ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

「二つの不幸」

2010-02-20 23:05:22 | カトリックの信仰
 「人生には二つの不幸がある。ひとつめは目的を達成できない不幸。ふたつめは目的を達成してしまった不幸…」という格言から、オリンピックのメダリストのタイプを観たコラムがあった。

 アスリートたちは、それぞれの競技の中で目標を目指して練習し、体を作り、時には怪我をし、悔しい思いをし、またそれをバネにしていく。「夢は見るものではなく、掴むもの」といった人もいた。スピードを競う判定はコンマ二桁まで計測して判定されたり、フィギアみたいなものも審判の受け取り方でかなり大まかなばらつきがあった時代から細かい採点基準が決まっていて、例えば回転が映像で確認できたりしている時代~~~う~ん、そこまでしなくてはならないのかなぁ。

 メダルを達成できない。あるいは自分の目標を達成できない悔しさや無念さを不幸と思う。目標を達成して、そのあとの脱力感というかその後の人生の目標が見つからない不幸。

 私の一番大切にしたいものは、競争の中にない。人と比較する中にもない。あの方の前で何様でもない、自分だけの力でできることなどほんのわずかでしかない。だからといって、自分に今できることに手を抜いていいとは思っていない。今できること、今あの方が望まれることを誠実に、謙虚に、でも一生懸命にしたいと思う。あの方の思いは、実は計り知れなくて、知れば知るほど、親しく感じる程、さらにもっと近くに感じたい、もっと深く知りたいと思う。いやぁ、到達点は永遠に続く果てのようだ。神の愛、イエスのまなざしに出会ったのは不幸ではない!幸いだ。 心のざわつきが全くないなんて言わないけれど、私の拙い信仰でも、心に広がる穏やかな空気は生きにくい今の世の中でも力を与えてくれている。

 目指すものは生きるエネルギーになるのだから夢を描いて、目的をもつことはを大事にしたらいい。自分の思う通りになったら謙虚に喜べ。思う通りにならなかったら謙虚に反省すればいい。思う通りにならないことが多いのだから失望する必要はない。次のステップへの希望なのだから。