孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

被害者面で逃げ切る根性

2015年09月01日 | 日記
佐野氏の、「原案」に見られる躍動感が無くなったのでもう一度修正を依頼した・・・

東京五輪のロゴ問題は、結局白紙に戻ることに決ったが、何とも後味が悪く、賞味期限が切れて冷蔵庫の奥の奥にあった、酸っぱくなったキムチを食べさせられたようで、ペッ、ペッと吐き出しても口の中に嫌な味が残る。

今日の夕方、組織委員会の記者会見があり、武藤敏郎事務総長が決ったロゴの使用中止を決定した経緯を説明した。しかし、それは苦しい言い訳に終始していて、醜悪な選考過程を不信に感ずる国民を納得させるには至らなかった。

初めから佐野氏に決っていたとしか考えられず、厳正な選考がされたなどとはとても言えない。



武藤氏はデザイン業界の方ではないようだが、業界を仕切る大手広告代理店の権威はあまりにも強大で、意見を差し挟む余地などは到底無かったものと思われる。



決定したロゴが登録済みの商標に似ていたなら、決定を取り消して他を選ぶのがスジだろう。それを修正させるとは、どう説明しても納得できるわけが無い。しかも、それが二度も修正させるとは。「最初に修正された作品は原案と比べて躍動感が無くなった・・」。

私にはそのセンスがないので偉そうなことは言えないが、「原案」に躍動感などまったく感じられず、ただのTというアルファベットに赤い丸としか見えず、東京オリンピックのロゴにはまったくふさわしくないと感じたものだ。

片や黒い丸で、「点」に過ぎないが、佐野氏の「原案」にある赤い丸は日の丸であり、情熱であり・・云々。業界の重鎮が講釈を始めれば、誰も反論などできる雰囲気ではないのだろう。

その業界の権威者が、『最終的に決ったものが、ベルギーの劇場ロゴに似ているからと言っても原案はまったく発想も思想も違うから問題ないのだ・・』と強調しても、「そうは言われても、佐野氏が修正してきた最終案がベルギーの劇場ロゴにそっくりなことには変わりないのでは?」と常識で反論できなかったようである。

やはり、今回は「博報堂で決まり」ということになっていた「八百長の出来レース」だったと考えざるを得ない状況証拠が溢れている。

二大広告代理店、電通や博報堂に逆らうということは、仕事がやりにくくなったり、天下り先が無くなったりして、少しでも業界に関わる人なら、絶対にやってはならないことなのだろう。

テレビなどは広告代理店の言い成りに動く、その最たるものだから、審査員の責任者の息子が博報堂のデザインの子会社の社長だったり、佐野氏がそこの社員だったり、奥さんもそこで見つけ、今回の審査員の中には、佐野氏の博報堂時代の部下だった女性がいたり・・・こういう最早誰でも知っているようなことは一切どの局も伝えないではないか。

「デザイン業界のことなど何も知りもしないくせに、素人どもがグダグダうるさいから、佐野君、お前今回は我慢して取り下げなさい・・・」というところか。



で、パクッたと認めたくはないから、「自分や家族が誹謗中傷の対象になっているので・・」という被害者を装って辞退する、あくまでも「被害者」として、、、となったようだ。


これ、どこかで見たような既視感があると思ったら、あった、あったありました。ちょっと前、従軍慰安婦でっち上げ記事の元朝日新聞記者の植村隆だ。



長いこと取材されるのを逃げ回っていたのに、最近は一転、立派な被害者面して外国などでも記者会見をしまくっているそうだ。

夕方の番組で、街の人が今回のロゴ騒動の感想を、「なんか、日本人みんなおかしくなっちゃったみたいだね・・」と呟いていたが、私もその年配者にまったく同感だ。

今回のゴタゴタの被害者は一体誰だったのだろうか。論点をずらさず、事の成り行きを見直せば子供でも分かることではないか。

大きな利権が絡むと、人間まともな判断は出来なくなってしまうものなのだろう。今後の興味は、今回の責任は一体誰がどう取ることになるのかという点に絞られる。国民の多くが溜め込んだ溜飲を一気に下げてくれるようなケジメをつけて、気分を一新させて欲しいものだ。

ネットでは、誰かが「1964年東京五輪の目玉は、東洋の魔女だった。2020年東京五輪の目玉は、盗用の佐野だ。」などと揶揄していた。

あるいは、佐野氏を「パクリ+クリエーター」で、「パクリエーター」と呼んでいた人もいた。

佐野氏は、日本人なら、歪んだ被害者面で言い訳に終始せず今回のゴタゴタについて早急に記者会見でも開いて頭を下げ、再スタートのきっかけにしないと、「盗用のパクリエーター」という汚名は一生付きまとうことになるだろう。