「新しい資本主義」という意味不明な標語を岸田文雄が掲げて8カ月がたとうとしている。いっぽう、この間、立憲民主党の弱体化が目立っている。立憲民主党がというより、平和と民主主義を求めるという勢力が後退しているように感じる。
平和とは、日常の生活を あたりまえのように おくれることである。砲撃の音が聞こえたり、突然逮捕されて牢に閉じこめられたりしては、明らかに「平和」とはいえない。
20世紀の戦争は、総力戦だった。そして、「平和」といわれる期間も、戦争に駆り出されていないだけで、戦争の準備のために、生産力の多くを兵器の生産にあててきた。私はソヴィエト連邦の崩壊は、兵器の生産にあまりにも国力を費やしすぎたからだと思う。
民主主義とは、形式のことではなく、みんなが対等で、だれか一握りの人が残りの人を指示したり、命令したりすることがない社会である。会社で社長がみんなを集めて訓示したりするのは「民主主義」的ではない。会社で辞めさせたい社員をみんなでいじめたりするのは、もってのほかだ。競争は格差を正当化するためにあり、「民主主義」的な社会をむしばむ。
3月中旬から4月下旬にかけての朝日新聞の世論調査(5月3日公表)では、全体として穏当なところだが、一部見過しできない結果がでている。
「安全保障を考える上で、軍事的面と外交や経済などの非軍事的な面では どちらがより重要だと思いますか」という問いに、軍事面だとするのが19%、非軍事面だとするのが73%だった。
この結果は穏当だと思うが、この問いの「安全保障を考える上で」は どこか変である。回答者はどう問いを受け止めて、回答したのだろうか。
「日本の防衛政策は、『専守防衛』の方針をとっています。専守防衛とは、相手から攻撃を受けた時に初めて反撃し、その反撃の方法や装備は『自衛のための必要な最小限度に限る』という立場です」という問いに、その方針を維持すべきが68%、見直すべきが28%だった。
まあまあ穏当なところだが、好戦的な応答が、前問より少し増えている。
ところが、つぎの質問で、情勢がひっくり返る。
「日本の自衛隊は、敵のミサイル基地を攻撃する能力をもっていません。敵基地への攻撃は、アメリカ軍に依存しているためです。日本が敵のミサイル基地を攻撃するための能力を持つことに」という問いに、賛成が44%、反対が49%である。
「ミサイル基地」とは何を言うのだろうか。現代では、ミサイルは移動式の装置から発射される。装甲車だったり、巡航艦だったりする。回答者はミサイルは軍事基地から発射されると考えているのだろうか。
今回のロシア軍のウクライナ侵攻で、ウクライナ軍はロシアの軍事基地に反撃していない。今回、ウクライナ軍が反撃したのは、ミサイルを発射する巡航艦に対してであって、アメリカからの供与のネプチューンと衛星からの標的情報を使ってと推測されている。
イスラエルはシリアからミサイル攻撃に対しては、ミサイル迎撃網で対応し、敵地反撃を行っていない。
どちらも、ミサイル攻撃に対して地下壕を準備しており、「専守防衛」の範囲である。
敵基地反撃能力は本当に抑止力になるだろうか。ウクライナもイスラエルもそうは思っていない。
先日の朝日新聞オンライン『<侵略>と<戦争>を考える』では、政治学の杉田敦は、攻撃されれば壊滅的災害を起こす原発を廃止するとか、地下壕を整備するとか、攻撃を受けても耐えられるインフラを整えることを主張していた。ウクライナの鉄道は網の目のように張り巡らされていて、どこが攻撃されても、輸送に困らないようになっているとのことである。
国民の間に、平和が脅かされているという不安だけが煽られていて、他国が日本を侵略する動機は何なのか、それに対応する「外交や経済などの非軍事面」とは何か、また、侵略が行われたとき、それに耐えるインフラの準備とは何か、長期にわたる軍事支配に屈しない力はどこから生まれるのか、という基本的な問題が議論されていない。
もう少し理知的にものごとを考えよう。戦争大好き人間に騙されて欲しくない。
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