猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

憲法9条を廃止し軍隊をもてば中国から侵略されないか

2022-03-27 23:00:49 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

いま、ロシア軍のウクライナ侵攻を目の前にして、日本国憲法の9条を変えるという主張が吹き出ていると人はいう。しかし、正確にいうと、吹き出たのではなく、前から憲法9条を廃止すべきと言っていた人たちの主張が、メディアの注目をあびるようになっただけである。

だいたい、ウクライナに軍隊がなかったから、ロシアがウクライナに軍事侵攻したのではない。ウクライナはロシアのふところに広がっており、そこにNATOの支援で強力なウクライナ軍ができ、アメリカ軍将校に指導されて軍事訓練を受けていたのである。軍事研究者、小泉悠によれば、ウクライナには実質100万人の兵がいるという。

もちろん、だからといって、ロシアがウクライナに軍事侵攻してはいいわけではない。だいじなことは、軍隊がないから、他国に攻められたわけではないという事実である。

私の子ども時代、父親に連れられてハリウッド映画の西部劇をよく見に行ったものだが、銃器を使って法を破る悪い一家が町を牛耳っていて、ヒローが救いに来て、悪者たちを殺し、町を去って行くと、パターン化されていた。人を殺したものは町を去らねばならない。

名作『シェーン』も、流れ者シェーンは拳銃の名手であることを隠し、夫が殺された母と子のもとで畑仕事をする。悪者に家と土地が奪われそうになり、はじめて、拳銃をもって女と子どもとを守る。人を殺さないという誓いを破ったので、闘いが終わったあと、その女と子どものもとをさり、観客の私と父は「シェーン、カムバック」と涙を流したものである。

アメリカ人は別に人殺しが好きなわけではない。

今回のウクライナ軍事侵攻でも、アメリカ人の多くは、ウクライナ人に同情すれど、アメリカの若者が銃をもって、ロシア人と戦うのをのぞんでいない。バイデン政権は今のところ軍事物資を支援しているだけである。日本が真珠湾奇襲攻撃で、越えてはいけない一線を破り、アメリカは、第2次世界大戦に参戦した。もしかしたら、プーチンも一線を越え、世界大戦になるかもしれない。

もう一度私は言う。憲法を改正し、軍をもち、どこかを敵国にして軍事演習をやったからといって、敵国に攻められないわけではない。また、軍事同盟も平和を保障しない。軍事同盟が履行されなければ、人びとが見殺しにされる。軍事同盟が履行されれば、世界大戦になり、全世界の人びとが戦争で死ぬようになる。

日本国憲法9条はつぎのようなものである。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

9条は、世界に武力で自分の言い分を通そうと永久にしない、という立派なものである。

朝鮮戦争が始まったとき、アメリカの圧力を受けて、この9条を「自分の言い分を押し通すための武力を持たないが、自分の国を守るための最小限の武力をもつ」という解釈に日本政府は変えた。

2015年に、安倍晋三は憲法9条の解釈をさらに変え、「安保法制」を無理やり国会に通した。新しい解釈では、「日本の存立の危機に直面したとき」、他国の地であっても、日本人や他国の軍人、民間人を守るために自衛隊を派遣できるとした。昨年は、その実績として、アフガニスタンに自衛隊機を派遣し、日本人を1人つれて帰った。形式的には戦争ではないので、国会の了承なく、政権の判断で派遣できたのである。

加藤陽子は、『この国のかたちを見つめ直す』(毎日新聞出版)で、憲法9条が必要な理由をつぎのようにのべる。

「憲法第9条をめぐっては、最近、次のような批判が多くなされているようです。日本人が平和憲法をもってこられたのは、在日米軍の存在があったからであり、また米国の傘のおかげなのだ、といった論調です。
ただ9条には、国内的な存在意義がある点を忘れるべきではありません。9条の存在によって、戦後日本の国家と社会は、戦前のような軍部という組織を抱え込まずに来ました。戦前の軍部がなぜあれだけ力を持てたかといえば、国の安全と国民の生命を守ることを大義名分とした組織だったからです。
実際には、大義の名のもとに、国家が国民を存亡の機に陥れる事態にまで立ち至りました。軍部は、情報の統制、金融・資源データの秘匿、国民の監視など、安全に名を借りて行ったのです。このような組織の出現を許さない、との痛切な反省の上に、現在の9条があるのだと思います。」(168ページ)

ウクライナ大統領のゼレンスキーは、幸いなことに、日本は戦争を放棄した平和国家だと思いこんでいて、戦争が終わったとき、ウクライナの復興に手を貸してくれと言った。ゼレンスキーは善人である。