど、子育ては楽しかった。
 我が家、娘も息子も不登校生徒でしたから、不登校の期間はものすごくたいへんだった。しかし、子どもが成長した今は、苦しくつらかったことは忘れて、すべてがよい思い出になっています。

 中学校不登校の娘を受け入れてくれる高校を探して、東京中、そして神奈川まで高校見学に娘と出かけたことなど、昨日のように思い出されます。娘は都立の単位制高校を経て都内の私立大学を卒業し、息子は16歳で「高校卒業資格認定試験」に合格して、今は自宅から自転車で15分の大学に通学しています。

 ショーモない娘とロクデモない息子に育ち上がったとしても、娘と息子は私にとって宝物であり、子育てをした時間は、最大の「人生のよき部分」である。こういうと娘息子はとてもイヤがるけれど。「子供は宝物」と言われると、「親にとって、よい人間であれ」と、束縛される気がするのだと。そんなことは望んでいない。子供は子供の人生を歩めばよいのであって、親の鼻を高くさせるためとか、親の勲章になるために人生があるわけではない。だから、好きに生きたらよい。

<つづく>


2009/01/28
ぽかぽか春庭やちまた日記>暦はひとめぐり(3)感謝状

 毎年、父親の誕生日と6月第三日曜日に、娘と息子は父へのプレゼントを渡してきました。三倍返しをめあてにしてるんだよ、と娘息子は言うけれど、私は釈然としない。我が家に父親なんていたんだっけと、毒づいてみる。

 家庭生活を完全に放棄し、家計費もほとんど負担しないで「趣味の人生」に生きている父親。そんな父親を、それでもなお「子供たちが慕うように」育ててきた自分をほめてやりたいが、悔しくもある。どうしてああいう父でも「父の日」のプレゼントをもらえるのよ!

 子供たちが小さい頃、娘が書いたメッセージや息子が保育園で描いた「父ちゃんの顔」を渡そうとしたら、夫は、「こういうものをもらって喜んでいられる状態じゃない」と、贈り物を放り出したことがありました。
 夫も、倒産のまぎわで気が立っていたのだろうと、今では理解もするが、その日は、ただただ腹がたって、私は泣きながら夫に殴りかかった。夫をなぐろうとしたのは、唯一この時だけ。私が夫から身体への暴力を受けたことは一度もない。

 しかるに、私は、自分が法的には「DV妻」と呼ばれてしかるべき存在だったことを、今まごろになってようやく知った。夫から、直接の暴力暴言を受けたことがなかったので、自分が「DV妻」に相当するとは知らなかったのです。
 家庭を無視する「ネグレクト」や、家計費も家事も分担しない「非協力」を、妻が「悲しい、つらい」と感じた時点で、この夫の仕打ちは「DV=ドメスティック・バイオレンス家庭内暴力」と、法律的には呼びうるのだって。私は法的に立派な「DV妻」でした。知らなかった!

 今まで26年間、貧乏生活に愚痴を言ってきた。でも、働くことは好きだったから、貧乏暮らしもまた楽し、と、やり過ごしてきました。
 2008年5月、愚痴ですませられない怪我さわぎがあり、骨折した足をひきずって通勤していたとき、ほんとに休めない体がうらめしかった。

 私がこうまでして働かなければならないのは、私が働かなければ、一家で飢えるからだ。
 痛む足をかばいながら、階段を上っている間、夫が子供たちからのプレゼントを放り出したとき以来の腹立ちを感じました。
 腹が立った時点で、また「つらい」と感じた時点で、私は「DV妻」なのだった。
 う~、DV妻の26年間、、、、、、姑から「よい嫁」と言ってもらえてるくらいじゃ、追いつかない気がしますけど。

 親は子供が自立して生きていくすべを手に入れるまでは面倒をみる。それが親の生き甲斐でもある。でも、ひとりで生きていけるまでに成長できたら、子は子で自分の人生をみつけるがよい。親を当てにすることもないし、くびきにすることもない。
 ただ、ただ、私にとっては、子が成長する過程をともに過ごせたことは人生最大の喜びであったし、「私の人生の一番たいせつな部分」と思っています。

 その「大切な部分」を与えてくれたのだから、夫には、感謝している。うらみつらみはあろうとも、そのすべてを上回って感謝しています。
 夫へは、感謝状でも贈ろう。
 「DV人生をありがとう。DV妻より」とでも。

<つづく>


2009/01/29 
ぽかぽか春庭やちまた日記>暦はひとめぐり(4)虎穴に入らずんば

 夫は、元地方新聞記者でしたが、私とケニアで出会ったのは、新聞社をやめ、フリーランスジャーナリストの可能性をさぐりながらナイロビに滞在していたころでした。

 「ひとりでアフリカ・アジアを歩き回り、取材したい」という夢を持つ男でした。
 たぶん、2007年ミャンマー反政府デモ取材中に軍に射殺され亡くなった長井健司さん(享年50歳)の生き方ができたのなら、夫としては本望だったことでしょう。
 でも、その夫の夢は、「デキ婚」の結果、「子どもが育ち上がるまでは、ひとりで外地へ入って死ぬわけにはいかない」という決意で断念したというのです。

 結婚してからも夫はフィリピンやタイの難民キャンプ地などへでかけていましたが、タイ奥地ゴールデントライアングルと呼ばれる地帯やミャンマー山岳ゲリラ地帯へ入っていくチャンスがめぐってきたとき、娘の顔を思い浮かべたとき、子供が成人するまで死ぬわけにはいかない、と思いゲリラ地帯潜入を断念した。フォトジャーナリストになる夢を諦め、日本にもどって校正会社をほそぼそと続ける人生を選択した、と夫の弁。

 夫がめざしていた新聞記者は岡村昭彦でした。
 岡村は、『南ヴェトナム戦争従軍記』を発表した東京新聞の記者でしたが、晩年はホスピス活動に力をそそぎました。岡村になる夢をあきらめたのは夫自身です。でも、「家族ができたために夢をあきらめた」と、夫が言うので、私はずっと「申し訳なかった」と思い続けてきました。もし、夫が夢をあきらめずに外地に入って死んだら、私たちは母子家庭となった、のかもしれません。

 でも、実質的に26年間、夫は、「家族をほったらかし」の生活を続けたのですから、外地にいようと、国内にいようと、結局は同じだったと、今は思いますけどね。
 どっちにしろ、娘と息子は、父といっしょにすごす時間を持たずに、「疑似母子家庭」で育った。いや「疑似」の分だけ悪かった。なんであれ、偽物は本物に劣る。

 現在の夫の夢は「仕事をリタイアしたら、ひとりでタイの奥地で暮らしたい」だそうで、タイ語の講座に通っています。自分の母親の介護はヨメがなんとかするだろうと、信じているみたい。
 「今通っているタイ語教室では、ぼくがいちばんいい生徒なんだ。無遅刻無欠席で成績もいい」と、娘にも息子にも私にも同じ自慢をしていた、「家族ほったらかし」男、今月末日が誕生日。

 娘の誕生日も息子の誕生日も、もちろん私の誕生日も「365日のなかの一日にすぎない」から、お祝いなど言っているヒマはない、という男、自分の誕生日を娘や息子が祝ってくれないと、不機嫌になるのです。
 「チチって、自分は個性的だなんて思っているらしいけれど、単なるジコチューなんじゃないの」と、娘はすでに中学生ころに「父の本質」を見抜いたそうです。

 さて、「単なるジコチュー父」は、子供たちからのプレゼントを待っているのかな。
 私は、『タイの田舎で暮らす』という本を見つけたとき、夫に「将来タイで暮らしたいと思っているなら、参考になるかも」と、渡したら、「ぼくは、こういうのは読まない。人のやったことをマネしても面白くないから」と、文句言ってました。ほんと、かわいくありません。まったく!タイの奥地で、トラに食われてしまいなさいよ。
 あ、タイにトラはいるんだっけな。


2009-01-31 07:38:13 ページのトップへ
ぐちぐち
haruniwa
フェルメールシリーズの最期に「次回シリーズは、いつもの「働けど、楽にならざりぢっと手をみる」という愚痴です。」と書いたのは、このDV妻シリーズをUPするつもりでした。

UPをやめて「マリア・モリネールことばを編む」シリーズにさしかえたのは、こういった愚痴を書いたとき、必ず誤解する読み手がいるから。
読む人がどう誤読しようと、読み手の勝手なので、仕方のないことなのですが、同情されるのも「DV妻といっても、あなたはまだマシなほうです」などのいらぬなぐさめコメントを書かれるのも面倒だなあ、と感じてしまったから。

まっき~が「自分はAVきちがい」と書くとき、それを自慢話としてうけとる人もいれば、「AVなど、女性を蔑視した映像を見るのは社会正義に反している」といういらぬ正義派ふぇみにずむ批判をするという人もいるわけで。それでも面倒がらずにコラムをかくまっき~はソンケーです。

私は最近メンドーに思うことが多いので、自虐ネタは極力おさえているのですが。

「つぎあて」ということですら「ビンボーに負けないで」とか言われると、なえます。

まっき~の「きちがい」と同じく私の「ビンボー」は、自慢なんですから。
2009-01-31 07:49:09 ページのトップへ
MOTTAINAI
mackychan
あらー、味のあるコラムなのにボツなんて、もったいないMOTTAINAI。
真剣に書けば書くほど歪みが生じて、どうしても笑えてしまう柳美里の『交換日記』も傑作だと思ったけれど、狙いを外していない春さんコラムも真似出来ないスタイル。
とーちゃんは自分の文章をぜんぶ、プリントアウトしてから読むそうです。そうしないと、お前の意図や狙いを見失いそうだからと。有難いことだけれども、それってやっぱり、あるのですかね。よくいわれることだけれども、モニター上の文章をモニターで読むという行為は、読んでいるつもりでも、真の意味で読んでいるつもりであって、ちゃんとは読み込んでいないと。では、勘違いが多いであろう春さんが放つ愚痴やビンボーネタや、自分のエログロユーモア(自分ではユーモアだと思ってる)をプリントアウトして読むと、意図は分かってもらえるのだろうか。

でも、読めてよかった。自分なんか、これでどう愚痴ネタに移行していくのだろうか・・・と、いわれるまで変更を気づかなかったです、はい。

面倒がらず・・・どうなんでしょうか、最近は完全に吹っ切れたというか。エロ本に文章を載せてもらうようになって、短いコーナーでも、読者からの一定の支持があってね。ほら、これはほんとうに残念なことだけれども、自分の作品や文章ってべつに、いまのところ、なにかの賞を取ったとか売れたとか、そうした明確な評価はされていない段階ですから、コアなひとにそのことを褒めてもらったときの快感というか、葉書アンケートってあるでしょう、あそこでどの記事・コラムが面白かったかの問いに自分のがあると、もう、このために自分は書いてきたのだと。そのテンションのままでカフェコラムを書いていたりするので、内容も文体もそのままだったりして。
もちろん、ミニメールや足跡で、ときどき、不快ですねと率直な意見をくださるひとも居ます。有難う、自分もそう思いますと返したこともあったけれどね笑
ほんとうは、有害図書とされたマンガたちを救うために、識者5人を相手にたったひとりで闘い、しかも論破してしまった呉智英さん(春さん、このひとはどう思います? 少なくともマンガに関しては、いちばん信用の出来るひとかなと)のように、突っかかってきたひとに、いちいちやり返したい気持ちもあるけれどね。
2009-01-31 11:02:58 ページのトップへ
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ポニョとクロラのあいだ
mackychan
スカパー! で『日本オタク大賞08』(新宿ロフトで開催)を観ながらモノを書いてます。いま、ちょっと休憩・・・というか、内容が面白過ぎるので、これは原稿書いていられないぞと。だから強引に休憩中。

パフュームが売れた理由を、ショートカット/前髪パッツン/ふわっとしたヘアスタイルでまとめたところ、しかも黒髪だったから「こそ」という風に論じ、音楽について一切語らなかったところが面白かった。茶髪になったらオタクは暴動を起こすぞと。

毎年開催されている賞なんですが、パフュームのような意外な活躍を見せてくれたひと・モノは語るのに、あらかじめヒットや話題になるものには冷たいところが、オタクなひとたちらしい。去年は書評も手がける唐沢俊一さんが、3年前までは痩せる直前のオタキング岡田さんが居たので、ふたりの不在が寂しくはあるけれども。

ゲームに関しては無知だったので、さっぱり、だったんだけれども、
『ポニョ』については、のぞみちゃん紅白出れて良かったねぇと一言で終わりにして、『スカイクロラ』について延々と語っているところとか、とても良かった。日本に救いがあるとすれば、この映画がヒットしなかったところにあると。押井監督って、そういうものであると。学校で女子が「ポニョ可愛いよね」といっているのを聞いて、ひとりの男子が失笑している・・・という図が、正しい現象であると。すごくよく分かるなぁ。

さて。
ネットで知り合ったアメリカ在住の映画狂から、最新のスコセッシ情報を入手。
やっとこさ、遠藤せんせーの『沈黙』映画化が正式にスタート。キャスト陣を選んでいる最中だから脚本さえ完成したのかどうか判然としないのだけれど、ほぼ当確のひとりとして、「チェ」デル・トロの名が。おぉ、誰を演じるのだろう。

春さん、後編が公開していますが、『チェ』はご覧になられましたか。


馬鹿なパロディ、でもほんとうにスコセッシの映画を知りぬいたひとだなぁということが、細部のつなげ方で分かる。

http://jp.youtube.com/watch?v=YiKBoLXg5Cw

2009-02-03 04:46:48 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ポニョとクロラのあいだ
haruniwa
「チェ」は、29と39の両篇つづけて見たいので、両方を2本立てで公開している劇場へ行くつもり。3月までに見られるかどうかわからないけれど。

ポニョは地上波テレビ放映のとき、見る予定。

「スカイクロラ」は、今のところ見る予定無し。
crowler=爬虫類
ということを教えて貰っただけでも押井監督ありがとう。
いい監督と思います。オタクたちに言わせると「神だね」

大学生たち、ちょっと得意なことをもっている人に対していとも気軽に「神だね」というので、「神」インフレになっていますけどね。

パフュームが売れた理由黒髪説。
昨年末のレコード大賞有線大賞ほかの歌レースでさんざんポリリズムを聞きました。テクノポップ復活ということにはならないだろうけれど、パフュームがらみでYMOがスーパーの店内BGMになっていたりするので、売れてよかったと思います。

『沈黙』のデルトロ、棄教するフェレイラかロドリゴのどちらかなのでしょうね。チェのイメージでいけば、信仰を守り抜いて水車に縛り付けられて拷問死する宣教師なんか観客のM心をふるわせてよろしいかなあと思うのですが、。

どっちにしろ「沈黙」楽しみです。

「ラストサムライ」ではかなり上出来だった時代考証が、今回はどこまでちゃんとできているのか、楽しみです。
2009-02-03 15:29:03 ページのトップへ
パソコントラブル
haruniwa
窓サービスパック2というのがインストールされたパソコンを大学院から貸与されたのをつかっているんだけれど、自動更新にしていて、知らぬ間にサービスパック3というのになっていたらしい。

そしたら、いろいろ不具合が出てきて、立ち上げると「個人設定をしています」というところでフリーズしたまま起動できなくなった。

今日、大学院パソコンヘルプセンターに電話して、サービスパック3を削除して、なんとか大丈夫になった。

わからないまま使っているので、いろんな不具合が起きる。
大学専用メールが、去年の11月から届いていなかった。送信ボタンを押し「送信済み」となっていたので、それらがペンディング状態のまま送信されていないことに気づかなかった。

失敗ばかり。

2009-02-03 15:39:08 ページのトップへ
明日
haruniwa
一日早いけれど、誕生日おめでとうございます。
祝35歳

吉田兼好は「ものくれる友がよき友」と言ったし、まっき~さんにはDVDやうどんやその他いろいろいただいているのに、何も物を送らないHALでごめんね。

「HALは忠実な読者であり、文章を深く味わう友でありつづける」ってところが、プレゼントと思ってね。

スピルバーク論もおもしろいし、座頭市やネバーエンディングストーリー論もおもしろかった。
2009-02-03 15:49:45 ページのトップへ
ネバーエンディングシネマ
haruniwa
原作者エンデはラストシーンに激怒し、クレジットに原作者として名前をのせることを拒否したというのは、映画の宣伝としては上出来ですよね。

まっき~さんは、脚本のほうを支持。映画のほうを先に見たら、そうであっていいと思います。
いじめられっこの逆襲は映画のテーマとして不滅です。

土曜日1月31日の夜、ビデオに録画したまま見る時間がなかった『続3丁目の夕日』、日曜日2月1日地上波放映の『パイレーツオブカリビアン デッドマンチェスト』を娘息子といっしょに見ました。

三丁目~は、家族一緒にわいわいと楽しむのにちょうどよく、内容の薄さはぜんぜん気にもせず他愛ないストーリー。第一作がアカデミー賞総なめにしたのはいったい何だったのか、と思うけれど、続のほうも、それほどひどいわけでもなく、前作が売れすぎたゆえの毀誉褒貶もあろうかと思います。映画館で1800円だしたのなら「これで委員会」とおもうけれど、テレビ放映だしね、腹もたたない。

「前作から4ヶ月後の設定だけど、須賀健太くん、声変わりしてるし」なんて言いながら、わいわい見ていました。

パイレーツのほうは、シルバー券千円くらいは払ってもいいと思うよ。あの烏賊足ひげのおっさんの気持ち悪さとかたこ足に襲われるときのべとべとにぬめる気持ち悪さとか、一家でわーきゃー言いながら楽しみました。

海賊たちが最後の審判や地獄落ちをおそれているようすを見て、「悪人なおもて往生す」の仏教でよかったね、「なみあむだぶつ」ひとこと言えば地獄にいかないで済むのだから、海賊やりたい人たちは、仏教徒になるべきだ、という我が家の結論。

ソマリアの海賊達はモスレムだろうけれど、そのへん、イスラム教はどうなっているのやら。
2009-02-03 16:40:42 ページのトップへ
ひとにやさしく
mackychan
「なんで、そんなに僕に、よくしてくれるんですか」―と、聞いてきた後輩が居て、べつの答えかたがあったのだろうけれど、酔っていたというのもあるし、実際にそんな風に思っているところがあったので、
「いや、まぁ、いろいろと、いままで周囲に迷惑かけてくたから。罪滅ぼし」と答えた自分・・・後輩、ちょっと感動していました。
いや、感動されても~。
実生活ではひとにやさしく、文章ではサイテーで。最近は、これがテーマです。

有難う、春さんからコラムや批評を褒めてもらえることが、なによりの贈り物です。明日用のコラム、さっき編集が終わったんだけれども、そーとーサイテーなエピソードになっております。少し色をつけたほうがいいんじゃないかと思ったりもしたけれど、こういうことを堂々と告白出来なきゃなぁと思って、敢えて純度100の実話を。笑ってもらえると有難いので、よかったら感想聞かせてね。

さっき、とーちゃんからメールで、腰痛のため鍼治療などをしていて、お前に贈る辞書は買ってあるんだけれど、動けないから数日遅れるだろうと。いやいや、有難い。そしてちょっと、心配。

明日は完全オフ。
ハニーがなにやらを作ってくれるらしい。じつは、はるまきもちゃんと読んでおります。

下旬からは、ちょっと忙しい。
アカデミー賞あるし、格闘技が始まるし、3月1日の飯島愛お別れの会にはちゃんと行くし。
いつの間にか小向美奈子が逮捕されているし。好きな子じゃなくて、よかった。単純な男なので、好きだったらすぐにダメージ受けるし。しかし彼女の堕ちかたはちゃんと段階を踏んでいて興味をそそられるなぁ。失踪騒ぎがあって、週刊誌にグラドルたちの売春斡旋強要などをぶちまけ、逮捕されたときは住所不定ときた。
どうかあたしのことを書いてくれとネタを提供しているとしか思えない・・・けれども、好きではないので思い入れもなく、書こうかどうしようか迷っているところです。

2009-02-03 19:42:54 ページのトップへ
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午前4時のティーパーティ
haruniwa
祝!シナリオ脱稿。
2009-02-11 04:43:57 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:午前4時のティーパーティ
haruniwa
祝!シナリオ脱稿。ついに完成しましたか。おめでとう。

怪我したこと、鍵を忘れて閉め出されたこと、ハニーにふられたこと、トリプルアンハッピyも、このシナリオ完成のため試練かと。

いや、不必要な試練だったのかもしれないけれど、モノカキは試練を「買ってでも経験しておけ」です。必ず自分の肥やしになる日がきますから。

脱稿したということは師匠のOKは出たということかな。
これから応募するのでしょうか。

自分で納得のいく作品をれからも書き続けていくことが、トリプルアンハッピーを乗り越えていく道ですね。つうか、私生活の幸福を求めるなら、ものかきにならんほうがいいよ。幸福になって悪いことはないけれど、私生活でしあわせいっぱいになりたいなら、役所にでも就職して、安定した暮らしを営むほうがよい。声優の彼女は、そうところわかってくれる人なんじゃないかと期待したのだけれど、まあ、人の出会いと別れはふたりだけのものだからね。出会ったことをよしとしましょう。

私が憂国論で言いたかったことは、いびつでねじ曲がっていてゆがんでいない人生、まっすぐな幸福を求めない覚悟をもって生きるものに、「言葉の神」はおりてくるものである。
しかし、覚悟をもっても神には会えないものもいるけどな。
ことばの神にたとえ会えない人生であってもよしとする覚悟から言葉は生まれる。

ともあれ、ひとつの作品が生みだされたということは慶賀である。おめでとう。


2009-02-11 04:56:24 ページのトップへ
Re:午前4時のティーパーティ
haruniwa
2月10日午前4時に、夜行性の娘息子と、老人性早起きのために目ざめてしまった私が、「それじゃ、お茶でも飲むか」ということになって、午前4時のティーパーティとなった。

2月7日が84歳の誕生日である姑のために、娘がアップルパイを8日の朝に焼き、姑のもとへ届けた。姑は昔の人なので、持っていったおみやげを「お持たせ」としてその場で食べようとしない。たぶん、翌日に老人会にでも出たとき「孫が焼いてくれたアップルパイなんですよ」と披露しながら、仲間に分けるのだろう。

そのため、娘は自分たち用の分もちゃんと作り置きしてあった。
そのパイを3人で切り分けて、娘は「自分で作ったが、我ながらウマイ」と自画自賛しながら食べている。
娘の作るチーズケーキとアップルパイはどの店のケーキよりおいしい。

娘が一番ケーキ作りにはまっていたのは、高校生のときだった。
ケーキ作りに熱心になったのは不登校生の中学後半に、家にひきこもって、ひたすらケーキをつくっていたころから。ケーキを作ることが自己表現であり、存在証明だったのだ。

高校3年生で進路を決めるとき、娘は製菓専門学校へ進学したいと希望した。
私は専門学校を卒業しても、ケーキ職人として独立するには特別な才能が必要であり、さもなくば一生独立することなくケーキ屋か製菓会社の雇われ職人でおわると思うけれど、二流のケーキ職人で終わる覚悟があるのなら、製菓専門学校へいくのもよし、もし、独立してケーキレシピを自分で開発するような一流パティシエをめざしたいなら、我が家ではむりだ、と娘に引導を渡した。我が家にはケーキ店をだしてやれるような資金もないし、難しいと思うと、言った。専門学校進学では奨学金のあてがなくて、高い授業料を私には払えない、という目先の不安があったからだ。大学進学なら育英奨学金も大学奨学金もある。

娘は結局、製菓学校をあきらめて、自宅から地下鉄20分で通える大学に入った。育英会と大学奨学金の両方を得て卒業した。最初の入学金は親が出したけれど、その後の授業料その他いっさいを奨学金でまかなった。
社会科教員資格、司書教諭、司書、社会指導主事の4つの資格をとったけれど、「母が、大学へいけ、資格をとれというから、命令通りとった。もう、文句ないでしょ」と、言い就職はしなかった。未だにパラサイトしているけれど、これまで親の言うことをきいてきた娘に、もう何も言えない。

ときどき、娘を製菓学校に進学させるお金がない親だったことを悔やむこともある。金のない親の子に生まれたばかりに、好きな道へいかせてやれなかった。

でも、親の資金がないことをもって娘がパティシエになることをあきらめたのなら、娘にはパティシエになる才能がなかったのだ、とも思う。
本気で好きな道なら、どんなことをしてでも、しがみついても這ってでも、パティシエをめざしたであろうと。

好きな道を歩くということはそういうことだ。
二流で終わるかも知れない人生を覚悟し、私生活では幸福が遠のくことを覚悟し、食うや食わずで、それでもやりたいことをやっていく。
その覚悟がある人を私は応援している。

がんばれ、映画小僧。

2009-02-11 07:04:35 ページのトップへ
ありがとう、一般的でいう幸福は要らんけど、でも、ただ、モノスゴもてたい
mackychan
20代はコラム同様、シナリオ量産型でした。だから完成してもホッと一息という程度で、もちろん嬉しいのだけれど、今回のような達成感はなかった。年に二本仕上げていたからね。いまほど働いていなかったし、ネット環境もないからコラムも創っていなかったというのも関係してはいるけれど。
しかし年に二本・・・いまはちょっと、自信がない。コラムだったら年500はいけるけど、シナリオの重要度というものの理解が深まると、ちょっとやそっとでは「はい、完成~」といえなくなってきた。なるほど、それで黒澤は旅館にこもったわけか。いいものが書けても、いやこれが最上とはいえない、という突っ込みを期待して、隣の部屋に橋本忍さんを泊まらせたわけか。すごいなぁ、自分の才能やひらめきを信用しないという感覚。

というわけで、ごめんなさい。
彼女と別れ話を展開させた1時間後に、戦極ライト級チャンピオン・北岡悟の地元である奈良に飛んで取材、鹿と戯れて傷心を慰めてもらい、帰りの電車で、やっと最後の場面のアイデアが浮かんで一気に書いた・・・という流れだったので、せっかく先行掲載してくれたのに、この前は斜め読みでした。さっき、ちゃんと読んだ。だったらこういう事情だからとりあえず読みましたとだけ記せばいいものを、なにをイマサラ春さんに気を使ってんだと。

もちろん一流になりたい。でもその前に、もっと単純なことを思っていて。だって、やりたいことがこれしかないのだもの。選択肢がないから、しがみつくもなにも、とりあえずこの道を歩いているのだと思います。

金があるにこしたことはないけれど、孫さんにも堀江くんにも村上さんにも憧れないしなぁ。とりあえず喰えればいいです、いまのところは。だからそういう意味においての幸福は要らんけれど、ただ、もてたいよね。凄くもてたい。
モーツァルトの才能を羨むサリエリより、ひそかに想いをよせる女性まで手をつけられたことに嫉妬するサリエリにこそ、感情移入してしまいます。

自分の師匠は、女にもてるひと。雑誌のインタビューで「人生の三冊」を挙げる企画、その時代が青春だったひとだから、全共闘関係の本を挙げたんだけれど、インタビューの最後は「当時付き合っていた女たちに、それぞれあげてしまった」と。痺れるなぁ、「たち」っていうところに嫉妬するなぁと。
キャピキャピもいいけれど、最近のヒロスエの艶っぽさにドギマギしてしまう自分が居て、あぁそうだよなぁ、なにごとも経験だよなぁと。それなりに経験しているほうなのでしょうが、まだ全然駄目。
なにが駄目かって、ほとんどジンクスのようになっている、三ヶ月以内に別れてしまうという事実。
今回は喧嘩別れではなく、話し合いではあったけれども。

ほんとうにイタイなぁと思ったのは、最近では鍵の紛失くらい。
怪我は、格闘技をやる以上、覚悟しなければなりません。ある格闘家が拳を痛めてギブスをしているときに取材してみたら、「骨なら戻るから、いくらでも構いません。靭帯とかは、嫌だけれど」といっていました。なるほど、それが分かるようになってきました。


シナリオは、師匠のOKが出たので完成としています。
「俺は、こういうの書かんけれどな。ただこれは、お前のだから。とりあえず技巧面に関しては、もういうことなし。だからもうNGは出さない。残りはテーマだが、これは俺がアアダコウダいうものではないし」
と、褒められたんだが貶されたんだか分からないことをいわれましたが、感じとしては、イギリスの反骨映画『長距離ランナーの孤独』のようになりました。

下半期開催のコンクールに、満を持しての出品となります。ネットへのアップロードは応募〆切後になるけれど、春さんにはのちほど、秘密の場所にアップさせて読んでもらおうっと。
2009-02-11 10:03:35 ページのトップへ
黒澤詣で
haruniwa
「モノスゴもてたい」は、シナリオが売れてお金が入ってくれば、もれなくついてくるから、まずは、シナリオ完成したことで一歩「モテ」に近づいたといえる。
ほりえもんが喝破したごとく、男は金さえ有れば、もてる。
まずはシナリオ入賞からもてまくりましょう。ただし、金ができたあとついてくる女は、金がなくなると離れていくから。

ヒミツのシナリオページオープン、楽しみにしています。
傑作の予感にワクワク。別れ話後の奈良取材帰りの電車のなかで思いついたというラストシーン、おもしろそう。

仏教では108の煩悩というが、人間の欲望は、基本的に3つです。

1)自己身体の保持。食欲や睡眠はここに入る。
2)自己遺伝子の保持。性欲はここに入る
3)恒常性維持。身体と精神のホメオスタシスの維持のためは、安定と平安を欲する。平安をもとめるという意味でタナトス欲というのもここに入るのであろう。

まっき~は(2)にもっとも強い欲望をもち、私はなんといっても(1)の食欲です。ふたりとも(3)の恒常性と平安の維持にはあまり感応しないみたいね。

褒められれば舞い上がり、けなされればケションとなるし。

婆力、石原発言は枕にすぎず、「母語の伝達」というテーマを展開したつもりだったのに、「つまらん話を6回もつづけた」と言われると、はい、つまらん話で悪うござんした、としょげまする。
つまらなかったら、読まなくてよろしいのに、読んで「つまらぬ」と言われるとめげますね。
類人猿やネアンデルタール人が持つことの出来なかった音声発話と象徴作用を人間だけが持つことができたことの奇跡を嘉したかったのであるが、それがつたわらなかったということは私の書きようが悪かったのだろう。

「黒澤詣で」で、パワーをもらいましたか。私の神は高群逸枝ですが、墓がどこに有るのかも知らず。
生きている人では澤地久枝と石牟礼道子。私の女神たちのことばを追いかけていきたいけれど、やっぱり私のことばは「6回も書き続けて、つまらぬ」ものであるかと、いささか気落ち。ま、いいけどね。全員がおもしろがらなくても。

ヒロスエ『やすことけんじ』の元ヤンキーの花屋さんもはっちゃけててよかったけれど、今期のドラマ『トライアングル』もなかなかいいです。『おくりびと』が好評でハリウッド進出話もでているそうですね。大女優になっていけるといいです。

まっき~が「大作家」になる日まで、応援します。






2009-02-11 15:14:47 ページのトップへ
アナタノコトガ、スキダカラー!!
mackychan
基本的には、はるまきで遊んだ日は、あっちもこっちもとやるとウルサイ感じがするだろうとコメント欄への登場は控えている自分が居るんですけど、きょうはちょっと、自分も参加させてもらおうかなって。
「その」コメントに反応したからなんですけれどね、応援のつもりで書きました。以前、女優の裸について延々と書いていたら「もういいよ」って“書いてもらって”、あ、可哀相なことしたかな、このひとはきっと、もう精子を出せない年齢になっちゃっているんだな、誰が読んでいるか分からんものな、これからはひとを傷つけないように、とは思わず、こっちも覚悟して書いているんだから、不快なひとはもっと不快になるように遠慮せんで書いていこうと思えるようになりました。
へそ曲がりですね。
というわけで、自己愛の塊のような奴が、同志に対して愛を叫んでみました。

ほんとうだ、(3)に対しては興味さえ示せない笑

きょうは、22時からの工場アルバイトだけです。これからサッカー観ながら、コラムの下書きをいくつか仕上げられたらなと。
工場バイトも、人生いろいろ。世の縮図を見ているかのようです。寿司屋をやっているひとまで、ときどき働いてます。お店だけじゃ、やっていけないんだよね。そういう技巧派の職人さんが、ベルトコンベアで流れてくる「不味くはないけど、これといって美味ともいえない巻き寿司」を箱に詰めてる。なんだか分からないけれど、ドラマを感じます。
いたるところに、ドラマの芽は宿っているものですね。

2009-02-11 19:00:09 ページのトップへ
おやすみ前のひとこと
haruniwa
ものを書いてUPさせる場所としてOCNカフェを選んでしまって、失敗したかなと思うこともある。他のブログにしておけばもう少し反応も違ったものになるかなと、思ったり。カフェは基本的に素人のお楽しみ会の場であり、茶飲み話の場であるからね。

老後の楽しみのために、暇つぶしの趣味のためにネットを遊び道具としている人たちが読むカフェ。
むろん、私の書くものも、娘息子からは「暇つぶしの道楽」と見なされている。
道楽ではない、書くことが生きていることなんだ、書くことができなければ、呼吸することさえむずかしい、とわかりあえる人がひとりでもいることが、書くことをあきらめない灯りとなる。

わからん人にわかってもらわんでもいいや。そのかわり、とことんわれらは読みあい、書きつづけていきましょう。

その他の有象無象が何を言おうが、書きたいことを書きたいだけ書いていくだけ。

批評ということのなんたるかをわかっていない素人が、何を言っても気にすることはないと、開き直る気分になってきましたよ。素人は書くことに人生をかけてない。かけていない者は、人生かけてやっている者に対して、いらぬ口はたたくな、と、開き直っていればよい。そうだよ、精子枯れ果てたおっさんは、大人しく寝てなさい。
しなびて立たなくなったもんをかかえて、おとなしくしてろっていうこってす

私ももう寝ます。おやすみなさい。バイトがんばって。
2009-02-11 23:44:24 ページのトップへ
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彼女の名はサビーヌ
mackychan
35年の人生で、今年、いちばんチョコをもらったゴキゲンな自分・・・ま、護身術を習いに来ているOLさんがたからですが、嬉しいものは嬉しい。
味わうことなく一気喰いしたら、後頭部あたりにデキモノが出来てやんの。
ほぼ坊主だから、目立つなぁ!!

春さんが取り上げている『日本語が滅びるとき』が、別の意味で話題になっていますね。アマゾンの批評が、削除された件。
好意的な評ばかりが削除されているというのが、いろいろ裏がありそうで、興味をそそられます。
今回の春さんのコラムは、コラムというよりテキストなんだなぁと。酒呑んでカフェめぐりした最後の最後に春さん家に立ち寄り、阿呆なコメント残して寝るというのが日課なんですが、ここ最近は、最初のほうに訪れるようにしています。眠い目をこすりながらじゃ失礼だろうと。

シナリオが完成してホッと一息な自分は、映画漬けの日々。
いかにもギンレイにやってきそうなので、この映画をお薦めしておきます。
これちょっと、生涯のベストテンに入ってきそうなほど、自分は打たれました。

http://www.uplink.co.jp/sabine/top.php


2009-02-18 15:23:21 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:彼女の名はサビーヌ
haruniwa
新聞の映画評で見て、うん、秋頃にはギンレイにかかりそうだから見よう、と思いました。
ギンレイは2本立て方針なので、併映作品を選ぶのがむずかしいそうです。

日本でも、老人や障害者を施設におしこめることで、症状を悪化させる問題が大きいですが、家庭での介護に限界があり、難しい問題です。
2009-02-19 07:45:08 ページのトップへ
バレンタイン処理
haruniwa
娘がバレンタイン用に日曜日に作ったチョコカップケーキ。父親に届けたあと、まだまだ大量に残っていたのを、今朝朝食がわりに食べて完食。

2月17日は横浜の開化資料館で資料さがし。不発。
18日は午前中、庭園美術館で「ポワレとフォルチュニィ」展、午後、東京都美術館で「アーツ&クラフト」展、科学博物館「東北の自然史」展と、3館をかけめぐり、さすがに疲れました。

科博では、パンダの剥製6体が展示されていました。
生きているときはおデブに思えたパンダが剥製だとほっそり志手見えました。中に入れる詰め物の量のせいかな。

お茶碗洗いと部屋の片づけをしていないうちは外出禁止と娘に言われていたのに、片づけないで外出したので、帰ってから娘に「どこに言ってきたの」と問いつめられて「う~ん、いろいろ」と、ごまかしたら、「まったく!宿題やらないで外に遊びに出た小学生みたいな言い訳してるっ」と、おこられました。「部屋の片づけしておかないで、あとで困るのは自分だからネッ、って、まるで小学生の子供をしかるお母さんみたい」と、娘は言っていました。

ほんとに、片づけないとやばいです。中国へ運ぶ荷物、ぐちゃぐちゃの部屋の中に積み上がっている中から見つけだせそうになく、困りました。

片づけ魔のまっき~さんには信じられないような部屋のありさまになっています。

19日は、今期最後の授業。といっても、試験返却をするだけ。あとは中国行きのミーティングなど。
2009-02-19 07:49:45 ページのトップへ
今期も、おつかれさまでした
mackychan
それでもゆっくり休んでいられないのですね。
前にストックがあるから忙しくなっても大丈夫だねと記したけれど、ひょっとすると更なる貯金が出来ていたりして。
こっちはストックがあったはずなのに、いろいろ手がけ始めたらカフェコラムは前日執筆が日常化してきました。いかんなぁ。しっかりとした推敲がなされていないから、更新後、ミスが見つかる度に編集をして、完成版は夜になってしまう状態。

友人がスタッフを務めているというのもあって、毎週、欠かさず観ているバラエティがひとつだけ。
アメトーーク。
昨日のテーマは、「あぁ農業高校」。
数年前からウド鈴木ってじつは、言葉をよく知っているなぁ、聞き取れないことが多いけれど、よく聞いていると、使う言葉が年配のひとっぽい。
彼をメインに、農業高校の実態を、深刻にならない程度に、爽やかに綴る。面白かったなぁ。
ときどき、ある特定の映画シリーズを取り上げることがあるので、今度、知恵を貸してくれと頼まれました。
ガッテン! いつでも貸しますとも。
2009-02-20 11:35:27 ページのトップへ
細部の神
mackychan
春さんリクエストをヒントに始めてみた土キスの特別篇も、明日でラスト。楽しんでもらえたら嬉しいです。

と思っていたんだけれど、最近、映画監督のドキュメンタリを立て続けに鑑賞して。

キューブックとか、原一男とか。
特に『時計じかけのオレンジ』公開後のイギリスで、世の中で起こるすべての犯罪がキューブリックに責任があるかのような非難を浴びて苦しんだキューブリックが、自ら上映中止の措置を取った・・・というエピソードに、胸がしめつけられました。
自作を自分の手で打ち切ったのは、映画史上でこのひとだけ。そのくらいの力があったキューブリックを、アラン・パーカーやスコセッシが羨ましがっているというシーンが印象的でした。
これ観たら、またいろいろと書きたくなってきた。

日常にもネタは転がっているけれど、やはり映画で本領発揮したいなぁ。

2009-02-20 11:45:18 ページのトップへ

コメント
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