猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

きょう、東北復興のための東京五輪聖火リレーが福島で始まった

2021-03-25 22:46:59 | 社会時評


きょう、3月25日、東京五輪の聖火リレーが福島の広野町のJヴィレッジで始まった。

テレビで見ると、新型コロナ対策のために、白髪の老人たちが席をあけて式典に参加し、壇上の橋本聖子、丸川珠代、小池百合子、内堀雅雄(福島県知事)が順に挨拶した。その後、老人たちの慰労に いわき市のフラダンスを見せていた。踊るフラダンスの両脇で、はっぴ姿の男たちが大太鼓を叩いていた。

きょうは2021年なのに、「東京オリンピック2020」の文字が横断幕に踊っていた。まだ寒い福島の式典、ご苦労様。

私はもともと東京オリンピックに反対である。現代のオリンピックは国威高揚のためのもので、独立して まもない国なら許せるが、敗戦後の復興を遂げて時間のたっている日本が進んで行うものではない。いまだに、スポーツを争わせ、国旗掲揚と国家斉唱が行われる、トンデモない国際競技大会の開催にお金を使うべきでない。

私が高校2年とき、北陸地方の一高校に東京オリンピックへの寄付金要請がきた。無視したがどうなったのであろうか。そして、翌年、東京オリンピックは私たちの気づかないうちに終わった。仲間内で話題にも上らなかった。東京の奴らが勝手にのぼせている。

   ☆    ☆    ☆    ☆

安倍晋三は、『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)の「第3章 ナショナリズムとはなにか」で、2004年のアテネオリンピックで優勝した柴田亜衣選手が「金メダルを首にかけて、日の丸があがって、『君が代』が流れたら、もうダメでした」と大粒の涙を落した、と紹介している。

「君が代」や「日の丸」で涙を流すか、どうかは人に依存する。

犬や猫と同じく、人間は記憶によって行動する。「君が代」や「日の丸」が、情動と結びついた何かのエピソードの記憶を思い出し、情動が吹き出たのであろう。柴田亜衣選手は苦しかった練習を思い出したのかもしれない。

このような情動的反応は、ベルの音に反応してよだれを垂らす「パブロフの犬」と同じだ。どういう情動反応を示すかは、基本的に、個人的なもので、個人の自由だ。

しかし、安倍晋三が「君が代」や「日の丸」で涙を流すこととナショナリズムを結びつけることには、危険なものを感じずにはいられない。

「君が代」を聞き、「日の丸」を見たとき、その瞬間に思考停止に陥って、「日本のために殉ずる」という熱い思いに涙するように、若者たちが仕込まれたら、どうなるだろうか。高村光太郎のように、「日本あやうし」「私の耳は祖先の声でみたされ」「個としての存在から国家主義精神と一体となる」のではないか。

戦後生まれの私や妻は、「君が代」や「日の丸」で涙を流すことはない。

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東京オリンピック2020は、石原慎太郎が都知事のとき、国際オリンピック委員会に立候補を申請し、猪瀬直樹が都知事の2013年に決まった。石原慎太郎が都知事をやめたのは、日本維新の会の党首として、衆議院選挙に出るためである。まあ、オリンピックを放り出したわけだ。

なぜ、石原がオリンピックを引っ張ってこようとしたのか、私はわからない。国威高揚のためか、選挙に勝つためか、それとも、オリンピックによる経済効果か。とにかく、言い出したが、放り出したのである。引き継いだのは猪瀬である。国際オリンピック委員の買収のために都民の税金を使ったことになっている。

猪瀬のオリンピック誘致にのったのが、2012年の暮れの選挙で政権を奪い返した安倍晋三である。東京オリンピックを招へいするために、2013年に海外に向かって、福島原発の汚染水は完全にコントロールされている、と言った。

“under control”とは微妙な言葉で、安倍は解決したと言っていない。いまだに、福島第1原発の汚染水の問題が解決していない。デブリが中性子を放射し、三重水素(トリチウム)を生産しているのである。

猪瀬もスキャンダルで都知事をやめ、舛添要一が東京オリンピックを引き継ぐが、舛添も都知事をスキャンダルでやめる。だれが、裏で暗躍したのであろう。この間、東京オリンピック開催は建設会社(土建屋)の利権の対象になった。

舛添の後を引き継いだのが、現在の都知事の小池百合子である。彼女は、石原の進めた築地移転の闇と、建設費がどんどん膨らむ東京オリンピックの闇にメスを入れようとしたが、結局、やりきれなかった。

東京オリンピック2020のエンブレムマークとか、開会式場の設計コンテストのやり直しとか、おかしな事件も連発した。私は佐野のデザインを支持する。

   ☆    ☆    ☆    ☆

新型コロナ感染拡大で、はじめて東京オリンピックを無理して開催する必要があるのかが、おおっぴらに議論できるようになった。残念なことに、安倍晋三が東京オリンピックを1年延期ということにしてしまった。昨年、せっかく、安倍が病気を理由に辞任したのに、菅義偉は安倍政治を引き継ぐと言ってしまった。

無観客の東京オリンピック2020の聖火リレーが、今、2021年3月25日、安倍晋三の思い付き通り、福島第1原発事故の地で、それへの反省もなく、粛々とはじまった。

東北復興の東京オリンピックだかららしい。
福島第1原発事故は収束したらしい。
汚染水だけでなく、原子炉建屋のなかでは、いまだに、致死量の放射線がでているのに。

実在の政治家の悪徳を曝露する不思議な商業映画『バイス(Vice)』

2021-03-24 23:13:57 | 映画のなかの思想
 
2018年公開の映画『バイス(Vice)』は、ウィキペデイアによれば、パラマウント映画会社が企画した商業映画である。だから、とても変なのだ。実在の政治家の悪徳を曝露する映画である。
 
パラマウントの重役は、これからは、政治的なメッセージのある映画が集客できると思ったのだろうか。20世紀フォックスの映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(The Post)』に対抗したのだろうか。
 
興行成績としては、20世紀フォックスの映画が勝ちである。5千万ドルの製作費で、米国とカナダだけで、8千2百万ドルの興行成績を上げた。一方、パラマウントは、6千万ドルの製作費で、米国とカナダだの興行成績は4千8百万ドルであった。
 
20世紀フォックスは監督にスティーヴン・スピルバーグ、ヒロインとヒーローにメリル・ストリープとトム・ハンクスを使ったからかもしれない。監督や俳優が誰かで映画を見る人が多いのかもしれない。
 
あるいは、20世紀フォックスの映画は、ベトナム反戦という多くの国民に支持されているテーマを背景にし、民主党も共和党も断罪しているから、結果として米国では政治的でないのかもしれない。
 
それに対して、パラマウントの映画は、共和党政治家ディック・チェイニーの悪漢(ピカレスク)物語である。共和党の歴代の大統領たち、リチャード・ニクソンもロナルド・レーガンもブッシュ親子も無能なバカとして描かれている。共和党員からは見たくもない不都合な真実なのだろう。
 
映画としてはどうか。私はパラマウントの映画を支持する。脚本がよく書けている。パラマウントは、コメディ映画を専門にとるアダム・マッケイを監督と脚本に起用している。そして芸達者な俳優で固めている。リアリティがある。
 
平凡で粗野な田舎の若者のディックが恋人で妻のリンに支えられ、政治の世界でどんどん出世し、出世するにつれて冷酷な悪人なっていく。登場人物はみんな実在である。しかし、家族に対しては、ディックは、善き夫で、善き父親でありつづける。これってアメリカ人好みの悪漢の像ではないか。
 
“The Hollywood Reporter”によれば、東海岸でも西海岸でも興行は成功した。それだけでなく、テキサス州のダラス、ヒューストンやアリゾナ州のフェニックスでも、善戦したという。どこで不評であったのだろう。
 
ディックが心臓病を患っていて、政界引退後に心臓移植を受け、いまだに生きている。心臓を提供した不幸な人がいるわけで、映画ではその裕福でない人がディックの物語のナレーターを務めるという構成になっている。映画の終わりで、交通事故にあい、心臓がとりだされ、米軍のヘリコプターで、ディックの手術の場に持ち込まれる。
 
心臓移植のことは知らなかったが、調べてみると、それは事実である。また、映画では、ディックは趣味の狩りで誤って人を撃ち殺すが、これも事実だった。
 
また、映画では、ディックの娘の一人は同性愛で、女性と結婚し、二人の子どもを人工授精で生む。共和党の基本方針は同性愛に反対だが、映画ではディックは娘の同性愛を受け入れて、娘を擁護する。自分と家族が一番なのだ。理想や原則なんて関心がないのだ。
 
映画では、ディックは、アメリカ国民を馬鹿にし、下品な言葉を発し、迷わず出世する。酒飲みで無能なブッシュ(息子のほう)を大統領にするため、自ら副大統領になり、彼から権限の委譲をうけ、すべての情報を一括に管理し、解釈を変え、あるいは広告代理店に調査させ、表現を変え、すべてのことを思い通りに実行していく。大統領ではないのに、Unitary Executive(独裁、モナキー)を実践する。政治の効率を追求する。2001年の9.11事件のあと、イラク陰謀説を捏造し、イラクを叩き、フセインを死刑にし、ブッシュを喜ばす。映画には、捕虜への残虐な拷問が映し出される。ブッシュは大統領に再選される。
 
原作もないのに、アダム・マッケイはいろいろなエピソードをよく集めたと思う。そして、彼が誰からも訴えられていないから、すべて、真実なのだろう。
 
よく、こんな映画が作ることができたのか、感心する。しかし、アメリカ人の半分にとって不都合な真実だから、この映画は、映画評論家以外には、話題にもならなかったのだろう。そして、アダム・マッケイはスティーヴン・スピルバーグに負ける。

デジタル情報は国境を越えるもの、別にLINEに問題ない

2021-03-23 22:01:41 | 社会時評

いま、流れているNHKの『ニュース9』で、「LINEがユーザーを裏切っている」と言っていたが、IT業界では、情報はデジタルで転送されるから、もともと、国境というものはない。コスモポリタンというかグローバルというか、国というものに縛られない社会である。国境超えてITが運営されていたからといって、これまで、問題がべつに起きていない。

それよりも、日本国内で日本人の授業員で運営されていても、日本人の授業員によって個人情報の漏出が起きている。

問題の第1は、個人情報の売買になんらの規制が日本にない。個人情報の売買を禁止すべきである。個人情報を売り買いする市場は犯罪の巣になる。

第2は、個人情報を漏らした授業員を訴訟しても、判決の賠償金額が安すぎるのである。日本の損害賠額は、損害の実額という考えが強く、行為を罰するという意識が弱いのである。民事裁判でも情報漏出事件には陪審制度を適用すれば、賠償金も高額になるだろう。

第3は、個人情報漏出を防ぐノウハウの蓄積が一般の日本企業に少ない。関係する授業員の教育と、漏出を監視する仕組みのことである。基本的なことだが、データベースは、許可がなければアクセスできなく、アクセスがすべてモニターされ記録されている。不自然なアクセスを検出すれば、すぐさま、調査し、訴訟する体制が必要である。データベースのデータをその外に保管するということは、はじめから、悪意のある漏出をはかっているからで、厳禁すべきである。データベースの利用の仕方にも初めから設計しておくべきである。

個人情報が国境を超えるということは、あたりまえである。TwitterやFacebookなどの利用でも、ネットバンキングでも、クレジットなどの信用調査でも、現在、あらゆるIT利用で個人情報が国境越えて運用されている。また、システム開発も、インドや中国に再委託される。

個人情報は、自分が登録した情報以外にも、自分がネット上のどのサイトにアクセスしたかの情報がとられて、個人的な好み、政治的傾向がモニターされている。無料ソフトはできるだけ使わないこと、ネット上の知らないサイトにアクセスしないこと、ウィルス駆除ソフトを使うこと、利用するアプリの個人情報のポリシーをちゃんと読み、不審に思えばそのアプリを使わないことである。

LINEの件は、菅政権のNTT接待問題の追及をそらすために、捏造された事件で、今のところ何らの問題も見られない。それに、中国政府が日本人の個人情報を集めたって何の得もない。デマに振り回されないように願う。

[関連ブログ]

『給食でのけが「完食主義」を懸念』に加える言葉

2021-03-22 22:43:23 | 教育を考える


けさの朝日新聞《声》に『給食でのけが「完食主義」を懸念』の投稿があった。埼玉県朝霞市の小学校で、給食の皿うどんの麺を食べた児童6人と教諭が歯が欠けた事件のことである。

私も変な事件だと思った。硬いものは硬いものだから無理して食べることがないのに、と思った。

投稿の趣旨は、私のような普通の考えが この小学校に通用せず、完食しないといけないという「完食主義」があったのではないか、ということである。そうなら、埼玉県朝霞市はとても変なところだと思う。

「完食主義」とは何だろうと思って、ネットで調べてみると、

〈昭和にあった「残さずきれいに食べましょう」の美徳文化が時代を超え、陰湿さを増して今なお残っている。子供たちが楽しく給食を食べられる空間は、大きく歪められようとしている。〉

そんなことが、昭和の「美徳文化」だなんて知らなかった。

第1次ベビーブーマの私は好き嫌いが強く、嫌いのものは食べなかった。給食係がバケツをもって食べ残しを集めて回っていたから、食べ残しは別に禁止されていたわけでなかったと思う。

嫌いなものを私が食べないことを、妻や子供にいつも自慢している。

ピーナツバターの匂いが嫌いで、私は絶対に食べない。給食でピーナツバターが出て、それでみんなが食中毒になったが、私だけが食中毒にならなかった。

私は火がよく通ったものしか食べない。昔、会社の新年会でみんなが生煮えのカキ貝を食べたが、私だけは口にしなかった。それで私だけが食中毒を起こさなかった。

私は食事を個人的行為と考える。なぜ、教師が食事に口出すのか、理解しがたい。

「完食」と「会食」とは区別する必要がある。別物である。

「完食」は個人的ポリシーである。私の大学時代のクラスメイトの女子は、名大教授の父親より、「お米は農民が一所懸命働いて収穫したものだから1粒たりとも残してはいけない」と言われて、実践していた。

私から見れば、食べられるだけの量のご飯を盛ればいい。自分の体調を見誤って盛りすぎることもあろう。そのときは無理せず残せばよいと思う。

しかし、農民の苦労を思って、残さず食べようという心がけも可愛い。彼女のポリシーを否定することはできない。

しかし、「給食」の完食は、それ以前に、「会食」の問題である。出されたお酒は飲め、出された食事は食べろは、みんなで同じものを飲み食いすることに、重点が置かれている。個人の好き嫌いは許されないのだ。すると、「給食」の完食は、子どもたちを疑似「共同体」の儀式に放り込むことである。そして、教師が教壇の上から子どもたちを監視しているとなると、これは、完全に個人の否定である。民主主義社会では許されないことである。

「給食」は貧困で食べることにも欠く子どもたちを救うための行為で、疑似「共同体」の儀式になってはならない。

こんなことが埼玉県朝霞市だけで行われているなら、みんなで朝霞市教育課を叩きのめせばよい。しかし、埼玉県の高校はいまだに男女共学ではないから、もしかしたら埼玉県全体がいかれているのではないか、とも思ってしまう。

新型コロナ、打つ手なしの緊急事態宣言解除に、祈るのみ

2021-03-21 22:15:24 | 新型コロナウイルス


きょうで、2回目の緊急事態宣言を首相の菅義偉が解除した。解除理由はよくわからない。

政府によれば、これまで、飲食店の時間短縮を中心に、ピンポイントで行った対策が大きな成果を上げたから解除するという。しかしながら、感染者数には横ばい、あるいは微増の傾向が見られ、人出が増加している地域もあり、変異株の広がりもあることから、リバウンドが懸念されているという。

懸念があるのに、どうして、緊急事態宣言を解除するのだろう。

本当の解除の理由は、これ以上緊急事態宣言を続けても、新規感染者数が減少しないからだと囁かれている。

実際、首都1都3県では、解除前から人出が増えている。そして、東京都ではリバウンドが始まっている。春で人の動きが激しくなる中で、これから感染者の急増を覚悟しなければならないだろう。

政府が出した、解除後の対策は、つぎの5点からなる。

 第1に、引き続き対策の中心となる飲食を通じた感染防止、
 第2に、変異株に関する監視体制の強化、
 第3に、感染拡大の予兆をつかむための戦略的な検査の実施、
 第4に、安全・迅速なワクチン接種、
 第5に、次の感染拡大に備えた医療体制の強化。

「飲食を通じた感染防止」というが、実際には、時短を緩めることが打ち出されている。恋人を求める若者が町をさまようぐらいなら大目にみるが、私は、家庭持ちが外で飲む必要があるのか、と思う。ただ、若者も、昔より卒業や入学のバカ騒ぎが派手になっている、と思う。着物で町を闊歩する若者をみると、バカかと思ってしまう。

菅義偉にも、「国民はこれまでよく我慢した」などと国民に媚びるのではなく、やるべき対策をやれと言いたい。

「変異株に関する監視体制を強化」して政府が何をしたいのか、わからない。感染した者のうち、変異株が何パーセントかを調べたからと言って、それだけでは、感染対策にならない。変異株の感染者は自宅待機でなく、隔離するであれば、感染者全員に変異株の検査をしなければならない。全数調査は可能で、PCR検査の試薬を変えればよいだけである。そして、無症状者にも検査の網をかけなければ成果がでないだろう。

「予兆をつかむための戦略的な検査の実施」の意味がわからない。集中的に検査をするための地域や業種のピンポイントのことなら、「予兆をつかむ」という表現にならない。

恐れるのは、逆にPCR検査の規模を少なくして感染者数を減らそうと考えている者が政府内部にいるのではないか。

「安全・迅速なワクチン接種」というが、意味ある数のワクチン接種が行われるのに、今年いっぱいかかり、解除後の実質的な対策とはならない。それより、医学知識のある医療従事者の試験的ワクチン接種の実施でなぜ副作用が出たのか、私は疑問に思う。接種の同調圧力が強かったのではないか。また事前の問診がいい加減だったのではないか。私には政府がこの件について何も反省していないように思える。

「次の感染拡大に備えた医療体制の強化」というが、具体的な戦略があるのか、あるなら国民に説明すべきである。単なる役人の空約束であってはならない。

特措法、感染症法を改正し、厳罰化したが、罰則を伴う命令は、この間、出されなかった。菅政権は新型コロナに感染してもたいしたことがない、普通の風邪と同じだと見ているように思える。たとえ、それがその通りとしても、感染爆発を起こせば多くの人が死に、また、医療を圧迫して、関連死を引き起こす。

これからくる4月5月の第4波が小規模なもので終わることを祈るしかない。