猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

日韓関係の悪化は日本の政治家の傲慢さのためだ

2019-10-25 23:09:15 | 日韓関係


きのう、10月24日、東京の永田町にある首相官邸で韓国のイナギョン(李洛淵)首相が安倍晋三首相にムンジェイン(文在寅)大統領からの親書を手渡し、約20分間、会談した。日韓関係の正常化するチャンスである。

ところが、日本政府側の説明によると、安倍は、元徴用工問題や1965年の日韓請求権協定を念頭に、国と国との約束を順守するよう求め、韓国側に適切な対策を示すよう求めたという。

これは、安倍をはじめとする右翼が、「日本が叩けば韓国が折れるはず」と思いこんでいるからである。朝鮮半島を植民地化した戦前の大日本帝国政府と同じく、彼らはいまだに日本をアジアの唯一の先進国と思いあがっているからだろう。

じっさいには、すでに、日本は中国にGDP(国民総生産)が抜かれている。2019年には、中国のGDPは日本のGDPの約3倍になる。一人当たりのGDPでは中国は日本の4分の一だが、すでに、金持ちの数では日本よりずっと多いのである。

韓国のGDPは世界の第12位で、一人当たりのGDPでは、すでに、日本の8割に達している。そして、韓国の平均給与は、日本を追い越しているのである。被雇用者は日本より豊かな生活を送っているのだ。

具体的に日本の製造業を眺めると、日本の電器メーカーは韓国の電器メーカー、サムスン電子やLGに負けている。また、太陽光発電では、中国メーカーが先頭を走っているし、サーバーやスマホのハードウェアでは、中国のファーウェイ(HUAWEI)が日本を大きく引き離している。

技術とはそういうもので、どこでも、時間をかければ、追いつき追い越せるのだ。傲慢になってはいけない。日本は小国だという謙虚さがいる。

日本の誇る産業は、電気電子産業のインフラにあたる素材産業である。日本の素材産業は、中国、韓国、台湾、インドネシアなどのアジア諸国が素材を買って製品を製造してくれるから、成り立つのである。現在の世界は、世界的分業から成り立つのである。

それにもかかわらず、安倍晋三は、経済産業省と組んで、日本からの素材輸出の管理を、韓国との経済戦争にこの7月に使った。日本は韓国をたたき、元徴用工問題で韓国が折れるのを期待した。

現在の世界経済は、米中経済戦争で、とても不安定になっている。世界経済は縮小の気配を見せている。少なくても、日本の輸出は、昨年の12月から、前年同月からマイナスが続いている。安倍晋三は、アメリカのトランプのご機嫌ばかりをとっているが、2010年からずっと、日本のアジア諸国への輸出は、アメリカへの輸出の約3倍になっている。すなわち、日本は、貿易立国であり続けるには、アジアの諸国に道義的にも尊敬される国でなければならない。

日本は、明治から昭和20年まで、傲慢で、アジアのなかの乱暴者であった。そのイメージを払拭するために、大平正芳はじめ歴代の首相はアジア諸国にとても心配りをして友好関係をつくってきた。これが、アジア諸国への輸出をアメリカへの輸出の3倍に導いたのである。

ところが、安倍晋三を筆頭とする右翼はそれをぶち壊している。安倍は正気でない。

保守系ノンフィクション作家の保阪正康は、10月10日の朝日新聞で、日韓問題について次のようにいう。

「日本政府は1965年の日韓基本条約・請求権協定に基づき、元徴用工の補償問題は《完全かつ最終的に解決済み》との立場を取ってきた。韓国政府も同じ立場だったが、昨年10月の韓国大法院(最高裁)が覆した。」

私が補うと、韓国政府が日本政府に請求したのではなく、元徴用工が日本企業に賠償を請求したのである。裁判が行われ、最終的に、日本企業が賠償を払うだけの悪いことをした、と韓国の最高裁が認定したのだから、日本企業が賠償金を払えばいいだけのことだ。ところが、安倍晋三は、韓国の最高裁の認定した事実を否定せずに、1965年の日韓基本条約・請求権協定を持ち出すだけである。これは、国と国との約束であって、個人が企業へ賠償を請求する権利をチャラにするものではない。

保坂はさらに、つぎのように言う。

「しかし、1965年当時、韓国は軍事体制下にあり、東西冷戦のさなかだったため、条約や協定があいまいさを残していたことは否めない。ここに目をつむったまま、日本政府が《私たちが正しい》と主張しているだけでは、韓国政府と平行線のままだ。」

ここで、私が補うと、ムン・ジェイン大統領は、政府が最高裁の決定を覆すことができないと、あたりまえのことを言っているだけだ。
日本の企業が韓国の最高裁の判決にしたがえば良いだけのことなのに、
大日本帝国を肯定する安倍と右翼は、当時の日本政府の蛮行、韓国の植民地化を明るみにしたくないから、日本企業に賠償金の支払いをとめているのだ。

「安倍政権がそれでいいと言うなら、日韓問題を政治的プロパガンダに使っていると受け止められる。敵を作って世論を勇み立たせる形で、支持率アップや政権浮揚に利用していると。」

「世間に広がる韓国への妙な感情の高揚は、昭和10年代の《中国をやっつけろ、中国を支援している米国をやっつけろ》という感情の流れに近いと言ってもいい。ナショナリズムが一度はびこると、その先に待ち構えるのは暴力の正当化だ。」

まじめに自由と民主主義を求めているなら、こんな安倍と右翼は許せない。しかも、保守の保坂が言うように、立憲民主党もだらしない。

「日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を韓国が決めた際、立憲民主党の枝野幸男代表が「きぜんとするというのは日本政府の対応としてはありだ」と政府の対応を支持したことだ。危惧するのは、外交問題を国会のそじょうに載せないとの判断にならないかということ。それが国益だと思うならば大いなる錯覚だ。」

日韓関係の悪化は、日本の政治家の質の低下と、国民が政治というものを軽んじているあらわれだ。こんなことはあってはならない。

立憲君主制に失敗した日本が象徴天皇制に成功できるか

2019-10-23 22:26:31 | 天皇制を考える



島薗進の『神聖天皇のゆくえ 近代日本社会の基軸』(筑摩書房)で、戦前の日本について次のように言う。

「政治史的には神聖天皇と立憲主義の拮抗関係の中で、結果として立憲主義が駆逐されて神聖天皇への崇敬が柱となる体制になっていきます。」

そして、1941年12月8日未明、日本はハワイ島真珠湾のアメリカの太平洋艦隊に奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争が始まる。

敗戦後、当時の東条内閣や軍部のだれもが、自分が太平洋戦争を決断したとは言わない。大日本帝国憲法(明治憲法)では、軍隊は天皇に直属し、天皇が開戦を宣言することになっている。

ところが、昭和天皇は、近衛文麿がわるい、東条英機は無能だった、下剋上で統制ができない、日本領土が自分の治世に半分になったことをどう弁解しようか、などトンデモナイこと言っているだけだ。

昭和天皇のために死んだ兵士に何と詫びるつもりか。しかも、死んだ兵士の大半が病死や餓死であった事実は、神聖天皇のもとの軍事作戦の無謀さと無責任さを物語っている。

島薗の『神聖天皇』の最後の章は「象徴天皇と神聖天皇の相克」である。1945年の敗戦によって、神聖天皇は本当に駆逐されたか、象徴天皇はうまく機能するのか、を扱っている。

私は、戦前の立憲君主制と同じく、象徴天皇制もうまくいかないと思っている。

イギリスで立憲君主制が機能しているのは、国民が1649年にチャールズ1世の首を公開の場で切り落としているからである。王が国民との約束を守れないなら処刑するという前例ができているからである。

日本にはそのような前例がない。

1960年12月号の中央公論に、夢の中で天皇と皇后、皇太子と皇太子妃が斬首される小説を深沢七郎が発表した。右翼がこれを不敬とし、しつこく中央公論社を恫喝し、中央公論社は右翼に、謝罪するとともに、お金を支払った。このとき、愛国党に属する17歳の若者が、中央公論社長宅に押し入り、社長夫人と家政婦を刺し、家政婦が死んだ。

天皇の首を切り落とすのが、小説の、しかも、そのなかの夢であっても許されないのが、日本である。こんなことでは、天皇は、国民との約束を守るはずがない。

しかも、憲法のいう「象徴」とは何か、あいまいなのである。

島薗が戦後の問題として指摘しているのはつぎの3点である。

(1)戦前に神聖天皇を形成した皇室祭祀が、GHQの「神道指令」でも、憲法でも、皇室典範でも、放置されている。
明治政府内の祭政教一致派は、皇居に賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿をつくったが、戦後も存続している。賢所には、天照大神の分身である鏡が祭られ、皇霊殿には歴代の天皇・皇后・皇親の2200余りの霊が祭られ、神殿には天神地祇といわれる日本の神々が祭られている。
戦後も、毎日ここで神事が行われている。そのほか、小祭、大祭といわれる宮中神事が天皇のもとで年20回以上行われている。戦後、皇室典範の書き換えはあったが、神事は戦前のまま行われている。

(2)教育勅語は形を変え、道徳教育として権威的モノの考え方を学校に持ち込んでいる。また、天皇や天皇制に関連する祝日が戦後復活している。2月11日の「建国記念日」は戦前の「紀元節」(初代の神武天皇の即位日)、4月29日の「昭和の日」は昭和天皇の誕生日、11月3日の「文化の日」は明治天皇の誕生日である。そして、元号を制定し、天皇のおくり名として使用される。

(3)安倍晋三の政治基盤が神聖天皇の復活をはかる勢力と重なる。神社本庁(民間団体)と神道政治連盟と日本会議である。神聖天皇のために死んだ軍人の霊をまつり、戦犯を裁く東京裁判を不当とする靖国神社を参拝する閣僚や国会議員がいまだにいる。公職にある者が靖国神社に参拝することは、憲法違反とする判決が地裁、高裁で出ているのにも関わらず、公式参拝が行われる。

人間は、劣等感にさいなまれたり、生きる意欲がわいてこなかったりすることがある。神聖天皇がいかに非合理的で馬鹿げてみえても、人間には神聖天皇の理念に飲み込まれる弱さがある。

憲法学者の石川健治は、憲法が神聖天皇を封じ込んでいるというが、第2条の「象徴天皇」の世襲制が欠陥であり、第7条の天皇の国事行為に「儀式」をいれているのも欠陥であり、第14条の「法の下の平等」のなかに「皇室」をいれてないのも欠陥である。

危険で無理な象徴天皇制を廃止し、天皇家をたんなる過去の名家にすべきである、と私は思う。


即位の礼を無視し、島薗進の『神聖天皇のゆくえ』を読む

2019-10-22 21:52:13 | 天皇制を考える



きょう、10月22日は即位礼正殿の儀である。何か古式な伝統の儀式をやっているように見られているが、明治時代以降になって創作された怪しげな儀式の1つである。きょうは、令和天皇が、大正天皇のために作られた高御座(屋根付き台)にのって、安倍晋三の万歳三唱を受けた。

こんな日は、島薗進の『神聖天皇のゆくえ 近代日本社会の基軸』(筑摩書房)を読むことを勧める。この本は、ぜひ、若い人に読んで欲しい本の一冊である。

島薗の書く本は、これまで、学究的で、かたくて、読みづらいものだった。ところが、この本は、みんなに読んでもらうため、構成に工夫を凝らし、漢字に仮名をふり、ですます調で書いている。島薗は日本社会に危機感を覚えているからである。

島薗はまえがきに次のように書く。
「社会にはさまざまな人がいますが、人々の共通の信条が集合的に強い力を発揮することがあります。近代国家の形成の時代には、皆が同じ考えや感情を分け持つ傾向が強まりました。学校、戦争、メディアの影響が大きいです。国家制度が人々の考え方や振る舞い方を方向付けていくのですが、逆に人々の考えや感情が国家を動かすような事態も生じます。」

私なりに言い換えると、次のようになる。
近代にはいり、多数の人が政治に参加できるようになると、それに危機感をおぼえた小規模な集団が国民の意識を操作しはじめた。操作された国民のなかの多数派が他の国民の言論を抑圧し、非合理的な考えが社会を支配し、国家が暴走し、社会を破滅にみちびいた。

日本は、90年前、日中戦争、日米戦争(太平洋戦争)に国民を動員し、1945年の敗戦(無条件降伏)で、アメリカの占領地となった。

現在、このことを国民が忘れ、道徳教育が学校で堂々となされ、同調圧力に屈する若者が増え、政治不信で投票率がさがり、安倍政権のもとで国家機密保護法や共謀罪法や安保法制が国会で通り、韓国への制裁がメディアに支持され、皇居のなかに神道儀式を行う建物が3つもある。これでは、島薗進でなくても、危機感をいだくであろう。

島薗は、明治初期には人々の関心を引かなかった天皇が、どうして、神聖視されるようになり、天皇のために死ぬのが社会規範になったかを、本書で解明する。

島薗によれば、古代での日本統治の安定に寄与したのは、仏教であり、中国にならった律令制であった。それだけでなく、圧倒的に強力な中国の属国として埋没しないため、すなわち、辺境の地の王国として自己主張するため、伊勢神宮を立て、『古事記』(712年)や『日本書記』(720年)を創作した。

しかし、文字を読める人々は限られ、『古事記』『日本書記』は国民になんの影響力がなかった。しかも、これらの書は、天つ神(天皇家)を国つ神(豪族)の上に置くものだから、豪族にとって受け入れられないものだった。

それでも、創作された日本の神々は、本地垂迹の信仰の形で、仏教の土着化として生き残った。

近代の神聖天皇は、直接的には、幕末に始まる。『大日本史』を編纂した水戸学である。幕藩体制を強化するために、宋時代の儒教の朱子学を取り入れる。君臣関係の意義を強調し、臣下の忠義を重んじる思想だが、徳川家康は天皇から将軍職をさずかったことになっているので、尊王の思想にいたる。尊王攘夷は水戸学に始まる。

島薗はここに着眼し、明治以降の流れを、天皇制を自分たちの統治の正統性に利用しようとする伊藤博文ら明治維新の元老たち(立憲君主派)と、天皇の親政を求める祭政教一致派の綱引きで日本の近代を見る。伊藤博文は天皇の政治への関与を阻み、祭政教一致派は天皇の神格化の方向に走る。教育勅語に象徴される学校教育、軍人勅諭に象徴される軍人規律に、神聖天皇の考えが浸透する。

私は、神聖天皇を掲げる祭政教一致の支持基盤は、じつは、薩長閥からもれた士族だったのではないかと思う。薩長閥からもれた士族にとって、勉学に励み、天皇の軍人か大臣か学者になるしかなかったのではないか。昭和天皇に太平洋戦争を奏上した東条英機は、盛岡藩の士族の末裔である。

もちろん、民本主義のもとに、彼らには、経営者になる、国会議員になる道もあった。じっさい、1898年に日本の最初の政党内閣が伊藤博文の支持の下に生まれる。1918年に首相になった政友会の原敬も盛岡藩の士族の末裔であった。

しかし、明治の元老たちが死んでゆき、祭政教一致派への重しがなくなるとき、軍部の暴走が始まり、神聖天皇を支持する国民が軍部を後押しし、さらに暴走が強まる。天皇のために死ぬことが美化される。

私が思うに、天皇の神格化の可能性をもつ疑似宗教的要素、明治以降に創作された儀式を排除せず、象徴天皇制をつづけることは、伊藤博文が天皇機関説を守り切れなかったことと同じ誤りに導く。即位の儀に反対すべきである。

また、元老たちが死んでいなくなったとき、民本主義の政党政治が簡単に覆ったのは、共産党やアナーキズムを弾圧し、右翼を放置したからと思う。政府が、日本会議や神道政治連盟を取り締まらず、中核や革マルだけを取り締まるのは、間違っている。

島薗の『神聖天皇のゆくえ』は、近代日本の歴史の理解を助け、今後の日本のあり方にヒントを与える。


天皇はいらない、即位の礼はやめろ

2019-10-21 21:46:19 | 天皇制を考える


あす、10月22日、即位の礼があるという。5月1日に即位の日があったばかりだ。祝賀御列の儀(パレード)は11月10日に行うという。

何という間の抜けた話だ。やめろ、やめろ。

昔、子どものとき、読んだマンガに、不吉なことがあると、民衆は王を殺して、王の代替わりをした、とあった。駄々っ子の昭和天皇は、戦争を起こすのを止めもせず、日本を破滅に追い込んだが、なぜか、殺されなかった。令和天皇は即位をして台風がつづけて日本を襲ったのに、宮中に閉じこもったまま、あす、即位の礼を迎える。

不吉だ。不吉だ。令和の名前がわるい。

5月1日の即位の日は、剣璽等承継の儀を行ったという。これは「三種の神器」の引き継ぎのことらしい。「三種の神器」は皇室が万世一系の象徴らしい。どうして、モノの引き継ぎが万世一系の象徴になるのだろう。理解しがたい。

島薗進によれば、「三種の神器」が日本で初めて問題になったのは、約700年前の南北朝の争いである。南朝が「三種の神器」を北朝に引き渡すことで、皇室の正統性が北朝に移った。すると、「万世一系」とは、リレーのバトンのように、「三種の神器」を長年引き継いできたことなのだ。引き継ぐ人に意味があるのではなく、引き継げば誰でも天皇なのだ。「三種の神器」の年代測定をしたらよい。

(新聞によれば、10月22日の「即位礼正殿の儀」で使う三種の神器の剣は複製品であるという。ホンモノはどこにあるのだろう。)

5月1日「即位の日」は国の祝日であったが、「即位」とは国民の象徴である天皇という役割を引き継ぐことではないのか。「三種の神器」を引き継ぐことではない。

すると、10月22日「即位の礼」に、あらためて、国民の象徴である役割を引き継ぐ儀式をするのか。

ところが、当日の「即位礼正殿の儀」とは、大正天皇が使った天井付きの台(高御座)の上に、令和天皇がのって、諸外国の要人を見下ろすことであるらしい。そして、下から安倍晋三が万歳三唱をするらしい。

これは何だ。主権者は国民だ。天皇は、国民に土下座し、先々代のバカ天皇をお許しください、これから、象徴として、ツツまやかしに暮らし、東に台風があって困っているヒトがいれば、スコップをもって泥をかき出し、西に大雨で土砂崩れが起きれば、スコップをもって泥をかき出します、と誓うべきでないか。

台の上にのって偉そうにするな。
チャラチャラした服を着るな。
ナッパ服を着ろ。

天皇なんて いらない。

高学歴高齢者は右傾化したのか

2019-10-20 22:17:39 | 思想


きのうの朝日新聞に、高齢者が右翼的であるとの指摘が、期せずして二人からあった。1つは、《耕論》の『「古き良き日本」の喪失感』の鈴木大介であり、もう一つは、読書面で『日本人は右傾化したのか』(田辺俊介編著)を紹介する斎藤美奈子である。

はっきりといって指摘がショックであるが、考えてみれば、自民が政権を長く握っていたのだから、昔から、国民の多くが右翼的で、国旗や国歌好きの日本人であっても不思議ではない。戦争犯罪者の岸信介が首相になる情けない国なのだ。

じつは、きのう、田舎の育英会と県人寮の111周年記念式典で、ひさしぶりに都心に出かけて、高学歴高齢者の右傾ぶりにうんざりした。

壇上に上がるとき、会場に向かってでなく、壇上の奥に向かって一礼する。気になったので、周りに訳を聞くと、みんな、普段、国旗などがあるところで壇上に上がって話をするから、国旗がなくても、無意識に、見えない国旗に向かって一礼するのだろう、という返事である。

しかも、高学歴高齢者が壇上から話すのは、国のために勉学し、地方にも逸材があることを示せ、という趣旨である。国、郷土があるが、個人がない。

なぜか、講談師神田蘭を呼び、元士族の育英会の創設者の講談を企画するが、中身がない。それなのに、高齢者が大声で講談師に向かって「待ってました」などの掛け声を発する。気味が悪い。

《耕論》の鈴木大介は、自分の父が大学をでているのに、ネット右翼と変わらない排外主義的言動をすると言っている。そして、そんな父を「嫌韓ビジネス」に踊らされている被害者と思い、「テレビに毒づく父を無視せず、『その言葉はどうかと思うよ』と言えれば、父の変節を阻めたかもしれない」と悔やむ。

話を戻すと、記念式典には、元寮生の一割も出席していない。すると、出席するのは、最初からおかしな人である。出席者は役人とか役員とかやっていて、既成社会の「成功者」である。既成の社会を肯定することで、自己肯定するのだ。大声をだすことで、自分が強い男だから成功したのだ、と言っているのだ。

年を取ると、批判的思考力も衰え、過去の記憶に縛られる。高学歴高齢者の一定数は、はじめから右翼で、右傾化したのではないと思う。「変節を阻む」のではなく、もっと、若いときに、左翼への説得をすべきだったのだ。

さて、田辺俊介編著の『日本人は右傾化したのか』は、ナショナリズムを純化主義、愛国主義、排外主義にわけ、世代による意識の差、2009年、2013年、2017年の比較を行っているとのことだ。斎藤美奈子の紹介によると、「〈ナショナリズムに関しては、いまなお年長世代ほど保守的、右派的である〉半面、平成生まれの若者世代に特徴的なのは、権威に従属的な権威主義だという」。

短い書評なので「純化主義」「愛国主義」「排外主義」の区別はどんな意味をなすのか、また、鈴木大介のいう「古き良き日本」を想うのが、この3分類のナショナリズムのどれにあたるのか、わからない。「古き良き日本」を想うのは共同体願望からで、結果的に「排外主義」になりがちである。それだけでなく、「共同体願望」というもの自体も、県民根性(郷土愛)と同じく問題がある。自分がない状態の可能性がある。

若者世代が「権威に従属的な権威主義だ」というのは、その親の世代と学校に責任がある。若者は、国家権力と闘うことに、闘わずして、絶望しているのではないか。

謎が残るので、田辺俊介編著の『日本人は右傾化したのか』(勁草書房)をとにかく読むしかない。