産経ニュースに興味深い記事が出ていた。映画のニュースである。
『カナダで開催中の第39回モントリオール世界映画祭で、ドキュメンタリー部門にエントリーされた日本人女性監督、八木景子さん(48)制作の作品「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)が4日夜(日本時間5日午後)、現地の映画館で初上映された。』
八木景子さんは今回の作品が初めての映画制作だったそうだが、反響が大きく手ごたえを感じたそうだ。頼もしい「なでしこ」がまたまた登場したようだ。
『ザ・コーブ』というと2009年にアカデミー賞、長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した、和歌山県の太地町のイルカ漁を扱った偏見に満ち満ちた映画である。
エコテロリスト・反捕鯨団体シーシェパードは、太地町のイルカ漁を撮影した最も優れた映像に1万ドル、1分間の撮影画像につき500ドル、1枚の写真につき250ドルの懸賞金をかけるなどの活動を行っていた。反日映画の製作に大きく加担していたことは明白であろう。
5年ほど前、トルコ記念館を訪れるため串本町に行った帰りに太地町に立ち寄って舞台となった(入り江 = cove)を見たことがあるが、あのような小さな町だけで、外国の嵩にかかった反日活動に対抗するには、如何せん限度があると思った。
アメリカは、映画のようなメディアを巧みに利用してプロパガンダをてんかいすることが得意中の得意である。「戦場にかける橋」しかり、「猿の惑星」しかり、「アラビアのロレンス」しかり、、、。いい映画だが、「カサブランカ」なども典型的なその部類の映画だ。
そもそも明治維新の発端となった、1853年のペリーの浦賀来航が米国の捕鯨基地確保という目的をもっていた。当時のアメリカは太平洋で鯨を殺しまくっていたのである。鯨肉などのためではない。鯨油採取のためだった。
鯨を捕らえて逆さに吊るし、ミカンの皮をむくように皮を剥いで、それから油を絞り採るのであった。肉は海に捨てるだけ。せいぜいヒゲを取って女性のフープ・スカートの内側の骨組み用に使うくらいなものだったようだ。
因みに余談だが、あの膨らんだフープ・スカートは、トイレの無かったフランスの宮殿などで、女性が庭に出て、立ったまま小便をするために考案されて、西欧で流行したスカートそうだ。
「ザ・コーブ」のような悪意に満ち満ちた、NHKも真っ青になるくらいの、ドキュメンタリーというには作為だらけの映画を、否定する映画を作ってやろうという八木景子さんの発想に、私は敬意を表したい。
しかも、それをカナダのモントリオール映画祭で披露したのが偉い。
カナダといえば、例の赤ちゃんアザラシ漁をすることで知られたお国ではないか。鉄砲で撃つと皮に穴が開くので、金属が先端についた専用の棒でぶん殴り、皮が硬くなる前に、生きたまま皮を剥ぐ漁だ。
真っ白な氷原が、わずか3ヶ月くらいのアザラシの赤ちゃんの真っ赤な血で染まっていく光景は、直視できないほど無残だ。この方法で、毎年3~5月に30万頭以上殺しまくるそうである。残酷さでは、イルカ漁以上だろう。
アメリカでは捕鯨だけではない。バイソンをほぼ全滅しかけた。別名バッファローという野牛で、コロンブスが侵略した頃は、北米大陸に6000万頭ほど生息していたそうである。当時の先住民たちは、衣食住すべてをバイソンに依存していた。
それを、勝手にインドと間違えたヨーロッパ人たちが東海岸に侵略してきて、西へ西へと侵略しながら先住民たちを殲滅して行った。そのやり方が、彼らが依存するバイソンを殺しまくることだった。
糧道を断つ作戦は、昔から彼らのお家芸だった。奴隷にもならない先住民を殲滅させるため、6000万頭いたバイソンを殺しまくり、19世紀末にはその数が、わずか750頭まで減ったというから、異常である。
バイソンの頭骨は肥料にしたそうだが、山と積まれた頭骨の写真は有名だ。
アメリカは石油が発見されて、灯油としての鯨油の需要はなくなったが、零下でも凍らない鯨油は、兵器に需要があった。そのため捕鯨自体は続けていた。特にマッコウクジラの脳漿は、零下60度でも凍らないため、極地戦での兵器には欠かせなかった。
アメリカはこれを備蓄した。マッコウクジラを捕り続け、同時に大金を投じて、これに替わる不凍油の開発をした。そして、1972年、アメリカは「反捕鯨」を声高に訴えた。
サンオイル社が不凍油の開発に成功したのだが、開発費が嵩んだために、その価格は、依然マッコウクジラの脳漿に比べると3倍以上したためだった。他国に売りつけるためには捕鯨を禁ずればよい。
自動車の黎明期に西部の鉄道会社を買収して廃止し、自動車の需要を増やしたのと同じ、アメリカのお家芸であった。
エコ・テロリストと呼ばれる「シーシェパード」を設立したポール・ワトソンはカナダ人で、その本部はアメリカにあるが、これに好意的な対応をしてきて、しかも日本の調査捕鯨にも強く反対する元捕鯨国にオーストラリアがある。
オーストラリアでは今、鯨関連の観光が人気で、年間3億豪ドルにもなる儲かる商売に成長したそうだ。オーストラリア人にとって、「クジラは神聖な生物」で、たとえ調査だろうと、クジラを殺すのには反対するという。
罪人の流刑地として住み始め、先住民を殺すのを娯楽にしてほぼ絶滅させ、他にも多くの大陸特有の種を絶滅させてきたオーストラリア人は、今でも年間数万頭のカンガルーを射殺したり、撲殺したりして、娯楽として楽しんでいるのをご存知だろうか。
増えすぎたカンガルーを間引く必要があると言うらしいが、実際にはその数は大幅に減り続けているそうだ。元来彼らはこういう娯楽しか楽しめない連中なのかもしれない。
今でもオーストラリアのサウスウェールズ州の図書館に行けば、イギリスの流刑囚の書いた日記を閲覧できるそうだ。それには、「今日、アボリジニ狩に行って、17匹をやった。」と書かれているそうだ。
私たちは、白人たちの紳士面した腹黒さをまず十分事実に基いて認識し、その薄汚い魂胆を見過ごさず、機会あれば正々堂々と反論する姿勢を示す必要がある。これこそ、常識ある大人の対応ではなかろうか。
映画には映画で対抗する、八木景子さんの「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)という映画を一日でも早く観たいものだ。
『カナダで開催中の第39回モントリオール世界映画祭で、ドキュメンタリー部門にエントリーされた日本人女性監督、八木景子さん(48)制作の作品「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)が4日夜(日本時間5日午後)、現地の映画館で初上映された。』
八木景子さんは今回の作品が初めての映画制作だったそうだが、反響が大きく手ごたえを感じたそうだ。頼もしい「なでしこ」がまたまた登場したようだ。
『ザ・コーブ』というと2009年にアカデミー賞、長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した、和歌山県の太地町のイルカ漁を扱った偏見に満ち満ちた映画である。
エコテロリスト・反捕鯨団体シーシェパードは、太地町のイルカ漁を撮影した最も優れた映像に1万ドル、1分間の撮影画像につき500ドル、1枚の写真につき250ドルの懸賞金をかけるなどの活動を行っていた。反日映画の製作に大きく加担していたことは明白であろう。
5年ほど前、トルコ記念館を訪れるため串本町に行った帰りに太地町に立ち寄って舞台となった(入り江 = cove)を見たことがあるが、あのような小さな町だけで、外国の嵩にかかった反日活動に対抗するには、如何せん限度があると思った。
アメリカは、映画のようなメディアを巧みに利用してプロパガンダをてんかいすることが得意中の得意である。「戦場にかける橋」しかり、「猿の惑星」しかり、「アラビアのロレンス」しかり、、、。いい映画だが、「カサブランカ」なども典型的なその部類の映画だ。
そもそも明治維新の発端となった、1853年のペリーの浦賀来航が米国の捕鯨基地確保という目的をもっていた。当時のアメリカは太平洋で鯨を殺しまくっていたのである。鯨肉などのためではない。鯨油採取のためだった。
鯨を捕らえて逆さに吊るし、ミカンの皮をむくように皮を剥いで、それから油を絞り採るのであった。肉は海に捨てるだけ。せいぜいヒゲを取って女性のフープ・スカートの内側の骨組み用に使うくらいなものだったようだ。
因みに余談だが、あの膨らんだフープ・スカートは、トイレの無かったフランスの宮殿などで、女性が庭に出て、立ったまま小便をするために考案されて、西欧で流行したスカートそうだ。
「ザ・コーブ」のような悪意に満ち満ちた、NHKも真っ青になるくらいの、ドキュメンタリーというには作為だらけの映画を、否定する映画を作ってやろうという八木景子さんの発想に、私は敬意を表したい。
しかも、それをカナダのモントリオール映画祭で披露したのが偉い。
カナダといえば、例の赤ちゃんアザラシ漁をすることで知られたお国ではないか。鉄砲で撃つと皮に穴が開くので、金属が先端についた専用の棒でぶん殴り、皮が硬くなる前に、生きたまま皮を剥ぐ漁だ。
真っ白な氷原が、わずか3ヶ月くらいのアザラシの赤ちゃんの真っ赤な血で染まっていく光景は、直視できないほど無残だ。この方法で、毎年3~5月に30万頭以上殺しまくるそうである。残酷さでは、イルカ漁以上だろう。
アメリカでは捕鯨だけではない。バイソンをほぼ全滅しかけた。別名バッファローという野牛で、コロンブスが侵略した頃は、北米大陸に6000万頭ほど生息していたそうである。当時の先住民たちは、衣食住すべてをバイソンに依存していた。
それを、勝手にインドと間違えたヨーロッパ人たちが東海岸に侵略してきて、西へ西へと侵略しながら先住民たちを殲滅して行った。そのやり方が、彼らが依存するバイソンを殺しまくることだった。
糧道を断つ作戦は、昔から彼らのお家芸だった。奴隷にもならない先住民を殲滅させるため、6000万頭いたバイソンを殺しまくり、19世紀末にはその数が、わずか750頭まで減ったというから、異常である。
バイソンの頭骨は肥料にしたそうだが、山と積まれた頭骨の写真は有名だ。
アメリカは石油が発見されて、灯油としての鯨油の需要はなくなったが、零下でも凍らない鯨油は、兵器に需要があった。そのため捕鯨自体は続けていた。特にマッコウクジラの脳漿は、零下60度でも凍らないため、極地戦での兵器には欠かせなかった。
アメリカはこれを備蓄した。マッコウクジラを捕り続け、同時に大金を投じて、これに替わる不凍油の開発をした。そして、1972年、アメリカは「反捕鯨」を声高に訴えた。
サンオイル社が不凍油の開発に成功したのだが、開発費が嵩んだために、その価格は、依然マッコウクジラの脳漿に比べると3倍以上したためだった。他国に売りつけるためには捕鯨を禁ずればよい。
自動車の黎明期に西部の鉄道会社を買収して廃止し、自動車の需要を増やしたのと同じ、アメリカのお家芸であった。
エコ・テロリストと呼ばれる「シーシェパード」を設立したポール・ワトソンはカナダ人で、その本部はアメリカにあるが、これに好意的な対応をしてきて、しかも日本の調査捕鯨にも強く反対する元捕鯨国にオーストラリアがある。
オーストラリアでは今、鯨関連の観光が人気で、年間3億豪ドルにもなる儲かる商売に成長したそうだ。オーストラリア人にとって、「クジラは神聖な生物」で、たとえ調査だろうと、クジラを殺すのには反対するという。
罪人の流刑地として住み始め、先住民を殺すのを娯楽にしてほぼ絶滅させ、他にも多くの大陸特有の種を絶滅させてきたオーストラリア人は、今でも年間数万頭のカンガルーを射殺したり、撲殺したりして、娯楽として楽しんでいるのをご存知だろうか。
増えすぎたカンガルーを間引く必要があると言うらしいが、実際にはその数は大幅に減り続けているそうだ。元来彼らはこういう娯楽しか楽しめない連中なのかもしれない。
今でもオーストラリアのサウスウェールズ州の図書館に行けば、イギリスの流刑囚の書いた日記を閲覧できるそうだ。それには、「今日、アボリジニ狩に行って、17匹をやった。」と書かれているそうだ。
私たちは、白人たちの紳士面した腹黒さをまず十分事実に基いて認識し、その薄汚い魂胆を見過ごさず、機会あれば正々堂々と反論する姿勢を示す必要がある。これこそ、常識ある大人の対応ではなかろうか。
映画には映画で対抗する、八木景子さんの「Behind “THE COVE”」(ビハインド・ザ・コーヴ)という映画を一日でも早く観たいものだ。