H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

追悼 桂ざこば師匠

2024-06-13 | 趣味趣味


今朝の朝刊で,6月12日に桂ざこば師匠が亡くなったと知って驚きました。

むかしから落語(自分の場合は上方落語)は大好きで,枝雀全集のLPレコード10枚組とかDVD全集なんかも揃えています。大学生の頃は,年6回落語鑑賞会にも行ったりしていました。

ざこば師匠には,ちょっとした思い出があります。

大学4年生の頃ですから,今から40年以上前ですね。当時は(たぶん今でも)4年生が大学祭の運営実行委員をすることになっていました。イベントとして誰かをライブに呼ぶのがよくあるパターンだったんですが,落語好きだった数人の友人たちと,ひょんなことから米朝一門に来てもらえないだろうかという話になりました。
 学生の勢いというのは恐ろしいもので,友人の一人が実際に米朝事務所に連絡をとりました。そのときの事務所の方の反応は,

「あのね学生さん,一体いくらかかるか分かってるの?」と最初は相手にされない雰囲気だったようです。

ところが,大学病院内の臨床講義をやっている階段教室を使って,入院患者さんにもきていただく予定で・・・という趣旨を話したところ, なんと「格安」でおいで頂くことになったのでした。
 経費節減のため,階段教室の一番下にある講義机に赤い毛氈を引いたものが高座代わり,部屋の隅っこをカーテンで仕切って,お囃子はそこからテープで流すことになりました。そのテープのオン・オフするのも友人の一人が担当しました。噺のサゲで噺家さんが頭を下げた瞬間にお囃子が流れるようにキツく指示されていたので,その友人は緊張して話の内容はまったく耳に入らなかったと言ってました。それでも多くの患者さんにも喜んでもらい大盛況に終わりました。

 このときに来てもらったのが,確か二人の若手の落語家さんと桂ざこば師匠(当時はまだ桂朝丸)でした。当時は,動物いじめネタやワイドショーで大人気でした。でもワイドショーで出演しているイメージしかなかったので,ちゃんとした落語を聞いて,その素晴らしさに驚きました。もちろん会場は大盛り上がりでした。

 何より印象に残ったのは,その声でした。もともと声の大きな方ですが,ここぞというときには出された生の声は,腹に響き渡るほどの圧倒的な声量でした。今でもその時の印象は覚えています。

 落語家としては,まだまだ活躍できる年齢だったのに米朝師匠や枝雀師匠の元に行ってしまわれたんですね。残念です。謹んで御冥福をお祈りします。

 

合掌

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