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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

日本は借金してまで軍事力を強化する必要があるのか

2022-12-13 22:16:11 | 戦争を考える

いま、世の中は、首相の岸田文雄が、日本の軍事力強化の費用を借金で賄うのではなく、税で賄わないといけないと述べたことで、もめている。少なくとも、高市早苗がそんなことを閣議で聞いていないとわめいている。

孤立無援の岸田を応援するためか、きょう、誰かがテレビで、日本の歴代の首相は公債で軍事費を賄うことに反対していたと言った。ただ、残念なことに、なぜ、歴代の首相は軍事費を公債で賄うのに反対したのか、の説明がなかった。

私が思うに、借金してまで軍備を強化する必要があるのか、ということを戦後の歴代首相が真剣に考えていたのだと思う。

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アメリカとの戦争で敗戦する前、日本政府は、日清戦争,日露戦争、第1次世界大戦の戦費を得るために、戦時公債を発行した。日本では、むかしから、戦争とは相手を倒して土地や財産を奪うことだと、サムライや軍人や一部の国民が考えていた。借金しても、戦争で勝てば儲かると考えていた。

1905年9月5日に、「日露戦争で多くの犠牲者や膨大な戦費を支出したにも拘わらず、賠償金が得られなかった」と、暴徒が内務大臣官邸、国民新聞社、交番などを焼き討ちした(日比谷焼打事件)。悲しいことに、当時、そんなバカな日本人がいたのである。

アメリカがロシアとの講和をはかってくれなければ、弾薬が尽きていた日本軍は大敗したかもしれない。日本が、必ずしも勝っていなかったにもかかわらず、アジアの小国が大国ロシアと五分に戦っている、と国際世論の同情を得たからである。

この後日談がある。日露戦争のときに、戦費を得るため、海外で公債を苦労して売っていた人が、二・二六事件で陸軍青年将校らに殺された高橋是清である。彼は、戦争が儲からないということを身をもって体験した。そればかりか、借金を返すため、日露戦争の後、日本は不況に見舞われた。彼は蔵相になって日本経済の立て直しに奔走する。

高橋は、世界恐慌がまだ続く1934年に、6度目の蔵相に就任し、陸海軍からの各4000万円の増額要求につぎのように反論した。

「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ。」

これに軍部は不満をもち、1936年2月26日に、反乱軍の青年将校らが高橋の胸に6発撃ちこみ、殺した。それが二・二六事件である。

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今年、12月4日の読売新聞の世論調査によると、日本国民の半分がGDPの2%の軍事力の増強に賛成である。

日本国民の半分は、その増強した軍事力で何をしたいのか。そして何ができるのか。そして、そのことによる経済的負担を真剣に考えたことがあるのか。

すでに、GDPの3倍の借金している日本が、軍事費の負担を借金してまで増やす必要はない。

日本国民の半分は、今度のウクライナ戦争で何を学んだのか。抑止力は何か効果があったのか。どれだけの抑止力があれば、戦争が起きないのか。

第2次世界大戦後、アメリカ、中国、ロシアは核を持ったが、戦争が絶えず起きており、多く人が死んできた。アメリカ人も多数死んでいる。第3次世界大戦が起きなかったというだけである。

日本国民の半分に問う。中国の軍事基地を攻撃するのは何のためか。何か、中国が日本に攻めてくる根拠があるのか。

撃ってくるミサイルを打ち落とせないから、中国の軍事基地を未然に叩く必要があるという。中国の軍事基地はどれだけあって、どれだけのミサイルが必要となるのか。日本を攻撃するのだったら、中国は潜水艦からミサイルを発射するだけで十分である。弾道ミサイルは遠く離れたアメリカに打ち込むためのものである。

日本は最新鋭の戦闘機を開発するという。中国の戦闘機が日本を襲うという根拠があるのか。日本にアメリカの軍事基地があるから襲われるというなら、アメリカの軍事基地はいらない。

日本はまだまだ貧乏国なのだ。強力な軍事力を持つために、日本がもっと貧乏にならないという論理を私は受け入れられない。


日本の軍事力強化に国民の十分な議論があったと思わない

2022-12-10 22:17:58 | 戦争を考える

きょう、国会の閉会にあたっての記者会見で、岸田文雄は日本の軍事予算を2倍にすることに十分な議論を行ったと述べた。あとは、その財源をどうするか、と、国民に十分に説明することであると言った。

私は軍事予算を増やすことに反対である。日本の軍事力強化に十分な議論があったと思わない。

政治用語で「国民に十分な説明を行う」という意味は、「政府は決定を変えない、国民はそれを受け入れ従うべきである」ということである。民主主義国家にあるべきことではない。

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加藤陽子の『天皇と軍隊の近代史』(勁草書房、2019)に面白い話がのっている。戦争犯罪を裁くという話しである。第4章である。第2次世界大戦後に、勝利した連合国が戦争犯罪人を裁いた話である。ニュルンベルク国際軍事裁判、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)である。

これは、1945年6月26日から8月8日にかけての、アメリカ、イギリス、ソビエト、フランスの代表者のロンドン会議で決定された国際軍事裁判条例にもとづく。その要点はつぎである。

① 侵略戦争を起こすことは犯罪である。

② 戦争指導者は刑事責任を問われる。

加藤はそれを国際法上の「革命」と呼んでいる。

侵略戦争を違法とするのは、第1次世界大戦の反省から、すでに、国際的に受け入れられていた。革命的な点は②である。それまでは、政府の起こした戦争は国民全体が責任を負うのである。負けると国民は領土を奪われ、莫大な賠償金を支払わされるのが、きまりだった。古代では、もっと最悪で、奴隷にされるか、皆殺しにあうのが、きまりだった。

「革命」では、事前に知らされていなかったとかが、無罪の言い訳にはならない。体制が転覆されたのだから、国際法の規定のなかった過去にさかのぼって罰することができる。「悪い」ことは「悪い」となる。

安倍晋三は、この「革命」を拒否した。「戦後レジームの脱却」の1つである。

私はこの「革命」を受け入れる。日本は、第2次世界大戦敗戦で、領土こそ縮小したが、国民は賠償責任をまぬがれ、急速に経済復興した。日本の受け入れた「民主主義」が農業を地主の桎梏から解放し、産業を財閥から解放し、日本の急速な経済復興を可能にした。

けっして、急速な経済復興は国家の「インフレ」政策によるのではない。

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東京裁判の結果、東条英機が絞首刑になったのは当然のことである。

靖国神社が死んだ彼を神として祭り、歴代の首相がその御霊に参拝するというのは異常なことである。

民主主義国家では、宗教の自由のもと、民間の「靖国神社」が戦争犯罪人を祭ることができる。しかし、首相は議員であるとともに公務員である。公務員は、戦争犯罪人の御霊を神として参拝することはしてはならない。

岸田文雄は、安倍晋三が育てた自民党議員に押されて、いま、戦争犯罪人の第一歩を歩みつつある。


戦後の食糧難、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』

2022-08-28 22:56:31 | 戦争を考える

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の第2部を読む。敗北によって生じた日本の混乱期が克明に描かれている。吉田茂が望んだように、日本の支配層は一部の軍人を人身御供として占領軍総司令部(GHQ)に差し出し、自分たちの安泰をはかった。支配されていた私たちの父母は、占領軍を「解放者(メシア)」のように思い、食糧難のなかを必死に生きた。

無条件降伏をしたのだから、日本の支配層を皆殺しにすればよかったと、私なんかは思う。しかし、占領軍は日本支配層によって牢に閉じこめられた政治犯を解放し、代わりに、アメリカとの戦争を導いた人たちを戦争犯罪人として逮捕したので、「解放者」と誤解したのであろう。

私自身は強烈な食糧難を体験していないが、私の5歳上の兄は、どの野生植物が食べられるのか、知っていて食べる。それだけでなく、あしながバチの巣をとって、幼虫と蜂蜜を食べるのである。それでも、私は、シイの実やくるみや銀杏の実をひろって食べ、学校給食では、アメリカの援助の小麦粉のコッペパンを食べ、スキムミルクを飲んだ世代である。

アメリカの余剰農産物が日本に食料援助としてきたのだ。ジョン・ダワーによると、これは無償の援助ではなく、あとで、日本はその代金を支払った。

食料難が生じた理由は、戦前の日本がもともと自給自足ができていなかったのもあるが、日本政府の権威の崩壊とともに、農家が、日本紙幣や配給制度を信用しなくなったからでもある。農家が政府の要請に応じなくなったのである。そのことを、子どもの私は親から幾度となく聞いているので、流通の混乱に本能的恐怖心をもっている。

戦後の混乱期、日本の食料の流通はヤクザなどが取り仕切ることになる。闇屋、闇市である。警察はヤクザとつるんでいるから、逮捕されるのは、末端の人間だけである。しかも、多くは闇屋から食料を買ったほうの人々である。敗戦によって、日本の支配層に裏の人間が新たに加わることで、日本の支配体制は維持されたのだ。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』に、「闇市で仕入れた食物を分けてくれなかったことに腹を立てた24歳の男が、自分の父を殺害する事件」が1946年4月に起きたと、書かれている。

これを読んで、私の父が戦地から戻らない間、母(嫁)が、祖父(義理の父)から食べ物が与えられず、自分で食べるものを確保しなければならなかったが、それは特別のことではなく、どの家にも起きうることだったのだと、了解した。

また、私の母から何度も聞かされた話は、判事が闇の食料を食べないと言い張り、餓死したという事件である。ジョン・ダワーの本書で、餓死した判事の名前といつかをはじめて知った。1947年10月に、34歳の判事、山口良忠が餓死した。

闇屋から食べ物を買った者が、法廷に連れてこられると有罪の判決を下すのが山口の仕事だった。しかし、自分の妻も闇屋から食べ物を買っていた。良心の苦しみから自分だけは闇屋から買ったものは食べないと妻に告げた。その結果、餓死したのである。

私の母はその話をしたとき、いつも、餓死した判事を罵倒した。政府が間違っているとき、法律が間違っているとき、それに従ってはいけないと私に言い渡した。

確かにそうであると私はいまも思っている。死ぬべきは天皇を含む日本の支配層である。ソクラテスの選択は間違っている。

この事件の2カ月後に私が生まれた。母が闇でサツマイモを売っていたのは、父が戦地から戻ってこない1年間だけでなく、1947年になっても闇屋をしていたのではないか、と、ジョン・ダワーの本書を読んでふと思った。戦地から戻ってすぐ父の商売が軌道に乗るはずがない。日本の経済混乱はもっと続いたはずである。


ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」の言葉に私は共鳴

2022-08-25 23:20:05 | 戦争を考える

2日前、重田園江が朝日新聞の政治季評で、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)を紹介していた。20年前の本であるが、「敗北を抱きしめて」の言葉がとても心に響く。原書のタイトルも“Embracing Defeat”である。1999年の出版である。日本でも2年後に翻訳が出版された。

「日本では、朝鮮戦争前の数年間、1から国を作り直そうとするある種の理想主義が支配した。占領当局(GHQ)と日本の人々が自由と民主主義の夢を共有した時期があった」と重田は書く。なんとすがすがしい見方だろう。

この7月に殺害された安倍晋三は、アメリカに占領された時代に作られた憲法も法律もすべてが受け入れられない、と言う。いっぽうで、安倍は韓国をアダム国、日本をエバ国とする統一教会の信者だった。いつのまにか、日本の政治の中枢に統一教会のシンパが入り込んでいたことが、安倍の死で露呈した。ここで、日本はもう一度再生できるだろうか。

「敗戦によって政府や上層部の化けの皮がはがれたのだ。もし勝っていたら、皆がずっと騙されたままだったろう」と重田は書く。

私の母は、私が子どものとき、何度も何度も「日本は戦争に負けて良かった」と言った。「負けなければ軍人さんが威張ったままだろう」と言った。妻に聞くと、妻の母も同じことを言うと答えた。

保坂正康は『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)のなかで、戦前の軍人は非常にエリートだったと書く。子どもの時代から成績で選別され、軍人養成学校に行き、そこでも選別され、少数の者に天皇の臣下としての特別の権力が与えられた。それでは、威張るなといっても、威張ってしまう。そして、エリートは世間知らずだから、悪い奴に騙されていく。腐敗が進行する。非合理な政治的判断が下される。

ジョン・ダワーは人間の多様性と複雑さを描いているという。敗戦後に軍需物資を横流しして大もうけする元軍人や役人たちの横暴を描いている。

「上層部や特権層の多くはうまく立ち回り、戦後の混乱に乗じて私腹を肥やした。これを目にした人々は考えを変え、権威は地に堕ちた。人びとは敗北を抱きしめるしかなかった」と重田は書く。

ある一時期に理想主義が支配した日本は、時間をかけて、また権威と腐敗の支配する社会に戻っていった。戦争ができる「普通の国」に戻ろうとしている。安倍はそれを「美しい国」という。

今から11年前に東日本大震災が起きたとき、気仙沼のカトリック教徒の山浦玄嗣は、NHKの番組『こころの時代』で「すべてを失って、今、すがすがしい朝を迎える。自然は、今までと同じく、いや、それ以上に美しく、よみがえる。神は、人々を罰するために、地震と津波をもたらしたのではない」と語った。

11年前に、大津波と福島第1原発の事故を目の前にして、人びとは、もう一度日本の再生が訪れると期待した。原発に頼る生活を日本人が改めると思った。

しかし、ウクライナ侵攻を機に、自民党政権はエネルギー危機を理由に原発を再稼働するだけでなく、新規原発の建設を主張している。核兵器の保有や敵基地攻撃まで口にしている。ウクライナ侵攻では、原発が攻撃の脅威となっているのに、新規原発を作ろうとは。

安倍晋三の死を機に、もう一度、日本人は理想のもつことの「すがすがしさ」を思い起こそう。天皇制の廃止以外にいま憲法を改正する必要はない。軍拡競争に日本が参加する必要がない。原発は廃止すべきである。子どもに、株などの金融商品を買うことを学校で教える必要もない。教科書の検定はやめるべきである。


老人のとりとめない話しには それなりの価値がある

2022-08-18 23:00:50 | 戦争を考える

年を取ると、とりとめのない話し方をしてしまう。私も年をとって、とりとめのないしゃべり方をしてしまう。考えて話すのではなく、話しながら考えてしまう。脳の老化がそのような話し方しか許さなくする。

私はNPOで子どもたちに勉強も教えている。脱線の多い話し方をすると、それを嫌う子どもがいる。効率的に教えてくれという。そういう子は、物事に決まった正しい答えがあって、それをコンパクトに伝えるのが教師の仕事だと思っている。自分で判断できる力より、人に指示を求めている。

しかし、私がとりとめのない話をするから、私から勉強を教わりたくないと言いながら、家が引っ越したので、1時間半もかけ、この4年間、おしゃべりのために私に会いに来る子ども(もう二十歳過ぎ)もいる。

なぜ、私がこんな話を持ち出しとかいうと、8月16日の朝日新聞社会面のつぎの記事に、違和感をいだいたからである。

93歳の老人が8月15日の水戸市主催の集会で約1時間、自身の戦争体験を語った。終戦の1年前、15歳のとき、予科練に志願して、特攻作戦の順番がまわってくるのを待つうちに、朝鮮半島の基地で8月15日を迎えた。

ここで、記者はつぎのように書く。

<ここまで話すとこの日の予定時間を迎えてしまった。その後のことも、もっと伝えたかったが、話したいことが多すぎて時間が足りなかった。>

「その後のこと」とは、ソ連軍の捕虜になり、モスクワ郊外の収容所で強制労働を強いられ、仲間が息絶えるのをみたことである。

そして、記者は書く。

<侵攻してきたロシアに移住を余儀なくされるウクライナの住民と抑留された自分が重なる。その一方、今のロシアとかって中国に攻め入った日本も二重も写しに見える。>

問題は、どこまでが老人の言ったことで、どこからが記者の思いなのか、よくわからない記事の書き方であったことだ。

話しているうちに時間が足りなくなったというのは、老人がとりとめのない話し方をしたのかもしれない。しかし、老人はこの3年前から自身の体験の証言活動を始めたというから、やはり、一番言いたいことを集会で1時間かけて話したのではないか、と思う。

集会でこの老人は、<「人を殺し、自らの命を散らせば勲章を与えられる。15歳の少年は、戦争の実情も本当の死の恐怖も知らなかった」「国に命を捧げることが誇らしいと思っていた」と話した>のだから、それはそれで満足だったのでは、と私は思う。