ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

2/7 主日の説教から

2010-02-08 22:49:09 | カトリックの信仰
 実家近くの修道院でのミサは久しぶり…

 K師は後期高齢者医療の対象と一昨年伺った、って説教には何の関係もないですが…

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 ルカ5:1~11 イエスがペトロに「人間をとる漁師にしよう」と言われ、ペトロがすべてを捨てて従ったところです。その前晩に漁師であるペトロが何も獲れずに網を繕っていたところに、漁師でもないイエスが来てもう一度船を出すように言われました。プロの漁師出会ったペトロは、イエスの仰せに従いました。そして船に一杯の魚が取れたときに、イエスの足元にひれ伏して「主よ、私から離れて下さい。私は罪深いものです」と言ったのです。

 神の素晴らしさ、恵みの大きさに気がついた者は、ますます自分の至らなさに気付きます。神がご自分の似姿として私たちに与えて下さったいのちは、どんないのちかを示して下さったのはイエス、神の与えて下さったいのちの恵みに気がつかない人々に仕えるようにと召し出されました。人をすなどる者になれ!と。神によって清められた主の望みのために働く力を与えられているのだから、立ち、伝えなさいと言われます。主がおん子を通して、神の思いを伝えることができるように私たちを支えて下さい、と祈りましょう。

 第1朗読(イザヤ6:2~8「私はここにおります。私を遣わして下さい」)、第2朗読(1コリント15:1~11「私にしても、彼らにしてもこのように宣べ伝えているのですし、あなた方はこのように信じたのでした」)も神のみことばの前にへりくだり、福音を伝えさせて下さいと祈っています。おん子ご自身が伝えて下さったみ言葉が福音です。旧約は預言者を通して、新約は決定的に違うのです、神のおん子が伝えて下さったことばです。福音書と使徒書も違います。

 神がいつでも恵みを与えて下さっているので、私たちは自らを卑しめず、恵みに感謝すれば、私のいのちがあなたたちを神の子に仕上げるという神の計画が完成するという確信に導かれるように祈りましょう。☆★☆★☆

 今、読み進めている本“幸せに驚く力”(清水眞砂子著)の中に 「人間って、自分で選んでいるつもりだけれど、自分で選べることってほんのわずかしかないっていうことが分かってきました」というフレーズがありました。「人生に何を期待するか」ではなく「人生が自分に何を期待しているか」という問いに答えていくこと、人は課せられた人生を生きていくという言い方もありました。それを神からの恵みと受け止めて、与えられた道を歩く、恵みに気付いて生きるという私を重ねることができました。振り返って、いろいろなことがあったなぁと思う時もありますが、その時々に新たに歩みを進めることができたのは悲しい時でも辛い時でも神の思いを受け止めていくのだという確信が、闇の中の光となってくれていたのだなと思う。やっぱり、すべての人に神の恵みは語りかけているのだ!と思うと嬉しくなる。