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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

任命拒否された加藤陽子の『戦争まで』を苦労して読む

2020-11-15 21:55:15 | 戦争を考える

加藤陽子の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)が、なかなか読み進まない。読んでいると、無性に腹が立つからである。鼻持ちならないエリート臭さが、私のような貧乏人にはがまんがならない。歴史が大好きな高校生を集めて、偉そうに話しかけているだけだ。対等に高校生と話していなくて、高校生の返答に自分の意見に基づき、採点しているだけだ。自分と同じエリートを育てあげようとしている。

本書に人名がやたらと出てくる。それは自分の権威化にすぎない。歴史を作った人物ではなく、自分の歴史解釈の基盤を作ったインテリである。

〈長谷部恭男という、東大から早稲田大学に移られた憲法学の先生〉
〈村井章介先生〉
〈吉野作造〉
〈美濃部達吉〉
〈中村元哉先生〉
〈堀和生先生〉
〈和辻哲郎〉
〈寺沢薫先生〉
〈久保正彰先生〉
〈小野塚知二先生〉
〈堂目卓生先生〉

上は第1章に出てきた人名である。「先生」がついた人名は、加藤が直接会ったことのある人であろう。偉そうに互いに先生と呼んでいるのではないか。「先生」をつけるな。

よく思い出してみれば、私は大学で教師を「先生」と呼んだことはない。
ニュートンが「自分は過去の巨人の上にのって先を見た」と言ったといわれているが、ニュートンのプリンキピアで誰かの名前を本文で引用して、自説を展開することはなかった。

「長谷部先生」が、ジャン=ジャック・ルソーの論文を読んで、

〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉

と言っていたという。ここで、加藤は、ここでの「憲法」とは

〈具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理を意味しています〉

と解釈を添える。私は、ますます、わからなくなる。加藤陽子は観念論者ではないかと思ってしまう。

加藤は、これでもかこれでもかと話を広げる。高校生には背伸びを促す効果があるのだろうが、私の立場からいえば、他の本を読まなくても、話しが完結するようにして欲しい。

加藤は、第2章で、日中衝突に関するリットン報告書が満州国を日本の傀儡国であると認めながら、日本の現状の利権を中国に認めさせて、両者の調停を図ろうとするものであると指摘する。第3章で、日独伊産国同盟の影で、ドイツが中国を支持していて、日本が中国と和睦するよう望んでいたことが明かされる。ふたつの章を通して書かれるのは、ソ連の脅威である。陸軍参謀の石原莞爾のソ連と満州の国境を日本の防衛線にするという戦略が紹介される。

加藤は、このような国際状況でどのような選択肢があって、その損得は何かを高校生に判断させようとする。ここでも、加藤の態度が偉そうなので、うんざりした。

チェスや将棋の解説とは違う。侵略されて土地をうばわれ、奴隷のように働かざるを得ない人びとがいる。日本に逆らうからといって殺される人びとがいる。結局は、統治者の立場から歴史を論じているにすぎない。

第3章まで読み進めると、日本の軍部、海軍や陸軍はどうしてこのように図にのったのか、の疑問のほうがわいてくる。私は、「尊王攘夷」の思想が明治以降も生きていて、「尊王攘夷」の波に乗り遅れた東北や北陸の武士の末裔が、大日本帝国憲法のなかで、天皇にしか責任を負わない軍部に自分の立身出世を賭けたのではないか、と思う。それが「昭和維新」の実体のような気がする。

そういえば、また、思い出したのだが、高校のとき、日本史が嫌いで、いつも白紙で答案を出していた。その教師は、私が生徒会会長をやっていたときの顧問である。ハチャメチャに私が学校の常識に逆らっていたから、選挙で勝って生徒会長になったのである。顧問とは互いに会話した記憶がない。しかし、今から考えると、顧問も学校も寛容だった。

加藤陽子はどうもヒラリー・クリントンのようなブルジョアの立場から世界を考える知的エリートではないか。いっぽう、加藤を毛嫌いする安倍晋三や菅義偉は、知性の欠けた極右ではないだろうか。

自虐史観といって歴史の偽造をゆるすな、元首相 村山富市のコメント

2020-08-16 21:52:52 | 戦争を考える


きのう、8月15日、元首相の村山富市が、「戦後75年」・「村山談話25年」の節目の日になる事に鑑み、「村山談話に託した思い」を発表した。

25年前の「戦後50年村山談話」は、

〈 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。〉

と、はじめて、「日本政府」の戦争責任を認めた。それ以来、歴代の首相は「村山談話」を引き継いできた。たとえば、政府主催の全国戦没者追悼式で、歴代首相は政府の戦争責任に謝罪してきた。

ところが、安倍晋三が首相になって、日本政府の戦争責任を覆い隠し、全国戦没者追悼式から謝罪の言葉を削除し、曖昧な「戦後70年安倍談話」を出した。

村山富市は、このことをうれいているのだ。今回のコメントから少し引用しよう。

〈 私の後を継いだ、橋本龍太郎首相以降、今日に至るすべての内閣が「村山談話」を踏襲することを明らかにしていますが、それは当然のことと言えます。中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理であります。〉

〈 日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを「自虐史観」などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています。日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶めるのでは、ないでしょうか。〉

私もそう思う。
日本の歴史を、日本人の「誇り」を満たすよう、歴史を書き換えて「良かった」と子供に教えよというのは、私はちょっとおかしいと思う。歴史をありのまま直視することは、自分たちがどういう政策を選択する上で、役にたつ。
過去に政府が国策を誤ったことを隠すことは犯罪の隠ぺいである。

また、国の政策は、そのとき、国を支配する者が良しと思うことであり、支配されている者が支配する者と意見を異にするのは、自然なことである。

私の死んだ母は、教養のない普通の人であったが、軍人さんが満州事変の頃から威張っていて(兵隊さんではない)、戦争に負けて軍人さんがいなくなって本当に良かったという。私の妻の母も同じようなことを言っている。

軍人さんは兵士とちがう。軍人さんは職業軍人である。戦前は、天皇が軍人を統帥していたのである。軍人は天皇に仕え、議会や内閣になんらの責任をおわなかった。徴兵された父は、軍人さんに「自分の命令は天皇の命令と思え」とビンタ(頬を往復で叩くこと)された。

国を支配する者は時とともに変わる。支配されている者が、暴力的抑圧がゆるくなれば、あれは間違っていた、ああすれば良かった、と本当のことを言うのはあたりまえである。

私や私の家族にとって、当時の日本政府が間違っていたというのは、体験からくる実感なのだ。「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れた」は本当である。太平洋戦争は避けられたのである。そうすれば、原子爆弾も開発されず、現在、世界には核兵器など、なかったと思う。

戦後の平和と民主主義は、「軍人さん」がいなくなったことで、得たものである。それなのに、憲法を改定してまで、安倍政権は、「積極的平和主義」の旗のもと、軍隊をもとうとする。アメリカとの軍事同盟を強化しようとする。

日本が「対米従属」から抜け出て、近隣諸国と経済的繁栄を分かち合うには、「天皇制」「富国強兵」を戦前の日本政府の誤りだ、と認めてしまうことである。戦争をしない国でありつづけることである。海外に軍隊を派遣しないことである。

日清戦争、日露戦争を起こして、台湾を併合し、韓国を併合したことは、けっして、正しい国策ではない。戦後、日本政府は、農地解放を行って、水のみ百姓といわれていた小作農に土地を与え、自作農がふえることで、一気に、コメの収穫高があがり、領土が45%になったにもかかわらず、自給自足ができた。支配・被支配の構造があるから、生産性があがらず、植民地が必要だという間違った幻想が戦前の日本をおおったのだ。

植民地は不要であり、対等な人間関係、民主主義を国内で実現すればよいのである。

「戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れる」ことも、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与える」ことも、必要がなかったのだ。

現在、不景気が長く続いているが、これも、経済格差をなくし、ビジネスにおける人間関係の平等を実現すれば、会社が働く者のものになれば、解決する問題である。

「自虐史観」と言って、「国策を誤った支配者」を美化するように歴史を書き換えてしまえば、現在の「国策の誤り」が見えなくなってしまう。

敗戦記念日に戦争責任追及集会がないのは なぜ?

2020-08-15 21:38:50 | 戦争を考える

きょう8月15日、敗戦を記念して、いつもと同じイベントが開かれた。

政府主催の全国戦没者追悼式は、新型コロナでイベントの規模が縮小されただけである。いつもと同じ天皇のことばといつもと同じ安倍晋三の式辞が述べられた。

靖国神社参拝では、4年ぶりに閣僚の参拝が行われた。安倍晋三は例年と同じく自民党総裁の名で玉串料を納めた。

たまには、日中戦争や太平洋戦争の責任者を糾弾する会を催したらどうだろう。戦争責任の討論会も良いし、サッカーボールに、昭和天皇や東条英機の顔写真を張り、みんなで蹴るのもどうだろう。戦争の反省を国民だけに押し付け、のうのうとしている天皇や政治家や国家神道関係者をそのままにしておいて良いのか。

全国戦没者追悼式でのべられる天皇のおことばは、毎年毎年同じである。3段落からなる簡単なものである。

昨年、平成天皇から令和天皇に替わったとき、第3段落に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という語句が不用意に加わり、前より劣化した。

第3段落の平成天皇バージョンは、「ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、……」であった。
ところが、令和天皇バージョンは、「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、……」である。

天皇は何を反省するのか、より意味不明になっている。「過去」とはなにか、ハッキリと言わないとダメでしょう。戦後50年村山談話は、植民地化と侵略と開戦とを「国策の誤り」と謝罪している。

令和天皇糾弾集会も必要なのではないか。こんな天皇はいらない。私たちは、日本国憲法第15条にもとづいて、少なくても天皇を罷免させる権利をもっている。

今年は、第2段落と第3段落の間に、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大」の言及が挿入されただけである。それも、「新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と、「頑張ってね」という「ひと(他人)ごと」なのである。

安倍晋三の式辞も毎年同じで、8段落からなる。今年、この第7段落が、さらに悪くなった。第7段落の
「平和で、希望に満ち溢れる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面している様々な課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります」
が、今年は、
「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です」
に置き換えられた。

安倍晋三は、いまだに「核兵器禁止条約」の署名を拒否しているのである。彼の「積極的平和主義」とは「平和を武力で勝ち取る」ということで、戦没者の遺族に向けて、そんなことを言ってほしくない。

サッカーボールにはる顔写真に安倍晋三も加えたほうが、糾弾集会は盛り上がるかもしれない。

敗戦75年を迎えて、戦後50年村山談話と戦後70年安倍談話

2020-08-14 20:35:37 | 戦争を考える

明日(8月15日)で、日本の無条件降伏(敗戦)から、75年を迎える。

それ以来、日本が直接戦争に巻き込まれることなく、平和に暮らしてこられたのは、戦後作られた日本国憲法第9条の

「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

のおかげである。同盟国アメリカによる戦争参加の要請を、絶対平和主義の憲法を盾に断ってきたのである。

また、幸いなことに、同盟国アメリカには、1861年から1865年の内戦(The Civil War、南北戦争)以来の、平和主義の伝統があった。内戦で同じアメリカ人同士が殺し合ったのだ。この戦争のむなしさの国民的共有によって、徴兵制がしかれていたときにも、良心的兵役拒否の権利が認められていたのである。思想信条をもとに、人を殺す武器を持たない権利が認められていたのである。

ナチス・ドイツが、1939年9月1日に宣戦布告なしにポーランドに侵攻し、2日遅れ、9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発した。

アメリカの参戦は、1941年12月7日の日本の真珠湾奇襲まで、行われなかった。アメリカ国内では、戦争反対の声が強かったのである。プロペラ機でニューヨーク・パリ間の単独無着陸飛行に初めて成功した、国民的ヒーローのチャールズ・リンドバーグも、戦争反対の旗頭だった。参戦反対が多数派だった。

もし、日本がアメリカの真珠湾の軍事基地を攻撃しなければ、アメリカ政府は第2次世界大戦に参加できなかったかもしれないし、原子爆弾も開発されなかったかも しれない。歴史は変わったのである。

日本政府は、2度、日本の無条件降伏(敗戦)を記念して談話をだしている。1つは戦後50年の村山談話で、もう1つは戦後70年の安倍談話である。5年前のきょう(8月14日)、閣議決定として、安倍晋三の戦後70年談話が出された。

戦後50年の村山談話は7段落からなる簡潔明瞭なものである。戦後75年の安倍談話は29段落からなる長く屈折したものである。

   ☆    ☆    ☆
村山富市は、談話の第2段落で、日本の戦後復興に対する諸外国の援助に感謝する。

〈 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。〉

そして、第5段落で、戦前の日本が近隣諸国を武力で侵略したことを謝罪する。

〈 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。〉

   ☆    ☆    ☆
これに対し、安倍晋三は、過去に何が起きたか、その責任は誰なのか、を曖昧にする。謝りたくないのなら、黙っていればよいものを、歴史を偽造し、村山談話をぶち壊す。

安倍は、談話の第2段落で、西洋諸国がみんな他国を侵略していたではないかと言って、日本の富国強兵政策をたたえる。

〈 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。〉

特に、この「日露戦争」がまずい。これよって、朝戦半島を日本の利益防衛線内に置くことになり、日本は韓国を併合する。

そして、第4段落で、日本が戦争をしたのは、世界が日本をつまはじきにしたからだと居直る。

〈 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。〉

第9段落では、何がなんだか、わからないことを言っている。

〈 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。〉

1944年のビルマ戦線で、日本軍は、補給のないインパール作戦で、3万人以上の日本兵を死なせた。飢え死にである。生存兵には、仲間の死肉を、付近の村に持ち込み、食料をもらったものもいる。

「戦場の陰には……」の文も意味不明である。当時、日本政府は韓国政府に慰安婦問題で責められていた。「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」の受け身表現では、女性たちの犠牲に感謝するというニュアンスになり、日本軍が、兵たちの性衝動を満たすため、女性を性の道具として動員したという、他動詞表現でなければおかしい。「女性」も「韓国や日本の女性」と言わないと、なんのことかわからない。

何を謝罪するか、明らかにせず、第15段落になって、すでに十分に謝っているとの言い方をする。

〈 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。〉

第23段落は、もう謝らないぞ、と本音を言っている。謝るか、謝らないかの問題ではなく、何を謝るかを言わないと、誰のためにもならない。

〈 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。〉

第28段落では、さらに恐ろしいことを言っている。

〈 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。〉

「国際平和」ではなく「国際秩序」となっているところが安倍らしい。強いアメリカに逆らってすみません、と言っているだけである。

「その価値を共有する国々と手を携えて、積極的平和主義の旗を高く掲げ」とは、アメリカとの軍事同盟を強化するということではないか。具体的には、同年の安保法制を国会で成立させることではないか。

安倍晋三は、戦前の国策の何が誤っていたのか検討せず、他国の批判をかわして、威張っているだけである。出す必要のない、いや、出すべきでない戦後70年談話であった。

日中戦争と太平洋戦争の責任。5年前の3月15日と8月12日のブログから

2020-08-12 18:24:44 | 戦争を考える
 
2015年3月15日: 村山談話で十分、安倍首相の70年談話はいらない
 
敗戦50年の村山談話が最良のものだと思わないが、今年の夏に安倍首相が70年談話を出して「寝た子を起こす」のではないかと不安になる。「寝た子を起こす」というより、安倍首相が「魔物の封印」を開けてしまうのではないかと不安をいだく。
 
昨年の終戦記念日に全国戦没者追悼式で、安倍首相は、「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と言った。
同じ追悼式で、天皇陛下は、「終戦以来すでに69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」と言った。
 
戦後の平和と繁栄に対する天皇陛下と安倍晋三との理解は大きく異なる。天皇陛下は、戦後の国民の努力によって現在の日本の平和と繁栄が築かれた、と理解するのに対し、安倍晋三は、戦争によって、人が死ぬことによって、現在の日本の平和と繁栄が築かれた、と理解する。安倍晋三は、日本の武装化、軍国化こそが日本の繁栄と平和の礎と考えるからだ。
 
安倍晋三だけでなく、日米戦争の美化の思いが小泉純一郎の終戦60年談話の中にも見える。
 
「私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります」。
 
小泉純一郎の「二度と我が国が戦争への道を歩んではならない」には注意がいる。同じ談話の中で小泉純一郎は「ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました」と言う。国連平和維持活動や米国のイラク戦争の後方支援に自衛隊を派遣することは許されるという、小泉純一郎の考えが入り込んでいる。安倍晋三の「積極的平和主義」は、この小泉談話にヒントを得ている。
 
村山談話は、小泉談話より、ずっと良くできている。
村山談話は、村山富市の思いを受けて、当時の外務省官僚のトップが起草したものだという。最初の原稿には、「敗戦」と「終戦」の二つの語が混在していたが、橋本龍太郎(元自民党総裁)の意見を受けて、「敗戦」に統一した、と村山富市が3月9日のBSプライムニュースで語っていた。
 
村山談話では、「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と言い、その反省に立って、次のように提言する。
 
 (1) 戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていく。
 (2) 近隣諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていく。そのために、政府は、近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかる。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、ひき続き誠実に対応する。
 (3) 独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進し、平和の理念と民主主義とを押し広める。
 (4) 核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進する。
 
戦後の日本の繁栄は、植民地が不要だということを示している。隣国と貿易をし、互いに繁栄することができる。植民地を失った戦後の日本の繁栄と平和は、戦前の国策である、富国強兵、朝鮮・満州の植民化政策、中国大陸への出兵、東南アジアへの戦線拡大が誤りだったことを示している。
 
村山談話には不十分な点もあるかしれないが、それより劣化した70年談話を安倍首相が出して、わざわざ「寝た子を起こす」ことはないと私は思う。
 
2015年8月12日:      BSプライムニュースの奇怪なゲストたち、70年談話の前に
 
昨日、8月11日のBSフジのプライムニュースは、異様な、あるいは妖怪な、あるいは少し心を病んでいるようなゲストたちを招いて行われた。
 
BSフジのサイトによれば、ゲストは衆議院議員で自由民主党政務調査会長の稲田朋美、現代史家の秦郁彦、評論家の佐藤健志である。この奇怪なゲスト選択になったのは、自民党が議員のテレビ出演を止めている中、政務調査会長の稲田朋美が出演するための条件だったのかもしれない。しかし、おかげで、3人の、なごやかな雰囲気での、本音が聞かれたのかもしれない。
 
キャスターの反町の問い「安倍首相の70年談話は何のために誰に向かって行うのか」、「もし、アメリカに向かって開戦しなければどうなったのか」に対して、ゲスト3人はまともに答えていなかった。3人とも、被害者意識にとらわれ、もう「お詫び」しなくてもよいという趣旨のことだけを述べていた。
 
49歳の佐藤健志は、「有色人種」、「欧米列強」という古色懐かしい言葉を使い、「負け組の日本が勝ち組に参加することで、アメリカの価値観で歴史を認識するパラドックスに陥っている」と言っていた。また、「靖国神社は戦前の日本の正義を象徴する」、「敵側が行った東京裁判が正義であるかは疑問である」、「簡単に謝罪することは逆に誠実さを疑わせる」とも言った。
 
83歳の秦郁彦は、「戦後70年の総括は、独裁国でないのだから、一人一人異なっていいのではないか」、「天皇制が存続し、日本人のほとんどは東京裁判に満足した。日本が裁いていれば、下っ端に責任を押しつけて終わっていただろう」、「今の天皇の言葉、〈満州事変が戦争の起点だ〉ということは、弁明の余地がない事実だ」、「今更、お詫びする必要はない、特に植民地支配にお詫びする必要はない。植民地支配にお詫びする国は世界中のどこにもない。だから、韓国にお詫びする必要はない」と言っていた。
 
56歳の稲田朋美は、「講和条約で日本が東京裁判受け入れたので、それ自体を争うことはしないが、事後法で裁くのは不当だと思っている」、「侵略と言う言葉や歴史認識に色々な意見があることだから、70年談話に『侵略』という言葉をいれるかどうかは問題ではない」、「戦争で、240万の軍人が死に、80万の民間人が死に、国土が戦前の領土の45%になり、過酷な賠償を払ったのだから、ずっと謝りつづけるのはおかしい」、「民主主義はアメリカに教えられたものではない。日本は国際的に道義を発していけばよい」と言っていた。
 
3人に共通するのは自分たちは被害者だという強烈な自己意識で、アメリカに対して劣等コンプレックスに満ちあふれ、非常に屈折した言い方をしている。
 
キャスターの反町の問い「安倍首相の70年談話は何のために誰に向かって行うのか」に3人が答えられないのは、日本の敗戦に対して、いまだに、自我の感情的な混乱の中にいて、国際政治の一貫として談話を位置付けることができないからだろう。
 
反町のもう一つの問い「もし、アメリカに向かって開戦しなければどうなったのか」に対しては、秦郁彦は「追い込まれて成り行き上、開戦した」という答え方に終始していた。アメリカから要求されていたのは、中国からの撤退だけで、それを飲んでも日本は何も困ることがない。開戦しなければ、他国の人を大量に殺すこともなく、また日本国民が殺されることもなく、日本国内の産業施設も破壊されずに、第二次世界大戦の戦後を優位な立場で迎えることができただろう。
 
稲田朋美は、開戦をしなくても良かったは結果論だというが、村山談話の言うように、「未来に誤ち無からしめんとするが故に」、国策のどこに誤りがあったのか、どうしてそうなったのか、どうすれば誤りを避けられたのか、の論議を尽くす必要がある。