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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ウクライナ侵攻の理解に加藤陽子の『とめられなかった戦争』をおすすめ

2022-05-28 23:27:31 | 戦争を考える

加藤陽子の本を2冊 図書館にネットで予約したとき、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)と間違えて、別の本、『とめられなかった戦争』(文春文庫)をクリックしてしまった。2日前に図書館で現物を受け取って、はじめて、間違いに気づいたが、この本は薄いが論旨が簡潔で悪くない。『戦争まで』と比べ、上から目線もさほど強くない。おすすめできる。

本の構成は歴史的順序と逆に書かれており、第1章が「敗戦への道」、第2章が「日本とアメリカとの戦争」、第2章が「日米開戦決断と記憶」、第3章が「日中戦争長期化の誤算」、第4章が「満州事変 暴走の原点」である。

本書を読むと、当時の中国と日本関係がウクライナとロシアの関係に対応しているに驚く。

第3章では、日本が中国に宣戦布告することなく、1937年に軍事侵攻を行うのである。当時の中国政府は、これに軍事的に反撃するから戦争である。しかし、中国も日本もそれを戦争と呼ばなかった。当時、アメリカに「中立法」があって、戦争する当事国には武器や戦争に利する物資の輸出を禁じていたからだという。

なし崩しに始まった戦争に、1年たったころには、大陸に動員された兵士たちも、銃後の国民も、疲れはじめて、戦争に疑問を持ち始めたという。その事態を打開するために、1938年に、日本政府は「東亜新秩序の建設」を打ち出したという。後づけの大義名分である。

その2年前の1935年に、中国の胡適はつぎのような論文を書いたという。

<中国は豊かな軍事力を持つ日本を自力では倒せない、日本の軍事力に勝てるのはアメリカの海軍力とソ連の陸軍力の2つしかない、だからこの2国を巻き込まない限り中国は日本に勝てない>

<中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、2,3年間、負け続けることだ>

このアメリカを巻き込むという戦略は、いま、ウクライナ大統領のゼレンスキーがやっていることである。

第4章は日中戦争と導く根本原因の1931年の満州事変である。ここで、満州事変を起こした張本人の石原莞爾の1928年の軍部内の報告が引用される。

<日米が両横綱となり、末輩までこれに従い、航空機をもって勝敗を一挙に決するときが世界最後の戦争。……対露作戦のためには数師団にて十分なり。全支那を根拠として遺憾なくこれを利用せば、20年でも30年でも〔アメリカとの〕戦争を継続することを得。>

私には、この石原が何を言っているのか理解しがたい。加藤は彼の評価を「毀誉褒貶愛半ば」すると言っているから、論理的に解せよと言っても無理だろう。第1の疑問は「全支那を根拠として利用せば」とは、実現性のあることと考えていたのか、である。「全支那」とは「全中国」のことであって、「満州」だけではない。石原はドイツに留学したというから、何か欧米に対する劣等感を引きずって、中国人も日本人と同じ黄色人種だから、日本に味方してくれるという妄想をもっていたのではないか、と気になる。暴力を振るう日本に中国人が好意を持つはずがない。

第2の疑問は、いつごろ、日本とアメリカとが戦争すると、石原は予測していたかである。

ここで第2章に戻ると、1941年の日米開戦に先立つ20年近く前、日本政府は国防方針で最大敵国をアメリカに変えたとある。政府は、戦争の起きうる理由を、東アジア(中国をさす)での日本とアメリカの経済的利害対立とした。それから、日本は20年に渡ってアメリカとの戦争の準備をしてきたと加藤はいう。

ロシア軍のウクライナ侵攻を考えるとき、本書は薄くて論旨がわかりやすく、おすすめの本である。


軍事優先の考え方を批判せよ、保坂正康の『あの戦争は何だったのか』

2022-05-25 23:30:01 | 戦争を考える

『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)なのかで、保坂正康は軍人が無謀な戦争を80年前にアメリカに行なったと考えている。また、彼は、軍人が非常なエリートであったという。私には、彼が、軍人がエリートであることをなぜ指摘するのか、わからない。もしかしたら、学校の成績が良いだけでは、正しい判断ができない、と言いたいのかもしれない。

彼のもう一つの指摘は、中国との戦争で行き詰っていたのは陸軍で、中国を軍事支援をしていたアメリカと戦う理由は海軍にはないはずなのに、アメリカと戦うことを最も主張したのは海軍であることである。どうも、彼は、薩長と長州の手柄争いを海軍と陸軍とが引き継ぎ、海軍軍令部が天皇や国民の喝さいを浴びたいと考えて、アメリカとの開戦を主張したと言っているように思える。

とにかく、私を含め、私より上の年代はすべての悪は軍国主義からくると考える。

軍人は、海軍も陸軍もクーデータを起こしている。暴力による恐怖で意見を通そうとしている。昭和維新である。

陸軍の2.26事件では、内大臣、蔵相、(陸軍)教育総監は「3人とも機関銃で撃たれた後、滅多切りにされ、肉片が飛び散っていた」というひどいものだった。天皇に与えた「肉体的恐怖は想像を絶していた」と保坂は言う。

保坂は、軍人の間には「大善と小善」という考えがあって、「小善」は天皇の指示に忠実に従うことで、「大善」は天皇の御心を思いはかって「一歩前に出て」お仕えすることとしていたと言う。もちろん、軍人は「大善」を良しとする。「一歩前に出て」とはずいぶん恣意的な言葉である。

保坂は、日米戦争では、海軍と陸軍が互いに本当の戦果を隠していて、正しい戦術をも立てることができなかった、と言う。

明治憲法では、陸軍、海軍をコントロールできるものは、天皇しか いなかった。陸軍や海軍は議会や内閣に責任を持たないのである。軍隊とは、他国と紛争を武力で解決をするだけでなく、国民を暴力で抑え込む装置である。君主制をとっていれば、天皇が陸軍、海軍を直接指揮するのは当然である。君主制が悪いのである。

すると、「軍国主義」が悪いとすれば、君主制から国民主権の民主制に移り、国民が軍人をコントロールすればよいということになる。

しかし、平和憲法ともいわれる現行憲法にもかかわらず、軍備倍増、敵基地攻撃能力、同盟国との共同戦闘態勢、核共有という声が出てくるのを見ると、軍人がいるから戦争が起きるとだけ言っているのでは、不十分な事態を迎えていると思う。軍事優先の考え方こそが「軍国主義」ではないか。ここに加藤陽子の『それでも日本人は、「戦争」を選んだ』(新潮文庫)の視点が必要になる。日本に外交がないのだ。

中国や北朝鮮が日本を攻めてくるというのは、被害妄想である。自衛隊の一組織である防衛研究所の所員が被害妄想を煽っているのは、問題である。岸田政権はそれを打ち消すべきではないか。

それなのに、岸田政権はアメリカの中国敵視政策にランランのノリで従っている。アメリカに対する劣等感があるのではないか。現在、日本政府の中で、戦争を回避するための組織はどこが担っているのか。本来は外務省だと思うが、安倍政権でそれが骨抜きになったのではないか。

反戦という旗を日本にもう一度掲げる必要がある。戦争で「紛争」を解決するのはやめるべきである。反戦をいうことは恥ずかしいことではない。

[補遺、5月26日]

加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を借りてきて読むと、陸軍と海軍との争いは強調されていず、反対に、2章では、陸軍と海軍とが協調が日露戦争の勝利に導いたと書いている。


あの戦争はなんだったのか、それでも、日本人は「戦争」を選んだ

2022-05-24 22:39:09 | 戦争を考える

5日前から保坂正康の『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)を読んでいる。あの戦争とは、1941年のアメリカと日本との戦争である。真珠湾を奇襲攻撃せざるを得なかった戦争である。

読んで保坂の振り返りと、加藤陽子の振り返りとに違いがあるのに気づいた。もう一度、加藤の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)を読んで、比較しないといけないと思う。

保坂と加藤の世代の違いが、アメリカと日本との戦争の受け止め方に違いを引き起こしているように思える。文章においても、保坂が戦前からの日本語を使っており、加藤は英書を多数読んだ人特有の、粗い言明を細かい注釈で補っていく文型を使っている。私自身も、加藤のように、ついつい、英語を日本語に翻訳したような文章を書いてしまうことがある。

保坂は「あの戦争」の誤りを「軍国主義」に帰す。ただ、彼の言う「軍国主義」とは何かは私にはわかりにくい。彼は「軍部」を「軍の政策や戦略を司る中枢部」とし、つぎのように言いきる。

<「軍国主義」とは、そうした中枢部が発する命令、彼らの時代認識からくる戦略がどういったものだったか、それを指して定義するもの>

わかりにくい定義である。「命令」と「戦略」とが同格で、「どういったものだったか、それを指して定義」では、本書を注意深く読んで自分で考えろと言っているのと変わらない。

加藤は、軍部が日本とアメリカの戦力の差、社会の体力の差を分かっておりながら、日本が戦争に進んでいったことを、なぜかと分析する。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のタイトルがほのめかすように、「軍国主義」というより、「国体」とも言われる明治以降の日本の社会体制、あるいは、明治憲法(大日本帝国憲法)に象徴される国の理念が、避けられる戦争を行った、と加藤は言う。

「軍国主義」が悪いという保坂の歴史のとらえ方は、半藤一利や司馬遼太郎と通じるものがある。その「軍国主義」を「尊王攘夷」と理解すれば、加藤との接点を見いだせると思う。加藤は、外交交渉で解決できるのに、軍人以外の日本人もあの戦争を選んだと言いたいので、「それでも日本人は」と言っているのである。

「軍人以外の日本人も」という視点は重要で、「軍国主義」ではない現在の日本政府も戦争を選ぶ可能性があると警告していることになる。

「尊王攘夷」は劣等感に満ちた被害者意識である。明治以降の日本政府は、「和魂洋才」と言いながら卑屈に欧米列強の文化を取り入れた。「尊王」という非合理性を含んだまま「富国強兵」路線に走ったのである。

そして、1937年に始まった中国との戦争に勝てないのは、中国の背後にアメリカやイギリスやロシアの軍事援助があるからだと考え、アメリカと戦わざるを得ないという自縛に日本政府が陥ったのである。

劣等感に満ちた被害者意識は形を変えて、現在も引き継いでいる。自民党はアメリカに卑屈に従ってきたにもかかわらず、アメリカの占領軍に押しつけられた「日本国憲法」を廃棄して「自主憲法制定」を言い続けている。自衛隊を憲法に明記して何をしたいのかがない。

保坂は、真珠湾を奇襲攻撃して、その戦いに勝利できたが、その後どうしたいのか、なぜそうするのかがない、と言う。保坂は、これを「軍部」に戦略がないと言う。まさに、いまのロシアのようであったのである。

劣等感に満ちた被害者意識は、愛国主義の形で、アメリカの命ずるままにアメリカに敵対する国に向けられていく。それだけでなく、本来友好国であるべき、韓国までに敵意をふくらます。合理性がまったくないのだ。合理性がなければ、戦略も当然ない。外交交渉ができるはずがない。

憲法を改正し、軍備を増強し、どうなりたいのか、自民党や日本維新の会、国民民主党になんの考えもないのである。「それでも日本人は戦争を選んだ」と100年後に言われないように、いま生きている日本人も自省しないといけない。


何のために日本の軍事費の倍増する必要があるのか

2022-05-23 22:37:46 | 戦争を考える

ロシア軍のウクライナ侵攻をみて、日本の軍事費の倍増に賛成する人が増えたのではないか、と私は懸念する。

きょう、岸田文雄首相はアメリカ大統領のバイデンに大幅な軍事費の増額を約束した。そのバイデンは、記者会見で、中国が台湾に攻撃をかけたとき、アメリカは台湾側に立って、参戦すると答えた。

いっぽう、東国原英夫は、きょうのTBSの『ゴゴスマ』で、「防衛費を増額する話がサラッと報道されてるけれど、防衛費がほぼ倍増するということはあと5兆6兆必要でどこから持ってくるのか。多分増税や国債、社会保障費を削るなどになるから、国民の皆さんも頭に入れといてください」というようなことを言っていた。これは冷静な発言だと思う。

自民党や日本の維新の会が防衛費をGDPの2%にというが、日本政府の支出総額はGDPの37%である。防衛費が国の予算の5.4%を占めることになる。決して少額ではない。

「防衛費」というが、抑止力という名の敵国攻撃を想定した軍事費である。日本が軍事大国の道を選択すると世界に約束したことになる。

自衛隊(軍隊)は政府のコントロールのもとに置かれている限り、軍人独裁国家ではないが、軍備で他国を威嚇する点では、軍事国家である。

戦争というのは、他国が侵攻してくるのではという疑心暗鬼から始まる。ロシア軍のウクライナ侵攻も、アメリカ軍がウクライナにはいって軍事訓練をしているという事実から始まった。ウクライナがロシアに攻め入るというプーチンの危機意識は妄想だろうが、ウクライナがアメリカのもとに戦争の訓練をしていたまでは事実である。

北朝鮮、中国はアメリカが攻めてくるのではという妄想のもとに、軍事国家の道を歩んでいる。日本までが、「安全保障」という妄想のもとに、軍事国家の道を歩めば、想定敵国も軍事費をより増強するだろう。結局、各国は、戦争に行き着くまで軍事費を増強することになる。経済合理性からも、人類の幸福と繁栄から明らかに踏み外している。

愚かしい、愚かしい、愚かしい。


本当に中国や北朝鮮が日本に攻めてくるのか、被害妄想ではないか

2022-05-22 23:34:41 | 戦争を考える

ここしばらく、私は、ブルガリアの歴史、ポーランドの歴史、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の歴史、ロシア帝国の歴史を読んでいる。彼らは本当に絶えず戦争をしている。どの国も、いつも相手が攻めてくると考えている。被害者意識のかたまりである。それでいて、チャンスがあれば他国に攻め込む。

自民党や維新の会は、北朝鮮や中国が日本に攻めてくるという。しかし、どうして、攻めてくると思うのか、その根拠を、私は聞いたことはない。

北朝鮮はアメリカにおびえて、国民と国土を守るため、貧乏なのに核やミサイル開発を行っている。貧乏だから、アメリカを壊滅するほどのミサイルや核爆弾を、たぶん、永久に作れない。中国は、北朝鮮ほど貧乏ではない。しかし、中国の国民は、今の生活を放棄して、戦時体制に入ることを望んでいない。自民党や維新の会は、なぜ、彼らが日本に攻めてくると思うのか。中国に、アメリカを占領しなければならない理由があるだろうか。単にアメリカが攻めてくるかもしれない、という恐怖心から無理をして軍備を強化しているのではないか。

多くの人はヒトラーが頭がオカシイと思っている。しかし、ドイツ人は、今のポランド領の北海がわに、国をもっていた。ドイツ騎士団の国があったのである。それがプロセイン(プロシア)公国になり、約百年前の第1世界大戦で、ドイツが負けることで、プロセインは小さくなり、ポーランドのなかのドイツの飛び地になった。大ドイツ主義のヒトラーは、おっせかいにも、ドイツ人よ、スラブ人から東の地を取り戻そう、と訴えたわけだ。かわいそうなことに、第2次世界大戦でドイツはまた負けたので、もっと狭い国土にドイツ人は押し込まれている。幸いなことに、ドイツ人は奪われた国土を取り返そうとしてはいない。現状の国土で満足している。

日本は第2次世界大戦で、明治以降に武力で奪った土地をすべて失った。だから、日本に土地を返してくれと中国や北朝鮮や韓国や台湾から責められることもない。ヨーロッパのことを考えると、こんな幸せなことはないと思う。さらに良いことに、日本は石油や貴重な鉱物資源があるわけでもない。アフリカ諸国をみていると、石油や鉱物資源をめぐって内戦が絶えない。

日本は、丸腰で堂々としていればよい。他国に被害妄想を膨らますような軍備をもたないことがだいじだ。憲法第9条を改正なんかして、軍事大国になろうとしていると疑われないようにすべきである。また、核武装をすると疑われるような、使用済み核燃料の再処理をすべきではない。

こういうことが、自民党や日本維新の会や国民民主党の政治家はどうしてわからないのだろうか。彼らの頭がオカシイと思われても仕方がない。