人類の起源は500万年前といわれているが、その人類が閑が持てるようになったのは何時からになるのだろうか、、、、。その大部分は生きていくのがやっと、閑などは持てるはずはなかったろう。”人は考える葦である”と述べた同じ人物が、”無知を恐れるな、偽りの知識こそ恐れよ!”と述べているのだが、17世紀の人の言葉が輝きを放つのは、人の本質は大して代わり映えがしないとの証明なのだろう。
知を競い合ったソフィストに対して、”私は知らないということを知っている”と述べたソクラテスにしても、真、善、美に考えを追求する時、必要なことは、まだ知り得ないことが無限にあると言うことを理解していたからであろう。孔子は、人間を君子と小人の二分法で説明しているが、その代表的な言、”君子は義にさとり、小人は利にさとし”と述べているのだが、つまり、立派な人は何が正しいか間違っているかで行動するが、くだらない人間は、損するか得するかで行動するものだと述べている。2500年も前のことである。
さて年明け早々、この国の宰相は、伊勢神宮に参拝しその後の記者会見で、明治150年を強調し、憲法改定を目指すとのことだが、”偽りの知識”で誤った72年前をすっかり忘れ去ったしまいたいのであろうか、、、。もっとも戦後生まれだし、知らないのは当然だとしても、学ばないのは問題だ。オリンピックを期に南北が歩み寄ろうとしているのがお気に召さないのか、相も変わらず圧力で押し通そうとしているのだが、南北の休戦ライン周辺が野鳥の楽園になっていることから、人の為す愚かさに気づき、そこから大切なことを学ぶ必要がある。
社会の木鐸、として大多数の人はマスコミには信を寄せていると思うが、”偽りの知識”を伝達することもあると言うことは理解しておく必要がある。ニューヨークタイムズがアメリカ民主主義の象徴と考える日本人が多いと思うが、フェイクニュースだと言ってかみついているのが現大統領トランプだろう。自分のツイッターで発言していることが真実で、世界に良い影響を与えているか否かは不明だが、、、、。
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