自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

五月はMAY、可能性の月、1,23%の進化を活かそう!

2012年05月02日 12時46分41秒 | コラム

 遺伝子情報の解明が進んで、塩基配列で犬の場合約25億、人間の場合約30億といわれている。そしてその配列の98.77%がチンパンジーと同じであること、1.23%が約500万年かけて進化した人類の人類たる所以であるとのこと、その進化が命を生み出した奇跡の惑星にとって幸運だったのか不運だったのかは、これからの人類の日々の営みによって決まって来るであろう、、。
 科学は、地球誕生が約46億年前、その6億年後に海の中に生命誕生と想定しているが、40億年をかけての命のリレーで、下等動物から高等動物へと進化したということを、ゲノム解読という最新の科学技術で証明してくれてるのだが、今もってこの地球上の人類の多くは、『人間が神をつくった』のではなく『神が人間をつくった』と考えさせられているようだ。
 人類が今後、気の遠くなる歳月をかけて進化を遂げることが出来れば、人間だけに染みついたエゴを克服し、無限の宇宙の何処かに命の継続が出来て、命を生み出した惑星、地球消滅を記録できる人類の遙かなる子孫の出現が可能となるのだが、、、。その新人類が今の人類を見る意識は、今の我々が下等動物にそのルーツを見るような感覚となるかもしれない、、、。

 こんな超未来のことを予想し(空想に近いが)、現在の人類に警鐘を加えるのも、人間だけが持つ権利あり、義務であると思う。1.23%の進化で、人間の素晴らしさもおぞましさも引き継いできた今の我々であるが、より進化すればというより、より文明化すれば、人類の持つ無限の可能性を無限の宇宙空間に向けて広げていけるだろうし、進化しなければ、より文明化しなければ、イギリスの未来学者が予言しているように、1億年後は哺乳類はほぼ絶滅に至るであろうし、人類はそれ以上の早い段階で絶滅することになるだろう。

 中学校の社会科で、人間と他の動物との違いについて直立歩行、重い頭を支え、知能の発達、そして、火・言葉・道具を使う、と学習したのではあるが、、、。人間以外の動物でも、生命維持、種の保存に役立つ経験から身に付いた知恵の伝達方は持っていたり、原始的な道具を用いる生き物は存在する。絵を描くようになり、絵文字から、象形文字、さらに表音文字にいたる文字の発明は等比級数的な知恵の蓄積を可能としたし、短い期間で地球の支配者の地位を得たといえるだろう。人類の歴史、500万年の大部分は、生きていくのがやっと、つまり貧しさ故に差別を知らない時代であった。四大河文明の発祥の地は、地球上で自然条件に恵まれたところで、多くの人口を養うことが出来、小国家の成立から広い地域にまたがる統一国家の出現を見ることになる。 牧畜・農耕によって生活が安定したのであるが、あまりの産物の私有観念も生まれ、身分の差も生まれてくる。

 ヨーロッパ人が移住してくる前の北米大陸のアジア系先住民は私有観念を持っていなかったし、日本列島の先住民アイヌ語に、私の物という言葉がない。言葉によって引き継がれた知恵を多く保持している部族のリーダーは存在しても、身分の差は存在しなかったようだ。古代文明の栄えた地に身分の差が生まれたのも、この1万年以内のことであろう。それ故に、差別を憎むDNAは全ての人類に引き継がれているし、この一万年の間に差別を肯定し、それを正当化する論理も生まれてきたようだ。エジプトやインカで、 『王は太陽の子である。』と信じられたし、ローマ帝国と結びついたキリスト教の論理(人間、キリストの教えとは大きくずれてきたのだろうが)が永くヨーロッパ全体を支配したし、今もって、進化論に否定的な教派も存在するし、今のアメリカではキリスト教右派の勢力が政権中枢にあって、パックス・アメリカーナの実現を目指している。

 『人間は考える葦である。』との名言があるが、人間が人間について考え、人間がつくる世の中について考え出したのはいつからなのだろうか、、、。文字によってその考えが蓄積されてきたのだが、エゴむき出しの争いが続いた中国の戦国時代、諸子百家といわれるいろんな人物がいろんな考えを述べている。今から2500年も前のことである。
 孔子は、『乏しきを憂えず、等しからざるを憂う。』とて、為政者に徳を積むことを求め、徳を積んだ為政者の下では一般民衆は平和的に幸せな生活が送れるとしたし、彼の先輩に当たる老子は、人間の欲望を減じることが大切だとし、81章の道徳経を残し何処かへ去っていった。性善説の墨子もいたが、現実の政治権力は、性悪説の立場に立つ法家の考えを取り入れ、戦乱を収拾したのが秦の始皇帝である。己自身の不老長寿を願っての、絶対権力の行使は、除福伝説を残したし、始皇帝陵、地下宮殿の解明が永きにわたって継続しているように、人間の欲望は、古今東西変わりがないといえるのだろう。
 その限りない欲望を何に向けるかによって、その人間性が問われることになるのだが、『金と権力』はそれを追い求める者にとっては最高の魅力のようだ。ブッダは、2500年も前に『有り余る財は身を滅ぼす。』と諭したのだが、彼自身は何ら不自由のない、シャカ族の王族に生まれながら、人生を深く考え、当時のカースト制度に疑問を感じ、『人は生まれによって卑しいのではなく、その行いによって卑しくなるのだ。』と説いた。老子の影響を受けたと言われるルソーやトルストイも、自己否定することによって一段と高い人間性を発揮した。それまでの哲学大系を、唯物弁証法として総括したマルクスも、裕福な弁護士の家庭に生まれながら、資本主義成立期のイギリス労働者の過酷な状況に対し、その原因と解決策を、イギリス社会を分析することにより、『資本論』という書物で明らかにした。働く者の立場に立った彼の思想は、働く者を使う立場の人にとっては、危険きわまりない思想となる。労働者の団結権が合法化されたのは、第一次大戦後のワイマール憲法によってであり、わが国では戦前は治安維持法で徹底的に弾圧され、戦後の日本国憲法よって初めて合法化された。
 『ナニワ金融道』という書物でベストセラー作家となり、資本主義体制の下で成功者の地位を占めた、故青木雄二氏が盛んにマルクス主義を宣伝していたのは、彼なりの自己否定の生き方だったのかもしれない。自己否定の人生を選ぼうとする者がもっとも進化した人類のパイオニアーといえるのかもしれない。『金と権力』が支配する現実を肯定し、その中で成功者たらんと努力している人が多く存在する昨今だが、一部の成功者と多数の敗者を生む先には、人類の堕落、ひいては滅亡があるということを忘れてはいけない。多くの人は漠然としたそういう危機感は持ちながらも、自分の生きているうちは何とかなるだろう、との安易な考えでその日を送っているのではないだろうか、、、。

 自業自得という言葉があるけど、人間が自ら創り出したものによって自らが困難に陥る例が、金と核兵器である。生産力の増強で人類の生存を容易にし、人口の増加、そして物々交換をよりスムーズに行うために人間が生み出したのが交換の仲立ちとしての“金”である。ところが、その金が一人歩きをし、まとまった金(資本)が人間を支配するようになり、『金は自由へのパスポート』とばかり、金を得ることが幸せに繋がるという錯覚を人間にしみこませているのが現状だろう。それ故に、道徳・人間性に反しても、法に触れない金儲け、法に触れる贈収賄、談合も摘発されるのは氷山の一角となれば、ばれない仕組みはより巧妙化して続けられる。『有り余る財は身を滅ぼす。』はブッダの言葉だけど、現在の地球上では、一年間で世界中の人間が生産する富の10倍の金が存在するため、その有り余った金は、為替相場や株式市場さらに石油市場等で利を求めて動き回っているため、人類のみならず地球をも滅ぼしかねない状況である。
 原子力エネルギーも現在の技術では数万年単位の有害な核廃棄物を残す問題が解決されてないが、鉛の部屋に閉じこめ、徐々にエネルギーを引き出す核の平和利用は否定されるものではない。化石燃料(有限である)を消費しての地球温暖化の防止には貢献するだろう。しかし廃棄物の根本解決策が見つかるまでは、ドイツが試みているように太陽光、風力に頼るべきであろう。人類の絶滅、消滅に繋がることはあっても、人類に何ら貢献しない核兵器は直ちに破棄すべきである。その為には、まず核保有国が、自己否定して核兵器廃棄に取り組むべきだ。その上で、核兵器を製造しようとしている北朝鮮やイランに、核兵器はつくるなと主張できるし、説得力もある。それでもだだっ子みたいに核兵器を持とうとするのだったら、経済制裁、場合によっては国連軍を派遣し核兵器工場を封鎖すべきだろう。

 人類は幸せを求めて、約1万年かけて今の世の中をつくってしまった。キリスト教や仏教、イスラム教が、その教えに従って慎ましく生きていれば、天国や神の国、極楽浄土に生まれかわれると、民に約束したのだが、、、。啓蒙思想家が主張した、死後ではなく、この地球上に、豊かさの中で全ての人が助け合って生きていく世を、、、が実現するには、同じ1万年の歳月が必要となるかもしてない。これも核兵器や金によって人類が消滅しなければの話であるが、、、。