猫じじいのブログ

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任命拒否された加藤陽子の『戦争まで』を苦労して読む

2020-11-15 21:55:15 | 戦争を考える

加藤陽子の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)が、なかなか読み進まない。読んでいると、無性に腹が立つからである。鼻持ちならないエリート臭さが、私のような貧乏人にはがまんがならない。歴史が大好きな高校生を集めて、偉そうに話しかけているだけだ。対等に高校生と話していなくて、高校生の返答に自分の意見に基づき、採点しているだけだ。自分と同じエリートを育てあげようとしている。

本書に人名がやたらと出てくる。それは自分の権威化にすぎない。歴史を作った人物ではなく、自分の歴史解釈の基盤を作ったインテリである。

〈長谷部恭男という、東大から早稲田大学に移られた憲法学の先生〉
〈村井章介先生〉
〈吉野作造〉
〈美濃部達吉〉
〈中村元哉先生〉
〈堀和生先生〉
〈和辻哲郎〉
〈寺沢薫先生〉
〈久保正彰先生〉
〈小野塚知二先生〉
〈堂目卓生先生〉

上は第1章に出てきた人名である。「先生」がついた人名は、加藤が直接会ったことのある人であろう。偉そうに互いに先生と呼んでいるのではないか。「先生」をつけるな。

よく思い出してみれば、私は大学で教師を「先生」と呼んだことはない。
ニュートンが「自分は過去の巨人の上にのって先を見た」と言ったといわれているが、ニュートンのプリンキピアで誰かの名前を本文で引用して、自説を展開することはなかった。

「長谷部先生」が、ジャン=ジャック・ルソーの論文を読んで、

〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉

と言っていたという。ここで、加藤は、ここでの「憲法」とは

〈具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理を意味しています〉

と解釈を添える。私は、ますます、わからなくなる。加藤陽子は観念論者ではないかと思ってしまう。

加藤は、これでもかこれでもかと話を広げる。高校生には背伸びを促す効果があるのだろうが、私の立場からいえば、他の本を読まなくても、話しが完結するようにして欲しい。

加藤は、第2章で、日中衝突に関するリットン報告書が満州国を日本の傀儡国であると認めながら、日本の現状の利権を中国に認めさせて、両者の調停を図ろうとするものであると指摘する。第3章で、日独伊産国同盟の影で、ドイツが中国を支持していて、日本が中国と和睦するよう望んでいたことが明かされる。ふたつの章を通して書かれるのは、ソ連の脅威である。陸軍参謀の石原莞爾のソ連と満州の国境を日本の防衛線にするという戦略が紹介される。

加藤は、このような国際状況でどのような選択肢があって、その損得は何かを高校生に判断させようとする。ここでも、加藤の態度が偉そうなので、うんざりした。

チェスや将棋の解説とは違う。侵略されて土地をうばわれ、奴隷のように働かざるを得ない人びとがいる。日本に逆らうからといって殺される人びとがいる。結局は、統治者の立場から歴史を論じているにすぎない。

第3章まで読み進めると、日本の軍部、海軍や陸軍はどうしてこのように図にのったのか、の疑問のほうがわいてくる。私は、「尊王攘夷」の思想が明治以降も生きていて、「尊王攘夷」の波に乗り遅れた東北や北陸の武士の末裔が、大日本帝国憲法のなかで、天皇にしか責任を負わない軍部に自分の立身出世を賭けたのではないか、と思う。それが「昭和維新」の実体のような気がする。

そういえば、また、思い出したのだが、高校のとき、日本史が嫌いで、いつも白紙で答案を出していた。その教師は、私が生徒会会長をやっていたときの顧問である。ハチャメチャに私が学校の常識に逆らっていたから、選挙で勝って生徒会長になったのである。顧問とは互いに会話した記憶がない。しかし、今から考えると、顧問も学校も寛容だった。

加藤陽子はどうもヒラリー・クリントンのようなブルジョアの立場から世界を考える知的エリートではないか。いっぽう、加藤を毛嫌いする安倍晋三や菅義偉は、知性の欠けた極右ではないだろうか。


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