焼坂峠は標高224メートルながら大変急な登り坂で鎖を掴んでの登りが2ヶ所あった。1時間半かかって国道にでる。更にそえみみずの遍路道である。標高409メートル迄の登りである。
そえみみずの手前でご高齢の女性よりご接待を受ける。お茶とお菓子と手作りの巾着袋を戴きました。そえみみずの由来の文書も戴きました。奥代初子さんといいます。道案内に建てられている遍路石に名前が刻まれています。昔から遍路道を守ってきた人です。彼女がとても残念に思う出来事がおきました。それはそえみみず遍路道が11月1日より2年間位通行止めになるそうです。高速道路の建設ためだそうです。当分お遍路さんは通らなくなってしまいます。
なんとかならないものかなあ。
10時12分そえみみずを登り始める。
道祖神
延々と続く登り道を登りつくと平坦な尾根道に出る。そんな場所に祭られていた。
右側が天保二年(1831年)左側が文政五年(1822年)の文字が読める。
海を望む
11時20分展望の良いところより海が見えた。
少し行くと下りに入った。11時55分国道に出た。七子峠である。
そえみみずの手前でご高齢の女性よりご接待を受ける。お茶とお菓子と手作りの巾着袋を戴きました。そえみみずの由来の文書も戴きました。奥代初子さんといいます。道案内に建てられている遍路石に名前が刻まれています。昔から遍路道を守ってきた人です。彼女がとても残念に思う出来事がおきました。それはそえみみず遍路道が11月1日より2年間位通行止めになるそうです。高速道路の建設ためだそうです。当分お遍路さんは通らなくなってしまいます。
なんとかならないものかなあ。
10時12分そえみみずを登り始める。
道祖神
延々と続く登り道を登りつくと平坦な尾根道に出る。そんな場所に祭られていた。
右側が天保二年(1831年)左側が文政五年(1822年)の文字が読める。
海を望む
11時20分展望の良いところより海が見えた。
少し行くと下りに入った。11時55分国道に出た。七子峠である。
会ってみたい!
便利になる高速道路も
自然がなくなっていくとおもうと
複雑な気持ちですね、、、