面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

摂理

2006年07月29日 | よもやま
首都圏や関西で、大学生を中心とした20代の若者が、韓国人男性の教祖に絶対服従を誓う新興宗教集団に引き込まれ、マンションの一室で共同生活を送ったり、信者同士の合同結婚式に参加させられたりしている、という報道には驚いた。
学生時代、大いに問題になった統一教会にソックリではないか。
更に、教祖の女性信者に対する性的暴行も常態化していて、100人を超す女性信者が被害に遭ったとか。

報道を注意して見てみると、教祖はかつて統一教会でも活動していたとか。
脱会して同じようなシステムを築いて、新興宗教を作って好き放題やっていたということである。

教団の勧誘は、サッカーや演劇などのサークル活動を装って学生に食い込み、人間関係を築いたあと、徐々に教義を説いてマインドコントロールするという手法とのこと。
これも昔の統一教会と同じパターンだ。
学内に統一教会の“隠れ蓑”となっているサークルがあったし、信者が集う喫茶店というのもあった。
街中でアンケートをエサに事務所に連れて行くというパターンもあったし、繁華街で手相や人相その他占い師の看板を掲げ、普通の占いと思って近寄る人々を勧誘していたものもあった。
いずれも宗教色を出さずに接触し、気がつけば統一教会信者になってしまっている、というパターンである。

かつてあれだけ社会問題として大騒ぎがあったにも関わらず、いまだにこんな新興宗教による被害があるのだということにビックリした。
みんなそれだけ“何かに頼りたい”という思いを持っているということか。

何か・誰かに頼る方が楽だ。
何も考えずに済むから。
失敗しても、それは自分のせいではなく、そうしろと何か・誰かが言ったから、などと責任を自分のせいにしなくて済むから。
それはつまり、自分の弱さを認めなくていいから。

自分には高い能力があるにも関わらず不遇にあるのは、誰も自分の能力を分かっていないからだ。
いや、周りの連中は自分よりも能力が低くて理解できないのだ。
世の中、アホばかりで困ったもんだ。
誰も自分を理解しようとしない。

こう言う手合いに限って能力は無い。
自分にある「高い能力」とは何かも説明できない。
本当に「高い能力」がある人間は不遇に喘いだりしないし、チャンスに恵まれず不遇に見舞われる時期はあっても、確実に前向きに前進して最後には成功する。
そして何より、「自分には高い能力がある」などと言ったりしない。
そんなことを言うことの「カッコ悪さ」に気付いてない時点で既に底が知れる。

「自分には高い能力がある」と根拠の無い自己過大評価をしている人間もまた、自分の弱さを認めたくない気持ちから、逆に「自分を高く評価してくれる」者が近付いてくれば、易々と心を開いてマインドコントロールにハマり、気がつけばその高評価を与える人物の言いなりになり、結果的に頼ってしまうことになるだろう。
「根拠の無い自己過大評価」の一方で、人を見下すことで人からの接触を拒否していることに気付かず「自分を理解する人間がいない」と嘆く自分勝手な孤独感にひたるような、弱い人間の心の隙間に、巧みに魔の手を忍び込ませてくるのが新興宗教の常套手段であり、狡猾で怖いところである。
そんな手合いが増えていご時世だからこそ、この摂理のような二番煎じな新興宗教の教祖でも、まんまと「甘い汁」をがぶ飲みすることができたのではないだろうか…。


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1 コメント

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コメントです (anzu)
2006-07-30 17:08:42
本当の「自由」って、責任が生じるから全然楽じゃないんですよね。何か・誰かに頼るのは楽かもしれないけど、最終的に自我が邪魔してしんどくなるかな。要領悪くても遠回りになっても自由に生きていきたいもんです。
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