虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

タバコと一緒に消えた

2010年11月12日 | Weblog

タバコは、もはや贅沢な嗜好品になった。

それなりの地位の人間しか嗜めない。

昔、葉巻やパイプにあこがれたものだった。一時期、パイプに凝ったことがあった。

キセルにつめて、ふかすタバコも、意外と長持ちしたものだが、パイプは一度詰めればいつまでもすえた。

タバコ嫌いには、申し訳ないが、

あの当時が懐かしく思う。

それは、タバコが懐かしいのではなく、タバコと共にあった時代の環境、人々の心、社会のありようの良さまで、タバコと一緒に失われてしまったように思う。

 

メディアは、やはり恐ろしい。想像以上だと思う。

TVタックルに安倍元首相が出演した。その中で、毎日の記者会見の様子について触れた。会見を終えた首相が帰ろうと背中を見せると、

「総理、総理」

と、質問もないのに大声で呼びとめる。

「総理大臣が背中を見せたまま、その呼ぶ声を無視する映像が欲しいのですね、メディアは」

と、元総理が言っていた。

 

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本州のヒグマ

2010年11月11日 | Weblog

いままで年2回ほど、ニューヨークとペルーに行っていたが、今年は無理なようだ。

御足との相談もあるが、時間が取れそうもない。11月に細君が行くから、今回はあきらめよう。

 ペルーのトウガラシ(アヒー)が欲しい。お土産はこれと、ペルーのレモンにかぎる。

五反田のペルー領事館の隣に、ペルー製品を販売しているスーパーがある。ここに行けばペルーのトウガラシの加工品を売っている。

 

トウガラシは、アンデス地方が原産だ。

ということは、韓国や中国のトウガラシを使った料理は、もちろん日本も同じだが、500年前までは、トウガラシのかわりに何を使っていたのだろうか。

特にキムチにはトウガラシが必須だと、考えてしまうが、500年前のキムチには何を使っていたのか。キムチの歴史はかなり長いだろう。500年以上は当然ありそうな気がする。

韓国人で、日本語の先生に聞いたのだが、白キムチなるものがあるそうで、それにはトウガラシは使用されていない。一度白キムチを食べてみたいと思うが、韓国人の店に行かないと手に入らないかもしれない。

恐らくは、トウガラシの代わりに、山椒などをつかっていたのだろうと、思うが分からない。あるいはそういった香辛料は使っていなかったのか。

リマ市で、けっこう有名な韓国レストランがある。そこのご主人に聞くと、ペルーのアヒーはキムチには辛すぎて合わないので、ボリビアのトウガラシを使っていると聞いた。

 

大昔から、植物から、動物にいたるまで、あちこちに飛散している。人間が持ち込んでも、持ち込まなくとも、自然なのだろう。 

青函トンネルができて、本州と北海道がつながった。そのうち、本州でもヒグマを見ることになるかもしれない。

 

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税金を払った人々

2010年11月10日 | Weblog

リマには、レストランが多い。それも値段の張るお店がひしめいている。

味はどこでもそれほど変わるものではないが、

行くんなら海岸にあるレストランがお勧めだ。

同じ高い料金を払うなら、より雰囲気がいいこちらがお勧めだ。

海岸にあるレストランなら、ロサ ナウティカ、コスタ ベルデ、サルト デ フライレ、どこでもいい。

日本料理なら、居酒屋、善がお勧め。他は、出てくる料理と値段が合わない。

 

リマはすっかり様変わりしている。ドロボーはあいかわらずだが、街並みが美しくなっている。

ひところ矢鱈おしっこ臭かった町も、もう臭いがない。路上レストランもない。大道商人は一か所に集めて、そこで商売をさせている。そんな場所が何か所もできた。

単に、路上で商売している人々を隅に追いやることはしない。

 

日本の、川沿いビニールの家。公園の段ボールの家。珍しい光景ではなくなった。

そこに住んでも、食べていかなければならない。条例に従えば、食えない。雑誌を集め、空き缶を集めて、多少の違反をしても食わなければならない。

最初からそこに住んでいるいるわけでもない。かつては、しっかり働いて納めるべき税金を払った人々である。

 

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あの世のはじめ

2010年11月09日 | Weblog

人類の誕生って項目で、WIKIBOOKSで見ると、

猿人、原人、旧人、新人という流れで進化というか、枝分かれというか、変化してきたという。

猿人で有名なのが、ルーシーという名前がつけられたアフリカで発見された化石。400~300万年前に存在していたらしい。特長は二本足で歩いていたこと。ゴリラやチンパンジーも二本足で歩くが、それよりもずっと楽々と二本足歩行ができたという。

次が原人。180万年前。脳みそは猿人の倍。火をコントロールできたという。氷河期であっても暖をとったり、天幕を張って寒さをしのいだ。

旧人になると、ネアンデルタール人と呼ばれる。脳みそは現代人よりむしろ大きい。50万年~30万年前。死んだ人のために花を供えた跡が見つかっている。

それから、現代人と同じグループの新人。20万年前。旧人と同じ時代に生きて、段々と旧人を滅ぼしていったようだ。

もしかしたら、争い好きの新人が生き残るより、旧人が生き残った方が、地球のためには、あるいは人類にはよかったのかもしれない。地球にとっては最初の間違いだったかもしれない。

読んでいて、大昔の化石からこんなことまで解かってしまうのか、すごいもんだと思う。

新人は、旧人と同じ時代を生きたという。

両者の間で戦争や争いは当然あっただろうと思うが、

新人と旧人は、結婚することはあっただろうか。両者の間の子どもはできたのだろうか。

旧人は、葬式の観念というか、死んだ人を葬送する精神的な感覚があったという。

旧人は、死んだ後の世界を考えただろうか。

この頃から今で言うあの世が存在し始めたのだろうか。

 

あの世のはじめは、愛情だったのか、寂しさだったのか、哀れさだったのか、それとも不安だったのか。

 

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幸福はつれない

2010年11月08日 | Weblog

若いころ、占いで、晩年は幸せな生活をおくるだろう、といわれたことがある。

どいうわけか、自分に都合のいいことはよく覚えている。

その通りになればいいと素直に思うが、そうなるように自分も努力しなければならない。

努力などは、人一倍しても報われない人のほうが多いだろうと思う。

ペルーに移住した日本の人々は、全員が努力した。あきらめずに努力を続けて成功した人もいれば、志半ば死んでしまったひともいる。

努力が大事なら、みんなが成功して、幸せになるはずだが、そうはならない。

不幸は、不幸側からこっちにやってくる。それもある日、突然。

幸福は、幸福側から、こっちにはやってきてはくれない。幸福を得るには、こっち側が努力して、追いかけても、なかなかつかまらない。

幸福は、本来つれないものかもしれない。 

 

日記@BlogRanking   冬服姿の猫ちゃんイラスト

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マックは食べない

2010年11月06日 | Weblog

愛社精神と言わないまでも、自分が働いている会社を大切に思うのは、自然なことで、会社のイメージダウンになるようなことは、普通、あまり声だかには言わないものだ。

最初に入った会社は給料は安く、残業手当も出なかったが、別に不満などはなかった。世間もそんなものだろうと思っていた。

 

スーパーなどと契約して配送をしている友人がいる。彼から面白い話をきいた。

「某大手のスーパーは従業員がほとんどバイトだから、従業員の万引きが多い。バイトばかりじゃ、しょうがないよな」

と、つまりは会社を大事にしないことを嘆いていた。が、話は逆で、想像するに、バイトを大事にしないからだろう、と秘かに思っている。

普通は、帰宅の際に、持ち物検査をするそうだが、バイトがバイトを検査するのは、ブラックユーモアだ。

アメリカは、従業員が万引きする額を、あらかじめ商品に上乗せしている。

日本も早晩そうなるだろう。

 

経済の論理だけで経営をすれば、

マック訴訟が象徴的だが、マックともあろうものが姑息な手段を使っていた、と驚くことが、もう驚きもなくなってしまう時代になったかもしれない。

もともとハンバーガーはあまり食べないが、この訴訟をきっかけにマックは絶対買わないことを決めた。

宣伝されているイメージとは程遠い奴隷的な現実が現場にあることを思うと、他人事ながら腹が立ってくる。

訴えをおこしたひとは、いきなりではなく、我慢に我慢をして、最後の手段で訴えたのだろうと推測している。

この訴訟は、後年日本の、サラリーマン事情を語る場合の、一種象徴的な事件になるだろと思う。

日記@BlogRanking 焼き芋と子供1 焼き芋と子供2 焚き火

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文化消失

2010年11月05日 | Weblog

スペイン人が、姦計をもちいて、インカを征服してから、スペイン人の影響がペルーに広がった。

影響は言葉や宗教、生活様式などすべてにおよぶ。 

考えてみれば、信長、秀吉、家康たちのお陰で、日本は征服されずにすんだのかもしれない。このあたりを研究している専門家はいないのだろうか。

特に、征服という意味を如実に教えてくれるのが、血の混じり合いだ。混血が進まなければ、今のような南米には成っていないだろうと思う。

それでも、インカ時代の文化は残っている。地方の音楽、舞踊、お祭りだ。

純粋な土着民族の比率は極端に少数になっているので、これは段々姿形をかえていくだろう。

コイユリティーのお祭りなどは、すでにキリスト教の影響がけっこうあって、純粋なインカの文化とは言えなくなっている。

 

アメリカは、ラテン系の人口が、黒人の人口を超えたという。笑い話ではないが、カリフォルニアは、あと20年もすれば全部スペイン語になると、20年も前から言われているが、本当にそうなるかもしれない。

そうなったところで、たいした問題でもないが、

日本も、あと20年もしたら、中国語、韓国語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語などの文化でわかれてしまうかもしれない。

 

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TPP

2010年11月03日 | Weblog

日本に住んでいるペルー人は、どのくらいだろうか。

一時期6万人と聞いていたが、今はそんなにはいないだろうと思う。

外国人参政権や、いまよく言われるTPPの導入が議論されていることもあって、今後も増えるだろうと思う。

時代、といえばそれで終わりだが、なかなか難しい問題だなと思う。

 

異なる民族が、同じ場所で仲良く生活することは、難しい。

言葉ではなんでも言えるが、実際に同じ空間を共有することになれば、毎日が、お互いに地獄に変化する。

方や夜は静かにしたいと考える民族、一方は夜でも騒ぎたい民族なら上手くいくわけがない。

地域のルールを守る人々と、守らない人々では、早晩問題が起きる。

これが宗教が絡めば、もっと面倒くさくなる。

 

TPPも経済だけで考えると、あとでツケを払うことになる。しかもそのツケは、たいして裕福でもない人々が払うことになるだろう。

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格差社会の最低ライン

2010年11月02日 | Weblog

貧富の差があることは、どの国でも、どの時代でも、どんな社会環境でも同じだ。

ジャングルの奥地に住んでいる未開人、この言い方が適当かどうかわからないが、そいういった社会なら格差と言っても、それほどの差はないだろうが、

一応、文明を謳歌している社会環境なら、格差の「差」は相当なものだろう。

小泉さんが、昔、格差の何がいけないんだ、と言ったことは、だから正当のような気がする。 

 

昔、ネパールに行ったとき、金持ちが住むすぐ隣には、見るからに貧しさの象徴のような家々が並んでいた。

そんな光景は、生れて初めて見た。

 

「格差の何が悪いんだ?」という、この言葉の意味を正当とするには、多少の条件があるだろうと思う。

上の方は、高級車、高級スポーツカーを、何台持っても、どんなに豪邸に生活しようが、自由だが、

下の方は、せめて路上生活する人がいない、医者にかかることができる、などの最低ラインがあるだろうと思う。

憲法を持ち出すこともなく、文明社会に生活するものとして、それは必要な気がする。

金持ち、とは言えなくとも、その家のすぐ隣の公園に、段ボールでつくった家に住んでいる人がいる光景のある日本では、

だから、「格差の何が悪い?」は、当たらないような気がする。

 

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見ず子

2010年11月01日 | Weblog

今日は、とてもいいことがあった。

こころがほっとするようなことだった。

 

3人目の孫が生まれた。30日ほど経過した。首がすわっていないので、だっこするのが怖いと感じる。

奇妙な、不思議な感覚を味わった。

人間の子どもは、生れても長い期間手がかかる。

牛とか馬は、生れてもすぐ立つ。走る。

猿やチンパンジーの子どもはよく知らないが、それでも生れてすぐ、首などはすわっているだろうと思う。

なぜ、人間だけがこんなにも時間がかかるのか不思議だ。

頭の大きさで、小さいうちに外に出なければならなくなったのか、それとも、人間だけに課せられた何かのために、早くに外に出てくるのだろうだろうか。

この世を見ないで、死んでしまうことを水子というが、あれはもしかしたら、

この世を見ないであの世に行ってしまうから、本当は「見ず子」の間違いではなかろうか。

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