孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

李氏朝鮮の現実、再考。

2015年09月13日 | 日記
英国人の女性旅行家、イザベラ・バードは、日本の江戸末期から明治初期にかけて合計4度朝鮮半島を訪れ、「朝鮮紀行」という本で、李氏朝鮮時代の朝鮮半島の見たままを詳細に伝えている。

 

最初にソウルを訪れたときの町の様子が、いろいろなところで引用されて、よく眼にする。曰く、、、  (どうか、食事中の方は読まないで下さい)



『都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。』と、始まり、、、

『路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の 汚物を受ける穴か溝で狭められている。』・・・道の両側は、人糞だらけだったようだ。そして、、、

『酷い悪臭のする、その穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。』 子犬はやがて食用として殺されることになるのだが・・。



『ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。』 染料が無かったので、布地は白ばかりだった。

そして、最も引用されるのがこの部分だ。

『北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのである。』

その後訪れた、支那の北京や紹興はソウル以上に酷い状況だったようだが、当時の彼女にしてみれば、ソウルの町の不潔さと悪臭はこの世で最悪だったようだ。

イザベラ・バードがソウルを訪れてから16年後に大日本帝国は韓国を併合した。1910年の「日韓併合」である。

その際、朝鮮総督府が発令した布令に、「路上脱糞禁止令」があり、この布令にソウルの市民はホトホト困ったようだ。江戸時代に朝貢に来た「朝鮮通信使」たちの悪行・淫風・非道ぶりはよく書かれているが、彼らが道中泊まった宿でも、朝になると一斉に街道に出て脱糞していたことはあまり知られていないようだ。

何せ数百人の随行人たちが一斉に始めるわけだから、当時の宿場は大変な迷惑だったろう。

この「路上脱糞禁止令」の波及効果で、朝鮮の保存食であるキムチが変化していくことになるのだが、この話はネットで検索すれば歴史研究家の方が紹介しているので、そちらで知ることが出来る。

イザベラ・バードの「朝鮮紀行」を改めて見直したのは、渡辺京二氏の大著「逝きし世の面影」を読み直していた時、ふと思うことがあったからだった。



この本は、江戸末期から明治初期に日本を訪れた識者たちが書き残した記録を引用して、当時の日本人の暮らしぶりを表している部分を細かく紹介してくれる名著である。

中には東北を廻ったイザベラ・バードの手記も紹介されているが、他のほとんどの識者たちの見た当時の日本の街並み、庶民の暮らしぶりも、押しなべて驚愕・賞賛の対象となっている。

当時ドイツから訪日した「オレインブルク使節団」の随行画家、(今でいうカメラマンか)アルベルト・ベルクは紀行文のなかで、日本の家の清潔さを、「汚れた長靴で立ち入るのをはばかるほどだ。」と書いている。

また、バードも、「日光の町に立ち寄ったとき、街路が掃き清められてあまりにも清潔なので、泥靴でその上を歩くのが気が引けた。」と言っているそうである。

比較の対象は、彼らがそれまで見た他のアジアの街並みや庶民たちであり、彼らの生まれ育った街の情景であり、同胞たちであったわけだ。

私のイメージの中の当時の西欧諸国の街並みや庶民の暮らしぶりは、私の勝手な固定観念で、石畳が敷き詰められた大通り、きれいなドレスを着飾った貴婦人たちが晩餐会を楽しんでいる光景、などであった。

そういう国からはるばるやってきた外国人たちも絶賛する当時の日本は、とてつもなくすばらしいものだったのだろうなあ、と思っていた。

しかし、最近、youtube で「パリを訪れた中国人観光客の多くが、その街の汚さと市民の不親切さに失望」という内容の動画を見て、「支那人に失望されるパリ?」と首をかしげて、ネットで西欧の状況を調べてみる気になった。

すると花の都パリのみならず、中世以来西欧の庶民の暮らしぶりは、思っていたほどすばらしいものでもなかったことが分かったのだった。

あのシャンゼリゼ通りも犬の糞で酷い状況だというニュースは、以前耳にしたことはあったが、中世のフランスなど西欧諸国は犬の糞どころではなかったようである。



そもそも、江戸の町では人の糞尿は下肥(しもごえ)といって、作物の肥料としての貴重な資源であった。街ででた下肥は農家に買い取られたり、街に行商にきた帰りに下肥を引き取っていくという、循環社会が確立されていた。

ところが、西欧では人の糞尿を作物に利用することは不潔であるという、異なった感覚を持っていた。パリの市民たちはセーヌ川に下水を流していたし、川の近くに住まない市民たちは道に流し、道の中央部がくぼんで底に集まった下水が川に流れ込むという状況だったようだ。

二階に住む住人は下におまるを運ぶのが面倒で、窓から路上に落とすことは普通に行われていた。「ガーディ・ロー!(投げるよー!)」と叫んで窓から汚物を撒くわけだから、下を歩いている通行人たちにかかってしまうことも当然あった。



通りには豚が放し飼いされていて、汚物を食べてくれたのだが、人口が増えてくればそれも間に合わず、次第に通りは汚物だらけになって悪臭を放ってくることになる。

  

ロンドンの男性がかぶる山高帽や、マントなどは窓から突然降ってくる汚物対策で考案されたファッションだそうで、フランスの女性たちが通りを歩くときスカートの裾が汚物で汚れるのを避けるため、かかとを高くした「ハイヒール」が考案されたのも、汚物まみれの通りからきているという。

 


西欧ではこの不潔さの所為で、ペストが蔓延し、数十万人が死亡することは珍しくなかったそうで、このために次第に下水道が整備されていったようだ。

ベルサイユ宮殿には数千人集まることもあったらしく、当然トイレが不足する。そこで貴婦人たちが庭に出て立ったまま用を足せるように「フープスカート」が考案されとことは、ちょっと前に紹介した。



宮殿に備えられた「おまる」の需要も当然大変なもので、使用人たちはせっせとおまるを外に持ち出しては、庭園の木々の下に捨てていたそうだ。宮殿の庭師たちがこれに対抗して、「立ち入り禁止」という表札を庭園に掲げた。この表札をフランス語で「etiquette](エティケッ)といい。エチケット(礼儀作法という意味)の語源になったそうである。元来「チケット」という「荷札(にふだ)」の意味の言葉だったわけだ。

さらに、フランスで香水が発達したことは、当時街に蔓延する異臭のためだったという話は、すでに広く人口に膾炙している。

延々と昔の西欧の不潔さを紹介したのは、それまでバードがソウルの町を「この世で一番不潔で、悪臭漂うところ・・・」と表現したときに私が抱いたソウルの酷さの程度が、実はもっと、もっと汚く臭いものだった名だろうなあ、と考え直すに至ったからである。

牧師の長女として生まれ育った英国婦人というだけで、イザベラ・バードは清潔で衛生的で高貴な女性だと勝手に連想していた私だが、縷々述べたような西欧からきた旅行家の目で見て、「不潔だ、臭い」というのであれば、ソウルの街並みは、相当に悲惨な状況だったのだろうと、改めて考え直したわけである。

となると、ソウルよりもひどい当時の北京や紹興の街は、、最早想像を絶するわけだ。










やり投げの残像。

2015年09月12日 | 日記
北京で開かれていた世界陸上も終わってしばらく経つが、私の脳裏にはいまでもある場面の残像がちらつく。

それは、投擲(とうてき)種目のひとつ、「やり投げ」のシーンだ。助走をつけて3m弱のやりを遠くに投げるスポーツで、砲丸・ハンマー・円盤とともに4種の投擲競技の中の一つとなっている。



30年ほど前、当時東ドイツの選手が104.8mという人類初の100mを超える世界記録を樹立したが、飛びすぎるのも危険だということでルール改正があり、やりの重心を変えたそうだ。確かに練習中の悲惨な事故も多発してきたようだ。

それ以降の世界記録は、98.48mで90m以上を投げないと勝負にはならないようだ。これまでもよく見ていた種目だが、イメージとしては、北欧の選手が活躍するスポーツだと感じていた通り、歴代の優勝者はフィンランド、ロシア、ノルウェー、ドイツなどが並ぶ。



日本の選手も小さな体ながら、男女とも結構活躍している競技で、一時期地元の村上選手などは期待される存在だった。

見ていると、馬鹿ぢからだけではダメなようで、助走スピード、体重移動、投げる際やりをスピンさせるなど、遠くへ飛ばすコツはかなり多いようだ。

今年の北京世界陸上で優勝したのはケニア代表の選手で、歴代3位の92.72mだった。ケニアの選手だけにこの方は黒人だったことが、脳裏に残った理由だと思う。



  

古代ギリシャの戦争の武器だった槍が発祥で、アフリカの原住民が狩猟に使った槍とは発祥が異なるのだろうが、褐色の体を捻ってやりを投げた映像は、何となく様になっていて、「これぞ、やり投げ!」といった強いワクワク感を感じさせてくれた。

投げた先には、立ち並ぶギリシャの重歩兵たちではなく、サバンナに群がる野牛の群れでもいるのではないかと、瞬時に連想させてくれるような映像だった。

今後は、ただ単に遠くに投げるのではなく、目標に命中させるという要素も加えたらどうだろうかと思ったが、検討の余地はあるだろうか。

もっとも、近頃は槍などより、ピョンピョン飛び跳ねて獲物を捕まえるダンシング・ピストン族の技が人気なようで、そのリズミカルなダンスは女子高校生の間でも流行しているそうだ。いやもう流行は過ぎ去ったのか?





少なくとも、ちょっと前に流行りかけた、「ラッスン何とか」という訳の分からない芸よりはマシかも・・・。




今が大切な時でしょ。

2015年09月11日 | 日記
岐阜の野田聖子氏が、自民党の総裁選に出ようとしたようだが、援軍は集まらなかったため、出馬を断念したそうだ。

何のために、何を主張したくて出馬するのか、新聞を読んでもよく理解できず、人騒がせな方だなぁ・・というくらいにしか見ていなかったが、電話で勧誘された自民党議員たちも、きっと似たような心境だったのではないか。

今のこの国がどういう状況なのか、このお方分かっていらっしゃるのだろうか?「だから、女は・・・」というつもりは無いが、言いたくなる心境である。



それとも、何か企んでいる悪人が背後でそそのかしたのだろうか?政界を引退してもなお、未練がましく後ろで糸を引きたがる悪代官のような方もいるようだと、どこかに書いてあった。



自民党は一枚岩のように見えても、よからぬ事を企んで、自分から動くのではなく子分を動かして目的を達成しようとする輩がうごめいているそうだ。

そういえば、突然シナに行って、独裁者・習キンピラの両手を取って拝んで持ち上げた方もいたが、あの映像をニュースで見たときは、この方、眼薬を持つ手が震えるくらい、重度の認知症を患っているのではないかと本気で思った。



あの政権交代の悪夢の三年半から解放されて、見事な安倍談話も発表され、さあこれから、というときに空気を読めない方にチョロチョロされるのは、はた迷惑も甚だしい。

だいたい、反日左翼新聞が大きく顔写真を載せて持ち上げるということは、自分のしていることがどういうことを意味するのか、考えてみれば分かるだろう。

しばらく飴玉でもしゃぶらせて、奥の座敷に放り込んでおいてくれ。

こいつが次期酋長?

2015年09月10日 | 日記
日本人が大好きな「国連」は、英語で UNITED NATIONS、 略して UN と書く。

意味は、米英加蘭などの陣営を表す「連合国」で、この言葉は先の大戦の際の日独伊、「枢軸国」AXIS POWERS に対する言葉であるが、日本では今は、「連合国」とは呼ばず「国際連合」略して、「国連」と呼ぶ。

世界の「平和と安全の維持」を主な目的とする、190ヶ国以上が加盟する国際組織である。

デ・クエアル国連事務総長とか、ワルトハイム国連事務総長とかいう名前は、多分テレビのニュースでよく聞いたからだろう、なぜか耳に残っている。

それ以上、詳しいことは何も知らないが、なぜか「あぁ、いたねぇ。そんな人・・・」と脳裏から今も消えないでいる。

今の国連事務総長は、「パンギムン」とか、「バンキブン」だとかいう人だが、どうも韓国の人らしい。力が大きくないい国の人で、いろんな地域の人が順繰りに担当していく決まりの名誉職のようである。



しかし、いくら名誉職と言っても、兵隊さんと最新兵器をパレードでこれ見よがしに自慢する式典にノコノコ参加することは、常軌を逸していると言われても仕方が無いだろう。



国連の事務総長だから何をしても言いというわけではあるまい。

日本と戦ってもいない、しかもその当時存在すらしなかった中華人民共和国が、「抗日戦争勝利70年記念行事」という嘘っぱちのお祭り騒ぎをしたのである。

 (China/Reuters)

しかも、この共産党による独裁国家は、チベットやウイグル、南モンゴル、ブータンなど周辺を侵略し虐殺して自分の領土にしているとんでもなく危険な国なのである。



いくら自分の母国の女酋長がこの軍事パレードに出席するからと言っても、自分の立場をわきまえれば、出席するどころか、むしろ「いい加減なデタラメを言って、平和を帯びた貸すようなことをするべきではない」とたしなめるのが筋だろう。

そして、有力国の知識人たちも、ようやく今になってアリバイ作りのように、この能無し国連事務総長を批判し始めたようである。



まずは国連研究で知られるアメリカ、コロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授(政治学)は、国連は戦争の勝者のみならず世界の国々を代表する機関として創設された機関であるから、「戦争の一方の側の記念行事には参加すべきではない。」と批判したそうだ。



さらに、ニューヨーク大学の法学教授、ジェローム・コーエン教授は、国連内の中国の存在感を考えたら出席せざるを得なかったのかもしれないが、「中国の大気汚染や(南シナ海での)紛争、サイバー攻撃、人権弾圧といった諸問題に関して、公的に声明を発表すべきではなかったか。」と、事務総長の資質そのものに疑問を呈したという。

他にも、苦言を呈する偉い方々はいるようだが、こういう批判は出席する前にもう少し効果的に発して欲しいもので、今頃偉そうなことを発表したとすれば、紐でつながれた番犬が玄関先でワンワンと吼えたくらいの効果しかないと思うのだ。

今の女酋長の次に酋長の座を狙っているそうだが、この方に替わったところで彼の国は今以上に変わるとは到底思えないと、日本のみならず世界中にそう落胆させる資質は、十分持ち合わせているようである。


再び、日本人の朴李化を憂う。

2015年09月09日 | 日記
東京五輪のロゴについてのいざこざは、収まったかに見えるようだが、相変わらず当のパクリエーター氏の過去の作品に関しての、「パクリだ」「オリジナルだ」の騒動は続いている。

しかし、私は今回の公儀である、組織委員会の事の収め方がどうもしっくり来なくて、個人的にはすっかり「テンションが下がってしまい・・」東京五輪に対する期待など雲散霧消してしまった。



今回の組織運営のあり方や問題が生じた際の対応の仕方、そしてその問題の真因の調査の仕方、責任の所在とその取り方・・と、何一つをとって見ても、本来あるべき姿からは程遠く、観ていて「ドッチラケ」てしまった。

製造業では、製品に不具合が発生したときは、なぜ起きたのか、それを起こす要因はなんだったのか。4Mといって、Man(人)、Machine(機械)、Material(材料)、Method(方法)に細分して、それぞれの起こりうる要因を抽出して調査し、分析し、不具合に至る根本原因を探り出すことに奮闘する。

一部門だけでは解決されそうも無いとなると、社内の全部門が集まり、さらに関連会社や親会社の専門家たちが勢ぞろいして議論することになる場合もある。

日本の製造業、あるいは工業力はこういう努力の積み重ねから今日の地位を得ていると言っても過言ではなかろう。

その末端にちょこっと関わってきた経験からすると、今回の騒動は、顧客から報告された製品の不具合情報を、「これは誰が悪い、彼が悪い、何が悪いという問題ではありませんよ。」と言って、不具合報告書を机の片隅にポンと放り投げたようなものだと感じている。

おそらく相当数の国民が私の抱く感情に似たものを感じているのではなかろうか。

本来、日本人はこんな風ではなかったはずだ。今回疑わしいロゴを取り下げることになったとき、その言い訳は別にして、「あぁ、日本人はやはり支那・朝鮮とは違う」と微かな安堵感を感じさせてくれたものだったが、その後がいけない。

赤穂浪士は、公儀の裁定に納得がいかず討ち入りから仇討ちに至った。江戸の町民たちも彼らに共感を抱いて事の成り行きと、公儀の対応を見守っていた。



忠臣蔵がこれほど日本人の心の琴線に触れ愛され続けてきたのには、それが日本人の独自性、同一性、カタカナ言葉でいえば、「アイデンティティー」であるからだ。

これが近頃かなり薄まってきて、丁度それまで年の瀬のお決まりだった「忠臣蔵」や「赤穂浪士」のドラマが見られなくなってきたことに重なるようだ。日本は、「朴李(パクリ)化」していると、私が繰り返し言うのはこのことなのだ。

欧米人のもっともらしい理屈や、隣国人たちの息を吐くように言い続ける嘘・出任せに日本はかなり汚染され、それが深刻化している。

進駐軍がとんでもない、「仇討ち」を奨励するようなこんなものは全面禁止だ、と指示したのは単に復讐を恐れただけではない。

それが、「日本人の背骨」、「バランス感覚の基本中の基本」のエピソードだったからに他ならない。

近松門左衛門の「仮名手本忠臣蔵」の中の創作(フィクション)だが、浪士たちに討ち入りに必要な武具を密かに援助した大阪の商人「天野屋利兵衛」という人物がいる。

近松は名前を「天河屋義平」として、登場させ、大石内蔵助ならぬ大星由良之助は、義平の真意を確かめるべく、仲間を忍び込ませる。

私が子供の頃父や祖父から聞いた話では、天野屋利兵衛は浪士を支援した疑いで役人に捕まり、徹底的に拷問されたのだが、シラを切り続けたそうだ。その時吐いた言葉が、「天野屋・・利兵衛は・・、男でござる・・。」だった。



小学生だった私は、この話が大好きになって、何度も父や祖父にせがんで聞いたのを覚えている。子供ながらに痺れるエピソードだった。

映画やドラマの赤穂浪士ではこのエピソードはあまり扱われていないので、どうも父や祖父たちは、今やすたれた浪曲や講談でこの話を仕入れていたのだと想像する。

面白いのは、この人物の話は近松の創ったフィクションかと思っていたら、何と京都の昆陽山地蔵院椿寺に墓があるそうだ。また、元禄時代に大阪の商人に「天野屋利兵衛」という人物も実在していたらしい。

らしいが、あまりのめりこむと、胡散臭い「郷土史研究家」が出てきそうだからこの辺で止めといた方が無難かもしれない。

私は、ただ2020東京五輪に対する冷め切ったテンションと、アスリート(この言葉使いたくも無いが)たちの複雑な心境を察すると、「公儀」に対しての不満が鬱積していくのである。

何とかこの溜飲を下げる方法は無いものか・・・。

物言う「なでしこ」登場!

2015年09月08日 | 日記
産経ニュースに興味深い記事が出ていた。映画のニュースである。


『カナダで開催中の第39回モントリオール世界映画祭で、ドキュメンタリー部門にエントリーされた日本人女性監督、八木景子さん(48)制作の作品「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)が4日夜(日本時間5日午後)、現地の映画館で初上映された。』

八木景子さんは今回の作品が初めての映画制作だったそうだが、反響が大きく手ごたえを感じたそうだ。頼もしい「なでしこ」がまたまた登場したようだ。



『ザ・コーブ』というと2009年にアカデミー賞、長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した、和歌山県の太地町のイルカ漁を扱った偏見に満ち満ちた映画である。

エコテロリスト・反捕鯨団体シーシェパードは、太地町のイルカ漁を撮影した最も優れた映像に1万ドル、1分間の撮影画像につき500ドル、1枚の写真につき250ドルの懸賞金をかけるなどの活動を行っていた。反日映画の製作に大きく加担していたことは明白であろう。

5年ほど前、トルコ記念館を訪れるため串本町に行った帰りに太地町に立ち寄って舞台となった(入り江 = cove)を見たことがあるが、あのような小さな町だけで、外国の嵩にかかった反日活動に対抗するには、如何せん限度があると思った。



アメリカは、映画のようなメディアを巧みに利用してプロパガンダをてんかいすることが得意中の得意である。「戦場にかける橋」しかり、「猿の惑星」しかり、「アラビアのロレンス」しかり、、、。いい映画だが、「カサブランカ」なども典型的なその部類の映画だ。

そもそも明治維新の発端となった、1853年のペリーの浦賀来航が米国の捕鯨基地確保という目的をもっていた。当時のアメリカは太平洋で鯨を殺しまくっていたのである。鯨肉などのためではない。鯨油採取のためだった。



鯨を捕らえて逆さに吊るし、ミカンの皮をむくように皮を剥いで、それから油を絞り採るのであった。肉は海に捨てるだけ。せいぜいヒゲを取って女性のフープ・スカートの内側の骨組み用に使うくらいなものだったようだ。



因みに余談だが、あの膨らんだフープ・スカートは、トイレの無かったフランスの宮殿などで、女性が庭に出て、立ったまま小便をするために考案されて、西欧で流行したスカートそうだ。

「ザ・コーブ」のような悪意に満ち満ちた、NHKも真っ青になるくらいの、ドキュメンタリーというには作為だらけの映画を、否定する映画を作ってやろうという八木景子さんの発想に、私は敬意を表したい。

しかも、それをカナダのモントリオール映画祭で披露したのが偉い。

カナダといえば、例の赤ちゃんアザラシ漁をすることで知られたお国ではないか。鉄砲で撃つと皮に穴が開くので、金属が先端についた専用の棒でぶん殴り、皮が硬くなる前に、生きたまま皮を剥ぐ漁だ。



真っ白な氷原が、わずか3ヶ月くらいのアザラシの赤ちゃんの真っ赤な血で染まっていく光景は、直視できないほど無残だ。この方法で、毎年3~5月に30万頭以上殺しまくるそうである。残酷さでは、イルカ漁以上だろう。



アメリカでは捕鯨だけではない。バイソンをほぼ全滅しかけた。別名バッファローという野牛で、コロンブスが侵略した頃は、北米大陸に6000万頭ほど生息していたそうである。当時の先住民たちは、衣食住すべてをバイソンに依存していた。



それを、勝手にインドと間違えたヨーロッパ人たちが東海岸に侵略してきて、西へ西へと侵略しながら先住民たちを殲滅して行った。そのやり方が、彼らが依存するバイソンを殺しまくることだった。

糧道を断つ作戦は、昔から彼らのお家芸だった。奴隷にもならない先住民を殲滅させるため、6000万頭いたバイソンを殺しまくり、19世紀末にはその数が、わずか750頭まで減ったというから、異常である。

バイソンの頭骨は肥料にしたそうだが、山と積まれた頭骨の写真は有名だ。



アメリカは石油が発見されて、灯油としての鯨油の需要はなくなったが、零下でも凍らない鯨油は、兵器に需要があった。そのため捕鯨自体は続けていた。特にマッコウクジラの脳漿は、零下60度でも凍らないため、極地戦での兵器には欠かせなかった。

アメリカはこれを備蓄した。マッコウクジラを捕り続け、同時に大金を投じて、これに替わる不凍油の開発をした。そして、1972年、アメリカは「反捕鯨」を声高に訴えた。

サンオイル社が不凍油の開発に成功したのだが、開発費が嵩んだために、その価格は、依然マッコウクジラの脳漿に比べると3倍以上したためだった。他国に売りつけるためには捕鯨を禁ずればよい。

自動車の黎明期に西部の鉄道会社を買収して廃止し、自動車の需要を増やしたのと同じ、アメリカのお家芸であった。

エコ・テロリストと呼ばれる「シーシェパード」を設立したポール・ワトソンはカナダ人で、その本部はアメリカにあるが、これに好意的な対応をしてきて、しかも日本の調査捕鯨にも強く反対する元捕鯨国にオーストラリアがある。

オーストラリアでは今、鯨関連の観光が人気で、年間3億豪ドルにもなる儲かる商売に成長したそうだ。オーストラリア人にとって、「クジラは神聖な生物」で、たとえ調査だろうと、クジラを殺すのには反対するという。

罪人の流刑地として住み始め、先住民を殺すのを娯楽にしてほぼ絶滅させ、他にも多くの大陸特有の種を絶滅させてきたオーストラリア人は、今でも年間数万頭のカンガルーを射殺したり、撲殺したりして、娯楽として楽しんでいるのをご存知だろうか。



増えすぎたカンガルーを間引く必要があると言うらしいが、実際にはその数は大幅に減り続けているそうだ。元来彼らはこういう娯楽しか楽しめない連中なのかもしれない。



今でもオーストラリアのサウスウェールズ州の図書館に行けば、イギリスの流刑囚の書いた日記を閲覧できるそうだ。それには、「今日、アボリジニ狩に行って、17匹をやった。」と書かれているそうだ。

私たちは、白人たちの紳士面した腹黒さをまず十分事実に基いて認識し、その薄汚い魂胆を見過ごさず、機会あれば正々堂々と反論する姿勢を示す必要がある。これこそ、常識ある大人の対応ではなかろうか。

映画には映画で対抗する、八木景子さんの「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)という映画を一日でも早く観たいものだ。


村山トンちゃん、生きてるの?

2015年09月08日 | 日記
マスゴミのみなさん、国会周辺のデモを煽るのもいいが、支那の軍事パレードに参列しに行った村山元首相は、体調を崩して入院して、それからどうなったんでしょうか?

日曜日の朝の反日偏向番組を見たけど、何かこのこと報道してました?私はどうも見逃したようで、状況が分かりません。



ネットで検索しても、『・・肺炎になりかけたが、今はだいぶ回復した」と話しています。村山元総理は4日に退院し、日本に帰国する予定です。』とあるくらいなもので、実に軽い扱いです。

Yahooで「村山」と検索すると、『村山富市 入院』と一緒に『村山富市 死去』と表示されたので、びっくりしました。

アレだけ大きく持ち上げたマスコミも、今回の村山元首相の訪中の扱いは、具合が悪いらしく、意図的にまったく無視する方針だったようですな。

都合のいいときにだけ、存分利用しておいて、もしかしたらこれで天国に召されるかもしれないという時に、無視するっていうのは、ムシはムシでも、虫が良すぎやしませんか?ってんだ。

日本が右傾化している・・とあれほど心配されていた村山元首相が、支那の軍事パレードに招かれて、一体どういう心境なのか。何を口走るか。何しにノコノコ行ったのか?

支那にいろいろパイプがある反日マスコミは取材する義務があると思うのだが、一切無視を決め込んでいるようで、これは、世の高齢者たちは、声を大にして、「年寄りを馬鹿にするな!」と叫んで欲しい!

お友達の河野氏のコメントも取材してくれ。盟友の支那での晴れ舞台の登場が、オジャンになりましたが・・とマイクを差し出してコメントを取ってきてくれ。



彼は、安倍晋三首相が戦後70年談話で先の大戦に関して将来世代に謝罪を続ける宿命を 背負わせてはならないと訴えたことについて、「現実におやじが殺された、兄貴が死んだという人に『もうこれだけ謝ったんだから』と言っても、 そうはいかない」と批判したそうです。

加害者が『(謝罪は)もうこれで終わりだよ』というせりふはどんな説明を付けても、被害者から納得の返事はもらえない、こう述べて「謝罪し続けろ」と主張したそうです。

「これは支那に対しても同じことなのでしょうか?」こう聞いてコメントを取って来れないものでしょうか?村山氏のコメントと合わせて、非常に興味のあることです。

沖縄の翁長知事は、今回の宗主国支那の軍事パレードをどう見ていたのだろう。



何ならこの機会に、外国特派員協会が「村山・河野・翁長」3氏を招いて、支那の軍事パレードと安全保障法案に関する3氏のご意見を拝聴する会見を設定すればいい。絶好の機会ではないか。六本木で飲み明かすのことだけが特派員の仕事ではないはずだ。

「老醜トリオ」のお三方も、この時こそ国民にお考えを訴えてくれ! 多くの国民は私と同じように、知りたがっていると思うのだ。


陸上競技の黒人たち。

2015年09月06日 | 日記
1978年だったと思うが、当時私がカリフォルニア州の田舎町でホームステイしていた時知り合った女性が、興奮しながら自慢げに話してくれたことを思い出した。

どんな自慢話かというと、彼女が街を運転しているときに隣の車線を走る高級車のナンバープレートを何気なく見たら、「KINTE」というプレートだったそうだ。

もしやと思って、その車に並走して運転席を見たら、何とあのアレックス・ヘイリーだったという話だった。

その頃アレックス・ヘイリーと言えば誰でも知っている有名な作家であった。「ROOTs(ルーツ)」という当時大ヒットしたテレビドラマの原作の著者で、そのテレビドラマは当時全米で8日間連続で放送され、何と平均視聴率は45%だったそうだ。



自分の来歴をたどった小説で、西アフリカのガンビアからクンタ・キンテという少年が奴隷狩りで捕らえられるところから物語りは始まり、その後アメリカ大陸に着いてから何代も経て最後にはアレックス・ヘイリー本人に至るまでの長大なストーリーだった。

その「KINTE」を車のナンバープレートにしていたわけだ。

この昔の思い出を思い出したのは、先週テレビで世界陸上を観ていて、リレーで優勝したジャマイカの選手が勢ぞろいした映像を目にしたときだった。



ジャマイカといえば、アメリカの南東のカリブ海にあるキューバの南の人口が300万人にも満たない小さな島国である。

コロンブスがアメリカ大陸を侵略してすぐ後に、カリブ海の島々をスペイン人が次々に
侵略して植民地にしていった。先住民を奴隷にしてサトウキビを栽培したが、あまりにも酷使したために、人口が減少していきその補充のためにアフリカから黒人奴隷を輸入したのだった。

本来、アメリカ大陸の先住民たちは、我々日本人と同じ人種に分類されるモンゴロイドであった。ジャマイカ島の先住民族は「アラワク族」だと言われている。





しかし、現在のジャマイカやキューバには先住民の血をひくモンゴロイドは一人もいない。彼らはアフリカから奴隷として「輸入」された黒人(ネグロイド)である。スペイン人たちに殺されたり、病気に罹って死んだりして完全に全滅したのだった。

従って、ジャマイカ選手たちはみなネグロイドで、その「ルーツ」はアレックス・ヘイリーと同じ、アフリカから「輸入」された黒人奴隷である。

16世紀の初めに南米に渡ったスペイン人たちは、非道の限りを尽くした。その詳細はスペイン人宣教師、ラス・カサス著、「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(岩波文庫)という薄っぺらな本に詳しく具体的に書かれている。



『彼らは黄金欲しさに、部族の長の足を焼き、肉が焦げ骨がむき出しになるまで拷問された・・・。狩に出た時、腹をすかせた猟犬に先住民の抱いていた赤ん坊を取り上げて、ナイフで切って肉を食べさせた・・』

こんな話が延々と続く「簡潔な報告書」である。



当時の白人たちは、聖書に基き聖職者たちから言われたことに従ったとは言え、彼ら先住民を人間として見ていなかったためできた非道だったのだろうが、その仕打ちは凄まじい限りだ。

この構図は、東南アジアに進出してきたオランダやイギリスなどの西欧諸国のしでかしたこととまったく同じである。

オーストラリアでは、つい最近まで先住民アボリジニに対して同じ事をしてきている。

フィリピンではスペインによって300年間、インドネシアではオランダに350年間もの間、彼らに奴隷扱いされてきた。

世界陸上大会で走っているジャマイカやアフリカの選手たちを観ながら、私は時空を超えて空想に時間を費やしていた。





足を上げて、支持率上げて・・

2015年09月06日 | 外国ネタ
反日の旗手クネクネ女酋長の支持率が30%を割ったというニュースは、ついこの間のことで、MERSとかフェリー沈没とか悪いことがたたった結果と伝えられたと思ったら、今回の支那軍事パレード参加後、支持率が一気に54%にっ跳ね上がったそうだ。



軍事大国支那の厚遇を受けて、さすが事大主義の部族だけに、民衆もお金持ちのパトロンに寄り添うお妾さんのような我が女酋長を見て一安心して支持した結果なのだろう。

何せ、席順が重要な意味を示すこういう行事で、頼りの習さまの隣の隣、あのロシアのプーちゃんの次に立てたのである。



肝心の軍事パレード中は、似合わぬサングラスをかけて椅子に座ったままという非礼で、「私はこういう軍事パレードには無関心よ。」という意思表示を示したかったのかもしれないが、もしかしたら立ち続けるのが辛いだけだったのかもしれない。

栄えある式典に着ていく洋服としても、わざわざ黄色を選んだとしたら、無知も甚だしい。元来、支那では黄色は皇帝や貴人、僧侶などが身につける高貴な色であり、庶民には縁遠い特別な意味を持つ色であるからだ。

北京の紫禁城の瓦が、黄色なのは皇帝の宮殿だからであり、黄河とはその濁った色の所為ではなく、文明の母なる河という意味で黄色の字を当てたそうだ。

もっとも、現代の支那では、黄色には「卑猥な、腐敗堕落したものを指す」意味があるそうで、日本語で言う「桃色・ピンク」と同じような使われ方をするようになっているそうである。



初めて目にした習夫妻は、「えぇぇ!黄色?マジカよ。馬鹿かこの女。しかもダッせえデザインだなぁ・・・」と内心あきれ返っていたかもしれない。

昔から「皇」という字は、宗主国支那の皇帝だけが使用する字だからといって、日本の天皇のことを「日王」と呼んできた部族である。それなのに、部族を代表する女酋長が支那の皇帝しか使えない黄色の服を堂々と着ていったとは・・・。

また、映像を見て感じたが、洋服の色といい、あのワンパターンのデザインといい、少し腰を曲げて前かがみで歩みよる姿勢といい、センスが悪く実に不恰好で、なんだか哀れな感じすらした。

しかし、支持率が上がってよかったじゃないですか。支那のネット住人も、今回の女酋長の訪中には大歓迎で、「韓国の美女大統領を歓迎する!支持率は100%だ!」と絶賛する書き込みをしていたそうだ。

美女といえば、軍事パレードに現れた美女軍団にも驚いた。容姿で選ばれた「美女兵士」たちが連日の厳しい訓練を受けて、一糸乱れぬパフォーマンスを披露していた。



こういう見世物は北朝鮮だけかと思っていたので、支那も同レベルなんだなあ、と再認識させられた。北朝鮮は以前から、事あるたびに世界に披露していた。Goose Step グースステップ(ガチョウ足行進)と呼ばれる行進である。

  



スタイルがよく、美脚の女性兵士を整然と行進させて一体どういう意味があるのか知らないが、どうせやるなら、次は北朝鮮兵士が上げるくらい高々と足を上げるグースステップを披露して欲しいものだ。



これをやれば、支那民衆は大喜びで、習キンピラの支持率も急カーブで上がるかもよ・・。

「オマージュ」だろうと駄作は駄作。

2015年09月05日 | 日記
1964年東京五輪といえば「東洋の魔女」、
2020年東京五輪といえば「盗用の佐野」、
と揶揄されていたが、ネット住民のユーモアのセンスにはいつも感心させられる。

パクリエーター佐野氏のロゴが白紙に戻って、ひとまず安心したが、誰も責任を取ろうとしない現象は、国民を舐めきっているようだ。

むしろ、「分かりもしないのに、うるさい国民どもだ・・」と自分たちこそ被害者だと思っているふしがある。

2020年東京五輪組織委員会会長などは、巨体をゆすぶっていかにも不不機嫌そうだた。一人では大きな決断が出来ない性格のようで、いつも問題をこじらせてばかりいる感がある。

『蚤の心臓 サメの脳、 ゴリラの体 森きろう』 

都都逸みたいな戯れ句で笑いの対象になっているが、こういうのが居残ると、新たな問題が生じるようで不安は消えない。

パクリエーター佐野氏の作品は今回の五輪のロゴだけに留まらない点が非常に重要で、本人がいくら否定しても見る者の印象を覆すことは最早不可能ではないだろうか。

テレビでは、その筋の専門家が今回の不祥事を解説して、「この世界では完全なオリジナルというのは難しい・・」などと言っていたが、多分自分も思い当たるフシがあるのではないかと、聞いていて首を傾げた。

『オマージュ』と言って、過去の作品をリスペクトを持って真似る場合もある・・と、カタカナ言葉を重ねて説明する業界人もいた。

その時瞬間的に連想したのが、2本の映画だった。



名匠・小津安二郎監督の『東京物語』のオマージュ作品として、山田洋次監督が作った『東京家族』という映画があった。

小津の『東京物語』は、50代になってから鑑賞する映画だと私は思うのだが、何度見ても実に味わい深い名画である。

その名作を尊敬の念をもって真似た作品を、寅さん映画の山田洋次監督が手掛けるということで、私も当時関心があったのだが、テレビで予告編を見て大きく失望したものだった。



配役がいけない。まともな落語も出来ないような落語家「こぶ平」を使うようでは、ハナから観る気も起こらないではないか。

笠智衆の役をした男優も、名前は知らないが格が違いすぎて見るに耐えないと感じた。

かなり時間がたってから、テレビで放映されたので、我慢して観ようとしたが、30分も我慢できなかった。予想通りの酷い出来だったと思う。


もう一本の映画は、黒澤明の名作「椿三十郎」のオマージュ作品、というか脚本まで同じだったようだから、パクリ作品というべきか、リメイク作品などと呼んでいいものなのか、森田芳光監督の手掛けた映画、名前も同じ「椿三十郎」だった。

  

私はこの織田裕二主演の映画を期待して、映画館で観た。そして、大きく失望して映画館を出た。

まるで、年末のかくし芸大会みたいな、お子チャマのチャンバラ映画みたいで、実に酷い出来栄えだった。

脚本も当時の脚本を使用し、カメラアングルも真似たそうだが、あの出来栄えだった。もともと三船敏郎の役を演じようとすること自体が、何か勘違いしていたのではなかろうかと思いたくなった。

ただカツラをかぶって刀を振り回し、同じ表情を作って同じセリフを喋ったところで、同じ出来栄えになるはずも無い。黒澤の映画のワンカットは、それぞれが彼の美的センスを納得させる構図になっている。

それは小津映画も同じで、映画監督の力量の差が出来栄えとなって表れていた。

やれオマージュだ、リスペクトだと高尚な事を言っても、駄作は駄作であることに変わりはないのである。

埼玉の「ナッツ親子」。

2015年09月05日 | 日記
去年の暮れだったか、大韓航空の副社長がファーストクラスに乗っていた時、ナッツの出し方が悪いと激怒して、乗務員に「飛行機から降りろ」と命令して飛行機を遅らせた、いわゆる「ナッツ・リターン事件」があった。

当時は、実にバカバカしい出来事で、笑いながら事の成り行きを見ていたものだった。



その後、彼女はメディアのバッシングを受けて有罪判決となり、「ナッツ姫」という別名ももらい、うなだれた姿がテレビでも盛んに流されていた。それもそのはず、彼女は大韓航空の会長の長女だったからだ。

彼女の父親でもある会長はテレビカメラに向って頭を下げて、「娘の教育が至らなかった自分の責任だ。」と頭を下げて公に謝罪した。



「ナッツ姫」というあだ名は、英語のNuts がピーナッツという意味と、「馬鹿、アホ」という意味があることをかけた、面白い名前だった。

多分、裕福な家庭で、何の苦労も無くぬくぬくと育ってきたナッツ姫に対する韓国国民の非難は相当なもので、理解できなくも無かったが、その後彼女は執行猶予判決が下り、釈放されたようだ。

よその国の出来事だと、面白がって見たが、なんと同じような出来事が日本の埼玉県でも起きた。

文理佐藤学園という小学校・中学校・高校・大学・専門学校を経営する法人の学園長が学園の金を私的に流用したと報じられた。その金額、何と数千万円になるというから驚いた。この金には補助金(税金)が含まれているはずだ。



さらに、この44歳の佐藤仁美という方の父親は、学園の創始者で、現理事長の佐藤英樹という方だそうだ。何となく構図が大韓航空の「ナッツ姫」と似ている。

娘さんを自分の学園で小学校から大学まで学ばせ、挙句の果てに学園長という地位を与えている。しかし、この父親も、昨日しおらしく自分の娘の公費横領について謝罪会見を開いていた。



「学園長として、わきの甘さ、大変不適格と考える。しかし、しっかりと海外の教育サービスについて勉強もしてきてくれたことと思っています」と理事長は話していた。

当の本人は体調不良とかで会見には同席しなかったばかりか、こんな赤っ恥をかかせた娘を、「しっかり勉強もしてきてくれた・・」と庇っているところなど、典型的な「親馬鹿ちゃんりん、蕎麦屋の風鈴」で、聞いているほうが赤面してしまいそうだった。

韓国の人がこのニュースを見ていたら何と言うだろうか?

まともな父親なら、首に縄をつけてでも会見場に連れて来て、事情を説明させて謝罪させるだろう。

だいたい小学生のときからイギリスやアメリカに何週間も修学旅行につれていくような学校など、まともな学校とは思えず、西洋かぶれの見栄っ張りの親が金をかけて馬鹿息子・馬鹿娘に育て上げるパターンで、少し話を聞けばすべて察しがつく。

大韓航空の「ナッツ姫」を笑い飛ばすどころか、なんとも大恥をかかせてくれる「ナッツ親子」ではないか。

起こりうる難民の波。

2015年09月04日 | 日記
トルコ海岸に漂着したシリア難民の3歳男児の遺体の写真は、欧米や中東などに配信されて衝撃が広がっている。

男の子の遺体の近くにはそのお兄さん(5歳)と母親の遺体も見つかったという。



対岸のギリシアに命がけで密航するシリア難民は後を立たず、内戦が始まった当時のシリアの人口2200万人の内、約400万人が海外に難民として非難し、国内での避難民約760万人と合計すると、ほぼ半数が紛争の影響下にある。



漂着した男児の遺体の写真は直視できないほど悲惨だが、同時にニュースで報じていたドイツを目指すシリア難民たちの映像も相当ショッキングであった。

文字通り小さな船に溢れそうなくらいに難民たちを乗せた映像は、ベトナム戦争終結直後の「ボートピープル」を彷彿とさせる。



さらに、難民を受け入れてきたドイツ国内では、その難民の収容施設が放火されるなどする事件も多発しているそうで、無事にドイツにたどり着いたからといって、彼らは安心できない状況のようだ。

こういう一連の映像を見ていると、この国もいつかドイツと同じ轍を踏むときがきそうで、非常に心配になる。

シリア難民のことではない。先日、戦ってもいないのに、抗日戦勝利70周年を祝って、軍事パレードを見せびらかしていた、あの国のことである。

去年の後半に小笠原諸島沖などに何百隻と出没した、支那の赤サンゴ密漁漁船の恐怖は、本土に住んでいる者にはなかなか実感として伝わってこなかったが、近隣の島民たちは、心から恐怖感を抱いていたそうだ。

見ているだけでほとんど手をこまねいていた日本政府に対しても、相当苛立ちを感じていたに違いない。

それは、漁民を装っているが実態は支那の海上民兵たちであることは明白であったからだ。いくら高値で売れる赤サンゴ目当てだからといって、あんな風に大挙して押しかけては、サッと引き揚げるような統制の取れた行動はただの漁民たちの仕業であるはずがない。



それに、漁船が出港していると思われる福建省や浙江省には合わせて万単位の海上民兵がいるとみられているそうだ。

問題は、あの程度の漁船でも支那本土から数百隻単位で日本近海に短期間で一気に押しかけることが容易であり、それに対して日本政府は実力行使を取って阻止することはできなかったという事実であった。

チャイナリスクがいよいよ本格化してきた支那では、この先何が起きるのか予断を許さない状況である。

一気に支那の難民が、あるいは難民を装った民兵が、数十万の単位で連日押し寄せて来ることは十分考えられる。危険予知をして、その対応策を考えておいて間違いない時期に来ているのではないだろうか。

それを示唆するシリア難民の悲劇の映像であったと思う。

村山富市、支那で入院!

2015年09月04日 | 日記
毎日新聞によると、村山富市爺さんが支那詣でをしたのに、体調不良で入院ですと!

 【北京・工藤哲】中国政府の「抗日戦争勝利70周年」の一連の記念行事への出席のため訪中している村山富市元首相(91)が体調不良を訴えて入院した。中国メディアが3日伝えた。

報道によると、村山元首相は軍事パレードの出席も見合わせた。中国人民対外友好協会の李小林会長が3日午前、入院先の病院に見舞い、中国指導部から早期回復を願う意向が示された。村山氏は日本政府とは無関係の立場で訪中した。北京では晴天が続いており、3日も午前から猛暑となった。(毎日新聞)
.


せっかく、軍国主義を突っ走る独裁国家に出向いて、独裁者じきじきに「平和」の尊さと、「戦争反対」を訴えることができる、千載一遇のチャンスだったのに、支那で熱中症かよ!

暑い中、デモに呼ばれて大きな声出してたのにねぇ。

まさか、招待された手前断れなくていってはみたものの、どんなツラして軍事パレードに出ていいか分からなくなって、仮病を使ったんじゃないだろうね?

せめて、見舞いに来てくれた支那人に対してでも、「軍国主義はいかん。時代に逆行しとるぞ!そう独裁者に伝えてくれ!」と言って欲しかった。

せっかくの汚名挽回のチャンスをみすみす逃してしまって、残念ですな。

どこまでいっても、役立たずのお爺さんです。

リベラルの醜態。

2015年09月03日 | 日記
先日の朝刊のコラムで、評論家の石平氏が、「日本のリベラルは死んだ。」と嘆いていた。

先月末の国会周辺での安保法案抗議デモで、日本の有名大学の教授などが、耳を疑いたくなるような暴言を口汚く、一国の総理に対して吐いていたという。

あの主催者発表12万人、警察発表3万人だったデモのことだったのだろう。その大学教授とは、法政大学教授の山口二郎という方のことらしい。

どんな顔の人かと思ったら、こんな顔だった。



安倍総理のことを、「お前は人間じゃない。」と罵ったそうだ。専修大学の教授も安倍総理を、「馬鹿かウソつきか。」とののしったそうだ。どんな方かと思ったら、こんな顔をした方だった。



大学の先生がこんな風だから、学生たちは品性下劣になるのも当然だろう。共産党の下部組織「民青」が名前を変えて、若者を挑発して動員している。その手先の奥田某というお子チャマ学生がこの方で、安倍総理を「馬鹿かお前は!」と叫んでいるようだ。



左翼思想で染まったアニメ作家の宮崎駿氏は、外国人記者クラブでお膳立てしてもらって、言いたい放題の政権批判をしていた。安倍総理を「愚劣だ」とけなしていたのはまだ記憶に新しい。



自称ジャーナリストの鳥越ナントカ太郎という方は、安倍政権は「安倍ドルフ政権だ」とヒトラーになぞらえて得意になっっていた。



こういう連中に、「平和」を主張する資格など無いではないか、と石平氏は呆れている。そして、こういう現象をまったく批判しようとしないで、大規模のデモだ、若者がたくさん集まった、とはしゃいでいるだけの新聞に、失望して、「異様な事態だ」と驚いている。

石平氏といえば、天安門で民主化運動を展開した張本人で、その方が「あの運動のときですら、中国の指導者を馬鹿だ嘘つきだなどと罵ったことなど無かった。」

「ただ、誇りを持って理念を主張していた」そうだ。

石平氏にしてみれば、安全が保障された環境で、言葉による暴力行為でお祭り騒ぎをしているだけでしかない。

こういう連中に向って、野党の党首が「皆さんのお力を貸してください。」と声を張り上げている光景は、「もはや、日本のリベラルは死んだ・・・」と呟くしかないのだろう。

お仕えします、習さま。

2015年09月02日 | 日記
中国共産党の軍事パレードは明日の予定である。

抗日戦争勝利70周年を祝うそうだが、中華人民共和国が建国されたのは、1949年10月のことである。2015-1949= 答えはいくつか計算してみれば良い。



毛沢東は、迷惑をお掛けしたと謝罪する旧社会党議員に対して、「謝ることは無い。われわれは、日本のお陰で建国できた」と礼を言ったという。

その毛沢東にあこがれる習キンピラは、抗日戦争勝利を祝うんだそうだ。

その習キンピラに招かれてノコノコで掛けて行ったのが、韓国の女酋長クネクネだ。



事大主義という言葉があるが、このお手本が韓国である。



朝鮮戦争では中国に一気に半島の先端にまで攻められたのを忘れたのか。そして、朝鮮戦争は今休戦状態だろう。

見つめあっている場合ではないぞ、クネクネ。



欧米諸国や近隣の東南アジア諸国は、軍事パレードなど見たくもないはずだ。その証拠に必死で招待しても参加する首脳はわずか30カ国というではないか。

完全に狂った女酋長が、次に何をしでかすか、これは見ものである。