孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

忘れた頃にやってくる。

2015年09月14日 | 日記
川幅1kmくらいの1級河川のすぐ近くに住んでいるので、今回の鬼怒川の洪水はひとごととは思えなかった。

今でこそ両河岸は整備されているが、それでも堤防を越水するほど増水すれば、ひとたまりも無いことになることはニュース解説を見ていてよく理解できた。

今はもう無いが、子供の頃は堤防に「水防小屋」と呼ばれる小屋が建っていて、中には蛇籠とか長い竹の先端に鉄のフックがついた流木を引き寄せる道具などが保管されているのを見た記憶がある。

 ←蛇籠(じゃかご)で護岸する。

その頃は、消防団とは別に、「水防団」が組織されていて、当時の親父は洪水の時は堤防の見回りなどをやっていたようだ。

堤防が弱そうなところは、洪水のとき水流を変える目的で、聖牛と呼ばれる丸太を組んで、蛇籠で固定した構造物がところどころにあった。



普段は、この聖牛に登っては遊んだものだった。丸太の組み方で様々な型があり、今ではコンクリートブロックに取って代わったので、その見本がいくつか河川敷の緑地に建てられている。恐らくこの地域特有の伝統的な護岸法なのかもしれない。



長老に聞くと、上流にダムが出来る以前は、大雨が続くと堤防が決壊して、そのたびに河がは流れを変えたものだったらしい。

今でも地域では順番に鎮守の森の神社の掃除当番が廻ってくるが、その際は神社の近くにある「おすいじんさん」という小さな祠の周りも掃き掃除をすることになっている。

いつも「おすいじんさん」と口にしていたが、それは「水神社」のことだとつい最近になって知った。



水の神様が祀ってある祠で、村祭りの際は、お神酒やおでんを祭壇に並べてみんな手を合わせていた。

異常気象だと毎年耳にするようで、もはや異常でもない、これが通常なんだと思うようになった。

被災者の言葉を聞いていると、日本人は自然の恩恵を受け、災害も受容し、毎年、毎年2600年以上自然に畏怖の感情を持ち続けてきているんだなあと、しみじみ感じさせられた。