筆者は、31年前の6‐4事件の際も、2003年のSARS騒動の際も、その後に(尖閣列島問題などとの関連で)複数回発生した日本レストランなど襲撃事件の際も、昨年の「香港デモ」の際も、中国に滞在していました。
しかし、(むろん単に筆者が鈍感で呑気すぎるということなのでしょうが)いずれの時も、自分とは直接に関係のない、いわば「対岸の火事」、としてしか捉えていませんでした(SARSやレストラン襲撃などは事件自体の存在すらリアルタイムでは知らなかった)。
33年間中国に通い続けていて、今回のように、異様な(様々な意味で自身の身の危険を感じるような)状況に面したのは、始めてです。さすがに今回は、鈍感な筆者も、慌てています。
結論を先に言ってしまえば、これまでの出来事とは違って、情報が溢れすぎていること。正直、どの情報が事実で、どれがフェイクなのか、判断がつきかねるのです。
筆者は一介のネイチャー・フォトグラファーですから、人間社会の出来事について、学問的に分析する能力は持ち合わせていません。言い換えれば、客観的にしか見ることができない。それはそれでアドバンテージと考えることも出来ます。とりあえず、錯綜した情報を、整理しておきましょう。
武漢が発祥地であることの意味
今回の「新型ウイルス」の発生元とされる武漢は、中国有数の大都市です。人口1100万人とされていますが、それは行政上の「武漢市」であって、実際の都市圏人口は、3000万人とも5000万人とも言われています。
武漢自体の都市としての規模もさることながら、重要なのはその位置です。北の北京、南の広州・深圳・香港、東の上海、西の重慶・成都の、ジャンクションに位置しています。武漢と各大都市圏の間には、飛行機や高速列車や高速バスが頻繁に行き来していて、それぞれの大都市圏人口は1億人前後と見做してよいでしょうから、実質的には中国の半分ぐらいの人々が、武漢を通して日常的に密接に関わりあっているわけです。
*写真① 1月31日の広州東駅、取りやめになった列車も少なくありません。
人から人への感染の報道が始まった頃の、武漢に於ける患者数・死者数の数値と、現時点での各大都市圏に於ける数値は、さほど変わりません。ということは、タイムラグはあれども、このあと、他の大都市圏においても、現在の武漢と同様の状況(感染者や死者の数値の激増)に陥っていくことは、目に見えています。
それら東西南北の大都市圏はまた、日本を含めた国外各地への主要出入り口でもあります。ということは、世界の各地でも、「対岸の火事」と呑気に構えてはいれなくなってくるわけです。今後、武漢が辿った道をなぞるように、被害が拡大していく可能性は、十分に考え得ることでしょう。
筆者は、今回の「新型ウイルス」騒動のスタート時点から暫くの間、武漢(今回封鎖された10都市の一つである恩施市を始め、湖北省の各地も筆者の主要フィールドの一つですが、ここ数年は訪れていません)ではなく、広東省の広州に滞在していました。上記したような予測に基づけば、そのことも、中国全体の動きを俯瞰的に捉え、報道していくに当たって、むしろ有利な条件なのではないかと考えています。
という訳で、筆者が、武漢からの南の出入り口である、広州・深圳・香港で遭遇した「新型ウイルス」に対する現地の受け止め方の推移を、簡単に纏めて置くことにします。
広東省広州での推移
筆者の今回の中国滞在期間は1月9日~2月3日。春節前に、中国人のアシスタントMと今年の計画についての打ち合わせをしておくことと、昨年8月4日付けの「現代ビジネス」に発表した「香港デモ」に関する記事(それに筆者のブログに発表した数編を追加したもの)が、香港のメディアから単行本(アメリカ、ドイツなどの記者との共著)として刊行されるため、その契約を交わすことなどが目的でした。
中国で「新型ウイルスによる肺炎」が多発しているらしいことは、海外のソースでは、昨年暮れ頃からニュースになっていたように思います。しかし日本の一般市民を含む多くの人々に知れ渡ったのは、今年に入った1月16日。ヒト→ヒト感染の可能性を示唆する「濃密接触云々」の報道の、その見慣れぬ言葉の定義などをめぐり、冷やかしを含めた様々なコメントが他人事のように為されていました。
今年の春節初日は1月25日ですが、休暇や移動が始まるのは、一週間前の1月18日前後からです。都市から地方へ、数億人が大移動します。アシスタントMは1月17日に最終的な打ち合わせを終えたあと、翌18日にご主人の田舎の湖南省の村に帰省していきました。多くの中国人は、春節初日の約一週間前の、この日の前後に都市部での仕事を終えて、田舎に向かうのです。これから後の2週間ほどは、中国各地は、ゴーストタウン化してしまいます(都心のごく一部はある程度の賑わいを見せていて、また、農村部や漁村部は、町から戻ってきた人たちでむしろ活気がありますが、都市近郊の新興住宅街周辺は、毎年、食堂や売店も閉まって悲惨な状態になります)。
筆者が、1月20日と21日に、香港メディアとの打ち合わせのため広州-深圳-香港を往復した時点でも、まだ「新型ウイルス肺炎」は、余り話題に登っていなかったように思います。一応「人から人への感染可能性」の情報は、中国(本土も香港も)の市井の人々に行き渡ってはいましたが、まあ、いつものこと(毎年冬はインフルエンザを始め様々なウイルスが蔓延するので、今年も注意しておこう、武漢の人は災難だね)ぐらいにしか捉えていず、さほどの危機感は感じられないでいました。
*写真②は深圳/香港のイミグレーション中間地点の人の流れ。右側が香港パスポート所有者の通路、左のエスカレータが中国本土人と外国人の通路。筆者は、昨年6月に香港デモ発生以降、イミグレーション往復時には、常に(累計20往復以上)人数の割合のチェックや撮影を行っています。時期や時間帯に関わらず、圧倒的に香港人の割合が多く、中国人(外国人を含む)の香港人に対する比率は、少ない時で1/100以下、多い時でも1/20ぐらいです。ちなみに、写真①を撮影した1月20日時点では、ほとんどの人がマスクをしていません。
ところがその頃日本では、人-人感染がほぼ確実になったことにより、これはヤバイんじゃないか、という雰囲気になってきました。中韓におけるネガティブな話題が大好物の日本の大衆(やメディア)からの、大バッシングが始まったのです。
>中国政府の事実隠蔽、なぜもっと早く公表しなかったのか。全ての責任はそこにある。現在の発表も信用できない。本当は、桁外れの感染者や死者がいるはず。
>日本の政府も優柔不断すぎる。もっと強気に出て、中国からの入国を一切閉ざすべきである。
他方、一様に危機感を煽った日本の報道とは対照的に、中国政府は、この時点においても慎重な姿勢を維持しました。情報を、ひとつひとつ確認しながら、小出しにしていく、というやり方です。
集落閉鎖という恐怖
それが一変したのが、1月24日、日本の大晦日に当たる「徐夕」の日です。この日は、中国の田舎では一年で一番忙しい日です。この日のうちに、何から何までの春節の際事の準備を済ませねばなりません。自分たちの作業に集中しなくてはならず、たいていのインフラがストップしてしまい、筆者など部外者が途方に暮れてしまうのも、この日です。
その、大半の都市部住人の帰省が終えた1月24日になって、政府が正式に危機を発令し、中国国内の一般市民の多くが危機感を共有し始めました。それまではちらほらとしか見かけなかったマスク姿が、一気に激増しました。地下鉄の入り口などでは発熱検査が行われ、人々の口からも不安の声が一斉に上り始めました。
*写真③ 1月24日、この日から地下鉄入り口にて体温検査が始まりました。ただし、この時点ではマスク着用はまだ義務付けられていなかった。
*写真④ 1月26日、交通機関利用時にマスク着用が義務つけられたのは春節初日の25日から。
偶然だとは思うのですが、春節移動のピーク終了のタイミングを見計らったかのように、緊急事態 発令が発令されたわけです。それが良い事なのか悪い事なのか、意図的なのか偶然なのか、筆者には知る由もありませんが、結果として、情報を隠蔽?し「移動禁止」の発令を遅らせることにより、(武漢以外では)「都市」から「田舎」に国民を送り出して、閉じ込めたことになります(春節休みは1月30日までですが、2月2日に延長され、現時点では更に2月13日まで延長となっています)。
広州市も封鎖(外部地域との交流禁止)された、という情報が広がりました。市政府は、それはデマだ、封鎖はされていない、と声明を出しました。でも実際、筆者が住むボロアパート(都心でも田舎でもない、広州市郊外のニュータウンの脇にある、一日窓を開けておくと埃だらけになってしまう劣悪な環境にあります)の一帯は封鎖されてしまっています。集落の周りがぐるりとテープで取り囲まれ、バスターミナルに接した側には、10人ほどの町民が、手に手に棍棒などを持って、出入りしようとする人間を、すごい剣幕で追い返すのです。まるでホラー映画の一場面のような異様な光景です。
*写真⑤ 1月31日、筆者のアパートの周囲には、ロープが張り廻らされて、外部との行き来が出来ない状態に(この写真と反対側のバスターミナル寄りのコーナーには、何人もの見張りが立って人の行き来を阻止している)。
筆者は道を大回りして、5分ほどの先のバスターミナルとその上の階のスーパーマーケットに行ってみたのですが、本来なら春節期間も都心と結んでいる直通バスの運行が急遽取りやめになっていて、スーパーの食料棚はほとんどスッカラカンです。ATMも動いていません。もともと春節期間は そんなものなのですが、新型ウイルス騒動による買占めが輪をかけたということでしょう。
出発日まで、我慢して室内に閉じこもっているしかありません。ところが、1月31日になって、Mから すぐに部屋を脱出しろ、外に出れなくなってしまう恐れがある、という連絡がきたものですから、予定を2日繰り上げて深圳に向かうことにしました。
かろうじて動いていたローカル・バスで最も近い地下鉄駅 (20停留所ほど約30分、乗客は筆者一人)へ向かい、地下鉄と新幹線(和諧号)を乗り継いで、Mが手配してくれた深圳のホテルに2泊してのち、香港に出ることにしました。
しかし、その夜再度Mから「深圳は一泊で切り上げて明日すぐ香港に向かえ」という指示、何となれば、中国政府が外国人の香港行きを禁止する、という情報が入っている、とのこと。その情報の真偽は分からないし(どうせガセネタだとは思うけれど、あり得ないわけでもない)、香港の宿泊費は高額なので躊躇していたのですが、事態を憂慮した日本の某出版社の友人が、香港のホテルを手配してくれたので、帰国便前日の2月1日に香港に渡りました。
です。
黒マスクから青マスクへ
イミグレーションは、いつもの場所は閉ざされて、別の場所に移っています。いろんな書類への記入を求められ、宿泊するホテルはもちろん、帰国便の飛行機座席まで記さねばなりません。分からなくて戸惑っていると、「分からなければ書かなくてもいい」と係員が助け舟を出してくれました。
それに広州や深圳では、バスでも地下鉄でもスーパーでも、至る所で体温検査が為されていたのですが、肝心のイミグレでは、中国側でも香港側でも、(普段でもしばしば為されている)体温検査も荷物チェックもなしです。その後、香港では、空港内を含めて、全くノーチェック。ちょっと、ザルすぎる気もしないわけではないのですが、、、、。
つい数か月前までは「黒マスク」で覆われていた(当初の用途は「催涙弾除け」で後に「身分隠し」が目的になったその推移は8月4日付けの「現代ビジネス」に記述)香港の街は、今度は「青マスク」で覆い尽くされていました。よくよくマスクに縁がある街ですね。
そのマスクですが、広州-深圳-香港での地下鉄乗車時に、筆者と同じ車両に乗っていた乗客のマスク率とマスクの種類を数えてみることにしました。
*写真⑥は深圳側(1月31日)、
⑦は香港側(2月1日)。香港側にはマスクをしていない人も乗っています。
一部報道では、「普通のマスクでは、新型ウイルスの防御には役に立たない」「防御には特別なマスクをする必要がある」とされています。どんなマスクが効用があるのか筆者にはよくわからないのですけれど、とりあえず立体的なものと外観が物々しいものを「特殊マスク」としてカウントしました。
1月31日、中国側(広州&深圳) 、7路線29駅間の270人をチェック。うち、通常のマスク着用者が235人、特殊マスク着用者が35人、乗車時に使用が義務付けられているため、マスク無しは0人です。深圳地下鉄では、最も混雑する一区間で、チェックしながら一車両の端から端に移動したのですが、老人の僕が乗客をかき分けて進む度に、座っている乗客(概ね若い女性)が席を譲ってくれようとしました。計8人も。感謝しつつ断らざるを得ませんでしたが。
2月1日、香港側、4路線17駅間の279人をチェック。うち通常のマスク着用者が266人。特殊マスク着用者は3人しかいなかった一方、マスク無しも10人を数えました。ちなみに、深圳同様に混雑する一区間で車両の端から端まで移動したのですが、席を譲ろうと声をかけてくれる人は、ひとりもいませんでした。
香港側では中国側と違って、乗車時の体温検査もありませんでした。危機感の高さは、本土のほうが上回っているように思えます。見方を変えれば、「しばりつけ義務」の中国本土と「自由を選べる」香港の、体制の違いからくるものとも言えるでしょうし、また、気質の違いが、それとなく見て取れるようにも感じます。