「洪家拳対詠春拳」
原題:洪拳與詠春
英題:Shaolin Martial Arts
製作:1974年
▼功夫映画の華といえばアクションですが、特訓や修行の描写も欠かせません。前にも書きましたが修行シーンには大きな利便性があり、これを丹念に描くことで主人公の強さに説得力を持たせ、同時に心身の成長を表すこともできるのです。
香港を代表する名監督・張徹(チャン・チェ)もたびたびこの手法を用いており、本作では傅聲(フー・シェン)と戚冠軍(チー・クワンチュン)、劉家輝(ゴードン・リュウ)と唐炎燦の計4人に修行を施しています。
これらの修行シーンはその後の戦いにちゃんと生かされ、数々の勝負をよりドラマチックに演出しているのですが…詳しくは後述にて。
■漢人が中心の林氏武館と、満州族が中心の八旗武館は犬猿の仲。関帝を祭る儀式の最中にもトラブルが起き、林氏武館の劉家榮(リュー・チャーヨン)が刺し殺されてしまう。
朝廷の将軍・李允中は、これを機に目障りな少林派の林氏武館を潰そうと画策し、八旗武館に強力な2人の助っ人を貸し与えた。1人は鐵布杉の使い手・梁家仁(リャン・カーヤン)、もう1人は気功の名手・王龍威(ワン・ロンウェイ)だ。
2人の実力は桁違いで、挑戦を受けた林氏武館は壊滅状態に。門下生の傅聲・戚冠軍・劉家輝・唐炎燦は、どうにか師匠である盧迪のもとへ逃げ延びた。
盧迪は劉家輝と唐炎燦に「鷹爪功を習え」と指示し、短期特訓で技を身に付けた2人はリベンジを敢行した。が、梁家仁と王龍威の技は鷹爪功でも破れず、2人はあえなく討ち死にする。
そこで盧迪は傅聲と戚冠軍に望みを託し、修行のために彼らを出奔させた。しかし、その直後に盧迪の隠れ家が敵に見つかってしまい、死を覚悟した彼は娘の陳依齡とその友人・袁曼姿を逃がすと、自刃して壮絶な最期を遂げた。
傅聲は洪拳の虎鶴雙形、戚冠軍は詠春拳の修行をこなす中でWヒロインと合流。死んでいった師匠と仲間たちに報いるため、八旗武館との最終決戦に臨む!
▲本作のように修行シーンのある作品は無数に存在しますが、場合によっては修行で培った技術がまったく使われないという、本末転倒なケースも少なからずあります。
コメディ功夫片の全盛期にはこうした事例が多発し、目先のインパクトにとらわれて極端な誇張表現が横行。修行シーンから合理性が失われ、アクションがグダグダになる作品が増加したのです。
こうした問題の原因は、監督と武術指導の力量不足によるものが大きいと考えられます。しかし本作には一流のスタッフとキャストが集結しており、とても良い出来栄えの作品に仕上がっていました。
まず劇中で使用される拳法ですが、きちんと「なぜこの拳法を修行しないといけないのか?」という理由が説明され、単純に見栄えのいい拳法を選んだわけではないことが解ります(できれば本作の視聴前に『嵐を呼ぶドラゴン』と『少林虎鶴拳』を見ておいたほうが良いかも)。
修行の方法も4人ごとに違い、パターンの重複を避けているのも◎。ラストでは修行で身に付けた技が火を噴き、豪快かつ衝撃的な決着に至っていました。修行を生かす殺陣を構築し、それを最後まで徹底した劉家良(ラウ・カーリョン)と唐佳の手腕、そして張徹の丁寧な演出はやはり素晴らしいと言わざるを得ません。
デビュー間もない梁家仁と王龍威の堂々たる悪役っぷりもナイスだし、張徹作品にしては珍しくWヒロインとのラブコメがあるのも見逃せない本作。欲を言えば、事件の発端となった黄哈の始末はきっちり付けて欲しかった…かな?
原題:洪拳與詠春
英題:Shaolin Martial Arts
製作:1974年
▼功夫映画の華といえばアクションですが、特訓や修行の描写も欠かせません。前にも書きましたが修行シーンには大きな利便性があり、これを丹念に描くことで主人公の強さに説得力を持たせ、同時に心身の成長を表すこともできるのです。
香港を代表する名監督・張徹(チャン・チェ)もたびたびこの手法を用いており、本作では傅聲(フー・シェン)と戚冠軍(チー・クワンチュン)、劉家輝(ゴードン・リュウ)と唐炎燦の計4人に修行を施しています。
これらの修行シーンはその後の戦いにちゃんと生かされ、数々の勝負をよりドラマチックに演出しているのですが…詳しくは後述にて。
■漢人が中心の林氏武館と、満州族が中心の八旗武館は犬猿の仲。関帝を祭る儀式の最中にもトラブルが起き、林氏武館の劉家榮(リュー・チャーヨン)が刺し殺されてしまう。
朝廷の将軍・李允中は、これを機に目障りな少林派の林氏武館を潰そうと画策し、八旗武館に強力な2人の助っ人を貸し与えた。1人は鐵布杉の使い手・梁家仁(リャン・カーヤン)、もう1人は気功の名手・王龍威(ワン・ロンウェイ)だ。
2人の実力は桁違いで、挑戦を受けた林氏武館は壊滅状態に。門下生の傅聲・戚冠軍・劉家輝・唐炎燦は、どうにか師匠である盧迪のもとへ逃げ延びた。
盧迪は劉家輝と唐炎燦に「鷹爪功を習え」と指示し、短期特訓で技を身に付けた2人はリベンジを敢行した。が、梁家仁と王龍威の技は鷹爪功でも破れず、2人はあえなく討ち死にする。
そこで盧迪は傅聲と戚冠軍に望みを託し、修行のために彼らを出奔させた。しかし、その直後に盧迪の隠れ家が敵に見つかってしまい、死を覚悟した彼は娘の陳依齡とその友人・袁曼姿を逃がすと、自刃して壮絶な最期を遂げた。
傅聲は洪拳の虎鶴雙形、戚冠軍は詠春拳の修行をこなす中でWヒロインと合流。死んでいった師匠と仲間たちに報いるため、八旗武館との最終決戦に臨む!
▲本作のように修行シーンのある作品は無数に存在しますが、場合によっては修行で培った技術がまったく使われないという、本末転倒なケースも少なからずあります。
コメディ功夫片の全盛期にはこうした事例が多発し、目先のインパクトにとらわれて極端な誇張表現が横行。修行シーンから合理性が失われ、アクションがグダグダになる作品が増加したのです。
こうした問題の原因は、監督と武術指導の力量不足によるものが大きいと考えられます。しかし本作には一流のスタッフとキャストが集結しており、とても良い出来栄えの作品に仕上がっていました。
まず劇中で使用される拳法ですが、きちんと「なぜこの拳法を修行しないといけないのか?」という理由が説明され、単純に見栄えのいい拳法を選んだわけではないことが解ります(できれば本作の視聴前に『嵐を呼ぶドラゴン』と『少林虎鶴拳』を見ておいたほうが良いかも)。
修行の方法も4人ごとに違い、パターンの重複を避けているのも◎。ラストでは修行で身に付けた技が火を噴き、豪快かつ衝撃的な決着に至っていました。修行を生かす殺陣を構築し、それを最後まで徹底した劉家良(ラウ・カーリョン)と唐佳の手腕、そして張徹の丁寧な演出はやはり素晴らしいと言わざるを得ません。
デビュー間もない梁家仁と王龍威の堂々たる悪役っぷりもナイスだし、張徹作品にしては珍しくWヒロインとのラブコメがあるのも見逃せない本作。欲を言えば、事件の発端となった黄哈の始末はきっちり付けて欲しかった…かな?
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