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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

日本シリーズ

2008年11月12日 13時19分05秒 | ニュ-ス
 今年のプロ野球のフィナーレとしての、日本シリーズは色んな意味で面白かった。先ず試合内容が拮抗していて、最後の最後までどちらに転ぶか分からないような接戦であった。メディアが最優先する視聴率も相当に高かったのも頷ける好試合続きだった。次に、FAで他チームの有力選手を金で総取りする金満チーム、両チーム選手の個々の実力、年俸で比べたら、前評判通り、巨人圧勝が予想されたのに、チーム力となるとわずかに西武の方が勝っていたのであろう。

 私は、中学校でサッカー部の顧問をしていたのであるが、小規模校で、人数もままならないチームを持つことが多かったので、チームワークで勝つしかなかったことを思い出す。そのために、生徒たちには、個々の実力とチームの力とは、桶に入る水の量がチーム力であり、一枚の板が個々の力だ、と説明してきた。個々人は日々の練習で、自分の力を着け、幅の広い、長い板にする必要があるが、それと同時に、チームの力は、一番低い板のところまでしか水はたまらないし、互いにカバーし合い、フォローし合い、サポートし合う必要性を説いてきた。11名の選手を連れて行き、大型バスで乗り込んできた、シード校に、接戦で勝利したのを今でも覚えている。

 前年リーグで5位、4番、5番を打った強打者が去り、新チームを任された西武の渡辺監督、評論家の予想も全てBクラス、秘かに闘志を燃やしたのであろう。よき協力者もいたのだろうが、なんと言っても今回の美酒のルーツは、今は亡き彼の父の存在だろう。前橋工業からドラフト一位で入団、西武の黄金時代の投手として活躍したのだから、幼少時からその片鱗は見せていたのであろう。小学校6年の時、少年野球の県の決勝戦で、味方のエラーで、0-1で敗戦、ふてくされた態度を見せた、少年に、“野球は一人でやるんじゃないぞ!”との叱責、そして家に帰ってから『ボゴボゴ』されたとのこと。別な話になるが、サッカーの名ウイングだった杉山選手(メキシコオリンピックの銅メダリスト)、幼少時に、試合の度にゴールを量産、家に帰って母親に、今日は何点取った、と自慢したら、“そうかい、そうかい、ボールは空から降ってくるのかい。”と窘められ、それ以降、彼は、アシストを目指したとか、、、。以前は、そういう父親・母親(学はなくとも、人の心を持つ)がいっぱい居たのだろうけど、今はどうなってしまったのだろうか。

化石政治家が大臣を辞任した。

2008年09月28日 19時59分20秒 | ニュ-ス
 来る総選挙までの短い在任となったかもしれないのだが、4日目にして、自らの失言(正確には確信的妄言)によって辞任する大臣、進水式を終えたばかりの麻生丸の前途は多難のようですね、、、。麻生総理は、自らの任命責任を認めているけど、かっての文教族のドン、森氏に強く要請されて、入閣させたのだった。つまり四代続いて総理を出した最大派閥の意向に背けなかったに過ぎない。

 『日教組撲滅』が政治信条の中山氏、日教組がどのような歴史的経過で生まれたかご存じなのだろうか、、、。戦前、『忠君愛国』教育に努めた結果、多くの教え子たちを戦場に送り、戦死した元教え子の数も数知れない。教室を離れた教師もいたが、当時文部省が発行した、『新しい憲法の話』の共鳴して、『教え子を再び戦場に送るな!』のスローガンの下、結集したのが日教組だったのだ。

 文部省と日教組は、共通の目標である、教育基本法の目指す民主主義教育のあり方を模索した。しかしその蜜月は短い期間で終わってしまった。アメリカの占領政策が、初期のニューディール左派から、マッカーシズムに同調する勢力に取って代わられ、冷戦の発動と共に、反共の防波堤の役割を日本に求めるようになったからだ。反共であれば歓迎され、公職追放解除により、戦前の勢力が政財界に続々復帰した。特に元内務官僚は文部省、厚生省に復職することとなった。保守合同なった自民党の右のグループは、戦前回帰を共通目標とし、文教族に属し活動する。

 中山氏を麻生内閣の閣僚に強く推した、森氏は、かって『日本は天皇を中心とする神の国』と発言したことで知られ、総理在任中は不人気で、『蜃気楼内閣』とまで揶揄されたのだが、大日本帝国憲法下では正論ではある。第1条、大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す、第3条、天皇は神聖にして犯すべからず、なのだから、、、。中山氏は、日教組撲滅の理由として、道徳教育に反対しているを上げているが、期間割りに特設されることに反対しているのであって、学校教育全般にわたっての人間教育(高い倫理観を育む)必要性を主張してることを見逃しているのではないだろうか。

 

自民劇の成り行きは、、、

2008年09月10日 21時23分28秒 | ニュ-ス
 5人の主役が出そろっての自民劇、メディアとしては慣例によって次期総理を前提とした報道を行っているが、演出家の期待した活劇になるか、喜劇、はたまた悲劇となるかは予想できない。『寄らば大樹の陰』が処世術となってるこの国の政治家、そこに政権党の旨味が重なれば、二代続けて雪崩現象が起き、二代続けて自己破産したことを忘れてしまッているのだろうか、1強4弱の傾向で、一回目で決まるかどうかの予想が立てられている。

 本命は、麻生氏とやら。自ら言ってることだが、「生まれはよいが、育ちは悪い」とのちょい悪が、国民的人気(?)の源とか、国葬で見送った宰相の孫であるのは事実だが、父方の祖父は九州の炭坑王であり、吉田総理の経済的支援者であった。一般的には妄言の類だが、本人の育ちの中では常識であった、『創氏改名は朝鮮人が望んだ』は、父方の祖父の時代、炭坑に強制連行されて働かされ、麻生財閥の財造りに貢献した朝鮮人労働者は、朝鮮人であるが故に差別され、卑しめられた現実から、少しでも逃避するためには、自ら名前を変えることを求めた人が、麻生家の周りにいたのは事実だろう。隣国との関係が気がかりとなる。

 自民党初の女性総裁候補、「男の守備範囲はせいぜい国止まり、女性のそれは人類、地球規模」の観点からとても真の女性とは言えませんね。権力を持つ男に寄りかかりながら自らの地位を、男世界の中で高めていったのだから、、、。

 清盛の息子、重盛のイメージがあった若手、父親を諫められる人物かと思いきや、やはり普通の父子なんですね、、、。財政通を自認してるようだが、増税路線では次の選挙での当選はおぼつかないでしょう、、。防衛通を自認している、防衛族のオタク、囚われの身の元次官、同じく脱税のみで起訴された秋山某とは一切関係がないことを証明してからにしてはどうなのだろうか、、。

総理不在でもこの国は安泰?

2008年09月08日 09時56分59秒 | ニュ-ス
 突然の辞任表明から1週間、首相不在でもこの国は成り立つのですね、、、。もっとの辞任は表明しても、新たな総理が国会で指名されるまでは、現日本国の総理大臣は福田氏であることは変わりはないのに、もともと存在感が薄かった上に、メディアも、自分らで叩き落とした犬でもないのに、『水に落ちた犬』をここぞとばかり叩いている。1ヶ月前の内閣改造では期待感を持って、幹事長に三顧の礼で、「国民的人気のある?」人物を据えたことを歓迎していたのに、、、。

 総理、幹事長、官房長官、の3人しか知りようのない今回の辞任の真相、その3人の中の誰かが漏らしたのか、メディアの憶測でその内実を公表しているのか解らないが、政権維持のためには何でも有りの自民党の粘り腰はさすがですね、、。

 相も変わらず、1政党の党首選びを、この国の宰相選びと同じ目線で報道を垂れ流し続けるメディア、視聴率が生命のメディアとしては、いかにしておもしろおかしく報道するかに全精力を使っている。時の権力から距離を置き、『権力は腐敗する、絶対的に腐敗する。』を肝に銘じ、批判精神を一時もなくしてはいけないのがジャーナリズムの神髄なのだけど、視聴率が神髄に成り下がった、大手メディアはこの国の腐敗ぶりを先取りしているのではないだろうか。

 乱立する次期党首候補、政権交代なった場合の受け皿となる民主党の単独次期候補、何れにしても親米保守でないと党内多数決で党首に選ばれない体制を構築するスタートとなったのが、’60年安保騒動後の収拾にあたっての、『もう、終わったことだし、今さら、これからが大切』との15年前の敗戦を終戦にした手法と同じ責任回避したことにある。

 8月15日は敗戦の日である。敗戦となると、その原因、責任者、今後の姿勢が問われなければならない。終戦とすることによって、アメリカの物量に負けた、責任は東京裁判の被告、今後はアメリカと諍いを起こしてはいけない、ということになってしまう。それ故に、全面講和か単独講和かで国論を二分したサンフランシスコ会議での独立回復も、真の独立とはならず、独立国の意志による米軍駐留を認めるポツダム宣言違反を見逃したし、平和憲法を持っているこの国の政治家が堂々と『日米同盟が一番大切』との言をなしても、国民からの批判を受けないで済む、不思議の国になってしまった。

 敗戦へ至る第一歩が、江華島事件であったとする歴史認識が必要だろう。ジョン.ダワーの『敗北を抱きしめて』を越える、自らの手からなるこの国の近代化の歴史を検証する必要があると思う。

沈没前に船長離船

2008年09月03日 10時26分44秒 | ニュ-ス
 1年前に棚ぼた式に転がり込んだ自民党総裁の椅子、その喜びを親譲りのおとぼけで、「貧乏くじかもしれませんよ」といなしたのだが、1年もしないうちに現実のものとなってしまった。辞任会見で、政治空白を作らないため、と述べたのだが、政治空白は、安倍前総理が辞める前から続いていることなのだと思う。正直に彼の心を表現すれば、『やはり貧乏くじでした、それも総理の持つ解散権を行使する機会を持てず、ただ小泉郵政選挙のバブル議席を長持ちさせたい自民丸の船長としては仕方がなかったのです。本当は、就任直後に選挙管理内閣として解散すれば良かったとの悔いはあります。』というところだろう。

 保守合同なって成立した自民党は、その第一の目的は、日本の社会主義化を防止する、ということだったし、民意を正確に反映しない小選挙区制の導入により、社会主義を目指してるはずの、共産党も社民党も、やっと比例代表で議席を獲得するにすぎないし、自民党はその使命を果たしたし、解党して、本来の政党に脱皮すべきである。この国の不幸は、戦後一貫として、自民丸の船長が、日本丸の船長を兼任してきたことである。メディアは、それを踏襲して、次期自民党総裁が次の総理との路線を見越した報道をしているが、今度ばかりは、民主丸の船長に暫定的に日本丸の船長を委ね、直ちに主権者の意志を確かめる総選挙を実施することを主張すべきだと思う。

 政界再編は、細川内閣の成立から始まった筈のだが、政権党のうまみが政治屋を育てるらしく、『多数決が民主主義』を信奉する魑魅魍魎が多数を占めるようになった自民党は、最近では強力なタグボート(公明党)の支援の下でしか政権を維持できなくなってきた。その上結党以来の親米路線、それが現在では従米路線に成り下がり、この国の宰相は、アメリカによって認証されないと、首も取られるようだ。大した失政もなかったのに、橋本氏が退陣したのは、彼が財政健全化のために日本が持つアメリカ国債の処分を仄めかしたからだろう。福田船長が離船したのは、アメリカとの約束(インド洋での給油活動)が守れそうにないし、タグボートがロープを外しそうだし、改造したばかりの閣僚の事務所問題もあるのだろう。

 アメリカと 負うた(太田)二人は 重すぎた    ヤスオ

文月に寄せて・・教職への道を拓いて頂いた師

2008年07月11日 15時18分23秒 | ニュ-ス
 大分県での今回の教育界不祥事で、先生のことを思い出したりして申し訳ありません。実際に私が教職の道に進めたのは先生の口添えがあってのことでしたね。しかも後にその内情も教えて頂き、少しばかりの後ろめたさと、それ故にしっかりとした気持ちでこの職責にあたらねばと思ったものです。

 実をいうと私は、自分の怠慢を棚に上げての言い訳に過ぎませんが、中学、高校生の頃から、勉強はしたいが受験勉強はしたくないと考えてました。実際の大学受験に失敗しても、予備校に通う気は全然なく、図書館通いをしたものです。でも当時の図書館は冷房設備もなく、夏の暑い時などは、3本立ての映画館に逃避して、映画の楽しみは十分に味わいました。それ故に、先生と出会えた時は、不本意入学の根なし草の状態でした。「都市と農村の社会学」が専門の先生には、本当の学問に導いて頂けたと思います。他の授業はさぼったり、単位を落としたりでしたが、「勉強は一生続けなければならない、勉強は大学ばかりでやるののではない。」との考えに至ったのは、M.ゴーリキーの「私の大学」に触発されたこともありますが、先生の人情あるゼミでの講義以外の語らいがあったからだと思います。

 大学3年の時、一時は退学して、別な学びの道をと考えたのですが、『山の此方にない幸せは、山の彼方にも有りっこない!』と考え直し、今の自分を考えた時、教員養成の学芸学部の3年、その先のことはきちんとこの学部を卒業して考えるとの結論に達し、3年の後半から4年にかけて、卒業単位を揃えることにしました。 先生の口添えで、追試を受けさせて貰ったり、レポート提出で単位を頂けたりして貰いました。教育実習の3単位が5年次になってしまい、卒業が9月になったのですが、学部変更で、教育学部になったので、卒業証書の新たなものがないため、これまた先生のお口添えで名書家の全文直筆の証書を頂くことが出来ました。

 教職を選ぶ決心が付いたのは、教育実習があったからだと思います。それまで気ままな生活をしていたのに、その3週間は、教材研究や資料作りで前夜2時、3時になっても、翌朝はぱっちり目覚め、生徒との関わりの中で、至福の時間を過ごせたのです。本来の学びとは考えていなかった、教員採用試験のための勉強もその時ばかりはよくやれたと思います。お陰で合格通知も手にすることが出来ました。お世話になった先生にはご報告したのですが、その時、履歴書を持ってくるように言われ、採用されなかった時に別な就職口を考えて頂けるのかと思っていました。

 10月には下宿を引き払って、実家の方へ帰省していたのですが、3月25日になっても何の音沙汰もありません。採用拒否の通知もないし、確認のためにまず先生のところにお邪魔したのですが、「○○か××地区と決まってるはずだぞ。」とのお話し、電話で何処かと連絡を取って頂き、その足で、××教育事務所に出向き、面接を受け、赴任先も決まりました。何か狐にでもつままれた気持ちでした。

 後からお聞きしたのですが、先生がご近所の県都の市会議員に推薦して頂き、その市会議員の同級生が当時県都の教育長をやっておられ、たまたま、××地区から県都に転勤希望の方が居られ、その方を受け容れる条件に私のことを××地区で採用するようにとの話になっていたとか。なかなか複雑な事情があったのですね。

 ですから、今回の大分県の問題は氷山の一角なのでしょうね。言ってみれば、スピード違反で捕まる人は運が悪い人という現実と似た要素があるのではないでしょうか、、、。私も現職中、何人かの「不適格教師」といわれる人の存在は知っていましたし、どうしてあの人が合格し、採用されたの、を辿っていくと強力なコネに行き当たるのです。私も先生のコネで教職の道に進めましたが、先生の信頼に背かない教師生活をしてきたと、先生の墓前に報告できると思います。

今、韓国が熱い

2008年06月11日 08時42分46秒 | ニュ-ス
 6月10日、ソウル市内を埋め尽くした70万人(警察発表では8万人)の抗議行動、発端は発足間もない李大統領が訪米で約束した、米産牛肉の輸入再開、直ちに反応したのが中高生といわれている。インターネットを介して、輸入再開反対の動きがあっという間に広がりを見せている。発足当時圧倒的支持を受けていた李政権だが、2ヶ月もしないうちにどん底状態、『盛者必滅・会者定離』を地でいく有様ですね、、、。ノムヒョン前政権もインターネットの威力で、太陽政策継続を約束して、初期には圧倒的支持があったのだが、三大新聞が米韓関係を危ぶみ批判勢力になった上、経済の停滞もあり、その末期には大幅な支持率ダウンとなり、経済立て直しのエースとして保守回帰に成功した李政権だったのだが、、、。

 やはり、多くの犠牲を払いながら、軍政を自らの力で打倒した、韓国市民の政治性の高さは見習わなくてはならない。ちなみに、6月10日は、1987年、大統領直接選挙など「民主化宣言」を引き出した国民集会の記念日に当たる。戦前は軍政に協力させられた(欲しがりません勝つまでは)この国の国民だが、自らの力でなく、アジアの民衆の抵抗、最終的にはピカドンでの軍部解体の歴史を持ち、現在に至るまで、親米昂じて、従米政権を支持し続けた自らを反省する時だ。

 韓国の小中高生の役割を、この国では後期高齢者が担っていますね。それも年金から天引きされてから気付いたくらいで、後の祭りにならないと良いのだが、、。
 沖縄県議選挙でその一端が示されたのに、メディアは、『秋葉原』事件、一辺倒ですね。山口県補選でも示された民意をどこまで無視続けるのだろうか。ジャーナリズムを担うと思うのだったら、メディアは全面社告で、即衆院解散を提言すべきだと思う。

やはり地震が一番怖い。

2008年05月16日 18時19分56秒 | ニュ-ス
 昔から、怖いものの代表として『地震・雷・火事・親父』といわれてきたけど、今回の四川の大地震、災害の様子が判明されるにつれて、未曾有の大震災といえるだろう。罹災者は1000万人、倒壊家屋は数知れず、死者は5万人を超えると報道されている。この地はかって、緒葛公明が善政を敷き、豊かな土地を根拠に、魏の曹操に対抗し、守りを固め、桟道から度々出撃、呉と連携しながら三国並立を維持した蜀の地であった。

 科学は地震のメカニズムを解明してくれるが、予知も数十年単位であり、突然訪れることには変わりはない。インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートに潜り込み、長年にわたって地層に歪みを生じていたのだろう。その歪みを糺す地球の屈伸運動が今回の大地震となった。地球を取り巻く大気の変動が、近々のサイクロン、雷を伴う場合もあるし、竜巻もタイフーンもその領域にはいるだろう。

 地震は予知は出来ても予防は不可能だ。日本列島には様々な断層があり、地震の多発地帯だ。大都市の高層ビル、各地に建設されている原子力発電所、M7.に耐えうるとの基準があるが、それ以上の地震が起きないとは断言できない。身体に感じる群発地震は度々あっても、巨大地震は稀なだけに油断があってはいけない。耐震構造の不正があったのも、大地震でも来ない限りばれることはないとのずるさ故だろう。

 宇宙の平和利用を改め、国防を目的とする軍事利用にGOサインを出す決議が、民主党を含む議員立法で衆院で可決されたが、この国の政治家は何を考えているのであろうか。北朝鮮のテポドンは外交努力で無力化できる。天井知らずの負担を強いられるミサイル防衛網、結局は誰が利を得るか考えなければならない。

日中友好のために、、、

2008年05月08日 20時40分11秒 | ニュ-ス
 10年ぶりに中国の国家主席が国賓として来日した。首脳会談も開かれ、それぞれ思惑はありながら、友好ムードを演出している。日中2000年の交流で、その大部分は恩恵を受け続けたのが我が国であった。近代になって、明治以降、欧米に習った国造りの過程で、征服王朝であった清との戦争、その清を倒した辛亥革命によりアジア初の共和国となった中華民国に、21箇条要求を武力を背景に押しつけ、満州事変以降の日中15年戦争という侵略戦争を仕掛けたのは紛れもない事実である。

 清朝末期、アヘン戦争以後欧米の中国植民地化の動きに、日本も加わるのだが、そういう中国民族の危機に当たって、人民解放の戦略・戦術を、古くからの孫子の兵法から学び、人民共和国の成立に多大の貢献をしたのが毛沢東である。
 現在も天安門の城壁に、毛沢東の肖像と、その左右に、中華人民共和国万歳、世界人民大団結万歳のスローガンが掲げられてるが、現在の中国指導部はその精神を忘れてはいないのだろうか、、、。アヘン戦争以来の100年以上の苦難の歴史の中で生み出された解放の思想が毛沢東思想であって、孔子の『乏しきを憂えず、等しからざるを憂う。』がその根底にあった。急速な工業化のために農業の発展が遅れたソビエトの例を批判し、中ソの社会主義建設の論争となったが、農業の発展に役立つ工業(肥料、利水、耕作機械、等)には力を入れるが、闇雲な工業発展はやらない方針を取っていた。
 かって、浅沼訪中団が毛沢東と会見し、『アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵である。』との共同宣言を出して物議を醸したが、本来は、アメリカ人民を含むの句を付け加えるべきであった。城壁にそのスローガンを掲げているのだから。

 その中国の現在に、?が付くのは、何せ13億の民を食べさせるためには、毛沢東の路線の修正が必要だったのだろう。『黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕まえる猫は良い猫だ』に切り替えたのが、早く豊かになったものが他の人に分け与えることにならず、今の中国が抱える問題となってるのであろう。さらに、海外の華僑を含む中国の底知れぬ潜在力を恐れ、将来の脅威と考えるアメリカは、正式な外交を取り仕切る国務省は、米中友好だが、アメリカにとって有利な状況を作り出すためのCIAの活動は極秘裏に何かを行っているだろう。今回のチベット問題もその裏にはCIAがあるのではないだろうか。何せ、かってダライラマに反中国活動をさせた前歴があるし、ソビエトをアフガン侵攻に誘い込み、ソビエト崩壊という結果を生み出したのも、CIAの活動があってのことだし、中国崩壊を秘かにねらっている勢力があちこちに手を伸ばしているのだと思う。

 国家主席の来日中に日本各地で、チベット問題を掲げての反中国活動が続いているが、メディアもその活動を詳しく報じている。3年ほど前のアジアサッカーにおける反日運動の仕返しだと思っているかもしれないが、両国民にとっては、避けるべき連鎖である。

良心の最後っぺ、、、?

2008年04月19日 11時01分15秒 | ニュ-ス
 名古屋高裁で、憲法に照らし合わせればごく当然で当たり前の判決が出た。つまり、憲法第9条と76条③項(すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。)に照らせば、、、。原告側が画期的として、敗訴にも拘わらず控訴しないのは、解釈改憲によってほぼ死に体となっている憲法が、救命措置(国民の不断の努力)によって蘇り、輝きを取り戻せるとの確信を得たからであろう。

 かっては真正面から憲法に沿った伊達判決、長沼ナイキ訴訟の福島判決で地裁による、米駐留軍は憲法違反、自衛隊は憲法違反の明快な判決が出たが、何れも上級審で破棄されてしまった。今回の判決は、国に控訴の機会を与えない巧妙な仕掛けであり、任期前に依願退職をした青山判事の良心の最後ッペといって良いであろう。最高裁へ持ち込めば、との当局の常套手段を使わせないのだから、、、。

 『傍論でしょ、、』と意に介せぬ対応の、首相、防衛大臣、暴論視して、閑になったら判決文を読みましょう等とのたまう外務大臣、イラクに於ける空輸活動は引き続き継続するとの官房長官、政治家ならぬ、従米事務官みたいな姿勢である。
 政治家なれば、むしろ司法判断を根拠に、イラクにおける航空自衛隊の撤兵をアメリカに打診すべきである。実現は無理としても、さらなるアメリカの要求を断るベースにもなるのだが、、、。今回の判決では、原告の求めた平和的生存権は直接平和的生存を脅かされてはいないとして否定されたが、現職自衛官が海外派兵を命じられたら、それを拒否できる論拠を示してくれてるし、第二第三の小西自衛官の登場が期待される。航空幕僚長の言う『そんなの関係ねぇ、、』とは行かないでしょう、、、。