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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

戦争は死ぬのではなく 殺されるか殺すかだ、首謀者こそ問われるべき

2020-08-11 21:55:20 | 戦争を考える
 
昨夜、WOWOWでドキュメント映画『They Shall Not Grow Old』を流していた。ピーター・ジャクソンが脚本・監督した2018年公開のニュージランド・イギリス映画だ。
 
1914年から1918年の第1次世界大戦の兵たちの休息、補給、戦闘と死を扱っている。白黒のフィルムに色をつけている。だから、死体が生々しい。休息中の屈託のない笑いと動かない死体の対照がすごい。まだ無声映画の時代のフィルム映像に、退役兵のインタビューから得られたつぶやきが爆裂音とともに添えられている。
 
イギリスの各地やイギリス連邦諸国から戦争に駆り出された兵が、不ぞろいの、あるいは、虫歯治療の歯をむき出しにして、カメラに向かって笑っている。16歳の少年も兵として駆り出されている。無数の死体が戦闘の後に散らばっている。
 
最後は、2018年11月11日に戦争が終結し、帰還した兵に社会が冷たかったことを扱っている。仕事がなかったのである。ある帰還兵は、「しばらく見かけなかったが、どこかにいっていたのか」と問われる。
 
戦争は、意味のないことのために、死と体の損傷と苦痛と恐怖を、人々に強要する。
 
私の子ども時代、お祭りになると、神社の石段に手足を失った帰還兵が物乞いに座っていた。
 
今年は、戦後75年である。5年前の夏、戦後70年をむかえて、騒がしかったが、今年の夏は新型コロナ騒ぎで、日中戦争、太平洋戦争で多くの人々が無意味に殺されたことが忘れ去られようとしている。その責任は問われるべきである。勝ったものが負けたものを裁いたという東京裁判だけをNHKはドラマ仕立てで8月に放映したが、東条英機や岸信介や昭和天皇に、人々の「死と体の損傷と苦痛と恐怖」の責任があったはずである。日本人の手で彼らを裁き、復讐すべきであったと思う。
 
現在、戦争をたくらむものに対し、戦争は犯罪であることを教えてやる必要がある。

8月5日 広島での「核兵器禁止条約」署名・批准の各党代表の意見

2020-08-07 22:46:24 | 戦争を考える


日本には、核武装すべきだという意見がある。核武装が抑止力になるという。本当かな。

軍備というものは、きそいあう相手がいるのだから、どこまでやれば、十分なのかの限界がない。競争し はじめればきりがない。それを止めるのは、軍備拡張のために、生活を切り詰められる、普通の人々の政治参加である。

為政者のわがままで、相手を殺すために、自分の生活を切り詰めるなんて、私は まっぴらごめんだ。愛国だとか言うバカを為政者に選んではいけない。

安倍晋三は、郷土愛が愛国だというが、もし各都道県が他県を攻撃する戦闘機と戦車を保有すれば、異常だと みんなは思うだろう。ところが、150年以上前は、日本はたくさんの藩に別れ、サムライは戦争の準備をしていたのである。戦争することは、別に郷土愛ではない。同じように、戦争することは愛国ではない。

生命と財産を守るために、武装をしなければならない、軍隊を持たないといけない、核武装しないといけない、というのは本当なのか。とくに、「財産を守るために」というのはおかしくないか。誰の生命と財産を守るためなのか。

戦争の準備をするのではなく、戦争をしないためにすべきことがあるのではないか。それは、何か特別の大変なことをすることではない。他県の人を敵視していないように、他国の人を敵視しないことである。県境を越えて物資と人が移動するように、国境を越えて物資と人が移動することによって、互いにwin winの関係になればよいだけである。

新型コロナで県を越えて移動することを止められ、そのために経済が縮小している。中国や韓国から観光客が来ないだけで、景気が悪くなっている。

他国を敵視して、生活を切り詰めて、軍備を強めても、戦争を抑止できない。弱い相手を見つけて戦争しないと、国民の人気を集められないと考える為政者がいれば戦争がはじまる。戦争に勝っても誰かが死ぬわけだ。いつも、北朝鮮が戦争の相手のように言うが、北朝鮮は貧乏国で戦争を維持できない。弱いと思って、為政者は戦争の相手国に挙げているだけだ。

安倍晋三だけが特別におかしいわけではない。おととい、8月5日、広島市で「核兵器廃絶日本NGO連絡会」が開かれた。その場で、各党代表が「核兵器禁止条約」の署名、批准について意見を言った。

2017年に国連で採択された「核兵器禁止条約」は、すべての国の核兵器の開発・製造・保有を禁止し、また、核兵器使用をちらつかせて脅すことをも禁止する。「核不拡散条約」のような例外国をもうけない。核兵器禁止条約は平等な条約なのだ。

驚いたのは、「核兵器禁止条約」の署名、批准に賛成なのは、共産党、社民党、れいわ新選組、無所属の岡田克也だけである。核武装の選択肢を残したい自民党や日本維新の会が、署名や批准に反対なのは予想できたが、ほかの政党が署名と批准を保留したのは信じがたい。

日本維新の会の足立康史は、「北朝鮮は核兵器を保有すると言っている。だから日本も持つべきだという意見も日本の中にはある」とし、態度を保留した。

公明党の山口那津男代表は、「公明党は、核兵器のない世界に向けて国際規範が形成されることを強く望む」と言いながら、核兵器禁止条約によって「賛成する国と反対する国の溝が深まるばかりでは現実的な意味はない」と言って態度を保留する。

2017年に国連採択で明確に反対したのはオランダだけで、核保有国とNATO参加国と日本と韓国は採択をボイコットした。日本が署名・批准をしたら「溝が深まる」とはどういうことなんだ。

「溝が深まる」の主語は、「日本政府とアメリカ政府との関係」である。これは、韓国にとっても、NATO参加国にとっても同じである。「アメリカ政府との関係」を韓国もNATO参加国は気にしたのだ。

しかし、「アメリカ政府」との関係を日本が恐れる必要があるのか。日本はすでに「広島」と「長崎」に原爆を落とされている。日本はそれを許してきたのである。その日本が条約に署名・批准したからといって、アメリカ国民と日本国民との関係が険悪になるとは思われない。アメリカ人にも核武装に反対する人々がいる。平和の願いを共有すれば良いのではないか。

立憲民主党の枝野幸男代表は、「アメリカとの同盟を維持しながら条約参加」とする。
国民民主党の玉木雄一郎代表は、「条約は批准すべきであるが、様々な諸問題も解決していかなければならない」とする。
二人とも、アメリカとの関係を気にしている。別に、アメリカの核の傘の下に入る必要はない。「核の傘」は幻想である。世界はもはや2大陣営に分かれて互いに戦争しているわけではない。

日本の「核武装」はまったく論外だし、アメリカの「核の傘」は幻想である。

日本の批准で、アメリカが経済摩擦を持ち出すなら、アメリカに迷惑料を払えばよいではないか。どうせ、毎年高い兵器をアメリカから買い、米軍基地を日本に置くためにお金を払っているのだから、日本は非武装を実行し、米軍基地を撤廃し、その分のお金をささげれば良い。アメリカに敬意を表し、無償のお金をアメリカに捧げれば、アメリカとの関係が悪くなるはずがない。

核不拡散条約(NPT)批准に国会や三島由紀夫が反対した理由

2020-08-06 22:12:50 | 戦争を考える


きのう(8月5日)の朝日新聞で、意味不明の記事があった。それは、『核不拡散条約の国会承認 昭和天皇「なぜ通らない」 衆院議長やる気出た』である。ネットのデジタル朝日では、『NPT批准、天皇発言で「議長やる気に」 メモで裏付け』が同じ記事である。

「NPT」と「核不拡散条約」とは同一で、1963年に国際連合で採択(賛成多数で可決)された国際条約で、1968年に最初の62か国によって調印(署名)され、1970年に45ヵ国以上で批准され、効力を発した国際条約である。日本は1976年まで同条約を批准しなかった(国会が承認しなかった)。

この記事でわからないのは、(1)記事を書いた朝日新聞の意図、(2)国会はなぜ承認しなかったかの理由、(3)これに対するアメリカ政府の姿勢 である。

日本国憲法は、天皇が政治に直接関与することを禁じている。天皇の意図を受けて、三木武夫首相、前尾繁三郎衆院議長が動いたなら、憲法違反である。

日本政府は1970年2月にNPTに署名しているから、佐藤内閣の終わりから、NPTを支持していた。そうすると、国会内に条約を批准して、それに日本が縛られることに反対した勢力がいたことになる。

極右のはずの佐藤内閣が署名したということは、アメリカ政府が日本政府に批准を求めていたと推測できる。NPTは、1967年1月1日以前に核兵器をもっていなかった国への核兵器供与を禁止するとともに、NPTを批准しない国への原爆の原料となるウランの輸出も禁止する。ウラン燃料や原発を日本に輸出するアメリカ政府として、日本政府が署名も批准も拒否すれば、国際的な体面がつぶれるのである。

きょう(8月6日)の朝日新聞の『與那覇潤の歴史なき時代 刺さり続ける三島の檄文』を読むと、NPTの署名、批准は「日本の核武装の選択肢を封印する」と みなされといたようだ。三島由紀夫は、NPTの署名を、戦前の「海軍軍縮」と同じく、屈辱的と受け取り、これに抗議しない自衛隊に怒り、クーデターを呼び掛けたのだという。すなわち、自衛隊員を集めて「アメリカの傭兵になるな」と呼びかけた。

国会が批准に反対した理由は、まさに、「日本の核武装の選択肢を封印する」ことへの反対だったのではないか、と推測する。NPTが不平等条約だといっている本音は、日本も核武装したいことだったと思う。2011年の原発事故の際、石破茂など自民党議員が原発維持の理由に、原爆を開発できる潜在能力の維持をかかげていた。

5日の朝日新聞の記事は、奥山俊宏 編集委員の署名入りだったので、関連記事を載せて、その意図を説明すべきだった。そうでないと、昭和天皇の政治関与だけに、焦点があたる。たしかに、昭和天皇は敗戦にもかかわらず自分を君主と思っていたようだが、それよりも、日本の核武装、日本の対米従属(アメリカの雇用兵)を明るみにすべきだったのではないか。

これは、日本政府が、2017年国連採択の核兵器禁止条約に、いまだに、署名も批准もしていないことと関連する。この場合、アメリカはこの条約の採択をボイコットした。条約は122か国・地域の賛成多数で採択された。オランダ1ヵ国が反対、シンガポール1ヵ国が棄権を投票した。

核兵器禁止条約は、核兵器保有国と非核兵器保有国と区別せず、すべての国の核兵器保有を禁止する。したがって、もはや「不平等」を理由にできない。

問題はもっと鮮明である。日本は核武装の選択肢を残すのか、それとも、アメリカの従属国家や傭兵であり続けるのか、それとも、核兵器に頼らない独立国であろうとするのか、である。

朝日新聞が、8月5日に広島市で開かれた「核兵器廃絶日本NGO連絡会」で、各党代表が核兵器禁止条約の署名、批准についてどう言ったか、報道しないのは、とても残念である。

抑止力保有の自民党提言にニコニコする安倍晋三

2020-08-05 13:13:39 | 戦争を考える

新型コロナ対策では逃げ回っていた安倍晋三が、きのう(8月4日)、うれしそうに自民党のミサイル防衛の提言を受けとっていた。

これは、安倍内閣が進めてきた地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」(地上イージス)の配備計画の撤回を受けて、「迎撃だけでは防御しきれない」、「相手領域内での阻止能力を保有」と、これまでの「専守防衛」を踏み越え、抑止力強化を提言するものである。

「抑止力」とは、お互いに声を張り合って、こっちが強いと脅かし合うことである。一触即発の危険をはらむことである。喧嘩にならないようにするには、脅かし合うのではなく、「まあまあ」と言って落ち着くことであろう。

ところが、国の喧嘩は子どもの喧嘩とは違い、それぞれの国に為政者がいて、国民に人気がないとき、国の危機を訴えて、国民に自分のもとに結集するよう呼びかけるために、他国とわざと張り合うのである。

私の記憶で新しいのは、2001年9月11日のワールド・トレード・センターへの旅客機によるテロ攻撃である。

それまでは、ジョージ・W・ブッシュの大統領再選は無理だと思われていた。私が勤めていたIBMの従業員は、ブッシュをバカにした動画を見て笑いこけていた。ところが、旅客機テロ攻撃に逃げまわったブッシュは反撃を宣言し、アフガニスタンを占領し、イラクを占領し、他国の政権を勝手に崩壊させた。このことによって、星条旗をふるバカな国民によって、ブッシュは大統領に再選された。

しかし、その後に起きたことは、アメリカのアフガニスタンとイラクの占領支配を維持できず、中東に不安定な「破綻国家」を作っただけである。

いま、アメリカと中国のトップはそれぞれ国民に不人気である。トランプと習近平は、これまでの両国の経済的結びつきを壊し、互いに罵倒している。特に、政治的基盤の弱いトランプの喧嘩腰はひどい。戦争の一歩手前である。

安倍晋三は抑止力として相手の軍事基地を攻撃できる体制と言うが、抑止力は抑止力として機能しないのが現実である。これまでの歴史で、ほとんど毎年、局所戦争が大国間のあいだで起きてきた。

抑止力とは互いに理性があるから戦争にならないとの仮定にもとづく。しかし、戦争による支持率の向上があるので、理性があっても、トップは局所的な戦争をしてしまう。

アメリカと中国のあいだでも、アメリカが北朝鮮のピョンヤンに原爆を落とし、中国が日本の東京に原爆を落とし、これで、おあいこだね、と戦争を終結するかもしれない。トランプと習近平が張りあえば、当然ありうるシナリオである。

日本が抑止力をもっても、戦争への敷居が低くなるだけで、抑止力として機能しない。

新型コロナ対策の前面に出てこず、臨時国会開催も避ける安倍晋三が、自民党の抑止力保有の提言にニコニコするのは、とても、危険な兆候である。

小早川秋聲「國之楯」、死者の魂を喰う邪鬼と闇に横たわる軍人

2020-07-28 22:50:39 | 戦争を考える
 
NHK《BSプレミア》で、『極上美の饗宴 闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲「國之楯」』(2011年)の再放送を深夜に見た。
午前0:45からであったにもかかわらず、私は、小早川秋聲の鬼気迫る絵画に魅せられ、見続けてしまった。
 
『國之楯』は、1943年、小早川が、陸軍の要請で 従軍画家として ビルマ戦線に向かい、帰国して翌年に仕上げ提出したが、受け取りを拒否された戦争画である。
 
NHKの番組タイトルは「横たわる兵士」とあるが、腰に軍刀を指しているから、「将校」である。それも位階が高い将校と思われる。顔は寄せ書きのある日章旗で覆われ、革の手袋をした手は胸に置かれている。
その横たわる将校のまわりが黒で厚く塗りつぶされている。
黒のつくる闇が、この絵の鬼気迫る迫力を生みだしている。
 
番組は、絵の裏に書かれた画題の変遷から、その後、二度の改作があったとする。軍部に届けたときの画題が『軍神』、その後、『大君の楯』に、そして、1973年の最後の画題が『國之楯』である。
 
小早川は、どのような思いで、この絵を描いたのか? なぜ、軍部は受け取りを拒否したのか。
それをNHKの番組は発見された下絵や赤外線調査などから探る。
アニメ『火垂るの墓』をとった高畑勲が番組の進行役を務める。
 
軍人のまわりを黒で厚く塗りつぶし、闇に何かが隠されたと番組で聞いて、突然、多数の邪鬼が、餓鬼が、死者の魂を喰うために集まっているさまが、闇の中に私には見えてきた。昔、プラド美術館でみた、黒い絵(Pinturas negras)の邪鬼かと思ったが、あとで確認すると違う。目の前に浮かんだ邪鬼は正面を見据え、頭の上が盛り上がっていて、落ちくぼんだ目は大きく開けられ、口は舌がはっきり見えるほど、上下に開けていた。誰の絵の邪鬼が見えたのか、私にはわからない。
 
番組では、黒く塗りつぶされたのは、横たわる軍人のまわりの桜の花と、風で画面いっぱいに舞い散る桜の花びらだ、と、赤外線写真からわかる。
これが、番組の進行役にアニメ『火垂るの墓』の高畑勲監督をNHKが選んだ理由でもある。
NHKの番組制作者は、『軍神』を戦争の悲惨さを描いた反戦画を捉えたのだと思う。
     ☆   ☆   ☆
 
小早川はもっと単純に考えていたのではないか。
『軍神』は、お国のために桜の花と散る軍人を描こうとしたのではないか。そして、その絵の受け取りを軍部に拒否されることで、軍に対するわだかまりを持ち、戦後、さらに、世間に怒りをもって、桜の花や花びらを黒で塗りつぶしたのではないか。
 
1944年、絵を受けとった軍部は、ビルマ戦線でのインパール作戦の悲惨な状況を知っていて、「桜の花びらとなって死ぬ軍人」の絵を受けとる心の余裕がなかったのではないか。
 
小早川も、『軍神』の返却後、無謀なインパール作戦で日本軍が負け いくさをし、退却のなかで、兵士が飢えと病(やまい)に倒れ、そればかりか、死に行く仲間を肉として、途中の村人に引き渡し、食べ物を得ていたことなども知ったのではないか。
 
ウィキペディアで調べると、小早川秋聲の母は、子爵の九鬼隆義の妹で、恵まれた少年時代、青年時代を送り、欧米や中東や中国を旅している。
陸軍に志願し、陸軍中尉までになっている。
小早川は、関東軍の寺内寿一大将、荒木貞夫大将とも親しく、1931年から1943年まで、陸軍の従軍画家として、アジア各地に将校待遇で従軍している。
家族の話を聞くと、教養ある自由人で、大きな邸宅を京都に構えていた。
 
小早川はロマンチストとして『軍神』を描き、軍部に受け取りを拒否されて、現実を意識し、さらに敗戦で自分が否定され、しかし、自分を変えられず、敗戦で変身した世間に怒っていたのではないか、と思う。それが、桜の花びらを黒で塗りつぶし、横たわる軍人を闇の中に置いた理由だと思う。
 
小早川の絵の闇の中に、死者の魂を喰らう邪鬼と餓鬼を見た私は、間違っていなかったと思う。
 
[参考文献]
白石敬一:第2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察
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