戦争を望むものは皆無である、すべての人は平和な生活を望んでいる。それでいてなに故に人類史は戦争の連続なのであろうか、、、。人類に限らずあらゆる生き物の争いの原因は食べ物であろう。腹が満ち足りていれば、肉食獣も獲物には振り向きもしない。次の空腹のために食べ残したものを隠す知恵は身についているが、、、。人類は牧畜、農耕をいつ獲得したのだろうか、、、。メソポタミヤの地で最初に牧畜、農耕が行われたといわれるが、木の実を求め小動物を狩りという生活をしていた遊牧民にとっては、食べ物の心配のない地域として垂涎の地であったと同時に、軽蔑の地でもあったのだろう。困った時の略奪の地であったし、農耕民を虐殺することも奴隷にすることにも何ら良心の仮借もなかったのだろう。
世界四大河文明は世界史で学ぶ第一にポイントだが、その地の統一王朝はいずれも農耕文化に依拠している。中央アジアからの侵略戦争に敗れ、奴隷化されたのがインダス文明であり、万里の長城を築き防ごうとしたのが漢民族の農耕定着民だし、アッシリア、バビロン、ペルシャ等王朝の変化を経たのがメソポタミアの地であり、比較的安定していてナイルの恵みで継続したのがエジプトであった。
話はアジアの小国、この国に飛ぶが、この国の戦国の世を終焉に導いたのが秀吉である。農民が平和が望みなので、その心理を巧妙に利用し、刀狩りを実施したのだが、、、。それを引き継ぎ約300年間戦争のない国を維持したこの国の人口の93%は農民であった。幼少時から、親の激しい働きを目にし、小さいころから手伝いをし、親に褒めてらい、働くことを厭わない国民性が培われたのが、この戦争がなかった300年間の財産である。欧米のキリスト教世界では”労働は苦役、神からの指令”となってたのだが、、、、。戦国の世に来日したザビエルは、喜々として働く人々に驚嘆したし、幕末にやってきた欧米人が、夜戸を開けっ放しにして蚊帳を吊って寝ている様子に文化ショックを受けたそうだ。
さような国柄で、自給自足で、約3000万の人口を要していたこの国だったのだが、欧米に生まれ拡大再生産が命の資本主義、帝国主義にたたき起こされ、風がないのに船が走る、鉄製の船が水に浮かぶ、に文化ショックを受け、欧米のものはすべて良きものとして受け容れるようになってしまった。”鹿鳴館時代”がその象徴であり、欧米崇拝、その反動としてアジア蔑視が定着してしまった。欧米人の体型が鼻が高く、首が長いのは、生活の場で適応する身体的変化なのに、つまり冷たい空気を暖めて肺に取り込むために気管が長いことが要請されての身体上の特性なのに、”ハイカラ”として受けいられてしまった。(つづく)