読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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今朝は、珍しく2度寝して、つごう8時間半眠った。
起きる直前に見た夢がすごく印象的だったので、書き留めておく。
どうやら、どこかに引っ越したらしい。
都会だけれど山際の雰囲気で、でも賑やか。
小包と手紙を出しにポストに行った。
通りを縫って数100m、角を曲がったところにポストがあった。
用事が済んだ(投函した?)あと、もう少し先まで行ってみよう、と思った。このまま進めば、(転居した宿舎に来る途中に)見かけたマクドに出るんじゃないだろうか?
でも、引き返すことにした(後で地図をチェックすれば良い)。
小包と封筒は、何故か途中(宿を出てすぐ)の電話ボックスの上に置いてきた(郵便投函のためにポストに行ったことと辻褄が合わないけれど夢だから)。数分しか経っていないので、たぶん大丈夫。もちろんあった。
通りは賑わっていて、と言っても、今現在の日本とはちょっと違うような、それは夢だから当然のことではあるのだけれど、何か、とても懐かしい、心が和らぐような、それでいてどこか怪しげな雰囲気が漂っている。
行きにちらりと目にして、違和感というか、なんとなく気になっていたことを確かめてみた。通りに並ぶ幾つかの店の入り口に「遊ぶところ」と貼り紙がある。他のいろんなお店と交互に並んでいる。
この「遊ぶところ」とは何なんだろうか? 何人もの可愛い20歳前くらいの女の子(ケバイ外観ではなく清楚で健康的な雰囲気)が、忙しそうに動き回っている。それに混じって、何人かの年配の女性が、ゲームセンターの入口?(いや、そういう雰囲気でもなく、もっと柔らかで素朴なイメージ)のようなところに佇んでいる。
例の(ぼくら貧乏人には無縁の)「ピンク系」の場所である可能性が高い。それとも、案外、単純なカフェ*かも知れない。だったらWi-Fiも使える可能性がある。
*カフェcafeとコーヒーcoffee(café)について。このあいだ「カワトンボ」すなわち「珈蟌」の話を書くときに、改めて「珈琲」について調べてみた。僕はこれまで、コーヒーとカフェの違いを知らなかった(^^;)。コーヒーは飲料、カフェは喫茶店。人生70歳を過ぎて、初めて知る(誰でも知ってるけれど僕は知らなかった)事もある。
**いろいろと想いだした。喫茶店(マクドやスタバでない普通の)関連で言えば、夢の中で幾つものパターンの行きつけの喫茶店があって、、、、困った、次々と思い浮かぶ。この話題は中止。
電話ボックスの前のお店の一つに穏やかな表情で座っている50歳ぐらいのオバサンに尋ねてみた。
僕:
「この“遊ぶところ”って何ですか?」
オバサン:
「(笑って)青山さんに言ってもしょうがないでしょう、むにゃむにゃむにゃ、、、」
はぐらかされてしまった。
なんで僕の名前を知っているのだろう?
そうだ、きっと電話ボックスの中に置いた郵便物を、忘れ物かもと確かめたうえで、そのまま置いてきた、その時に名前をチェックしたのだ(でも以前から知ってる人のような気もする)。
宿(アパートというよりも宿屋の雰囲気、前回ボビー・ヴィントンのラーメンとウェイン・ニュートンのイチゴゼリーの夢で出てきたのと同じ宿らしい、明治中~後期のイメージ)の玄関を出て、右にいけば「遊ぶところ」や「電話ボックス」のある通り、まっすぐ下り気味に続く細い通りは、更に賑わっていてWi-Fiが使えるところもありそう。
「この道にマクドとかありますか?」と尋ねた。
「そんなのないよ(この付近のマクドは最初に挙げた駅からここに来る途中の一つだけ)」。
それで部屋に戻ることにした。僕の部屋は宿のかなりの上階である。たしか位置的には、さっきのオバサンの店の真向いだ。窓の外を見た。まるで俯瞰図。一帯が子細に見て取れた。何人もの女の子たち(とても可愛い子もいた、もんぺを穿いてるみたいで、時代がちょっと錯誤しているけれど、笑)が、忙しく働いていた。
そうだ、この俯瞰光景を、資料として写真に収めて置こう。思ったより高所である。落っこちてしまわないように、左手で窓枠を掴み、右手一本でカメラを持って、左足をゴミ箱(最初枯葉の中と思った、でもここに枯葉などないはずだし、そうかゴミ箱だ)に突っ込んで、右から左に、広角で撮影した。一通り写し終え、今度は望遠レンズに付け替えて、、、というところで目が覚めた。
今回の夢のシチェーションは、かなり特定ができる。大きく2つ。
ここのところ、緑雨、柳浪、一葉、荷風らの作品の足跡を追っている。それらの背景に置かれた状況が、脳内再生されていると思う。逍遥「当世書生気質」の一場面も加わっていそうである(漱石「三四郎」の菊人形の場面や、鴎外「青年」の国府津の宿の場面なども)。
もう一つは、中国。夢の場合だけではなく、現実的にも、(小説や随想によって導かれた)100年余前の明治の追想と、この35年の間に実際に自分で体験した中国の記憶が、なぜか重なるのである。
そうだ、おばさんと会話していたのは、昆明の「フランスカフェ(地元の人がそう呼んでた=正式名は確か“ラテンなんとか”)」の前だ。時代と場所は全く違うようだけれど、何故か特定出来てしまう。そうだ、確かに、ここは「フランスカフェ」だ。
通りを俯瞰した僕の部屋も、明らかに特定できる。広東翁源(モニカの故郷の村の県都)の常宿「翁源大賓館」の8階の部屋からの俯瞰である。見事な古い家屋の群が眼下に展開する。広大な面積に石瓦の屋根の家屋が並び建っているのだが、人の気配は無い。廃屋群のようである。ただし、夢の中で出てきたのは、人々が忙しそうに行き交う光景である。
僕の夢は、舞台の多くが昆明(もちろん、もう一つの「架空昆明」)だ。下北沢も結構出てくるけれど(笑)、街角の多くは昆明(「夢の昆明」)の各所、、、、だと思う(広州・深圳・桂林・成都・重慶・西安・武漢・杭州・青島などの大都会の街角も混じっているかも知れない)。
更に、思いつくまま挙げると、翁源(広東)のほか、河源(広東)、恩施(湖北)、悟州(広西)、雅安(四川)、建水(雲南)、陽春(広東)、徳欽(雲南)、謄沖(雲南)、融水(広西)、龍岩(福建)、舟山(浙江)、香格里拉(雲南)、、、といった地方中心都市の街角。あと、ミャンマーのピンウーリンの街並み、台湾の三地門の古具雑貨店、、、、。
ベトナム国境の雲南南部の町・河口の巨大置き屋(僕の常宿の部屋の前が女郎部屋の炊事場、何度かカメラを持って撮影を敢行しようとしたのだけれど、ボコボコにされそうになったので逃げ帰った)のイメージも(ただし夢の中の雰囲気は穏やかな場所)。河口の町から国境を渡って山を登ったところがサパ。夢の中に出てきた「正面の下り坂」はサパの町の中心の坂だ。
それらの「現実空間」の記憶と、緑雨や柳浪や一葉の描いた明治の光景が、溶け合って夢に出てくる。
と、ここまでは夢の話。以下は現実。でも夢よりも、もっと夢っぽいかも知れない。
夢の主舞台は昆明(架空の昆明)であることが多い、と書いた。でも、夢ではなく、現実の(今振り返って、という事ではなくその時点でリアルタイムの)昆明も、夢の中にあったように思うのである。
どういうことかと言うと、、、モニカと歩き回っていた昆明と、様々な不可解なトラブルでモニカが昆明を去って暫くの間僕一人で(時にはルイスやザンビア人の兄弟と)過ごしていた昆明の町が、全然別物なのだ。その間、せいぜい2年である。かつ前半と後半で途中断絶しているわけではなく、時間的には連続しているのに。実に不思議なのである。
分かり易い?例えで言うと、こういうことだろう。一般生活でもよくあることだと思う。どこかに向かう時、「行き」と「帰り」は同じところを通っているはず。なのにある時点まで、全然違うところを歩いているように思い込んでいる。あるとき、(振り返ったりしたときに)同じ場所だと気づく。それと、似たようなパターンかも知れない。
昆明を拠点としたのは20年近く。(最初の頃は滞在地を転々としていたが)雲南探索がメインとなった2005年頃から、次の数か所を居場所にしてきた。
ユース・ホステル1(のちに政府命令で強制廃止)。
ユース・ホステル2。ここはずっと続いているようだが、予約をしないと部屋が満室になることが多く、当てにならないので、モニカに別のホテルを探して貰った。でも宿泊費が高く、一泊2000円近くする。ある時、モニカが「月通して宿泊するので負けろ」と交渉した。でも、僅かしか負けてくれない。それでモニカが勤めている会社の寮?に移ることになった。
その後、トラブルになってモニカは会社を辞め、(暫くミャンマー関係の仕事をした後)大学時代から8年間過ごした昆明を去って故郷の広東省に戻った。
僕一人になってからの昆明での常宿は、ユース・ホステル3。ドミトリー・ルーム、特別に食事付きで一泊500円。後にやはり政府命令で強制廃止になったので、出版社編集長の所属する大学の教室(無料、ただしその編集長氏も謎の失脚をしてしまって使用不可に)や、日本のビジネス・ホテルに相当する「7デイズイン」(宿泊費は高く2000円代)を利用していた。
その後は、僕も昆明を離れて、モニカの伝手で深圳の常宿、更に広州のアパートと居場所を変えてきたのだが、「コロナ」で日本へ帰らざるを得なくなってからは、(中国での)住居は不定の身となって現在に至っている。
ユース1が閉鎖されて、別の宿に移った時のこと(日付を覚えている、2012年12月23日)。タクシーに乗ったのだが、方向音痴のモニカと運転手との間で話がかみ合わず、僅かな距離をぐるぐる回って辿り着いた。後で分かったのだが、迷い続けていた場所は「フランス・カフェ」の周辺である。
2012年から2013年にかけては、毎日のようにモニカと昆明の町で食事をしていた。夕方日が暮れる頃ユースにやって来て、晩飯を食べて別れるのだが、いつも行く店が違う。
モニカは僕にバスを使わせてくれない。遠近に関わらず、タクシーに乗るか、歩くか、どちらかである(何故か今は“勿体ないから”とタクシー使わずにバスに乗る、行く食堂も概ね同じである、笑)。
完全に任せっきりである。従って、何処をどう行ったのか、位置関係、方向関係が、自分では全く把握できていない。
それが、一年後、トラブルがあってモニカが昆明去り、僕一人でバスを使うようになってから、(「道の無いところを歩くのは誰よりも得意」と自負していても、町の中はさっぱりダメな僕ではあるけれど、さすがに)街の構造が僕なりに把握できるようになった。
しかし、明らかにモニカと一緒の時と同じ場所に行っているはずなのに、感覚的には「同じところだ」という把握が、全く出来ないでいる。僅か数か月しか経ってないのに、以前のシチュエーションとの意識上の整合が、全くつかない。不思議でしかない。僕の中での昆明は、2つの「全く異なる街」なのである。
でも、案外、今想い返せば「その2つ」は、合致するのではないか、という気もする。「時間」は、その「距離」との関係性でもって、初めて成り立つのではないかと。
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話は全く変わる(言おうとしていることは似ているけれど)。
ジョージが怒っているらしい。エーゲ海の三世とTV電話で会話するとき、たまにジョージが出てくる。上手く会話が進まない(むろん僕の英語が下手だから)。すると、すぐにどっかに行ってしまう。ジョージ曰く「青山さんはなぜ僕と話をするとき無愛想なんだ」と。
僕に言わせれば、逆だろ、せっかく話をするチャンスがあって、一生懸命下手な英語を喋ろうとしているのだから、スムーズに言葉が出てくるまで、根気よく待っててくれれば良いのに、という想いでいる。
三世に、「僕は隣に英語喋れる日本人がいると途端に英語が全く喋れなくなってしまう」。三世「私もそう」。
分かってるなら、ジョージと話すときは、TV電話の時だって、遂一完全通訳(以前から僕が喋った全てを、わざわざ言わなくて良い事まで三世が滅茶苦茶な英語に翻訳してジョージに伝えているように)して貰わなくては困る。
でなければ、僕がジョージと話すときは(一人で何としてでも英語で会話する状況に追い込めなきゃなんないので)、三世はその間どっか消えててくれるか、どっちかにして。三世が横にいて、かつ直接ジョージと英語で会話を交わすのは不可能に近いと思う。いや、一人の時は、(欧米人に対して)必死で英語会話しようとしているので、僕の下手な英語でも意思の疎通が案外成り立ってる、それが横に「通訳」出来る人がいると、嘘のようにできなくなってしまう。
ちなみに、三世は、客観的に見て、僕よりも更に滅茶苦茶な英語を喋っている。なのにジョージとは完全に意思の疎通が出来ている、という不思議(それで言えば、僕も何故か英語でモニカと、中国語でスーリンと意思の疎通が出来てる)。
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昆明の「フランス・カフェ」で良く話した榎本氏は、どうしてるかな?一度メールしてみよう。
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今朝見た夢は、なんとなく前の物語から続いているような気がする、それは忘れてしまったわけだけれど。
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フィールドガイドブック「中国の蝶」を、裏山探索で撮影した種を加えて、「東アジアの蝶(中国、日本、および周辺地区)」とするつもりです。500頁を超します(計算上1000頁近くになる)。これまでにも何度も(HDDトラブルもあって)途中で中断していて、前回は一年ほど前に取り組んで、今後のモニカによる中国語翻訳のための下訳を兼ねて、自分で英語に翻訳しつつ、全体の半分ぐらい辿り着いたまま、そこでまた中断。
思う事があって、再挑戦することにしました。このような場合、一度中断した原稿を、何処に収めているのか、探し出すのが大変な作業です。一項目を見つけるだけで丸一日経ってしまいます。
とりあえず昨日今日と、アゲハチョウ科80頁余分の再編成に取り組んでいます。英語に翻訳する前の日本語の元原稿が出て来なかったりで、日本語に再翻訳し直さなくてはならない、という、これまでと同じ失敗を繰り返しています。学習が出来ていないですね。我ながら、つくづくバカだと思います。
ということで、ブログ掲載は少し頻度を落とします。
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大谷、今日も打ちました。早くも13号。
Yumizuさんのコメント
ずっと大谷の二刀流を批判して台無しになると唱えてた老人たちは何を思うんだろうな。どれだけ活躍しても「片方に専念すればもっと」と言い続けるのだろうか。
歴史が証明し続けるように、いつだって才気溢れる若者が正しい。厳密にいえば正しいというよりも、みずから新しい正解を生み出してしまう。
milk
大谷君の二刀流を応援しています!
「正解」など気にせずに、夢に向かって驀進してください。
それとこれとは別の話で。コメ主へ。
いつの世も、新たな「正義」「正解」を作り上げる若者たちで、世界に「戦争」が絶えない。
「正解」は、一つではありません。
「正義」の反対語は、「もう一つの正義」です。
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菊池は残念(でも挫けるな!)
ダルはよくやった!さすが!!