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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ロシアの軍事侵攻で人を殺すことの心の抵抗が低くなっていないか

2022-05-18 23:10:08 | 戦争を考える

きょうこのごろ、ロシア軍のウクライナ侵攻の影響をうけたのか、侵略者を殺すことをためらわない人たちが増えたような気がする。もしかしたら、もともと人を殺したくて うずうずしていて、ウクライナ侵攻を機に、戦争をしたい、と本音を言っているのかもしれない。ウクライナ支援をするにしても、人を殺すことはあくまでいけないことだ、と肝に銘じる必要がある。

人を殺すゲームがあるし、マンガやアニメや映画もある。こうした世の中では、「正義」の御旗がたてば、強力な武器をもって人を殺しまくりたい気になるのかもしれない。

しかし、実際の戦争は司令官をのぞいて、地味で自由もなく死の危険に絶えずさらされる。そして、正義も糞もなく、ただただ、人間性を失っていくだけである。戦争は地獄につながっている。このことを、子どもたちに教えないといけない。

ウクライナのマリウポリで製鉄所に立て籠っていたウクライナ兵士たちが「退避」したと、きょうの新聞にのっていた。正しくは「退避」でなく、ロシア軍に彼らが「投降」したのである。新聞によれば、これから彼らはロシア軍の尋問をうける。ロシアは戦争をしているといっていないので、捕虜ににどのような人権の保障があるのかは、わからない。

それでも、この「退避」という表現は、ウクライナ政府が彼らによく頑張った、任務は完了したから投降してよいとの許可を出したことを受けてのことである。

日米戦争における日本政府の「玉砕」の指示と比べ、ウクライナ政府の決断はずっとましである。自分の命を守るために投降する自由もあるのである。

この機会にフィンランドやスウェーデンがNATOに参加申請をしたが、日本はどうするのか冷静に判断しないといけない。

アメリカ軍の基地が日本のいたるところにあること、原発が日本海側に集中していることなども考え直さないといけない。アメリカ軍が本当に日本の国民を助けるのか、そんなことができるのか冷静に考えないといけない。アメリカの軍事基地は、アメリカ本土を守るために配置されているのではないか、と疑わないといけない。アメリカの要請で、すでに自衛隊があるにもかかわらず、わざわざ、憲法に自衛隊の設置を明記しようとする安倍晋三の意図を考えないといけない。

もう一度、人を殺さないですむために、日本はどうするのが良いのか、冷静に考えなおす必要がある。


日本は敵のミサイル基地を攻撃する能力が必要か?

2022-05-08 23:07:04 | 戦争を考える

「新しい資本主義」という意味不明な標語を岸田文雄が掲げて8カ月がたとうとしている。いっぽう、この間、立憲民主党の弱体化が目立っている。立憲民主党がというより、平和と民主主義を求めるという勢力が後退しているように感じる。

平和とは、日常の生活を あたりまえのように おくれることである。砲撃の音が聞こえたり、突然逮捕されて牢に閉じこめられたりしては、明らかに「平和」とはいえない。

20世紀の戦争は、総力戦だった。そして、「平和」といわれる期間も、戦争に駆り出されていないだけで、戦争の準備のために、生産力の多くを兵器の生産にあててきた。私はソヴィエト連邦の崩壊は、兵器の生産にあまりにも国力を費やしすぎたからだと思う。

民主主義とは、形式のことではなく、みんなが対等で、だれか一握りの人が残りの人を指示したり、命令したりすることがない社会である。会社で社長がみんなを集めて訓示したりするのは「民主主義」的ではない。会社で辞めさせたい社員をみんなでいじめたりするのは、もってのほかだ。競争は格差を正当化するためにあり、「民主主義」的な社会をむしばむ。

3月中旬から4月下旬にかけての朝日新聞の世論調査(5月3日公表)では、全体として穏当なところだが、一部見過しできない結果がでている。

「安全保障を考える上で、軍事的面と外交や経済などの非軍事的な面では どちらがより重要だと思いますか」という問いに、軍事面だとするのが19%、非軍事面だとするのが73%だった。

この結果は穏当だと思うが、この問いの「安全保障を考える上で」は どこか変である。回答者はどう問いを受け止めて、回答したのだろうか。

「日本の防衛政策は、『専守防衛』の方針をとっています。専守防衛とは、相手から攻撃を受けた時に初めて反撃し、その反撃の方法や装備は『自衛のための必要な最小限度に限る』という立場です」という問いに、その方針を維持すべきが68%、見直すべきが28%だった。

まあまあ穏当なところだが、好戦的な応答が、前問より少し増えている。

ところが、つぎの質問で、情勢がひっくり返る。

「日本の自衛隊は、敵のミサイル基地を攻撃する能力をもっていません。敵基地への攻撃は、アメリカ軍に依存しているためです。日本が敵のミサイル基地を攻撃するための能力を持つことに」という問いに、賛成が44%、反対が49%である。

「ミサイル基地」とは何を言うのだろうか。現代では、ミサイルは移動式の装置から発射される。装甲車だったり、巡航艦だったりする。回答者はミサイルは軍事基地から発射されると考えているのだろうか。

今回のロシア軍のウクライナ侵攻で、ウクライナ軍はロシアの軍事基地に反撃していない。今回、ウクライナ軍が反撃したのは、ミサイルを発射する巡航艦に対してであって、アメリカからの供与のネプチューンと衛星からの標的情報を使ってと推測されている。

イスラエルはシリアからミサイル攻撃に対しては、ミサイル迎撃網で対応し、敵地反撃を行っていない。

どちらも、ミサイル攻撃に対して地下壕を準備しており、「専守防衛」の範囲である。

敵基地反撃能力は本当に抑止力になるだろうか。ウクライナもイスラエルもそうは思っていない。

先日の朝日新聞オンライン『<侵略>と<戦争>を考える』では、政治学の杉田敦は、攻撃されれば壊滅的災害を起こす原発を廃止するとか、地下壕を整備するとか、攻撃を受けても耐えられるインフラを整えることを主張していた。ウクライナの鉄道は網の目のように張り巡らされていて、どこが攻撃されても、輸送に困らないようになっているとのことである。

国民の間に、平和が脅かされているという不安だけが煽られていて、他国が日本を侵略する動機は何なのか、それに対応する「外交や経済などの非軍事面」とは何か、また、侵略が行われたとき、それに耐えるインフラの準備とは何か、長期にわたる軍事支配に屈しない力はどこから生まれるのか、という基本的な問題が議論されていない。

もう少し理知的にものごとを考えよう。戦争大好き人間に騙されて欲しくない。


日本は他国からの侵略に何を準備すべきか、ウクライナに学ぶ

2022-04-30 23:24:31 | 戦争を考える

昨日のつづきである。『<侵略>と<戦争>を考える』朝日新聞のオンラインで日本近代史の加藤陽子は、ウクライナ侵攻におけるプーチンの誤りは、ウクライナの過小評価であるとし、ウクライナ政府はロシアの侵攻を予期し、準備していたと言う。彼女はどう準備していたか言わなかったと思うが、敵地攻撃能力や抑止能力ではないことは明らかである。

私が思うに、準備していたのは、ウクライナに属するという意識と侵略に抵抗する力である。ウクライナはソビエト連邦の崩壊で人工的に作られた国である。ウクライナ人というものは存在しない。ウクライナ語を「話す人」と、ロシア語を「話せる人」との数は同じぐらいだったと思う。

ウクライナは歴史的にはコサック(カザーキ)の地だが、ニコライ・ゴーゴリ(1809-1852年)の小説を読むと、コサックはみんな黒い髪、黒いひげ、黒い眉、黒い瞳となっている。長いキセルでタバコを吸い、酒好きである。現在、テレビに出てくるウクライナの人の髪の色はいろいろである。ときたま、コサック風の髪形の若者を見かけるが、少数である。

第2次世界大戦後、ポーランドとの国境が西に移動したためか、ポーランド文化もウクライナ国にはいってきている。ウクライナのキリスト教に限っても、東方正教、カトリック、その他と多様である。東方正教は過去の民族主義運動と絡んで、モスクワの正教から独立している。

ウクライナのいる人々は働き場所を求めて、たまたま、流れて込んできた人々の子孫と言える。

私が言いたいのは、彼らがウクライナを自分の国として選択したのは、民族主義的な感情ではないという事実である。自分の生き方を他国の大統領に命令されたくないということである。自分の生活を他国の大統領に壊されたくないということである。

日本が、国民の生命を守るに必要な最小限の軍備しかもたないとしてきた、この国是を変える必要がない。

〈日本国憲法第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉

自分の言い分を通すために他国に侵攻しないという憲法は世界に誇るべきものだと思う。そういう憲法をもたない国と同盟をもつのは間違っている。自由民主主義(リベラル・デモクラシー)を外国に押しつけるアメリカとは同盟関係をもてないと思う。

このリベラル・デモクラシーがいかがわしいのは、アメリカやイギリスのリベラルが「私的所有」のことを意味するからである。ジョン・ロックの『統治論』を読んで、じっさい、びっくりしてしまった。人間関係に上下がないという意味の「自由」ではなく、自分の私財を守るという意味の「自由」であったからだ。この点では、ホッブスのほうが「まっとう」である。気前のよくない金持ちは身をほろぼすと『リヴァイアサン』で言っている。

憲法学の長谷部恭男は、日本の守るべき価値は「リベラル・デモクラシー」や「まっとうな議会制民主主義」と言っている。

この「議会制民主主義」にも いかがわしい点がある。

宇野重規は、『民主主義とは何か』(講談社現代新書)のなかで、歴史的には「議会制民主主義」は、統治が国民の多数派に押し切られないために、ヨーロッパで導入された、と書いている。選ばれた代表が政治を行う仕組みでは、選ぶ過程をコントロールすれば、既得権益を守ることができるからだ。しかも、日本や多くの国々では行政府がいろいろな恣意的な決定権をもっている。さらに、日本の法律では、その施行の詳細が、政令、省令、通達で決めることができるようになっている。政令、省令、通達が国会で紛糾したと聞いたことがない。「安定与党」を確立しているので、議会制民主主義が機能していない。

宇野はデモクラシーの根本は「平等」であるという。「直接民主主義」の現実的な代替とならなければ、ダメな「議会制民主主義」である。その意味で、デモに参加することの意義を教えない、中学の公民の教科書は何なのかと思う。

右翼的と思われている育鵬社の『新しいみんなの公民』が「デモ行進」を表現の自由として書き、横浜市が採用した中庸の東京書籍にはその記述がない。(ブログ『公民の中学教科書の「自由権」について東京書籍と育鵬社を比べる』)

侵略には「抵抗する力」がだいじなのである。侵略しても維持できないとわかっていれば、侵略をためらう。これこそ、本当の抑止力である。

中国を仮想敵国として、中国に反撃する(中国を攻撃する)軍備を抑止力をもつとか、核を共有する(核兵器をアメリカが日本に配備する)とかではなく、日本が本当の民主主義国になるのが先ではないか。

また、その間、現実的な対処として、政治学の杉田敦のいうように、攻撃されれば壊滅的災害を起こす原発を廃止するとか、地下壕を整備するとか、攻撃を受けても耐えられるインフラを整えるべきである。

日本の防衛予算をGNPの2%以上にあげるという、自民党、日本の維新の会、国民民主党の方針に私は反対である。


ウクライナ軍事侵攻をうけ、もうウソをつくのをやめよう、現実を直視しよう

2022-03-23 23:30:04 | 戦争を考える

私はときどき日本人が何を考えているのかわからなくなるときがある。日本人はずっとウソをつき続ける政党に政権をあずけてきた。ウソだとわかって信じているのか、それともウソだとわからないほど、バカなのか。

いま、ウクラナイがロシア軍に攻められ、町が破壊され、人が死に、町を追われているとき、日本人は何を選択してきたのか、わからなくなる。

日本にはアメリカの軍事基地が、1945年に連合軍に無条件降伏して以来、ずっとありつづける。この日本の軍事基地から、アメリカ軍は、朝鮮戦争に、ベトナム戦争に、アフガニスタン戦争に、イラク戦争に出撃した。アメリカの世界支配のために日本は基地を提供しているのに、アメリカが日本を守っていると日本政府は言い続ける。

日本政府がそう言っているために、アメリカの普通の国民は、ただで、日本人はアメリカ兵に守ってもらおうとしている、思っている。トランプ元大統領は日本や韓国はアメリカ軍の駐在費をもっと払えと言っていた。じっさいには、日本は、アメリカのために戦っている日本の基地内のアメリカ兵の生活費を払っている。それを言うと、こんどは、血を流しているのはアメリカ兵だけだ、日本人も死ねと言われる。

誤解を解くとは難しいことだ。外資系に務めていたので、普通のアメリカ人と普通につきあう。30年近く前に、娘をもつアメリカの父親が、日本の中年男性はすべて援助交際をしていて少女を犯しまくっていると思いこんでいて、私がなぜか すごく怒られたことがある。

これは極端なケースとしても、1980年代、日本企業は不正なことをやっていると普通のアメリカ人に頻繁に怒られた。企業活動は個人的な金儲けだから政府が企業に関与するのはフェアでない、それなのに、日本政府は日本企業に資金援助したり、日本企業が自分のお金ですべき研究開発を政府の機関が肩代わりしていると怒られた。残念なことにこれは事実である。

いま、アメリカが中国を批判しているのと同じことを、当時、私は言われつづけたのである。

日本政府は、日本が不正なビジネスをしているという、アメリカ国民の不満に、政府間で手を握ればよいと、アメリカの高い兵器を買ったり、アメリカ軍に資金を提供したりした。日本政府は、アメリカ政府の忠犬になって仕えていることを、日本国民から隠したため、日本政府の努力はアメリカの普通の国民に何も伝わらなかった。

いま、ウクライナで起きていることは、ウクライナの「専守防衛」である。防衛のための戦争である。ミサイルが町にバンバン撃ち込まれているが、ウクライナ軍はロシアの町にミサイルを打ち返していない。ウクライナにアメリカの軍事基地があるわけではない。

日本の自衛隊は「専守防衛」ということになっている。しかし、日本にはアメリカの軍事基地がある。日本の軍事基地からアメリカ軍が敵国に出撃していた。しかも、アメリカと日本とが軍事同盟を結んでいるわけではない。

いままで、アメリカ軍は弱い国の軍隊と戦ってきたから、日本の軍事基地まで戦争の火の粉がふってこなかった。しかし、いまは、アメリカは昔ほど強くないから、日本のアメリカ軍事基地を攻撃する国がでてくるかもしれない。

日本だって、岸田文雄首相が敵基地攻撃能力をもつといっている。しかも、ちゃんとした軍事同盟を結んでいないのだから、ウクライナのように見殺しになるかもしれない。

今のところ、アメリカよりももっと弱くなったロシアが、アメリカが核戦争を恐れていることにつけこんで、ウクライナで暴れている。

日本は何をしてきたのか、世界で何が起きているのか、正直に話し、日本はこれからどうすべきかを選択する必要がある。


80年前 日米開戦をした日に朝日新聞が1面で日系米人の強制収容を批判すること

2021-12-08 22:00:37 | 戦争を考える

きょう、2021年12月8日は、日米開戦から80年になる。日本の真珠湾奇襲攻撃から80年になる。

きょうの朝、朝日新聞を見て驚いた。1面に「監視塔 日系人というだけで」「真珠湾攻撃後 始まった強制収容」という見出しが躍っている。この記事は9面に続く。

開戦後、日本の真珠湾奇襲攻撃の後、日系アメリカ人に対する不信と偏見がアメリカで爆発した結果の強制収容であり、戦後、アメリカ政府は、この不当な行為に対して、アメリカ市民である日系アメリカ人に対して謝罪している。日米戦争の勃発で、日本人は日本に強制送還となったのであって、日本人を強制収容したのではなく、アメリカ人であることを選んだ日本からの移民を市民活動から隔離したのである。当時のドイツ政府がユダヤ人を絶滅するために、ポーランドに強制収容所を作ったのと まったく異なる。

80年前に日本が真珠湾奇襲攻撃を行った日に、この日系米人の強制収容を1面にもってくるのは、朝日新聞の裏の意図を何か勘ぐりたくなる。

朝日新聞は、数日前に、昭和天皇が日米開戦に積極的であると書いたことに批判があり、バランスを採ろうとして、戦争中のアメリカ政府の誤りを読者に知らせようとしたのか。あるいは、きょうの朝日新聞13面と31面に日米開戦の誤りをのべることへのバランスで、1面と9面とに日系アメリカ人の強制収容をとりあげたのか。

バランスをとるなら、日米開戦を正しいとする識者の論を載せるべきである。

13面の『(交論)「12月8日開戦」の意味』では、吉田裕が、日米開戦の目的を自衛戦争とするのも、アジア解放戦争とするのも、論理的に分裂して混乱していると言う。高嶋伸欣は陸軍が華僑を蔑視していてシンガポールで多くの住民を殺したと言う。

30面は『それでも日本人は「戦争」選んだ』(新潮文庫)の著者の加藤陽子や本のもとになった特別授業を受講した元高校生のコメントからなる。加藤のコメントは《民衆が、自国の苦難を他国の悪意の結果と捉え、「祖国の危機を救え」と訴えたとき、戦争を選ばない為政者はいなかったのです》としめくっている。

私は、日米開戦の80年目のきょう、朝日新聞は、ちゃんとした論戦を企画すべきだったと思う。そして、80年前に、知識人の果たした言動、ジャーナリストが果たした言動を反省し、現在の日本のなし崩しの軍事力増強、海外への自衛隊派遣の敷居が低くなっていると、米中の軍事的緊張を論じて欲しかった。