ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

長島、加藤 やったじゃない!!

2010-02-16 23:51:32 | 日々の出来事
 オリンピックメダルがいくつ、とか予想するのやめようよ。一生懸命アスリートたちが頑張ってすごした時間、その照準をオリンピックに合わせてきたことを共に喜ぼうよ。と思っているのだけれど、でもステン!!とこけるくらいのガッツポーズや銅メダルがこんなに悔しいとは!といいつつ嬉しそうな様子を見ると、良かったなぁ、メダルというご褒美を貰ってと思う。

 メダルなくても、メダルじゃなくても頑張ったことへのご褒美は人生の中にこれから生かされてくるのだから、ね。

 おめでとう!!

疲れた、けれど楽しかった

2010-02-16 23:46:13 | カトリックの信仰
 週末に帰宅して、今日がピークの日々だったのですが、でも終わってみれば充実していたというのでしょうか。

 土曜日の晩:部屋の中が温まらずに、DMの片付けやらメールのチェック、荷物を解いたところで早めに入浴・就寝。夜のうちに、先月頂いたはねだしの黒豆を3キロ近く水に戻す。

 日曜日:朝、黒豆に火を通しながら、今週のカルチャーの献立チェック.買い物リストを作り、一日の行程を考える(思ったとおりにならないのは世の常)。
 ミサに出て、知人と昼食をし、買い物に走り、修道院の夕食を作り(火曜日の献立と同じにして練習)、夜は黒豆の続きを煮ながら、あちこち片付けていたら「竜馬伝}の時間になっていましたっけ。その後、パソコン仕事で料理と火曜日の夜の教会のクラスの下準備。寝たのはかなり遅く…。豆はかなり柔らかいのだ駆れど、スーパーで買った乾燥麹ではやはり足りないし、気になって使う気にならず、翌日仕事。

 月曜日(って昨日?):朝から普段からたまっていた文具を買いにちょっと郊外の常時3割引の事務用品屋に行き、銀行にいき、麹屋さんにいった。お昼を挟んで教会の手伝いに借り出され、その後、またまた八百屋や肉屋、魚屋と走り回って翌(今日)の準備完了!(のはずが、今日まだ残りが少しありました(*_*;)、それから出耒になっていた病み上がりの方のお見舞いに。前後入れて1時間、もう真っ暗になってきていました。

 夕方から1時間半、味噌作り。柔らかくなった黒豆に火を通して暖め、麹・塩・種みそを用意、フードプロセッサーも仕込む容器も準備して、手順はよくなったけれど、出来上がり10キロを超えたみそ仕込が終わって、あちこちきれいにし終わったのは9時近く。夜はまたクラスの準備で聖書やノートを開いて要点のみ書き留める。

 今日(火曜日)です!:朝、カルチャーにもっていくものチェック。最後の魚屋さんに行き、またまた銀行で振込みやら済ませて 早めだったけれどカルチャーへ。3月の日程の確認、4月からの新講座の確認。

 懐石料理入門科。1時から準備仕事をして、2時から開始。
《今日の献立》
いかの刺身三点盛り、いかのげそとほうれん草煮寄せ、茶碗蒸し。
13人出席者と楽しく調理。11回目の入門科はあと来月のみ。皆来年度もやってくれるかなぁ。片づけして、5時近くに教会へ。一仕事してから夜のクラスの最後の準備は聖書を何回も何回も読み込むこと。

 「ヨハネ福音書をゆっくり読む」は3回目にして1章の19節から。なぜかヨハネになったら、ご夫婦二組参加で、今晩は10人。洗礼者ヨハネを通して福音記者ヨハネが伝えたかった神の思いを受け止めて、丁寧に読み勧める。今まで何回も何回も読んだはずの箇所なのに、今回の準備で今まで思い込んで読み飛ばしていたところがあった。信仰を深める為にはそんなことはどうでもいいのに…。
  
 洗礼者ヨハネがイエスを待っていた「神の子羊」とみとめて、彼のの弟子が2人がイエスについていく。自分の師が、自分のしていること、伝えていることは今まで伝えられていた「その方」が来る準備に過ぎない、道筋に過ぎない。いつか「その方」がこられる。その時は霊が下るのが見えるのですぐ分かるはずだと神の思いを使命としていたから、弟子たちはその話を何回も聞いていただろう、だからイエスを「神の子羊」という師の促しで、イエスと出会い、そのままイエスに従った。待ち望んでいた人に会えたら、嬉しいに違いなかっただろう。まだ、説教も病人を癒すこともしていなかったときに…。あっ、この人だ!!とものすごいインパクトがあったのだろう。二人のうちの一人アンドレは、兄弟シモンのところへいって連れてくる。シモンはイエスから岩(ヶふぁ)と呼ばれ教会の礎となるペトロ。アンドレは更にフィリッポという同郷の友人に知らせる。ここです、今まで気がつかなかったのは。『アンドレとペトロはがリラヤのベトサイダの出身で、フィリッポも同じ出身だった』あれ??ペトロの家はカファルナウムじゃなかったっけかな?? イエスはカファルナウムで宣教活動は多いのだが『ペトロの姑を癒した』のもカファルナウム (@_@。あれ?カファルナウムは姑の家があったところ?ペトロ自信はベトサイダ出身で、ガリラヤ湖畔にあるカファルナウムは故郷ではなかったんだ!って、本筋とは違うのだけれど、こういう小さな気づきが嬉しいことの一つ。

 出席者からも創世記の第一章で神が何度も『良しとされた』と書いてあるが、あれは、創世記が書かれたバビロニア捕囚時代に、暗いことばかり辛いことばかりのときに何か明るいことはないか、神の思いは悪の中にあるのではない、といって書かれた天地創造物語なのだという説がある、そうなという分かち合いをして頂いた。

 弟子たちがイエスに従った場面を思うと私たちも、振り返ってみれば折りに触れて神の導きがあったことに気がつく。神もイエスも見えないし触れられない。でも色々な出来事の中に、自分の力ではない巡り合わせ、出会いが沢山あって、今がある。様々なタイプの一人一人違う人と人との出会いが、相性のいい人であろうがなかろうが、それは私の問題ではない。神の創造の業なのだから。だから人間関係で思い煩うのは時間が勿体無い。

 今、楽しい?と聞いたら、『楽しいですよぉ、山あり谷ありだから』と。そう、自分の思い通りにならないことも、大丈夫『良しとされた』方がいるのだからと希望を持てる、核心をもっている者は強く生きることができる。

 何とも、充実した数日間でありました。友達と会い、ちょっとの奉仕ができ、料理を共に学ぶことができて、聖書を共に分かち合える時ももてた。嬉しかったし、楽しかった。

 こうしてハードな日はまだ続く。