自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

M.エンデの遺言

2007年09月28日 07時20分37秒 | コラム
 「第三次世界大戦は始まっている。我々が気がつかないだけで、、。、この戦争は、従来のように領土や資源を対象とする戦争ではなくて、時間との戦争だ。私たちの子どもや子孫を破滅させる戦争です、、、。」とのM・エンデの警鐘をどう受け止めたらいいのであろうか、、、。『改革なくして成長なし』とのワンフレーズに5年間も何かやってくれそうだとの期待を込めて見守っていたこの国の有権者は、失われた10年のコピーを再現させられるのに気がつかないのだろうか、気づかぬふりをしているのだろうか。富国強兵の実現のために、『欲しがりません勝つまでは、、、』を強いられ、清貧が国民性となっていた我が国が、アメリカの物質文明の豊かさに憧れ、アメリカの生活様式の実現が戦後の最優先課題となったのもやむを得ないことだったのかもしれない。そのための経済成長路線が全面的に肯定され続け、財政特例法というモルヒネを使用し始め、その結果が年々膨大する国債、そして今後も増え続けることが確実であり、もはや将来の我々の子孫の支払い限度を超えるまでになったきているのではあるのだが、、、。今もって、経済が成長すれば税収も増え、国債依存の体質が是正できるとでも思っているのだろうか。まさに、M・エンデの警鐘にある、子どもや子孫を破滅させる未来が確実に訪れようとしているのであるのだが、、、。

 経済とは、もともと生産し、消費する人間の営みなのだが、生産に携わる人間の労働が富を生み出すという労働価値説は、ペティに始まり、アダム・スミス、リカドーに引き継がれ、マルクスによって大成されたものであり疑問の余地はないであろう。しかし、その労働生産物の配分の仕方には、歴史的に違いがある。人間不平等の原因をどこに求めるかでは、議論があるところだが、経済的不平等は、人間の労働の生産性向上とともに生まれてきたのも事実であろう。人が全て自由・平等で、互いに助け合って生きていく世を、架空の死後の神の国に求めるのでなく、現実のこの地上に実現を、という啓蒙思想家たちの夢は未だに実現していないのではあるが、その夢の実現の可能性よりも肝心の人類がこの地上から消え去る可能性が高いということをM・エンデは述べていると思う。そして人類が、この地上でその人類の夢の実現を目指して生存を続けられるためには、金融の仕組みを変えること、本来のお金の持つ、等価(労働・サービス)交換の意味を体現している地域通貨にその可能性を見いだしている。

 『働けど、働けど、我が暮らし楽にならず。』との人生を送ることを余儀なくされている人の数が未だこの地上では大多数であろう。60億を超える地上の人間の一年間での生産量は、ドル建てで30兆ドルとか、人間の経済活動に欠かせない、友愛、つまり助け合いが実現していれば、6人家族で円建てでは約330万円、慎ましく生活していけば、それまでの蓄積もあるし、十分に安定した生活を営めるはずだ。ところが、利を得ることが合法化されている資本主義国では(メディァは自由主義・民主主義の国と報道するが、、、)合法的に利が利を生むシステムを利用して、一部の者に富が集中することになり、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる二極分化が日々進行している。

 ここで体験的な私的経済原論とでもいえるものをまとめてみよう。私のお金との出会いは、お正月のお年玉が最初である。学校に入る前だから、オレンジ色の紙幣、額面は5銭、すぐ上の兄は小学校に入っていたので、青みを帯びた10銭紙幣,、早くより魅力的な青みの紙幣をもらえるようになりたいと思っていた。使うことはないし、すぐに預金に回すのだから、金額が問題ではなくて、絵柄がより魅力的だったからだ。『お金は卑しいもの』という考えが当時の日本では一般的だったのではないだろうか。子どもにはお金は使わせない、お金の魔力に影響されない子育てが普通のことだったと思う。落語でもお金を知らないふりをして、「五月人形の刀の鍔、、、?」なんて喋って、ご隠居さんに、「いい育ち方をしている」と褒められる話もあるが、、、。
 5銭、10銭というお小遣いは、個人名義の預金通帳に積み立てられる。無駄遣いをしない、貯金することが国のためだが常識の時代だった。小学一年の時、敗戦を迎えたのだが、それまでの私の預金残高は、今でも覚えているけど、8円35銭になっていた。戦後のインフレで、それまでの蓄積はどこかへ吹っ飛んでしまった。買いたいものがあったわけではないが、5銭、10銭と積んだのに、一度も下ろすことなく、古ぼけた通帳が探せば出てくるかもしれないが、、、。ずっと後になって、『インフレは姿なき怪盗である。』という言葉に即同意したのも、この幼少時の体験があったからだろう。アメリカとの経済力の差に気づかされたのは、高校生の頃で、朝鮮戦争の特需により戦後復興がなった頃である。やっと中古の自転車を買って貰え通学に使ったのだが、通学途上アメリカ軍のキャンプがあり、広い駐車場にはびっしり自動車が止まっている。当時、G.I.と呼ばれたアメリカ軍人の、日本でいえば一兵卒に当たる兵士が全員車で通勤している訳だ。「こんな国とよくも戦争をして勝てるとでも思ったのだろうか、勝てっこないはずだ、、、。」と妙に納得させられたものだ。そしてそんなアメリカにに憧憬の念はもっても、そのアメリカを訪問するには、一番安上がりの船便で、しかも貨物船に便乗しても、片道料金は500ドル、当時は360円が1ドルだし、円建てで18万円、高等学校を卒業して就職して貰える給料が、月7、000円の時代である。アメリカに行くなんて、夢のまた夢の時代であったといえるだろう。同じ地球上の人間で、住む国の違いによってなぜこのような差が出てくるのであろうか。戦争中、零戦とほぼ同じ性能のグラマン、日本が零戦一機を作る間に、アメリカでは50機のグラマンを作れたとのこと、正規戦では勝ち目はないのは当然だろう。戦闘機の支援もなく沖縄に向かった、当時日本の工業水準の粋を集めた戦艦大和が、アメリカの戦闘機の餌食となり鹿児島の沖合に沈んでいるのだが、、。それから60年、日本とアメリカの一人あたりの所得も、賃金も大した差がなくなってきているが、そこまでなれたのは、第一に日本人が、働くことが好きだという民族性を発揮して働いたことと、アメリカが最高の無駄遣い(朝鮮戦争・ベトナム戦争、それと世界中に張り巡らせた軍事基地)をし、そのおこぼれを沢山頂いたからといえるだろう。スタート時点では、日本とアメリカの賃金は、1対8(1ドル360円換算で)。メイドインジャパンの製品がアメリカに多く輸出されるようになったのは、アメリカの国民は、安い賃金で生産される日本製品を割安で購入できたからだろう。生産物が売れると景気がよくなるし、賃金も上がっていく。初めは繊維製品が、やがて機械、鉄鋼、自動車など重工業製品もアメリカの製より安く性能もいいということで売り上げを伸ばし、日米貿易摩擦を生むこととなる。その間、アメリカとの間の貿易黒字はドル(金との交換は可能で世界通貨の役割を果たしていた)建てで日本は貯め込んだ。無駄遣いにより大量のドルを世界中にばらまいたため、ドルへの信頼が薄まり、アメリカの金の保有高は著しく減少した。その結果が、ニクソン・・ショックといわれるドルと金との交換の停止である。金(稀少な労働生産物)の裏付け、保証のないドルは紙切れにすぎない。為替相場は大混乱をきたし、固定相場制から変動相場制に切り替えられるが、瞬く間に、1ドル360円が、200円台にさらに100円台に変動する。つまり円高が進行し、円の値打ちも上がり、外国製品が割安で手にはいるようにもなったし、海外旅行も夢ではなくなった。日本経済、日本にとっては、万々歳のごとく思われるが、それまでのドルによる日本全体の蓄積が半減し、その分がアメリカに持って行かれるという、為替変動によるマジックも忘れてはならない。そういえば、昨今のアメリカの中国元の切り上げ要求に対して、決定権は中国にあるとして抵抗しているのも理解できる。

 その国の経済の状況によって為替相場を変動させる、というのは一見正しそうだが、M・エンデのいう二種類のお金、我々の財布の中にあるお金と利を求めてどこにでも手を伸ばすお金、その後者に活躍の場を与えることとなる。毎日ニュースで、円相場が報道されているが、莫大な資金が、ニューヨーク、ロンドン、東京などに分けられ、コンピューターを駆使し、時差も利用し、日々円安、円高を演出し、莫大な利を得ている現実を見落としてはならない。そうして得た利をさらに拡大すべく、原油市場に回されているのが、世界的な原油高の原因である。各国の経済状況は、日々変動するものではないし、ほぼ半年ごとに見直して為替を変動させ、次の半年間は固定相場にすべきだと思う。そうすれば、相場を操っての投機的な資金の流れは止まり、健全な産業資本への投資がなされることになるだろう。
 他の人より多くの汗を流して働き、また多くの知恵を絞って人類に貢献する発明発見等で多くの収入を得て、それで他の人よりいい生活をしたとしても誰も文句はないであろう。もっともそういう人は、『社会は豊かに、個は慎ましく』という、経済生活における大切な要素を体現している場合が多いと思う。今の市場主義経済万能の時代、アメリカにおける勝ち組の代表【要塞の街】に象徴されるように、『個の贅沢追求、社会は貧困層の増加』となっていくのではないだろうか。

 産業資本や商業資本の場合、その利は社会から受け取る故に、社会貢献が必然というモラルが存在し、より良い製品商品を、より安く消費者に提供することによって存続が可能という、自由主義経済の長所が生きていた。アメリカの鉄鋼王といわれた、A.カーネギーは、巨万の富を手にするまでは、競争・買収を繰り返したが、金の亡者になりかねない自分に気付き、「お金とは、社会公共のものであって、個人の所有物ではない。」として全国の大学に図書館を寄贈するなど全財産を公共のために提供し、自分の子孫には財産を残さなかった。日本でも、『節約は金次郎、使い方は銀治郎』との新聞記事に載った、藤原銀治郎は、A.カーネギーを尊敬した渋沢栄一の流れを引き継いだ実業家といえるだろう。ここまでは(産業資本・商業資本の段階)まだ人間が金をコントロールできた。金融資本となると逆に金が人間を支配することになる。M・エンデが金融の仕組みを変えないと、人類の未来はないと指摘しているのは的を得ているといえるだろう。


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