猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

子どもの理科実験レポートで苦悶した私

2024-07-02 20:42:53 | 教育を考える

放課後デイサービスで私の担当する子どもに、理科が好きな中3の男の子がいる。どうして理科が好きなのかと聞くと実験が面白いと言う。

私には中学時代に実験をやった記憶がない。化学は覚えることが多くて好きでなかった。リトマス試験紙の色が酸性アルカリ性でどう変わるのかも、すっかり忘れてしまった。

理科が好きな彼は、2週間前から私に実験のレポートの書き方をしつこく聞いてくる。銅と亜鉛とのイオン化傾向の違いを調べる実験のレポートだ。

学校から配られたプリントに、実験に先立って自分の仮説を立て書く欄とその根拠を書く欄とがある。銅と亜鉛のどちらがイオン化傾向が大きいかを、中学生が根拠を示して予測できると思えない。大学生にも難しいと私は思う。

私は非常に困った。実験とは予測できないから実験するのではないか。実験で大事なのは、結果の予測ではなく何を知りたいかではないか。そのための実験の設計が大事なのではないか。

すると、この仮説は、どちらがイオン化傾向が大きいかでなく、実験では、どういう現象を期待しているのか、ではないか、と思い、そう説明した。

実験は,硫酸銅の溶液に亜鉛を入れた場合と硫酸亜鉛に銅を入れた場合を比較するようになっている。仮説は、イオン化傾向の大きい金属を入れた場合に反応が起き、入れた金属の表面の変化が観測できる。イオン化傾向の小さい金属を入れた場合には何も反応が起きない。このことなら、仮説とそう予測した理由を述べることができる。

私はそう思ったのだが、きのう、彼が来る前に教科書を丁寧に読んだとき、この実験の期待される仮説を教科書の補充部分に見出した。仮説Aは亜鉛のイオン化傾向が銅のそれより大きい、仮説Bは銅のイオン化傾向が亜鉛のそれより大きい、となっている。仮説Aの根拠は、オリンピックのメダルは銅、銀、金であって亜鉛でない、仮説Bの根拠は、銅でできている10円玉は古くなると黒っぽくなる、というものであった。

この教科書は、実験をゲームのように扱って、子どもたちに結果を予測させることを目的としているのだ。根拠は科学的である必要ではないのだ。子どもたちに理科への関心を起こすには、非科学的な予測も良しとするしかない。自由な発言を認めないといけない。

しかし、教科書にはイオン化傾向の順が書いてある。そうすると、実験のレポートで「仮説」と「根拠」を述べさすことは間違いではないか。レポートに書くべきは実験の「目的」ではないか。実験の「設計のポイント」ではないか。

このイオン化傾向の実験では、銅と亜鉛とを対称に扱っているところが、実験のポイントである。

理科教育はとっても難しい。特に電解質、電池は教えるのが難しいところだ。現在の中学の理科は内容が多すぎる。丁寧に教えるには、内容を絞るべきではないかと思う。

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