昔は、映画館でひどい上映のことがあったものだ。
一つは、前にも書いたが、高倉健主演の『君よ、憤怒の河を渡れ』で、公開初日に、伊勢佐木町の横浜松竹に行き、館内に入ると、客が騒いでいる。
「また、同じところだ」
私は、土曜日の午後で、やっと着いたのだが、上映はとっくに始まっていて、途中だった。
最後まで見て分かったが、どうやら途中の缶を二度上映したらしいのだ。
たぶん、横浜駅付近と同時上映で、フィルムを掛け持ちしていて、途中のどこかがが着かなかったので、前の缶をそのまま二度上映したらしいのだ。
掛け持ち上映の問題は、当時よくあったもので、次の缶が来ないので、休憩で待たされるなどよくあったものだ。
こうしたことは、封切り時に起こったもので、旧作の場合は、掛け持ちをしていないので、そんなことはなくなった。
ところが、名画座等の上映でも問題が起きることもあった。
そこは、名画座ではなく旧作の上映館の、蓮沼のヒカリ座だった。
エリア・カザンの名作『草原の輝き』だった。
ご承知のとおり、これはテキサス州の話で、ウォーレン・ビィーティーと同級生のナタリー・ウッドの恋愛劇だった。
ウォーレン・ビィーティーの父は、石油で当てて成金になる。
だが、1929年の大恐慌で破産し、ホテルから飛び降りて自殺する。
そのとき、父は、東部の大学にいるビィーティーのところに来て、女を与えて自殺するのだ。
池袋の文芸坐で見ていたので、筋は分かっていたが、このヒカリ座は、どこかで缶を間違えて上映したのだ。
だから、死んだはずの父親が再度出てきて、息子に説教するという凄い展開になったのだ。
私は、見ていたから分かったが、このとき初めて見た人は理解できなかったと思う。
今は、こんなことはないのは、非常に良いことだと思うのだ。