孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

東京も焼け野原にしたよな?

2016年05月29日 | 政治ネタ
ドイツに落としてやろうと開発したのだが、すでにドイツは降参していた。

瀕死の日本も降参しそうだから、その前に新型爆弾を完成させてソ連に見せ付けたかった米国は、1945年7月に完成したばかりの三発の一つをニューメキシコ州の砂漠で試した。

実験成功の報告を受けたトルーマン大統領は、7月24日に新型爆弾開発成功、日本に落とすとソ連のスターリンに伝えた。

8月5日にフィリピン東のサイパン島近くにあるテニアン島の基地において、B29爆撃機「エノラゲイ」にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を積み込んだ。そして、翌日8月6日にエノラゲイはテニアン基地を飛び立ち、日本時間の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に広島市に投下し数万人の命を一瞬に奪い、市内を焼け野原にしたのだった。

しかし、この5ヶ月前には、つまり原子爆弾がまだ完成していなかった1945年3月9日深夜から10日にかけて、米軍は首都の東京を奇襲して、2時間のうちに10万人の非戦闘員の命を奪い、被害者総数は100万人、女・子供・老人の住む東京の街を焼け野原にしたのだった。

 東京大空襲の成果


この東京の空襲にむけて、米国は事前にどうすれば東京を壊滅させることができるか、しかも最小の犠牲で・・・、と熱心に研究していたのだった。

ハワイから日系人を本土に呼び寄せ、日本家屋を造って中には障子やふすまを貼り、タンスや日本人が使う家具を揃えた「街」を完成させた。

 2時間の空襲の成果

関東大震災の被害状況なども参考にして、最も効率の良い東京撃滅方法を研究した結果、爆発力に頼らず、火災を起こして焼き尽くすのが効果的という結論に達し、「M69焼夷弾」を開発した。焼夷弾(しょういだん)とは、発火性の薬剤を詰めた爆弾である。

ナフサという石油精製物質に、ネバネバする、アブラ椰子から取ったパーム油を混ぜて主原料としているため、衣服や木材などに付くとその粘着性の為に取り難いという特徴があり、燃えると非常に高温で酸素を大量に消費するため、周囲を酸欠状態にしてしまうという効力もある。

ナフサとパーム油が原料なので、ナパーム弾と呼ばれているようだ。余談だが、ベトナム戦争を描いたコッポラ監督の「地獄の黙示録」という映画の中で、米軍がジャングルをナパーム弾で爆撃したとき、近くにいた米軍士官がその香りに恍惚となる、といったセリフを吐くシーンがあったのを記憶している。

この焼夷弾は、投下時には各容器が一つの束にまとめられており、投下後に空中で散弾のように各容器が分散するようにされていたため、「束ねる」という意味を込めて「クラスター焼夷弾」と呼ばれた。クラスター(cluster)とは、(ブドウの)房、集団、塊という意味の単語である。

8月になると毎年広島・長崎の原爆投下のことが話題になるが、その5ヶ月前の3月10日に起きた東京大空襲(ほとんど虐殺というものだったと思うのだが)については、まるで忘れられたようで私は不満である。

知れば知るほど、その悲惨さ、冷血さ、残酷さについては、原爆に勝るとも劣らないと思うのだ。











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