H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

懐かしの城東貨物線のD51

2019-03-05 | 戻り鉄

 趣味趣味の世界です。興味のある方だけどうぞ。 

3月16日にJR西日本おおさか東線が開通して新大阪から奈良まで直通になるようです。高校生の頃まで住んでいた実家のすぐそばを通っていた城東貨物線がついに旅客化されることになります。この貨物線を走っていたSLが私にとって写真の原点です。その頃すでに,身近に走っている貨物線が旅客化するという話があって,期待に胸を膨らませていたものです。結局実現まで約50年かかったということですね。感慨深いです。

その頃に撮影したネガをデジタル化した写真です。小学5年で初めて手にしたのは「フジペット」というブローニー版(6x6cm)の子供向けのカメラでした。これで当時,毎日身近に見かけるSL(D51とC58)を撮り始めたのがカメラ人生の始まりでした。これらは自分のカメラ人生で最も初期の写真です(撮影時期は1969年12月頃)。その後35mm版のこれもオモチャみたいな「メイカイEL」というカメラを使っていました。

 

 

 

今から考えると,こんな場所からとても撮影できないようなアングルで撮ったものもありますが,40数年も前のことなので時効ということで・・。当時はのどかなものでした。

 

 

 

「メイカイEL」というオモチャカメラを長く使った後,父の「キャノネット」というCanonのカメラを借りて撮影するようになりました。それを手にして,少しづつ遠征するようになり当時の山陰本線,関西本線,播但線などに撮影にでかけたものです。

撮影していると当然のように本格的なカメラが欲しくなります。身悶えするほど当時欲しかった一眼レフをやっと手に入れたのは中学2年頃だったでしょうか。お年玉を貯金して購入したのは,一世を風靡した「アサヒペンタックスSP」でした。標準レンズ55mm F1.8に加えて28mmと135mmの広角・望遠レンズを同時にそろえました。でも残念なことに,念願の一眼レフを手にした時には国鉄無煙化で周囲にSLはいなくなっていました。結局,しばらくして鉄道写真はやめてしまいました。自分にとって鉄道写真はSLそのものだったのです。

コメント
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